258.
今回も遅くなってすみません。疲れて寝てました。
「人様の唇に紅をぬるというのはなんかこう、変な気分になりますよね」
さぁ、口軽くあけて? と言いながら紅筆を動かしつつ、おねーさんの方に声をかける。
取材を受ける場所は、やはり先日もお邪魔したこの店のバックヤードだ。もう一人の店員さんも、女装ちょー楽しみとわくてかしていました。
うん。さすがにクマの作り手は従業員さんは知っているわけで事情説明と口止めをしたらそんな話になったのだった。
「ええと、ルイちゃん。それって自前の筆?」
「100均で買ってきました。さすがに人のを使うのはいやだろうし」
さすがに基礎化粧品は避けますけどこういうアイテムは100均で十分と言い切ると、あからさまに木村氏はがっかりしたようだった。なにか期待でもしてたのだろうか? え。いい筆を使いたかったの?
「あはは。この様子ならそういう格好してても妹にはならなさそうで安心ね」
木村姉は目を細めて自分の弟の女装のできを見ながらもそう言い切った。
うーん確かにまだまだ完成度は低いし、残念ながらこれで妹になるということはありえない。
とはいってもけっしてクオリティが低いわけでもない。
体はたしかにでかいのだけど、ふわっとしたベージュを基本としたロリータ服を着ているし、全体のバランスとしては悪くはない。というかロリータ服はいいね。生地がけっこうあるから露出も少ない上に、それでいて可愛い。
化粧のノリだって一週間頑張った成果が多少はでているし、髭は朝抜いた。いでぇと言っていたけど、さぁあたしが抜いてあげようというと、いい、いいです、自分でできますと彼は後ずさった。
ま、まあこういうのは自分のペースでやった方が痛くないから、毛のはえてる方向のレクチャーと、抜き方を伝授してやってもらった。
これで半日は持つと思う。
そのとき、お前も毎日抜いてるのか? なんていう質問がきたので高校の頃にレーザーやっちゃってるんだよねぇと答えておいた。
おまっ、とかいってたけど、いまどきの男子は脱毛はするものだよ? メンズエステなんてものもあるし、つるつるお肌の男の子なんて珍しくもない。ましてや女装をする前提なら髭なんてあったところで邪魔でしかないだろう。
「ちなみに他には100均アイテムつかったりしてるの?」
「ビューラーとか、爪切りとか、やすりとかそういうのは100均ですね。化粧水とかファンデとかはいちおう高級じゃないけど普通のやつにしてます」
さすがに、安すぎても何が入ってるかわかりませんから、というと、まあーそうよねーと返事がきた。
「そういうところ、ほんとルイちゃんって女の子っぽいというか、なんというか。その道の人ってなると、物から高級なものを使ってってしそうだけど」
「こちとらしがない高校生だったころからなわけですし、月に一回だけってわけでもないですからね。化粧水とか消耗品系はさすがにバカ高いのは使えないです。ほどほどのをじゃぶじゃぶ使いたい派です」
有名ブランドはどれも高くていけませんと答えておく。
まったくもって、世の女性達は美容にお金をかけすぎではないかと思ってしまうものだ。化粧水、ファンデ、ここらへんは必須になってくるけど、へたすると一月で万単位のお金がかかってしまう。ドラッグストアで3割引セールとかで買ったとしてもなかなかの出費だ。
もちろんエイジングケアを歌うようなものが高いのはわかるし、そういうのが必要になるころにはお金もそこそこ自由にできるようになるのだろう。
でも、こちとらまだまだ若輩で自由にできるお金などそうそうないのである。
「まあ、クマきちはけっこーもうけてそうな気はするので、お高いアイテムを一揃えでもいいのかもしれない」
さぁ、食べたくなっちゃう唇をつくる、ぷるるん系の高級口紅をご購入するがいいっ、というと、おまえなぁと飽きれ混じりの視線を向けられてしまった。
ま、冗談なんですけれどね。
「さて。あとはウィッグかぶれば完成だね」
おつかれさまーと、フルメイクを終えてなんだか違和感がありげに眉を潜めている彼に声をかける。
うん。まあはじめてお化粧したとなると、なんか変な感触っていうのはあるかもしれない。
ウィッグは木村姉の私物を拝借。ルイとして使っているものを提供してもいいのだけれど、こういう衣装に似合う髪型というのがうちにはないのだよね。ショートのほうが多いから、お嬢様風ってのがあんまりない。
どうしようかねなんて話をしていたら、じゃーこれで、と用意してくれたのだった。
ウェーブのかかった背中まである髪は、ロリータ服にはしっかりあっているように思う。
「では、いかがでしょうか? 実の弟がこんなんなりましたけど」
「うんっ。これなら納得。まーでかいっちゃでかいけど、でかい女子はいるものだし」
「これで、写真を撮られるとさらに問題なしなギミックもたんまりしこんでいますから、楽しみにしていてくださいね?」
ふふ。と愉快そうにちょっと大きめな女子という風に仕上がった木村を見て、微笑む。
うん。我ながらいい仕事をしたものだと思う。
「さて。そろそろ時間になるわけですが」
「ええ。到着しますという連絡はついさっき来てたけど」
「記者さんってどんな方なんですか?」
「まあ、地方のタブロイド紙の記者さんってことなんだけど、若い男の人だったよ」
へぇと、その答えに不思議そうな声をあげた。
クマさん大好き! とかってことなら、女性記者さんが発掘したとかそういうことかと思っていたのだけど。
まさかの男性記者さんだとは。
「それと、写真のことに関しては伝えて貰えました?」
「ええ、それはもう。写真はこちらで用意をしますといったら、ちょっと怪訝な反応はされちゃったけど」
「そりゃ、本業としてやってるところにねじ込むわけですからねぇ。むしろよく許可してくれたものです」
今回のインタビューの条件として、写真を載せるならルイさんが撮ったものを、というのをつけている。相手のカメラマンを信じていないわけではないけれど、圧倒的に女装写真の撮影ならルイに一日の長があるのは確かだし、男っぽさを消す技術なんかもしっかりある。
これで、石倉さんクラスの人がくるのであればまた話は別だけど、インタビューくらいでそんな写真家ですみたいな人がくるはずもないだろう。
「いらっしゃったみたっ……うわ……かわいい」
そんなやりとりをしていたら、店番をしていたスタッフさんから声がかかった。
バックヤードのドアをあけて、視界に木村が入ったのだろう。
その、お人形さんみたいな|(ただし大きいけれど)姿を見て、彼女はなはぁと頬を緩めていた。
ファッション業界の人って、基本可愛いもの好きだものね。
「あとで愛でていいから、とりあえず店番お願いね。私も立ち会う予定なので」
「はいっ、店長」
うわっ。あれが……すごっ。化けるもんだぁとかつぶやきながら、彼女は店の方に戻っていった。
そして、入れ替わるようにすっと男の人がバックヤードに入ってきた。
「本日は取材を受けて下さってありがとうございますっ。うわっ、こちらがあのクマのキーホルダーの作者さんですか」
「……取材者、この人か……」
はじめまして、と業務用の笑顔を張り付かせた安田さんを見て、そういやタブロイド紙のカメラマンとかいってたっけなぁと春先の会話を思い出していた。
正直なところ、カメラマン=カメラだけやってると思っていたのだけど、今日は彼がインタビュアーも行うらしい。小さなところだとそうなのかもしれない。
挨拶をうけた木村は、パイプ椅子に座りながらぺこりと会釈をする。うんうん。ウィッグが前にぱさりとならないような絶妙な角度である。笑顔こそ硬いけれど、これは緊張からきているのである程度仕方がない。
「あのキーホルダーのイメージにそっくりですね。おっと、こちらから話すのはあり、なのでしたっけ?」
「ええ。この子は聞き取りはできますので。それと……カメラはこちらでやらせていただくお話でいいのですよね?」
胸元につっているカメラが見えたからだろう。木村姉はそこの点もしっかりと確認してくれる。
まあ、たぶん安田さんは普段のくせでカメラをつってるだけなのだろうけど確認は大切である。というか、カメラのお仕事が嫌で首までつろうとしていた御仁がしっかりと装備してくれていることが純粋に嬉しい。
「写真はそちらで用意したものを、というようなお話でしたよね。気に入ったものを載せたいとかそういうことでしょうか?」
ときどきそういう方もいるにはいるみたいなので、と安田さんは伝聞系の表現を使った。
本来ならばもちろんこの場で撮影をしてそれを使うのが一般的なのだろう。そりゃ別の場所で撮った写真だと状況だとかが一致していないと記事と写真がちぐはぐしてしまうからね。
「気に入ったものをというのもあるのですが、友人にカメラを任せようということになりまして」
「どもー、安田の息子さん。覚えていますか? 命の恩人です」
そこでようやく、ルイさんも会話に参加する。
背景の一部としてこっそりしていたので、ここでようやく彼はこちらを認識した。
興明さんから、おまえは観察力がどうのと言われていたけれど、相変わらずそういう才能は無いらしい。
「そりゃ覚えてるけどさ……こんなところで会うだなんて思わなくて」
彼は目をぱちくりとしながら、なんでこんなところにいるんだと怪訝な顔をした。
「いちおうこのクマさんの愛用者ですからね、私。早い時期につけて持ち歩いてますし、崎ちゃん、珠理奈さんもそれを見て欲しいとか言い出したし、ここまでブームになった一因だとも思ってるくらいです」
えっへんとあまりない胸をはると、へぇとあっさりながされた。
「基本、欲しい絵は彼女のバストショットでいいのですよね?」
「ああ。まあそんな感じ。インタビューしてる間にてきとうに撮影してくれ」
どーせ僕より上手いだろうし、と彼は完全に不機嫌そうに唇を引き結んでしまった。
あのとき、興明さんとわいわいやらかしてしまったのが、少し記憶から掘り返されているのかもしれない。
ええ、いいですとも。こちらも今日はカメラマンに徹します。さぁはよインタビューを始めるがいい。
「では、よろしくお願いします」
メモ帳を取りだして、ぺこりとあたまを下げてから、彼はロリータ服の木村の前に座った。
本来ならばICレコーダーもつけるのだろうけど、今回は声がないということで用意はしていないらしい。
『お二人はどういう関係で?』
インタビューが始まるまえに、ディスプレイにはすでに文字が表示されていた。
さきほどのこちらのやりとりを見て、木村が純粋に不思議に思ったのだろう。
「生死をかけた間柄です」
ぶふっ、と思い切り木村が吹き出した。お茶のみ中とかじゃないのにダメだよそんなの。女の子らしくない。
それに話せない設定がダメになってしまう。
「この人、銀香のご神木で首つろうとしてたんです。それを制止していまに至ります。安田さんの生死はかかってるでしょうけど、あたしは別にいつも通り。普通に撮影した上に憧れのあの人にまで会えたくらいで」
あの日はほんと、すっごい良い日だったんだよーととろけそうな表情をしていうと。
『頭、だいぢょぶ?』
木村から、呆れたようなキー入力の声が届いた。
大丈夫です。
「ひっどいなー、彼のお父様はあたしの原点で到達点なのっ。そりゃ恋をしてるとかそういうんじゃないけど、憧れはするよ」
ほら、小さい子供が野球選手に憧れるみたいな感じ、というと、イマイチわからないという顔をされた。
「そんなことより取材、どうぞ」
『はいはい、では記者さんお願いシマス』
木村に促されて安田さんはそれからいくつか質問をしていった。
クマ作りはいつから始めたのか。始めた理由はなんなのか。
好きな生地選びや、色なんかについても質問がでる。
そして、噂の巨大クマについての製作秘話なんてのもでてきた。本当に大きなクマさんで愛らしいのだ。
確かあれは中に人が入って動かせるヤツだった気がする。今も地方局のマスコットとして大活躍である。
「そういや木村氏。あのクマってあたしが遊びにいった友達がいる学校の卒業パーティーにいたんだけど、あれの中の人って誰だったの?」
生徒の誰かなんだろうかと思いつつ、いままでずっと謎だった質問をこの際だから彼女にぶつける。
受験まっただ中に、木村があんなもんを自分のためだけに作るとは思えなかった。
『お客の情報は秘密。乙女の秘密』
キーボードを使っているからなのか、少し言葉が片言になってむしろ面白い。
でも、内容はさすがに予想通りだった。
地方局から先にオファーがあって作ったわけではなく。個人受注をしてからおもしろがってテレビが取り上げたという形ではあるようだ。
「さて、ある程度は聞いて終わったけど、写真の方はどう?」
話をしている最中、キーボードを叩く木村の姿をそれなりな枚数撮らせていただいた。
正面よりも少し上から、喉が上手く隠れるように上手く狙っての撮影だ。
「ほどほどに撮れてますよ。見ますか?」
せっかくパソコンがあるのでそこに表示をさせるようにしておく。
文字表示用のメモ帳は小さくはするものの、そのままだ。
「うわ……さすが」
やってくれると彼は、少し拳に力が入っていた。
うん。普通にロリータ姿の女性って感じの仕上がりで、ほどほどな美人さんに撮れているのだ。
「さっきから気にはなってたけど、あの脇腹のところにくっついてるクマさんって、キーホルダーより少し大きかったりする?」
「あ、気付きました? 彼女、けっこーがたいが良いの気にしてて、写真はやだーって言ってたんです。だから魔法をかけてあげました」
ね? と木村氏に声をかけると、彼はそれを聞いていないようで、画面をじぃっと見つめていた。
うんうん。見入ってしまうくらいかい? これが僕とかいっちゃうかい?
それでこそ、わざわざ一回り大きいクマさんを用意してもらった甲斐があるというものだ。
人は錯覚する生き物なのだという。
自分がよく知っているものがあるとそれを基準に物事を考えたがる。
だからあえて、ベースとなるそのクマさんをあえて大ぶりに作っていただいたのだ。
そして椅子に座ってだっこしているクマさんはいわゆる、ぬいぐるみ大というようなサイズだ。木戸家のほめたろうさんくらいだろうか。ぎゅーっとするとちょうど良い感じのサイズのものだ。
これがあるのがまたいい。大きいのも作ったんだ、とわかるし、脇についてるのはあくまでもいつものヤツという印象が強まってくれる。
「結構な枚数を撮ったのであとはお話をしながら、どれを使うか決めていきましょう」
カメラマンの息子としての審美眼を期待していますよ? ふふんとからかうと、まー二人で決めていこうとあっさりかわされてしまった。
と、まあそんなこともあったけれどとりあえずインタビューは無事に終了だ。
ちらりと時計を見るとお昼になってないくらいだろうか。
お弁当は持ってきているのでこの場を借りて食べつつ、午後は知らない町を歩いてみようかと思っている。
こういうお仕事も楽しいけれど、やっぱり自然の風景を撮影したくなってしまうのだ。
「お、おわったー」
メイクを落として着替えた木村は心底ほっとした声をあげた。
ルイ達の姿はもうない。さきほどまであーだこーだやっていたのに今ではもうバックヤードは静かなものだった。
「おつかれさま。とりあえずはよくやった!」
これでうちの売り上げもアップ間違いなしよー、と姉に言われても木村は少しだけ放心状態だ。
「なんつーか、女装すんのってこんなに大変なのな……しゃべらなくてこれって、はっきりいってあいつら頭おかしい」
メイクを完全に落としたからなのか、どっと疲れが今になってでてきたなと木村は思う。
粗を出さないように気をはらないといけないし、なにより化粧が気持ち悪い。よくあいつらはこんなことを日常的にやってるよなと思ってしまう。
「まーかおたんはあんなんだからねぇ。昔っからほわほわしてたし、あんまり努力してないんじゃないかな」
「いや、本人はあれで、自分は持ってないほうだからしっかり頑張らないとみたいなことをいってたけどな」
実際、木村にほどこされた化粧を見てもわかるように、ルイは技術でそこそこ改善している部分も当然あるのだろう。とはいえすっぴんだろうと、女子で通るという風にも思う。妥協しないで進み過ぎてしまって今があるというところなのではないだろうか。
「第二次性徴を迎えたから、男っぽくなってるはず、とか思ってるのかもね。声はたしかに低くはなったけど、見た目でそこまで男くささってないとは思うんだけど」
でも、喉仏の話はたしかにあるのかな? と姉に興味深そうに言われて、ふるふる首を降っておく。
身長差の兼ね合いもあるものの、木戸のことを下から覗き込んだことというのは今までない。だから喉仏があるかどうかという確認はしたことはないのだ。
そういうシチュエーションになってもどうするのという感じではあるけれど。ちょっと想像するだけで、変な想像が膨らんでしまう。
「にしても、あの子ほんとうに写真選びのときはわくわくしてたよね。カメラ大好きって牡丹からは聞いてたけどまさかあそこまでとは」
「まぁな。あいつ高校の時もずーっとあんな感じだったよ。カメラのことになると純粋っていうかさ」
だからこその残念美人で通るわけだけれど、と木村は少しだけ想像してしまう。
あいつが、もし、普通にカメラ以外興味がない人間でなかったら、と。
町中を連れ回したり、笑顔を向けてくれたりしてくれたら。
放っておく男子はそうはいないだろう。
「だからこそ、安心といえば安心なんだけどな。初恋は実らないっていうし、まーそこらへんはもうどうでもいいさ」
明らかに強がりではあるものの、木村は肩をすくめながらそう言った。
「で、おねーさまよ。今回の取材の報酬はしっかりといただけるんだよな?」
「あ、うん。取材料も入るし、半分以上はあんたにあげる」
でも、今どうしてその話? と木村姉が問いかけると、彼はぽそっと言ったのだった。
「お礼を兼ねて、今度誘ってみようかなってさ」
そうしてシフォレに連れて行かれることになった木村くんがケーキの味に魅了されて、別の彼女を作ることになるのだけれど、それはまた、別のお話、というわけで。
うちの兄も彼氏もぬいぐるみ大好きです。
さすがに、わはーとかいいながら店頭で抱きついたりなでなでしたりはしないですが(私はなでる派っ。店としては商品に……な感じでしょうが、なでますっ)、別にそこまで邪険にしなくてもいいのではー? と思っています。
まあ、趣味の問題となるのかなと。ちなみに女子のドール趣味に関しては、男子は割と「ないわー」だそうです。成長過程によるものなのかとかは不明です。
ちなみに作者としては、パペットという感じで呪術的な香りがしてしまうと、ちょっと忌避してしまいます。自分で可愛いと思えればオッケ(リカちゃんとかバービーとか)だけど、アンティークドールとかはちょっと苦手です。
え。クマのぬいぐるみとかもこふわで最強だと思いますヨ?
さて、次話ですが、バレンタインデーのお話。一応土曜日の夜までにはお届けできるといいなぁという感じで。お休みに入る前の最後の一話です。
今回のバレンタインは、コンビニ回です。




