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242.

 こちらのターンになって選ばれたのは、肯定派とは真逆の相手だった。

 華奢でこれぞ女の子というようなかわいい子を男装させ、いかつい男子を女装させる。

 エレナならきっと二人とも素敵に異性装させるだろう。というか華奢でかわいい子が男装が駄目か、といわれたら「ショタの人に垂涎」という感じに少年風に仕上げてしまえばそれで済む話なのに、みなさんとことん選択が甘い。男装させづらいのはグラマラス美人である。

 そしてもう一人の方。男子の方は衣装部屋に移動してから暗い表情をしていた。

「俺はかわいい服装とか大好きだし女装もいいと思う。でも、自分が着た姿を想像したらさすがになぁ」

 磯山は肩をぐったりさげてしょんぼりとしていた。

 見るからに大男というがっちりした彼は、高校までは運動部から勧誘もひっきりなしだったらしい。

 そんな彼がはっきりと、かわいいものはいいものだと言い切るのだから、世間というものは難しいものだ。

「おまえはいいよな。そんだけ普通に似合ってさ。なんの努力もしないでそれとか。まじなんなの」

 そして、いちおう女装姿で否定側としてついてきている木戸を、じぃっと見て怨みがましい視線を浴びせかける。

 ふぅーん。そりゃあ肯定派はなにも苦労はしちゃいませんよ。

 けれどね。その言いぐさはまじなんなの。

 今の一言はさすがに温厚な木戸の精神にざくりと刺さった。ちょっとねじが一本飛んだ。

 さっきから、こちらだってイライラしているのだ。その上なんの努力もしていないだと? はっきりいって普通の女子以上のケアを毎日してるから、この程度でも悪くないになるのだけど。

「ああ。気分が悪い。誰かこの男を黙らせてはくれないか? 俺だって今、肯定派の毒牙にかかっていてとても気分が悪い上に、自分は素材が悪いから異性装はできないなどという話を聞かされている。こちらは否定陣営でこれから俺がやろうとすることは、あきらかに異性装を肯定する行為なのだけれど。みんなはそれでいいだろうか?」

 否定派の十人に視線をまわして尋ねる。こいつを可愛くしてもいいか、と。

 どうせ無理だと諦めてしまう前に、やってみないことには何も始まらない。

「いまさらだよー。てかさみんなみんな。この磯山くんがすんごい美少女になったら、わくわくしない? なんかさ自信のない乙女がぱーっと花開く可能性が実感できるっていうか」

「いや。うちら否定派じゃん。それで女装の可能性とかいっちゃったら、お話にならないじゃん」

 こちらの腕を知っている田辺さんが援護射撃をしてくれる。

 でも、美少女はちょっと無理かな。年齢的な問題とがたいの問題で、目指すなら美女になってしまうよ。

「俺が否定したいのは汚装と、この授業の趣旨だ。悪意があるとしか思えない」

 声に多分に不機嫌さが入っていたからだろうか、みんなは困惑しながら好きにやんなよーと、丸投げしてくれた。男装のほうを受け持ってくれるらしい。

「さて、では磯山くんや。みんなの前で汚装を見せるのと、驚かれるのとどっちがいい?」

 そうやってにんまり問いかけると、磯山くんは、目がこえぇよ……と小さく震えた。

 


「きれいーなにあれ。モデルみたい」

 否定側の異性装を公開したら、どよっと会場全体が沸いた。

 磯山くんは少し不安げにしながらも、優雅に歩いている。なるべくがに股にならないように注意してくれているようだ。時間いっぱいまで歩行訓練と仕草の訓練をしたわけだけど、あんがい付け焼き刃がなんとかなっているようだ。

 そんな様子を、木戸は一人隣の部屋の扉からこそーりと観察していた。

 なんで合流してないのかは、後のお楽しみというやつだ。

「否定派の提言の一つ、汚装になる可能性を、磯山くんに見いだしました。そしてそれを修正してもってきました。前半のディベートでも話しましたが、女装の最大のポイントは毛の処理です。むだ毛をいかに減らすか、見せないようにするか。そこで黒タイツ。このアイテムはとてもいい。皮膚のケア不足であっても足の形は実は男子の方が筋肉量が多い関係で美しい場合が多いのです」

 解説は田辺さんに一任した。すらすらとポイントを押さえてくれるのはありがたい。

 カンペは渡してあるけれど、実際その内容をちゃんと理解して話してくれているなめらかさだ。

「たしかに、足めっちゃ綺麗……長いし、うらやましぃ」

「そして、次は体格の問題です。若干胸の詰め物を多めにしているのは肩のいかつさとウエストラインとを懸念してです。バランスさえ間違えなければ、全体的に大ぶりになっても錯覚でごまかせます。近寄って自分と比較するとそれもわかってしまいますが」

「それであのバストか……Fくらいあるのかな」

 磯山くんは男子としてもわりとがっしりしている体型だ。本人がこれぜってぇ無理と諦めていることからもわかるように、しっかりした肩幅を隠すことは難しい。写真でやるなら斜めに立ってもらって幅をごまかすとかはできるんだけど、こういう場面ではいろいろな角度から見られるので、今回は盛りでバランスを整えることにした。

 人間の脳は違和感というものに敏感だ。なにかぎくしゃくしているぞ、というのがあればそこが気になってしまう。けれども錯覚だってしてしまうもの。そして世間的に恰幅のいいおばちゃんはおっぱいもでかい。そのイメージもあるからこれで押し切れるのだ。むしろ肩幅がなくて巨乳というほうが女装としてはあまりよろしくないのではないだろうか。詰めてます感が半端ない。

「顔に関しては、髭あとの処理が大きな作業です。ファンデーションで上塗りしても消し切りませんから、色を足してなんとかしています。本来なら一本ずつ丁寧に抜いていくことをおすすめしますが、時間もなかったので今回は剃るだけにしました」

「抜くとしたらいい方法はありますかー?」

 一部女子からまったく議論に関係のない声があがった。

 あ、そこ気になっちゃう? なっちゃうよね。同窓会の時もけっこう聞かれたしね。

「それは木戸くんに聞いてください。あたしにゃーわからん」

 田辺さんが投げやりにいうのをみんなはくすくす笑って見ていた。

「そういや、木戸は?」

 最初に女装なんて妖怪変化だと言ってのけた男子から声がかかる。

「女装をやり直すといって控え室に居ます。ただ正直あたしはこれ出すの反対。あれだしちゃったら肯定派の完全勝利になってしまうのでお披露目したくない」

「へぇ。そんなできなのか……」

 目の前に磯山という実例があるからなのか、妙な期待感が場に広がっていく。

「まあでも、論点を変えるという意味では呼ぶしかないのか……私たちは女装は目立つもの、似合わないもの、違和感があるものだという土台の上で討論を積み重ねてきましたが、あの子が出てしまうとその根底が崩れます。というかもう磯山さん出してる時点で、こっちは異性装の否定ではなく汚装の否定という立ち位置になってしまってるんだけれど」

 苦笑まじりの田辺さんの声にみなさんの考え方が少しずつ塗り替えられていく。

 討論ではメリットデメリットを出してそれぞれ論争するわけだけど、その根底部分にはみんなの共通認識が存在している。今回の場合は、テーマは「異性装」がアリかナシか、なわけだけど、両陣営とも前提として「女装なんて無理」という根底部分から始まっている。

 本来ならば肯定側が、できるよ! いけるよ! ていうことを言わなければならないところだったのだけど、彼らがやったのは「やれる人はやれる」という限定的な肯定に過ぎなかった。

 だから、その土俵で討論に勝とうとするなら、「できないヤツはできない」という意見でねじ伏せれば良い。

 でも……ねぇ。女装技術っていうのは長いこと培われてきているものなのです。

 あの程度で、できない判定をしてどうします。

「たしかに、磯山でそんなに化けるなら、期待大だな」

「じゃ、ちゃっちゃと入ってきて、しのさん」

 あーあと、げんなりしながら田辺さんがこちらを呼ぶ。

 それに応じてちょっとしか開いていない扉を押して体を中に滑らせる。

「どもども。さすがにさっきまでの自分の女装はないわー、と思ってたんで着替えてきました。いやぁロングウィッグあって嬉しい限りです」

 完全に女声に切り替えてみんなに向かい合う。

 ふわりとした笑顔。歩き方、身のこなしも女性のそれで、しかもそれがあまりにも自然に行える。

 顔を飾るのはシルバーフレームの眼鏡。ごつい黒縁と違ってすっきりした印象を与えるこれは木戸状態で女装する時の必須アイテムだ。

「ちょ、まっ。しのさんって……前に講義で見たことある気がするんだが」

「はいっ。ちょっとした事情でこっちのかっこで大学に来たこともあります」

 ま、少人数の講義がある日は避けましたけどね、と付け加える。この人数のところで女装していては木戸が別人になってるよとすぐに気づかれる。

 何人かにまにましているのは前期でジェンダー論を取っていた女の子達だろう。

「あたしだって最初に見たときは、木戸くんの妹さんが来てるんだとばかり思ってたよー」

 今でも信じられんというような状態の教室に朗らかな声が響く。

「さて、磯山さんを見てもらってもわかるように、女装の技術の粋を集めるとある程度の嫌悪感を消すことはできます。その事実を元に私はこう考えます。異性装が公共の福祉に反するから駄目なのではなく、公共の福祉に反する女装が駄目なのだと。みんなの目に不快になるような汚装はよそう、と」

 よって、異性装を否定しますと断言する。

 実際は半分以上の肯定なのだけれど、こればかりはしかたない。

 ああ。自分がこんな状態なのに、異性装を否定できるだろうか。

「はーい、じゃーそろそろ総評に入ります。今回は肯定側の勝利ということでー」

「んなっ」

 そんなのひどいですーと言うと、反論がきた。

「あなたがそんな格好している時点で肯定しているようなものでしょう。ただし、議論の幅を広げてくれたので評価はします」

 今日のMVPは君だ、と初めて負けた側からのMVPがでてしまった。

「それと、さっきでてた毛の処理の話。答えられるならどうぞ」

「まずは毛穴を開かせるために蒸しタオルで温めるといいです。その後毛の生える方向に毛抜きで捕まえて引き釣り出す感じです。指で皮膚を押さえてあげるとよりとれやすいです。抜けたあとは炎症を起こすから冷やします。毛穴も閉じるので自然な肌の完成です」

 流れるように毛の抜き方を解説すると、おぉうお周りから感嘆の声が上がった。

「その声は? 普段お前もっと低いだろ?」

「これも後付けでマスターできるものです」

 音と周波数と喉の構造をもとに理論構築してる人がいますというと、再び教室内が沸いた。

 確かに、男子にきちんと女装してますと公開したのは大学に入って初めてだし、声変わりを実感しているからこそ、この声が出るということには驚くに違いない。

 ジェンダー論の時は、どちらかというと声より見た目にみなさん食いついたし、さらには仕草なんかの方に視線がいっていたような気がする。

「そっか、木戸くんは特撮研だったか。それなら沢村もいるし、女装くらいこなす、か」

 ふむんと講師が腕を組みながら、複雑そうな表情を浮かべている。

 どうやら志鶴先輩の知り合いっぽい。

「あ、最後に磯山くんに言っておくね。木戸くんみたいになっちゃダメよ?」

「……たまには良くない?」

 ぼそっと低い声で磯山氏が田辺さんに反論していた。

 うん。鏡の前では、これが僕をやっていたしねぇ。そりゃ一回こっきりにはならないのではないかなぁ。

 ……そのままくせになってもしのさんは知りませんよ。だって、自分がやりたいっていったんだし。

「あーあ。いつかやりかねないと思ったけど、あいつったら学内の子まで毒牙にかけちゃって」

 しーらないっと、磯辺さんにも言われたけど、そんなに頻繁に女装させてまわってるわけじゃないからね! まったく高校のころもそうだったけど、こちらで全力プロデュースした子なんてそんなに居ないのですよ。一番手伝ったのが八瀬だもん。他は声のレクチャーとかしただけだもんさ!

「い、いいじゃんよう。磯山氏だって別に日頃からああするって言ってるわけじゃないし。パートタイマーだってば」

 ちょっとした気を抜くための、コスプレ(、、、、)みたいなものーというと、磯辺さんがうぬぬとそこで悔しそうな声を上げた。

 ええ。反論したらやぶ蛇になりますものね。

「そんなわけで、磯山氏。もうこれで可愛いものとふれあえないーとか嘆かないでよね」

「ああ、俺も言い過ぎた。何もして無いだなんていって悪かった」

 そんなやりとりをしてたら、なるべく内股でこちらに近寄って来た磯山氏は、低い声でそう言った。

「それで、その……できれば、声の出し方とかしゃべり方も教えてくれると、その……」

「えと、ガチ?」

 いちおう、ちょっと引いた仕草をしながら確認しておく。

 澪の時もそうだったけど、人生変えちゃうきっかけになるのはさすがにちょっと抵抗もある。衣類を着させるくらいまでならいいけど、その先の矯正は本人の意思で決めていただかないといけない。

 ちょっと頬が赤いような気がしなくもないのはチークのせいだと思うけど、ちょっともじもじと言い出しにくい感じになっている姿は普段の磯山氏とは違って見えた。

「いや、別に女性になりたいとかそういうんじゃなくってだな。たまにまったく違う自分になって外出したいってくらいだよ」

「んー、そういうことなら、協力しないこともないけど……」

 ちらりと磯辺さんを見ると、ふいと視線をそらされた。

 それならレイヤーさんの方にいろいろ舵を切ってみるといかがかなと思ったのだけど。

 ふむん。ちょっと女装外出をドキドキやっちゃうくらいな感じの仕上げを目指せばいいのだろうか。

 こういうのは理解のある友達が一人でも居るといいのだけど、あいにく木戸さんには放課後の時間の空きなどろくにないのです。今日からバイトだしね。一週間も休んだのできっちり働いて店長たちに誠意を見せねばならないのです。

 そんなわけなので、とりあえず指導はするけれど、しっかりこれだけは言っておこうと思う。

「でも、私に惚れたらやけどするのだぜ」

 笑顔を浮かべながら長谷川先生みたいな口調で言うと、周りからそれ以上はやめてあげてっ! というストップがかかった。おかしい。別に口調を真似ただけだし、女性のネラーさんだっているのだから、この言葉自体がダメってこともなかろうに。

「あのさ、木戸さんよ……」

 赤城がぽんぽんと肩を優しく叩いて、生暖かい視線をこちらに向けてきた。

「しのさんしばらく封印な。それと無邪気に笑顔を振りまくの禁止。普通の男はそれにころっとやられちまうから」

 はて。なにかいけないことでもしたでしょうか。まあでもしばらくは学校で女装しろって言われることもないだろうから、別にそれでもいいのだけど。

「へぇ。赤城くんはどうなのかな?」

 ふふんと挑発的に笑ってやると、彼はしらっとしたまま、はいはい、かわいいですよーとだけ言うに止めた。

異性装の否定が木戸氏にできるのか……っ! というわけでこんな仕上がりに。

まあ、いらっともしますよね。

そして、新しい扉を開いちゃった人が久しぶりに。

がたいがよい、ボディメイクとかがあまりできてない人向けにしてみました。

黒タイツは神だと思う。七難を隠すかと思います。


次話ですがー、芸能人ネタってことで、ライブにご招待です。年末ですしね。


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