234.
「失礼します」
学院長室の前にきてノックをすると、中からどうぞと声がかかる。
「一日目、無事に終わりました」
一日の終わり。放課後の一時間は学校を散策するという約束をしていたので、もう五時だ。まだ陽は落ちていないけれど、だいぶ空が赤く染まっている。夕暮れ。
手持ちにカメラがあったらなぁとしみじみ痛感してしまう時間帯である。
学園祭の時にさんざん撮ったのだけれど、それはそれ。目の前にこんな撮りたい景色があるのなら、いくらでも撮り続けるのが我らである。
「まったく稀有な才能ですね。貴方がこんな提案をしてきたときは、気でも触れたのかと思っていましたが」
学院長室に入って、扉をぴしりと閉めると、開口一番彼女は、こうして見てもまったく違和感ありませんと素直に賞賛してくれた。苦笑交じりであるのは理性が追っついていないからかもしれない。
「だから言ったでしょう? 私は女装癖がある特殊例なのだ、って。ほとんど毎週末はこっちの格好してますから、生活の三割くらいは女子生活なのです」
最近は大学も時々しのとして行っていたりもするのだから、その比率たるや相当なものだ。
そんな相手なら、お嬢様達との勉強会をしていたとしても無理は押し通せるのではないだろうか。実際下心もなんにもなかったし、本当になんにもなかったのだし。
「貴女ほどとなると……確かに認めざるをえないのかもしれません。ですが、たったの一日ではみなさんにそれを証明するのは難しいでしょうね。女装さえしていれば殿方と合コンができるということになってしまいます」
「うーん。このレベルでやれる人ってそうそういないと思うんですけどね」
ノウハウはある。表面をいじることだってできる。声だって練習すれば出るようになる。
それとて、それ相応の努力がいる。無理ではないけど簡単でもないというのが実際だ。そりゃしのさんとかルイさんは簡単に女装してるように見えてるかもしれないし、実際女装しやすい貧弱体型ではあるのだけど、長年ボディメイクというのをやっていたり、日焼け止めにスキンケアとこれでも努力をしているのだ。
女性の服を着さえすれば、それすなわち女装である、だなどと簡単に言わないで欲しい。
そして、仕草に関しては慣れの部分が大きい。意識してやっているうちはまだまだぎくしゃくする。
意識しないでも違和感を出させない。そこまでいってこその女装だと思うのだ。
「たとえば、この制服に関しても、今回はお嬢様を一夜漬けでくっつけましたけど、まだ慣れませんもの」
「けれど、イメージぴったりのお嬢様に仕上がってると思うわよ、奏」
学院長に言われて、うーんと少しばかり難しい顔になる。
一般的なお嬢様像のイメージをそのままトレースしていて上手くはまったのは、世間一般のお嬢様像とこちらのイメージが一致していたからなのだろうと思う。
さきほど慣れという言葉を使ったけれど、日常を通して微調整をしていって違和感を削いでいくことが慣れだと思っている。世間のイメージと合わなければ微調整。そこらへんを怠ると、独りよがりの女装になってしまうというわけだ。
もちろん、いろんな系統があるから個性だと言い切ってしまうのも一つの道ではあるんだろうけど……個性という言葉では言い表せない違和感っていうのが消えないと、周りからどうしても色眼鏡で見られてしまう。
そのズレがひどい場合は、女装しているということが露見してしまうのだ。女子の範疇から外れない範囲での個性でないと、女子ではない以上女性として認識してもらえない。
「貴女が本当は女性になりたい殿方、ということであって診断書もあるということでしたら、すぐに認める人達も多いのでしょうが」
「診断書をとることが真似できないことか、という議論は置いておくとして。その労力を割いてまでゼフィ女の子達と合コンしたいか、と言われればNOですかね」
身体はともかく、精神的に女子ですという証明書をとっておけば周りもなんにも言わないだろうというという学院長の言葉に首を横に振って答える。それ自体には効力はあるだろうし、沙紀さんあたりはもしかしたら念のためにそうい対策は取っているかもしれない。
でも、今回の合コン事件においてはそれは出来ない相談だ。
「そうなると他の男性達の同性愛疑惑に関しては対応できなくなりますし。紙ではなく私という人柄を信じていただくって言う流れは、どのみち必要なことかと」
同性愛の方は病理化されていないので、診断書なんてものを取ることはできないし、そもそも取る必要すら基本的にない。恋は自由だ。他者の権利を侵さないなら本来好きに本人同士でやればいいだけの話なのである。
そこで木戸だけ診断書を出したとなると、他の人達の潔白が宙に浮いてしまう。
男性グループの中に一人「混じっていた」と捉える人の方がこの場合多いだろう。
「まとめて同じもの、という印象が必要、ということですか」
「ええ、彼らもそういう特殊な人、という仲間に入れてあげないと、身の潔白が証明できないでしょうから」
印象の操作というのは大切なことだ。学院長には話した時にすでに同性愛はブラフだということをばらしてある。赤城の反応があんなだし、まあ言い訳としかうつってないだろう。それを今回の事件の告発者に対して認めさせなければならないのだ。
女装と同性愛は別だよ! と関係者各位からつばが飛ぶ勢いで全方向から言われるだろうけど、一般人からしてみればセクシャルマイノリティという一つのくくりの中だ。だったら、「奏さん」の人格がオッケーとなれば他の人達も「同性愛者か、ならしかたないかも」という風に連鎖的に納得してくれるのではないかと思ったのだ。
「そこらへんに関しては、無事に今週を過ごしきってからですね。それより、貴女に会わせておきたい相手が居ます。お入りなさい」
学院長に呼ばれて隣の部屋からあらわれたのは藤ノ宮さんだ。いつものようにびしっと衣類もきめているけれどどうにも表情は優れない。こちらに視線を向けるのも申し訳ないという感じで彼女は目を伏せたままこちらの前に立った。
「はじめまして。今回はまりえのためにこのようなことまでしていただいて申し訳ありません」
ずびし。見事な90度の最敬礼をしてくださった。長い髪がぱさりと前に垂れているけれど、まったくそれを気にする様子はなかった。
「そ、そこまでされるとさすがに引きますって」
「ですが、私ではかばい立てもできなかったこの件に、わざわざ一週間も時間を割いていただくな……ど?」
ずいと、顔を上げてこちらに詰め寄る彼女は、なぜか奏の顔を見た瞬間に、ぴしりと固まった。
はて。いちおう眼鏡をかけているのでルイさんだとは思われていないはずなのですが。
「ええっと……学院長。殿方が女装をして潜入する、と先日伺いましたが……?」
「あ、ああ。ええ。そうね。沙紀さんでもそういう反応になってしまうのね……」
しっかり女子制服を着こなしているこちらを見て、沙紀さんは目を白黒させている。
どうにも、字面だけ見て想像してたのだろう。女装した男が体験入学する、とかなんとか。
「あの、その殿方というのが私のことなのですが……」
こっそりと沙紀さんに声をかける。男声にわざわざして、だ。
「……あの。幻聴が聞こえるのですが……」
「って、いい加減に現実見ましょうか、沙紀おねーさま。私はこちらです」
きょろきょろ声の発信元を探す彼女を前に、さすがにそれはなんてネタですかという勢いで彼女の両肩をつかんだ。こっちを見ろ、という感じだ。
「というよりも、藤ノ宮生徒会長がなぜここに? いえ、生徒会長だからこそ、ここにいらっしゃるのですか?」
とりあえずこちらを認識してもらってから、こちらの疑問を口に出す。
こちらとしてはまりえさんとのつながりを知っているから、それ関係でだろうなとは思っているけれど、あえて初っぱなの一日目にみなさまの憧れのおねーさまと懇意にする理由がないはずなんだよねというような対応をする。
いちおう生徒会長は学生会のトップだ。そこにだけは今回の件での動きを学院長が伝えていたのかもしれない。
「確かにそれもありますが」
ちらりと学院長に彼女は視線を向ける。言い出しにくい話題があるらしい。
「わたくしも、その……あなたと同じなのです」
なんとかはき出したその言葉は、あまりにも中途半端な言葉だった。
うーん、きっちりと明確に日本語を使っていただきたい。
「一週間だけの臨時通学って、わけもないですよね」
答えはわかっているのだが、さすがにすぐに理解してあげる気にはならない。
彼女はなにかを決意したように、でもそれでも口の端にその言葉を乗せるのを嫌うようだった。
「違いますっ。その……ボクもこの学校に潜入している男性だ、といっているのです」
「それで、なにかこちらからすることは?」
粛々と会話を続けると彼はは? と目を見開いて驚いた顔をしてみせた。うーん、せっかくの美人さんなのだから呆けた顔はあまり似合いませんけれど。
「本当なんですよ? こんなかっこうしていますけれど、あなたと同じくこの学校に潜入している身で」
「それはわかりました。というかひと目見ればわかります。私たちほど女装なれしていると、相手がどうかというのがぱっと見わかります。それこそ超感覚ですね」
女装を完璧に仕上げるにあたっては、自分で自分を見なければいけない。それでどこが駄目なのかをしっかりと把握して行く必要がある。そうなると目が肥えるのだ。そうとうに。
そんなわけで、完璧に見える藤ノ宮さんの女装の粗だってそこそこわかる。
当たり前なことを言われても、という態度をしていると、やれやれと学院長が首をふった。
「学院内でお二人が向き合ったときに騒ぎにならないようにと先に面通しをしておこうと思っただけなのですが」
一瞬でわかるというのはすごいものですと学院長はうめいた。
なるほど。沙紀さんの女装の件はばれてはいけないのだから、先に事情を話してしまって騒ぎにならないようにしたかったわけか。たしかにどこでどうボロがでるかわからないから、正しい判断だと思う。
「いやに話がスムーズだなとも思っていましたが、前例があったからということなのですね」
「ええ。彼女には特殊な事情がありましてね。詳しくは言えませんが半年ほど前から通っていただいています」
「それは、診断書が必要になるような事情なのですか?」
寮生活だという話を聞いていたので、とりあえずは確認しておく。沙紀さんが心の底まで女子だというなら、千歳と同様に女子扱いをしてあげればいいだけのことだ。そうでないなら無理に女子扱いしすぎてしまうのも気が引ける。
「ボ、ボクはその、普通に殿方……です」
少しうわずった高めの声でそう言われても、いまいち説得力はないのですが。
ええ。沙紀さんだってお前にだけは言われたくないだろうって? ほっといてくださいまし。
でも、なにかの事情でここに来るしかなかったということか。お金持ちの世界もいろいろと大変なものだ。
「藤ノ宮さんのことは内緒にするということでいいんですよね? それと……」
ちらりと藤ノ宮さんを見つめつつ、いたずらっぽく続ける。
「男性の方を学内に招き入れてしまうくらいです。もしかして学院長先生はこの学園の子達に、男性とのつきあいもあった方がいいとお考えなのではないのですか?」
「無条件に男の人を受け入れられるというわけではないのですよ。沙紀さんのようなかたでしたら間違いはないでしょうが、わが校の子羊たちを市井の男性の餌食にはさせたくない」
だから、男性との交遊は禁止なのですと彼女は言い切った。
なるほど、選別して質のいい男性だけをあてがいたいというか、そういう相手でなければ駄目ということだろうか。過保護すぎてくらくらしてしまいそうだ。
「でしたら私も沙紀さん側というカウントでよろしいのですかね」
それは恐悦至極ですと答えると、学院長は力なく首を横にふった。
「貴女はもともと男のオーラというか臭いがないの。女装をするという話をきいて、実際してもらってこれはもうそのまんま女生徒だという風に思っています」
がくり。そうなんですか。たしかに着替えた瞬間に空気感は変わるようになっているけれど。
「さて。それでは面通しも済んだことだし今日はこれで帰っていいですよ」
「あ、一つだけ、いいですか?」
駄目かな、駄目だろうなーと思いつつ、ダメ元で奏は提案をする。そう。さきほど写真部の子達が持っていたカメラを見てうずき始めているのである。校内にカメラを持ち込んでもいいかどうか。これは初日の今日にはっきりと聞いておきたい。
「駄目です。男がカメラを持って校内に入っていた、となってしまっては悪い印象しかありません。許可できません」
「やっぱりそうですよね……」
はぅ、と肩をさげてしょんぼりする。
そういう答えが返ってくるとは思っていたけれど、一週間カメラを握れないのは精神的にけっこうしんどい。
「うわ、奏さんはカメラ大好きな人なのですか?」
しょぼんとしていると、ぱぁと藤ノ宮さんが顔を明るくする。まるで女の子そのものの明るい笑顔だ。もしかして気遣われてるのだろうか。無理しないでいいのですよ。どうせ一週間はカメラなしなのです。高校時代を思えば……耐えてみせましょう。
「ええ、まあ。生きがいといってもいいです。大学にも一眼はたいてい持って行ってますし、むしろカメラやるために女装してるんですから」
「それだけ聞くと割と変態行為っぽいですけど、犯罪はおかしてないのですよね?」
けれどその気遣いは一瞬に冷めた視線に変わる。まあ文字面だけとらえれば木戸がやってる行為は褒められたものではないけれど、犯罪は犯していないのでYESと答える。
「女性としてカメラを扱ってた方が人が警戒しないからっていうのが理由です。誓ってトイレの中を撮るとか、着替えのところを撮影とかそんなことはしてないです」
でも、そういう誤解もされるでしょうからここ一週間は我慢しますと、しょんぼりしながら二人に伝えた。
長く苦しい一週間になりそうだった。
潜入一日目夕方。
一日目の報告回です。わりとあっさり、な元原稿だったのですが、沙紀さんの反応がタンパクすぎるなと思ってちょっと加筆修正です。
まあ、こっちのほうがらしいかなと。
そんなわけで、金曜日までがんばって女子高生をやる奏さんですが、明日は三日目の様子をお届け。前編後編に分かれます。あまり潜入にありがちなことは入れてなかったのですが、女子更衣室とバレーボール、やってしまおうかと。




