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228.

「さて、しのさん。デートのことを根掘り葉掘り教えていただこうかね」

 翌日。大学の午前の講義が終わってご飯を食べようと思ったところで田辺さん達に声をかけられた。

 今日の服装はどこからどうみても男子なのだが、田辺さんは気にせずこちらをシノと呼んだ。

 昨日は散々いろいろな写真を撮らせていただいて元気になったわけだけれど、それを大学で暴露する趣味は木戸にはないわけで。もちろん守秘義務というか漏れてはまずいこともたんまりあったので、言えることは本当に少ない。

「町中散歩して話をして、以上。おしまい」

 しれっと簡潔にお話をまとめると、えぇと磯辺さんから異論が来た。

「ええぇー絶対いろいろあったでしょー!? あの蚕くんよ!? やんちゃ攻めな彼が、しのさんをホっておくわけが……」

「ああ、そうだな。あの夕日の丘で、俺たちは恋愛禁止なんだっ。けれどっ……くぅっ。君の横顔がたまらなく好きだっ! とかいってぎゅっと抱きしめられたり……してないからな?」

 ほられてないからな! というと彼女の顔が赤く染まる。

 おまけに両手で頭をがしりと掴んで、あぁ、んもう、なにそんな、ダメっ、そんなの蚕くんだめぇとかもだえているのだけれど、これはどうしろと。というか、大好きなアッキーの前で腐ってるの大公開しちゃっていいのですか?

「なんもなかった。ただ、ちょっと話して終わりだ。男同士なんだぞ。俺も女装して行かなかったし、普通に茶をしばきつつ、この前のイベント成功してよかったよねーとかそんなんだ」

「でも、それじゃあなんで木戸くんなんて誘ったんだろ? 志保じゃないけど、アイドルに気に入られてそのままそっちの道なのかなって私ですら思ってたのに」

 いちおうノーマルなはずの田辺さんまでこちらをBLのカップリングの片割れにしたいらしい。

 ああ、頭が痛い。

「あのねぇ。この前の学園祭で俺がどんだけ女子オーラだしたんですか」

 いちおー舞台だって男子で過ごしたし、あおりだって普通にこなしたよ? というと、まあそりゃそうかと言われてしまった。

「蚕に気に入られたのは、単にあいつらの中の蠢の扱いっていうのが、俺がMCやったときの振りと一致したってだけの話。それでみんな気に入っただけ」

 それ以外のなんでもないと言い切って、さらに話を続ける。実際は蠢の秘密のことで詰問されるために呼び出されたのだけどね。

「そいで、芸能界にあんまりあこがれのない友達欲しいってことで」

 昨日のあの普通の友達がいないっすーという芸能人さん達の要望を受けて、それならメル友になっときますかい? という流れになったのだった。ラインではなく、だ。

 蚕からは、よろしくー! っていうメールが来ていて、まあてきとうにやってこうと返事をしておいた。ソロの崎ちゃんほど頻繁に返事はこないだろうけれど。それとあくまでもこれは馨のアドレスだかんね、と念は押した。ルイ扱いのメールを送ってこられてそれが公開となってしまった日にはスキャンダルになるし、翅からもずるいとかなんとかいろいろ言われちゃうよと笑顔で言ってあげると、うん、わかったと素直な答えが来たのだった。

「そういうわけで、田辺さん。俺は蚕の男友達になりました。しのとして愛されるとかそういうんじゃなくて、普通に友達です」

 っていっても、遊ぶかどうかとかどんだけ接触するかは最低限にするけれどな、と付け加える。

「じゃあ、あんたは蠢だけではなく蚕とも連絡取れる人間になったと」

 ずいと磯辺さんに詰め寄られて意味ありげな視線を向けられたのだけれど、それに関してはすっとぼけるつもりだ。彼女はHAOTOの翅とルイが変な仲なことは知っている。エレナも交えてのコスプレ写真の騒動はそれなりにコスプレイベントに来ている女子には広まっているのだ。

「磯辺さんはつっこんでくるなぁ。別にいいだろ、やましいことはないしスキャンダルもねーの。あいつはやんちゃな後輩で、優先的にチケットとってくれたりしてくれるかもしれない、程度なもん。ま、頼まないけどな」

 そもそも彼らのライブは、映像とかで補完しようと思っているくちだ。追っかけようとは思わない。友達はただひっそりとその友の活躍を見守ればいいのだ。

「そういや、スキャンダルで思い出したけど、最近清水くん学校で見かけないけど、木戸くんなんか知らない?」

「ふえ? そういや……最近みないなーって思ってたけど」

 そう言われて、ちらりと赤城の方に視線を向ける。友好範囲が広いこいつなら何か知ってるかと思ったけれど、首を横に振られた。

「実は学園祭の時さ」

 飯でも一緒にどうよーって誘ったら、なんか慌てて学外に出て行っちゃったんだという話をしたら、うーんと二人とも首をかしげた。

 あれから学校で会えば話でもしておこうと思っていたのだけど、いろいろありすぎてつい失念してしまっていたところだ。

「個人的な理由なら、あんまし深くつっこむのもなぁ。正直清水くんとそこまで仲良くやれてるわけでもないし」

「え……あんたがそれを言ったらうちらなんも言えないじゃん」

 磯辺さんが、なにいってんのあんたと愕然とした顔をなさっている。

 ええと。いちおうあれですよ。木戸さん別に性別を変えたいという風に思ってるわけじゃないし、MTFについてはそれなりに調べたりもしてるけど逆は専門外だよ。

「わかんないときは、専門家に聞くべし、というし、ちょっとコネを当たってみることにするよ」

 さすがに放置っていうのもなんか気持ち悪いし、と答えると、協力できることがあったら是非っ、と周りから声がきた。

 周りの人達もやっぱり、同じ学生として彼のことは気にしているようで、手が貸せるのならなんとかしてあげたいと思ってくれているようだった。

 春のときの、困惑した感じから一歩関係が進んだと思っていいのだろうか。

 なんにせよ、清水くんは悪い子じゃない。彼を取り巻く環境に何かあるのならば、できる限りのことをしてあげたい。

 そう思うくらいには、彼とは知り合いになっている木戸なのだった。

 



「君から連絡が来たときは驚いたものだけど……」

「今の方が、もーっと驚いているっ。ってところですか?」

 にこにこと笑顔を浮かべながらシフォレの席に座っていると、対面に座っている暁斗さんは、あーもう、なにこれと渋い顔をしていた。

 わからないことがあれば専門家に聞くのが一番だーということで、白羽の矢をぶっさしたのは、シマちゃんこと蠢ではなく、もう一人のFTMの知り合いだ。相手は結構な年かさなので経験値もたっぷりだろう。

 そして話を聞く場所に選んだのはシフォレの端のほうの席。

 この店に入るためには当然どちらかが女装しなければならないわけだけど、「暁斗さんとの関係は、コンビニから始まっている」関係で、今日はシルバーフレームの眼鏡をかけつつショートウィッグを装着して、しのの装いで来ている。

 メイクその他はもちろんがっちり。しのさんであろうともそんじょそこらの人に「あれは女装だ」などとは言わせないクオリティである。

 え。暁斗さんに女装を強要するとか、そんな怖いことはしないよ。そりゃ長い経験を経た上で女装? ネタでやるならね、くらいな人がいるかもしれないけど、基本性別かえようよって人に元の性別の服を着せるのはNGだ。トラウマをえぐるようなものだし。それを思えばシマちゃんはよく我慢したと思う。

「あのときは声だけだったし、さすがに全部そろえると激しいな……いづもとか泣くだろ。両方の意味で」

「若い子はほんともうって泣くし、可能性はあるのねって泣きます」

「だよなぁ。あいつ未だに、女装の子探すためにこの店を女性同伴限定にしてるんだろ?」

 ったく、そろそろ、これが当たり前な日常って思えよと、彼は昔を思い出すように苦笑を漏らしていた。ほっこりするような笑い方だ。

 いつもならここで一枚撮るところだけれど、自重。話をしなければならないこともあるし、暁斗さんは写真がオッケーなのかどうか聞いていない。

「それで? 話があるってことだったけど、俺も正直そこまでなんでもわかるわけじゃねーから、そこんところは理解してから話してくれよ」

「それで十分です。こちらとしてはいわゆる一般的に流れてる情報しかわからないもので」

 うん。どんな判断をするにしてもその根拠となるバックグラウンドが広いほうが正確な答えもでるというものだろう。残念ながらこちらは門外漢というやつなので、そっちの事情はよく知らない。

 というか、こういう機会がなければ知る必要もないと思っていたくらいだ。

 FTM(女から男)な人の発生頻度は、逆に比べてさらに少ないといわれてい『た』。

 外国だとそのデータは真実であり、こんなにFTMが発生する国も珍しいと言われている。日本だとその逆。FTMの方がわずかに多いくらいだ。

 これは文化的な面が影響しているのではーなんていうふわっとした意見もあったりするわけなのだけど、くわしく調べたことはないし、学術的に研究するのは専門家にお任せだ。

 日本は宗教的に性別についてはおおらかであり、家父長制も徐々に崩壊を始めており、性別の変更についての忌避感がない、というのに加えて「娘が病気だった」という家族包みでの受診なんてのも多いと言う。

 MTFは女装のきもい存在、なのだが、逆は中性的でイケメンという風潮もある。その上、FTMの場合は家族が心配をして受診にこぎ着けるというケースも多いのだとか。

 女装は趣味で通ってしまう部分があるけれど、男として生きようとなった場合に世間としては男装した普通の女子というレッテルを貼りたがり、それを越えた場合は病気だ、というわけなのだ。

 そして病気なら可哀相な娘に付き添わなければ、と思うのかどうかは知らないけれど、家族がつきそうのだと言う。

 ううむ。木戸家の場合は「一人でなんとかしなさい」とか言いそうな気がする。

 というか、ああ、貴方ならいずれそうなってたでしょ? とかなんとかいいそうだ。

 誤解も甚だしいところだけど、信用という意味ではあるのかもしれないなとも思う。良くも悪くもうちの両親は早く独り立ちできるようにという対策には余念がない。本人達が楽をしたいから、というのももちろんあるのだろうけど。

「暁斗さんは、いちおうそれなりに他の当事者の方とも会っているし、いづもさんとサポートみたいなのやってた時期もあるって聞いてますし」

「それなりにはって感じなんだよな。俺もいづもも自分の生活を犠牲にはできないし、自助グループに参加してた時期はあっても、全部は知らない、知ってることだけ、だ」

 それでもよければ、と彼はいづもさんが置いていったコーヒー牛乳で唇を湿らせながら話し始めた。

 もちろんそれでオッケーだ。むしろなんでも知ってて知らないことがあるって豪語する人の方が怖い。

「にしても、草食系FTM……ねぇ」

 あらかじめメールをしておいた内容をちらりとスマホをみて確認して彼はつぶやく。

 相談相手の情報はすでに伝えてある。個人情報がどうだーという話もあるだろうけど、個人さえ特定できなければ個人情報の保護というものはなされているのである。たんなる情報は個人情報とは言わない。

「いないではないとは思う……けど。俺はあんま触れたことないんだよなぁ」

 草食系MTFならそれなりに居るとは思うけど、と言いつつ、おっとこれはジェンダーバイアスがかかってると怒られてしまうかね、と肩をすくめる。

「会に参加するのも、肉食系が多い、と?」

「性欲系の草食肉食っていうよりはさ……なんつーか、その……」

 じぃと真正面から彼の顔を見つめておく。どんな情報も逃さないというような構えだ。

 けれども、彼はその視線に耐えきれなかったようで。

「あああ、なんか調子狂う。いづも相手に話すようにはいかんし、かといってど素人の女の子相手に話す感じにするのもどうかと思うし」

 うわぁーどうすんべーこれーと、彼は少し混乱をしているようだ。

 元々、この人と木戸が会った時は、実はFTMなんじゃないのと言われたくらいなわけで、どう話をしようか悩んでしまっているらしい。

 当然、バックグラウンドが違う人と似たような人では話し方は変わってくる。

 専門用語を知っているかどうかというのもあるし、それでどうしようかと思ってしまっているのだ。

「えっと、できれば一般女子として見て下さい。多少かじってはいますが、ど素人扱いの方がいいです」

「ニュートラル、か。一番大事な姿勢で助かるよ」

 うん。こっちだっていろいろ調べて来ているし、知っていることもそれなりにある。

 でも、性別を移行する人達の前では必ずするべきことがある。

 それは「知ったつもりにならないこと」だ。得るべき情報は目の前の相手が持っている。

 だからこそ、しっかり話を聞いてから動かなければ、大ポカをやらかすという訳なのだ。

 先入観による思い込みが一番まずい。

「わかりやすいようにちょっと言葉を換えよう。積極派と消極派。君の友達がどちらに属しているのかというところをまずは見極めるところからしてみるといい。草食だからって、積極派じゃない理由にはならないから」

「えっ……」

 その一言に、ちょっとなんか頭を揺さぶられるような思いだった。

 草食派と消極派は同じ意味ではないの?

「言葉の意味のとらえ方の違い、とでも言えばいいかな。何をもって草食だ肉食だっていうのかって話」

 よく考えてご覧と言われて、ううんと少し考える。

 なるほど。

 いわゆる社会的に言われる草食肉食というのは、性意識の問題のみについて言われることだ。

 木戸馨という人間は一般的に草食系男子というカテゴリに入る。たぶん。

 でも、だからといってすべてによって消極的なわけではない。ただ恋愛という要素だけ取っていうとそうなるだけのことだ。これでもアクティブに動いているほうだと思う。……うん、ルイさんがね。

「メールを見た感じじゃ、大人しげなあんまりがつがつした感じのやつじゃないって話だけどな。おまえさん、本人からなにか話を聞いたことはあるか?」

 そう問われて、首を横に振る。

 うん。

 健康診断で知り合って。

 その後授業で講師の女史に絡まれて、それを助けたりはした。

 でも、だからといって彼が何を望んでいるのか。何がしたいのか。そこらへんを直接聞いたことはない。

 こちらはイベント目白押しで大変だったし、学校だとせいぜい挨拶を交わして例の女史の講義の時に世間話をする程度だったからだ。

 その反応に、あーあ、それは良くないぜと暁斗さんは顔を覆った。

「けっこーあるんだよ。相手がわからない。わからないからこそどう触れて良いかわからない。その結果、つながりがどんどん消えていく。まあこっちでつなぎ止めないやつもいるから、そういうのは自業自得ってやつでおまえさんが悪いわけじゃないけどな」

 周りの協力と本人の努力。必須なのは後者であって、前者はあればいいな、というたぐいのものだから、と彼は渋い顔をしながら、アップルパイにかみついた。甘さが身体に染みているらしい。

「奥ゆかしいというか、ほんっとあいつったら全然そういう話、大学でしませんでしたから」

「あはっ。まあ、なんもしらん男友達が純粋に欲しいって気持ちもわかるけどな。巻き込めば支援はしてくれるだろうが、純粋な目で見て貰えなくなるだろ。どうしたってそっちのことが先入観として絡んだ上で触れあうことになるし」

 そんなわけで、俺達の支援者は女の子の方が圧倒的に多いんだよなと暁斗さんは、実はモテますぜアピールをし始めた。

 なるほど。男同士として認めてもらいたいから、あんまりその手の話は自分からはしたくない、か。

 気持ちは少しはわかるような気がする。男として、男友達を作りたいと、高校時代木戸もよく思っていたからだ。女子としてならいくらでも男を籠絡できるのだけど、それとは違うバカがやれる友達というか。

 話をしたら、それで色眼鏡で見られる。せっかくできた友達には良いかっこしたいとかそんなところか。

「それに、おまえさんがどうこうする以前に、女子からの支援はあるんじゃねぇかな。大学まで行ってるやつならな……」

 ふむん。確かに彼の言うように高校以前の話はこちらも知らない。ただ大学では新しい友達をあまり作らないようにして、疎遠にしている空気を感じるくらいだ。

 でも、実は高校時代からの知人がいて、新しく作る必要が「まだ」ないだけということも考えられる。

「女子同士は群れたがるからな。ほっとけないってやつが結構いて、FTMはそれをとっかかりに友達関係を続けていたりするのも多い。んで、あんがい女子の方が過去より未来って感じだから、変わるならそういうもんだと認識しますってのが多いんだよ」

「あ、わかります。女子同士に比べて男子同士の方が、変化に対して微妙な反応しますよね」

「わかるのかよ……」

 どよんとした雰囲気に暁斗さんをさせてしまったけれど、でもしょうがないよ。今までなんだかんだで高校とかは女子コミュニティでの生活の方が長かったもの。男子高校生であったにもかかわらずね。 

「にしても女友達……かぁ。あいつのあたしの認識ってどうなってんのかな。こちとらもうこの姿を普通に大学でさらしたりもしてるので、普通の男子の友達が欲しい! とかっていうカテゴリにははいらないようにも……」

 仕切り直しをしたい、ということで不必要な情報は伏せているとしても、最初に仲良くなった男子がこんな感じなわけで。なんかもういろいろ話をしてくれちゃってもいいんじゃないのかなぁとは思ってしまう。

 ちなみに他の男子とは、そこまで上手く話せてるのを見たことはない。海斗あたりならそれなりに仲良くやれそうな気もするんだけどね。

「……ぱねぇな。普通にしれっとそのまま通学かよ……それでトランス希望じゃないとか、いづもが泣くな」

「最近の若い子はって、この流れさっきやりましたからっ!」

 いづもさん泣かせすぎである。やれやれと思いながらこちらもレアチーズケーキにフォークを入れる。

 うん。濃厚なチーズが口の中でほろりと溶けていっておいしい。

「ケーキの食べ方もふっつーに女子だしな……確かにこれを見せられて、男友達ですもなにもないな」

 FTMとか言って済まなかったと、改めて謝られてしまったよ。

「ま、でも、ありがとうございます。方針はだいたいわかりました。あいつをとっ捕まえて、なんで大学に来ないのか直接話を聞いてみようかと思います」

 とりあえず、暁斗さんから聞けることはこれくらいだろうか。

 あとはお茶会をしつつ、他にいづもさんとの昔話なんかを聞かせてもらおうかと思った、その矢先。

「それがいいわよー」

 不意に背後から声がかかった。

 びくりとその声に振り向くと、はろーとこちらに顔を出している背後の席の女性の姿があった。

「足立先生……聞いてらっしゃったんですか?」

「……お知り合いですか?」

 うん。その顔は木戸も見たことがある。春先の健康診断の時に半陰陽がどうの、心音が弱いだの言ってきた女医さんだ。

 いちおうこちらは固有名詞は出していないのだけど、果たして彼女がどういう意図でこちらの話を聞いていたのか。そこは注意しておかなければならない。

「ええっと、木戸……くんで、あたり、かな?」

「ひゃ、ひゃい」

 じぃと瞳をのぞき込まれて、思わず声がうわずってしまった。なにこれ。

 いづもさんくらいにしか見破られたことが無いと言うのに、この人一発ですか。

「足立先生。いきなりそれはちょっと。驚いてぺたんってしちゃってるじゃないですか」

 暁斗さんから注意の声が飛んだ通り。あんまりなことでへなへな座り込んでしまった。さっきまでも座ってたけど脱力の仕方がぐでっとした感じになってしまっている。

「なーんか、(あき)くんが若い子連れてるなぁって思ったら、見たことある子だなぁって思ってね。話を聞いてたらあの子の条件にはまるし、こりゃあもしかしたら……って」

 っていうか、おねーさん春先に困ったことがあったらうちにこいって言ったのにぃーとアラフォーの足立先生は年齢に似合わずぷぅーと膨れた。

 いや。うん。ごめんなさい、素直に忘れてました。

 だって、その時は自分には関係ないやって思っていたし、健康上の問題は今の所まったくないし。

 学校の健康増進センターに用事なんてほんっとないんです。 

「ええと、暁斗さん? この方はどのような方なんですか?」

 たとえ正体がばれようと、今は女装状態なのでしゃべり口調や仕草はそのまま維持。

「ああ、俺といづもの主治医。十五年くらい俺達のことを見てくれてる人だよ」

「十五年ってことは……」

「あらぁ、この小娘は足し算が得意なのかしらぁ」

 うわ。思いっきり年齢のことを考えていたら、思い切りじぃと笑顔のまま睨まれた。

 でも、大学出てから研修して医者になるんでしょ? 研修医時代からのつきあいだとしても、ねぇ?

「ああ、足立先生は大学院出のエリートだよ。院生時代に俺達と会った感じ。そんときゃ精神科の新人って感じでお互い右も左もわかんない状態からスタートして。ぶっちゃけ素人すぎて時間かかった」

「あら、暁くんだって二十歳くらいのがちがちな小僧だったじゃないの」

 それに比べればこの子の方がまだしっかりしてるわよと、足立先生はしのに視線を向けて笑った。

「それに、貴方にとっては必要な時間だった、でしょ?」

「あたしにとっては不毛な時間だったわよ」

 近くのテーブルにケーキとコーヒーをサーブした帰りのいづもさんが、少し膨れた顔をしながら会話に混ざってきた。時々彼女は気になることがあると客……というか木戸やルイによく絡んでくるのだけど、それだけ親密だと思っておこう。

「んー、いづもちゃんの場合は、そうね。でも結果オーライじゃないの。年齢の割には若いって言われるし女子オーラしっかりあるし」

「そこにいる小娘に即バレしたわよ」

 えっと、いづもさんやめて。即バレしたのはルイさんにですよ。

 でもま、いっか。

 あのときのことを知っているのはそれこそ従業員さんくらいなものだ。

「このクオリティで仕上げてくる子なら……ねぇ。最近の若い子はすごい子多いのよね」

「だからあと一年早くやろうって散々いったのにー」

「仕方ないじゃないの。専門医さまが時期尚早って言ったんだもの。駆け出しの私が何言ったってなんの力にもなんないっての」

 今は違うけどねーと、余裕のある微笑を彼女は漏らした。

 十五年。その時間があれば人は変われる。

 暁斗さんやいづもさんのように、生活をやり直すこともできるし、キャリアを積み上げてそれを力に変えることもできる。

「今だって、割とハブられてるじゃないですかー」

 だから大学の健康増進センター掛け持ちしてるんでしょ? と言われて、んー、そうでもないんだけどなーと彼女は複雑そうに顔を歪めた。

「あたしなりに反省してんのさ。いづもに言われるまでもなく、早期発見でケアをしてあげたほうがいいじゃない? それであの場は患者を発見するのにすっごい適してるのよ」

 この子にもそれで出会ったしね、と足立先生はこちらの胸元に指を軽く這わせる。

 あのとき内診をしたときのように。でもその指はそこでおろされる。

 さすがにここで前をはだけさせるわけはないとは思ったけど、ちょっとほっとした。

「あの子のことも、発見できたしね。ああ、今どうしてるかとかは守秘義務あるから幾ら貴方でも教えられないわ」

 そういうのは本人から聞き出してちょーだいと言われて、りょーかいと答えておく。もともとそのつもりである。

「でも、安心してくれていい。それと怖がらないで電話とかしてやってよ。なんならその姿のまま会ってやって。絶対喜ぶから」

「あー、この格好自体はもう見られてますよ? 大学で、某講師のアレの時に」

「某講師のアレかぁ。ジェンダー論ね。今年はなんか大変な事件になったとかで騒いでた人いたけど、なるほど。異性装を笑おうとしたらこんなんでたら、たしかに事件にもなるわね」

 いい気味だと言う彼女に、少し思った疑問をぶつけてみる。

「専門家としては、あの講義に介入してくれてもよかったんじゃないかとも思いますが」

「あー、だめよ。あたしはあくまでも健康増進センターの医師であって、大学の教育者じゃないもの。学問に対して横やりを入れる権利はないの」

 まあ、それで傷ついた子のメンタルケアはこっちの領分だから、泣きついてくる子の面倒はみるけどね、と彼女は言い放った。

 なかなかに難しい話だ。悪いことだとわかっていても組織と自分の配置で大人の社会は物事が言えなくなる。

 そもそも善悪のあり方が人によって変わってしまうからこそ、同じ土俵からでなければ議論を交わせないのかもしれない。違う土俵から物をいえば越権行為ということになってしまうということだろう。

「あーもぅ。しのたんの世代はホントうらやましくてしょーがないわ。あたしもせめて十年あとに生まれてれば……」

 くすんといづもさんが嘆くのでとりあえずぽふぽふ頭をなでてあげた。

 足立先生がなでてなでてーと頭を出してくるのは無視しておくことにした。さすがに自分の二倍の年齢の人をなでなでするのは無理な注文というものである。 



 その後、清水くんには電話をした。それで返ってきたのは、長期バイトが入ってしまって学校を休んでいるという答えだった。学園祭の日も誘ってもらって嬉しかったけど、急に呼ばれて行ったのだそうだ。

 なんでバイトをしてるかって? そんなもん胸オペのためだと言っていた。

 今すぐは出来ないけれど、お金は貯めておかないとということで、大学も単位を落とさないレベルで通うようにしているらしい。

 ていうか、そういう事情なら言ってよ! 講義のノートとか融通するよもう、と普通に女声で言ったら、木戸くんほんっと男子とは思えんと苦笑されてしまった。

 でも、こういうときは、感情を出すなら女子のほうが便利だ。

 うん。でもこれでいろいろな謎は解決した。春からあんまり見かけないよねと思ってた部分も含めてだ。

 それからも、普通に話をした。

 学校のこと、支援者がいるかどうかとか。

「いろいろ準備が間に合わなくって、正直自信がないんだよ。表面上はともかく内心ではただの男装っこじゃんって言われたら立ち直れない」

「そこらへんは大丈夫だと思うけどな。俺も最初は気づかなかったし。中性的なやつだなとは思ったけど」

 うん。性別を変えている人に敏感な木戸さんが最初に気づかなかったのだから、そこは誇って良いと思う。

 暁斗さんもそうだけど、FTMの人の方が圧倒的に性別移行の違和感が少ないよなぁとしみじみ思ってしまう。

「んじゃ、大学これるときは声かけてくれ。それと身体壊しちゃいかんからな」

 無理はすんなよと言って電話を切った。

 学生にとって六十万というのは割と大きなお金なのである。

清水くんのお話ということで。暁斗さんにくわしい話を聞いてみました。

そして、春にでてきた女医さん。いづもさんがいう「相性が悪かった人」ではなく、一緒に育ってきた人です。

清水くんですが、草食系FTMっていうものはどういうもんかなぁと思っていたのだけど、こんな感じな仕上がりになりました。当初は最近は草食でも病理化しちゃうって話にもってこうかとも思ってたんだけど、やっぱり自分の意思でなんとかして欲しかったので。

結果的に、うまくはまったかと思います。長いけど。

MTFは一人で通院して、FTMは家族総出or彼女連れは割とよくある話です。

世間は元の性別扱いのまま治療に入る感じなわけですよね。私の友人のFTMさんは「ぜってー治療に他人は関わらせねぇ」って言ってたけどね。


そして、次話は、お食事会でっす。久しぶりに赤城氏がしゃべります。最近の木戸くんったら女子にばっかり構うんだから、もう。って感じですね。ええ。

別名合コンといいます。やっと潜入フラグがこれで……

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