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225.

気がついたらお昼だった……というわけで。ぐっすり寝ましたよ!

そしてお話は、今回長めです。

「それで、今日はいつまで二人と一緒にいればいいんで?」

 喫茶店を出て蚕くんに声をかけると、彼女はんーとかわいらしい仕草をしながらにやっと笑う。

「あなたがどういう人間なのか、一日かけて見極めるってのが今日のミッションだから、まだまだおつきあいいただこうかな」

 今日は一日オフなのさーと蚕くんが晴れやかに言う。

 対してこちらはどんより気味だ。まったく引く手あまたのアイドルが休日にこんなことをやっているだなんて、本当にどうにかしていると思う。

 ああ、休日とはいっても今日は日曜日ではないよ? 先方とのスケジュールのやりとりで平日を選んでいる。

 こちらとしても土日はおおむねルイとして活動したいので、平日でのお散歩はありがたかった。今日の講義はちょうど午後の分が休講になるのはわかっていたし、学園祭も終わったばかりでサークルの方もそこまでがつがつ参加しなくても良いような雰囲気なのだ。もちろん一昨日は行ったけれどね。

 それから少し歩いて、ウィンドウショッピングにいそしむことになった。二人ともそこそこテンションが上がっているようだけれど、残念ながら木戸のままでのショッピングはそこまでテンションが上がらないものなのだった。これがエレナとならばきゃーんと自然とテンションも上がるのだけど、それをこの二人の前で見せるわけにもいかない。

 ちらりと視線を町並みに向ける。

 平日の午後ではあっても割と高校生達の姿を見つけることができる。ううん。まだ三時くらいなのだけどこれくらいの時間から外に出られる高校生というのは、どういう学校に行っているのだろうかと少し不思議な気持ちになる。

 木戸の高校時代はみなさんもご理解のように、三時といえばまだ学校にいた。土曜日だって半日は授業があったくらいだ。それなのにいざ平日外に出てみると意外に学生が多くいて、驚いてしまう。

 でもそれぞれに教育方針もあるのだろうし、それはそれでまあいいのだろう。

 それ以外にも人通りの多い町だと思う。

 都会ではないけれど、ここら辺では大きめな町といえるところである。

 友達同士の人もいれば、カップルもいる。そんな中に、彼女もいたのであった。

 彼女は、おおぉ、馨ちゃんとこちらを見つけるととてとてと近づいてくる。

「男の子と女の子、そして性別不明、か」

 目の前でにぱぁと微笑まれて、うぐりと二人の表情が固まった。

 さすがに一番最初にこんな台詞を言われてしまったら険しい顔にもなるのだろう。

「ええと、性別不明ってこの場合誰になるんで?」

 完璧に女子大生スタイルなエレナに尋ねると、なにをおっしゃるという軽い感じで返事がきた。

「もちろん馨ちゃんだけど」

 ですよねー。まったく。この場合は女装している蚕が一番性別不明扱いのはずなのに、どうやらエレナの中では男の子扱いらしい。

「ちょ、君の知り合い? どういうこと」

「あーうーんと。女装鑑定士というかそんなやつだ」

 とりあえず、これが翅の師匠ですという話はここではしない。後ろで女装している二人がHAOTO関係者だとは思われたくないからね。もちろん言ったところで芸能界にろくに興味がないエレナはHAOTOの存在すらほとんど把握してなくて、翅のことも綺麗なにーちゃんくらいにしか思ってないのだろうけど。

 そんなこちらの複雑な内心はともかく、わかっちゃうもの? ときかれたので、わかっちゃうもんですと答えておいた。

 エレナほどのというとアレだが、自分も含めて感覚的に怪しいのはわかるのだ。

「ま、でも今日はそっとしておくってことで。馨ちゃん。シフォレのアップルパイ、ホール一個で手を打ちます」

 口止め料、ねっ。と微笑まれて木戸の唇に彼女の柔らかい指がふれる。

 まったく、こういう仕草は彼氏ができてからアホみたいにかわいくなっていて困る。

「ぐぬっ。わかりました。くぅ。いづもさん材料費だけでつくってくれねぇかな」

「んじゃ、お邪魔しちゃいけないし、よーじと待ち合わせだからここで」

 そいじゃねーと元気に手をあげて彼女は去っていく。

「えっらい可愛い子だったな。あれって馨の彼女、ってわけはないか。デートみたいだったしな」

「まあなー。最近どんどんきれいになって正直困るよほんと」

 恋は人を美人にするっていうけれど、エレナに関してはまさにそうだと思う。大学に入ってからはキャンバスにいくときだって女装のほうが多いみたいだし、写真を撮るにしても実は女の子派大勝利というような状態になってきてしまっている。最近。

「シフォレっていうのは?」

「絶品なケーキ屋があってな」

 いづもさんのケーキはいつも何かあったときに使わせてもらっているものの、アップルパイワンホールはさすがにいいお値段してしまうので、お財布に痛い。

「行ってみたいっ」

「へ?」

 今日はじめて、蠢がきらきらした瞳を輝かせた。

 こいつもスイーツ(笑)なんだろうか。

「って、普段のかっこじゃあんまりそういうところ行けないし」

「あー、確かになぁ。差し入れとかはおいしくいただくけど、店に行って、みたいなのはイメージと違うからやめてって言われてるし」

「あの店、女性同伴じゃないと入れないんだけど……はいはい、お二人とも立派にレディですよ」

 ぎろんと真顔で睨まれて、言いかけた台詞を飲み込んだ。

 いづもさんのところは、女装ももちろんOKというかむしろそれ見たさで女性限定にしている店だ。二人がいいなら別にこちらで止める必要もない。

 さぁ、はやくいこうよぅと、ぱぁと顔を輝かせられてしまうと、いいのかこの二人と少なからず心配してしまう木戸だった。




「んまいっ。ああんもう、相変わらず反則な味」

 んぅとアップルパイの欠片を口に含みながら、はわーと緩んだ顔を崎山珠理奈はあげていた。

 月一回のご褒美。

 平日を狙って夕方あたりに訪れること数回。

 店員さんも特に騒がしくすることもないし、こちらの変装がばっちりなのもあって、お店の中からひそひそと声があがることはない。

 以前エレナ(あのこ)の誕生日に来てからだからもう一年以上にもなるだろうか。

 紅茶で口をすっきりさせてからもう一欠片。

 んまい。

 まったく。これでも時々スイーツレポーターなんてのもやってるけど、ほとんどそれにまけないこの店の力には本当におそれいる。

 この時間を狙っているのは、仕事に空きができるのが平日が多いことと、それに加えて土日だとルイと鉢合わせする可能性があるからだ。

 ここが実に悩ましい。馨とお茶をというのが一番の理想ではある。

 けれどあんにゃろうは、いつだって土日は女装姿(ルイ)なのだ。もちろんこの珠理奈さまが男と二人きりとなればスクープとして報じられるだろうし、それがあんなもっさい……一般男子だなどとなったらいろいろと波紋がでるかもしれない。

 で、でもあいつも着飾れば絶対かっこよ……可愛くなるなぁ。くすん。

 いやでも、男っぽい感じで仕上げれば身長が低いところを除けばそこそこイケメンになるのではないだろうか。

 そんなことを思いながらアップルパイをフォークで削り取る。

 ここのところの珠理奈の悩みの種は、仕事のこと……と言いたいところだが、そちらは頑張ってるのに加えてそうとういいお仕事も回して貰えているのであとは頑張ればいいだけのことで。そんなことより、目下、休日は完璧に身体を乗っ取ってるとしか思えない完成度の女装をやりこなす馨のことだ。

 どうすれば無難に彼と付き合うことができるのか、というのが一番の問題だった。

 いちおうメールでのやりとりは今もしている。仕事のこととか、他の話とか、いろいろすると答えてはくれる。それにあちらからも楽しい風景とか、綺麗な風景があったとなれば、タブレットの方からデータを送ってくれることもある。

 でも、これって友人関係というやつでしかないと多分十人中十人言うだろう。

 確かに友達が少ない自分からしてみればこういうやりとりをする相手すらろくに居ないのも事実なのだけど、さくらあたりからは、あーそれは絶対恋人じゃーないですよねー一般的にねーとかかんとか言われるに違いないのだ。

 一回、ちょっと遠回しに恋愛相談を持ちかけたことがあるのだけど、写真馬鹿は恋人なんてそうそう作れる物ではないのですよ、と不憫そうな顔をされてしまった。

 あとはなんだろう。パトロンにでもなってしまえば特殊な関係になれるだろうか。

 お金はある。

 うん。今までは親と事務所とである程度やりとりしていたようだけれど、十八歳を過ぎてから自分でお金を扱えるようになったのだ。

 その最初の大きな買い物が、等身大クマのぬいぐるみではあるのだけど、あれは地方局の番組でぜひにも買い取らせてくださいといわれたので、損失はほとんどない。っていうか馨の友人、職人すぎ。冬場の着ぐるみはもこもこしてて確かにちょっとしんどかったけれど、温かかった。

 さて。そんなわけでそこそこお金に自由がきく身ではあるものの、散財して良いとも思っていない。一部は貯金だ。ほんとは株とかで融資とかやりたいけど、なかなかそこまでするまでの時間的な余裕というものがとれないのも実際だ。まあ好みの企業に投資するくらいでやるならいいんだろうけど。

 崎山珠理奈はお金にこまっていないけど、未来にたいしてはしっかりお金をもってないととも思うのだ。

 なんせ、馨は、無職のフォトグラファーである。良い写真は撮ってもまだまだ仕事としてやっていけるかは不明。

 そんなところで、後援者となってあげれば、彼とて自由に好きな写真が撮れるだろう。

 少しだけそんな生活もいいかと思ってしまう。

 うん。もちろん支援だけ受けて、成果がでないようにはならないとは思っている。少なくともルイの写真はすでにいくつかの場所で、というかこの店でも使われているほどだし、放っておいてもいろんなところで仕事をもぎ取ってくるだろう。でも、それくらいなきゃ、あいつが自分を必要としないんじゃないかと思うのだ。

 自分は、被写体以上でもないし、以下でもない。

 がっくりしながら、アップルパイをいただくと、その甘さにほっこりした。

 最近、こんなことばかりを考えているなと思いつつ紅茶を飲み干すと、入り口付近で聞き慣れない声が聞こえた。

 そう。その声を聞いたのはもう、高二の学園祭の時以来だから、二年以上だろうか。

「あんにゃろう……あたしとはまったくお茶とかしないくせに……」

 一緒にいる連れは二人とも遠目に見ると女子のようで、また両手に花ですかと身体に力が入らなくなってしまった。知っている。さくらからも散々聞いているし、あいつの周りには自然に女子が集まるのだ。

 知ってる。ほとんど同性の友達と一緒にいる感覚で、それ以上になる子はまずいないってことも。

 けれどもだ。

 自分は一緒にご飯食べたい、お話ししたいと思っている目の前でそんな光景を見せられては。

 このあと、自分がやらかしてしまう暴挙くらい、おおめに見て欲しいのだった。

 


 入り口に並ぶこと十数分。なにを食べようなんてホームページをスマホで検索して選んでいる間は二人ともやたらとかわいい顔をしていた。いつもクールで男らしい姿をしている二人がたまに見せるこれはギャップ萌えというやつなんだろうか。こういう表情をしていればパス率もあがるよなぁなんて思ってしまう。

 木戸はメニューがだいたい頭に入っているから、そこから何を食べるかをだいたい見つけられる。

「あら木戸くん、また別の女の子連れなのね」

 従業員の愛さんに、あらまぁと言われるものの今回は事情がことなるのである。

 蚕さんが少しにまにましているのだが、きっと女の子っていわれてしてやったりといった感じなのだろう。さっきエレナに即バレしてから少し元気がなかったけれど、自信を取り戻したらしい。

 そして席に案内されるところで、手があいたいづもさんが姿を現した。

「あらあらあら。しまくんおひさしぶりねぇ。こんなに大きくなっちゃって」

「いづもさん!?」

 ぴきりと表情を凍らせた蠢が口をぱくぱくさせている。

 しまくんという名前が彼女の口からでるとは思わなくて木戸も驚く。そう。蠢の本名は島田だ。その頭をとってしまちゃんなんて昔は呼んでいたのだけど、それをいづもさんが知っているということは、知り合いということなのだろう。

「ええと、お二人ともお知り合い?」

「五年前くらいにちょっとねー。とある会合みたいなので会ったことがあってー」

 それ以来なのよー。あの頃はほんとうにちっちゃくてねー、かわいかったわー、といづもさんがうっとりした表情を浮かべている。若い男の子は大好物ですと言わんばかりの表情である。

「でも今日はそっちの格好なんだ?」

「こ、これは変装のためにしかたなく、です」

 うぅ、とスカートの裾をちらりとつかみながら、泣きそうに弁解する姿ははげしく痛々しかった。たしかに古い友人に、それも俺は男だぜ! みたいな感じで触れあってた人に、今日の格好を見られるのはそうとう痛いだろう。

「いづもさん。とりあえず今日のことは忘れてやってくれ……いろんな理由があって無理矢理これなだけだから」

 さすがに可哀相になってそんな助け船を出しておく。

 ま、いいけど、といういづもさんの視線はもう一人の女の子?に向けられた。

「ふぅん。それはそうと、こちらの中途半端なお嬢さんは、木戸くんのなに」

 話題を変えるためというのもあるのだろうが、いづもさんはわざとらしそうに眉をしかめると、彼女は少し不満そうな視線をこちらに向けた。まったく。そりゃ木戸だって蚕の女装の完成度の欠落にはおしいと思っているのだけど、平均よりは確実に上なのは確かなのだ。変装でやるには十分といっていい。

 さっきは愛さんだって何も言っていなかったし、一瞬で見破れる我らのほうがおかしいという認識を持っていただきたい。

「ちゅ、中途半端って……これで言われちゃったらどうすりゃいいってんですか」

 さっきの従業員さんにはまったくばれなかったのに、と蚕さんが膨れる。うん。意識して膨れてる。

「木戸くんがカスタマイズすりゃ、もー立派に女の子になれるわよ。っていうか木戸くんはダメだししないの?」

「だって、いちおーこれくらいなら一般的にはわかんないですよ。なら変装にはいいかなって感じで」

 あんまり美少女にさせすぎると周りから視線集めちゃってむしろダメですといいきると、うーんといづもさんは弱々しい声を上げた。

「変装ねぇ。しまくんもだけど、お二人ともわりと有名人ってところなのかしらね。詮索はしないけど」

 そっか、女の子になりたいってわけじゃないのかーと、いづもさんががっかり肩を落としている。うん。いづもさんがこの店を女性限定にしている理由の大半は、女装の人を見たいということなわけだけど、その中には、性別を変えたい人がいたら手を貸すよ、というのも含まれている。彼女も同類は欲しいのだ。

 そうはいっても、それに付き合う体制も力もこちらにはないわけで。

 そんなことよりオーダーをというとはいはいと切り替えて対応してくれる。

「今日はオレンジタルトにしますよー。へっへー。楽しみー」

 季節の新作というものをちらりとみて、オーダーする。おすすめはハニトとアップルパイなのだけれど、新作もあなどれないのである。

「んじゃ、あたしは、パンケーキとコーヒーで」

「オレはシフォンケーキと紅茶」

 むぅとふくれながら蠢はオーダーする。いづもさんの視線があるからなのか、先ほどまで一人称は私にしていたのに、オレに切り替えている。まあそれでもいちおうオレっこの範囲内だろうか。

 まあさすがに演技まではしたくないよね、そりゃ。

「屈辱だ。いづもさんにこんな格好みられるだなんて」

「そういや、昔あったことがあるみたいな話だったけど」

 大丈夫なのか、と蚕さんが疑問する。情報バレを防ぐために木戸馨の人となりを見るためにでた先で、さらに知り合いに会うという不運を心配してのことだろう。

「いづもさんもばらされちゃ不味いはずだから、お互い様じゃないかな。たぶんあの人は黙っててくれると思う」

 うん、大丈夫、と不安げな顔をしていながらも力強くうなずく。

 五年前といったらいづもさんも性別を変える手続きに翻弄されてたころだろうか。となると蠢とはそっち系の会ででも一緒だったのかもしれない。これ以上掘り下げないほうが良さそうだ。

「でも、自分のお店持てたんだなぁ。オレもがんばらないとな」

 しゃきしゃき働くいづもさんの後ろ姿を見つめながら、蠢の目はやたらと輝いていた。

 仲間(どうるい)が頑張っている姿を見て、純粋に自分も頑張ろうと思える姿は好感が持てた。人によってはあいつばかり成功してと足をひっぱるケースもあるというから、素直にそういえる蠢は基本的に良い奴なのだろう。

 そして待つこと数分。

 作り置きしてあるケーキはカットされてお皿に盛りつけ、あとは飲み物の準備をする。

 たいてい木戸がくるときはいづもさんが給仕してくれることが多いのだけど、今日はたぶん蠢もいるし彼女がでてくるのだろう。

 そんな風に思っていたら、今日は普通に他の従業員だった。あまり触れあわない方がいいっていういづもさんの配慮なのだろうか。

 あとでいろいろ言われそうだなぁと思いつつ、スイーツを口にいれる。

「んーっ。今日のもサイコーだね。オレンジの酸味をタルト生地がしっかり支えて、カスタードの味わいがしっかりと口に広がる。これ、女性同伴限定じゃないと入れないとか、悩ましい限りだよね」

 今日はお二人のおかげでござります、と女子の格好をしている相手に言ってやると、二人とも顔をぱーっとさせながらそれぞれのケーキを口に運んでいた。さっきまで仏頂面をしていた蠢すらほわんとした表情をしている。

「ここに通うために女装するっていう人もいそうなくらいかも」

「実際、いるよー。っていうか俺も一人で来るときは女装するし」

 まあ、ルイとしてのつきあいの方がこの店とは深いわけだし、誰かとつきあいでもなければ木戸としては近寄らないわけなのだけれど。

「へぇ。まあでも確かにそうだよな。こんなにおいしいなら女装してでも通いたいってのはわかる。女の子の前で幸せそうにするのもなんか抵抗あるし」

 こっちの格好だと肩肘はらなくていいっていうか、すっごく素直にいろんなこと表現できるかもと、蚕くんが片足つっこんじゃったような台詞を口にする。女装の楽しみというのはまさにそういうところだから、この人もへたをするとそのままずるずるはまってしまうかもしれない。

 そんなとき、背後に殺気を感じた。

「あんたは、一人じゃなくても女装で来るほうが多いでしょうが」

 その声で誰がいるのかがわかってしまう自分に少しとまどいは覚える。

 振り返ると、そこには髪をゆるく二本に編んだ女の子の姿がある。度なしの眼鏡に加えて前髪も落としておとなしめな文学少女という風に見える彼女からは、芸能人特有のオーラというものは感じられない。

「ひいぃ。どうしてこんなところに現れるんだよ」

 それでも、崎ちゃんはごごごごとこちらを威圧するような視線を浴びせかけて、あら、今日はどんな相手と一緒なのかしらと笑顔を浮かべている。売れっ子芸能人の癖にこんな町中に出没とかほんとうにどうかしている。

「そりゃ月一回はいづもさんのスイーツ食べたくなるんだからしかたないじゃない。それより馨がそっちのかっこでこの店くるほうがレアなんじゃないの? それにまた見知らぬじょ……女装の人をって、はっ?」

 ちょ、おまえなんて相手つれてんのと崎ちゃんが目を丸くする。

 その反応に、蠢が身を固くした。

「ええと、これ、馨の仕込みじゃないわよね」

 硬直している女装の二人の片方の耳元でこっそりと、蚕くんっと、珠理ちゃんがささやく。ぴくんとそれで蚕くんがばれてんのかよと驚きの表情を作る。

「そりゃそうよ。一緒に仕事だってしてるんだし。馨ならもっと素敵に化けさせるんじゃない?」

「って、へ? その口調と声って……珠理さん? え。あんたも馨の知り合い?」

「被害者よ。こいつの」

 そりゃ、多少こちらも悪いなぁと思ったけれど、いつまでも被害者といわれてしまうのはひどい。

「あたしというモノがありながら、次々に身近な男子を女装させて回る悪女なのよっ」

「はぁあ?」

 さすがにちょっとそれは言い過ぎである。

「まてまてまて。前提がおかしいだろ。俺とおまえはつきあってないし、身近な男子を女装させてまわって……なくはないけど、悪女っていうか、女ですらないだろうが」

「そうかしら。少なくともあんたが手がけたらこの子だって、絶世の美少女になってるはずでしょ?」

 それは真実じゃないの、とまじまじと言われて二の句が継げなかった。

 だって、事実だもの。やれと言われればやれるもの。 

「それ、さっきもオーナーさんにいわれたけど、どういうこと? 女装鑑定士なんていう人と知り合いみたいだし、まさか馨って」

 ばっと目を見開いて彼は続きをいった。

「魔法使いなのかっ」

 がくり。そんなことはない。

 いくらなんでも高校生にもなって魔法がどうのとは、現実で言ってはいけないワードである。

「三十路になるとなれるというアレですね。一部の条件をそろえた一流の猛者のみがなれるという最強役職」

「魔法じゃなくて、あんたら両方アホだね。って、そうじゃなかった。つい絡んじゃったけど……ダメじゃん、あたしがこいつと絡んじゃ」

 ルイ相手にするノリでつい親密にしてしまったものの、崎山珠理奈が男と親しげというのはそれこそスポーツ新聞の恰好のネタになってしまう。

「そうだっ。午前中にちょっと町歩きして、新しい服買ったんだけど、あんた着なさいよ。そんで女子四人にしちゃおう」

「うえ……本気で言ってますか、崎ちゃん」

 あんまり女装に関してはいい顔をしてなかったような気もするんだけど、スキャンダルの方がやっぱり怖いか。

 とはいっても、正直今日はこの二人と密会するということで、手持ちにある女装アイテムはシルバーフレームの眼鏡くらいなものだ。下着のたぐいももってきていないし、それでやれと言われてもあんまり気分は乗らない。

「せっかく知り合いにあったのだし、それに……馨のお友達がどういう関係なのか、じーっくりお話を聞きたいところだし」

「下着がないからだめ」

 崎ちゃんがどんな服を買ったのかはわからないけれど、それでも下着が男ものでは恰好がつかないだろう。

 特にミニスカあたりで男ものの下着は半端なく危険が危ない。

「大丈夫よー。いづもさんならブラくらい貸してくれるだろうし、下だって結構スカート長めだから万が一でも下着が見えることはないわ」

 っていっても、短くてもあんたなら普通にはきこなすんだろうけど、と冷たい顔で言われてしまったのだけど、事実なので反論はしない。まあ気分の問題というところが大きいだろうか。

「女子四人で町中ぶらり旅みたいなの憧れてたのよー。馨ったらあんまり一緒に遊んでくれないし」

 ほんともう、こいつったら、という口に、オレンジタルトを適度にきって放り込む。

 もごもごっとしつつ、崎ちゃんはうっとりとその欠片を味わった。

 ふにゃんとした顔がかわいい。

「って、タルトにほだされないからっ。まったく馨ったらいつもなにかあると女子をシフォレのケーキで懐柔しようとするんだから」

「だって、たいていこれ食べればなんかどーでもよくなるだろ。さっきもアップルパイワンホールねだられたけどな」

「くっ。あの子も彼氏いるんだから、馨に絡まないでほしいものよね」

 もうと崎ちゃんがエレナに嫉妬心をむき出しにする。

「へぇ。天下の崎山珠理奈が一般女子に嫉妬とは、ずいぶんと珍しい」

 まーあんだけかわいきゃなーと蚕はほがらかにパンケーキに生クリームをのせて口に運ぶ。先ほどのやりとりを傍目でみていて少し冷静になれたのかもしれない。

 けれどその顔は、崎ちゃんが彼に耳打ちすると急に強張ってしまう。

「二人も会ったのよね? その、大丈夫だったの?」

「あー、なんかあれだな。どんどんぼろが出る日だな今日は」

 くっそぉと蚕くんが顔を手のひらでつかむ。さっきのエレナとの邂逅の別の意味を想像してしまったのだろう。

「あの感じだと、また新しい女装相手を見つけてとかそういうんだと思う。シマちゃんのことはさすがにダイジョブじゃないかな」

 アップルパイで手を打つ約束だしと伝えておく。

 エレナは芸能系はそこまで興味はないし、ましてや男性アイドルグループとかはかわいくないとご立腹するくらいだし、翅と師弟関係だけれど、あいつはその場での切り替えをきちんとできるやつだ。ましてや蠢のことがばれる可能性が高い専門家に無邪気に話をしないだろう。

「っていうかあの女に奢るならあたしにも奢んなさいよ。お金に余裕ないわけでもないでしょー」

「うぐっ。だってこの前、レンズ一個足したから、余裕がないのです」

 最近は遠出もしてるから、きついというと、おっと彼女の目が光る。

「んじゃ、どうせあんたのことだから持ってきてるんでしょ? これから撮影会しましょ」

 うんそれがいいと彼女は勝手にうなずいてしまう。

「もちろん、さっき買った服きて撮影会ね。せっかくだからあんたも写りなさいよ。あたしだって一眼つかえるってところみせてやるんだから」

 ふんすといったところで、成り行きを見守ってる二人に視線を送る。

「あー珠理さんはいうときかないからお供しますよ。写真は配布なしって条件で」

 まー撮ってもらって翅に見せるのも面白いかもと蚕がにかりと笑う。蠢の肩に手を置きながらだ。きっとおまえは撮られなくていいと言っているのだろう。

「じゃあお着替えね」

 さー、さっさと食べなさいと三分の一残っているタルトを勧められるのだが、そこでストップをかける。

「崎ちゃんだって食べかけでしょ。それゆっくり味わってからで」

 もったいないよ、というと、そうねと彼女はあっさり引き下がってくれた。

 スイーツの力は偉大である。

蚕と蠢の女装回その2。シフォレにはつれてきたいということで、こうなりました。

崎ちゃんがいろいろ可哀相な子です。でも実際、馨と直接会うのは二年ぶりくらいなのですよね。

ルイとはそこそこ会ってるけど。


そして実はいづもさんと蠢が知り合いです。まあ性別変えるところまで行く場合、その手の会合には一度は顔を出すものですしね。

あ。今度の三月にあるGID学会の大会は東京開催だそうです。


さて。次回はその3です。ついウッカリ買ってた崎ちゃんの服があんなものだとは……

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