219.
「やぁー助かりました。突発的なことでしたのに、あんなに華麗にさばいていただいて」
イベントが終わったあと、にこにこと愛想笑いを浮かべるマネージャーさんが近寄ってくる。
反射的に木戸はひぃと先輩の後ろに隠れた。先ほどの司会役はしっかりこなしたのだから、今はこそこそ隅っこ暮らしをさせていただきたい。ほんっとうにこの人のことだけは好きになれないのである。
「この人は?」
「ああ、HAOTOのマネージャーさん。打ち合わせで何回かあってるけど、いい人よ。怖がらなくたっていいって」
「だって、HAOTOをここまで大きくした人でしょう。半ば力業で」
うげ、とすさまじく嫌そうな顔をすると、むしろ怪訝な顔をされてしまった。そりゃ外面だけはいいだろうけど、騙されてはいけません。
「おやおや。あれだけのことをやってのけたのに、実は人見知りだったりですか」
怖がられてしまってますねぇとにやにやした目が悲しげに伏せられる。
とはいえ、あまり近くで見られるのも困るのだ。まず男状態の木戸にはオーラがないからバレはしないとは思うのだが、正直関わり合いになりたくない。
「まあ私のことはどうでもいいですが、あの子たちが君と話したがってました。どこかであったら仲良くしてあげてください」
「はい」
簡潔に話を終わらせる。彼のほうも時間が押したことのお詫びなど、学校側にもしないといけないのだろう。
そのまま、今日はありがとうといって彼は去って行った。
「もう、馨くんったら怖がり過ぎ。まさかっ。君、年上からの強引な攻めでひどい目にあっててスーツの大人男子にトラウマがあるとか?」
先輩のねーちゃんにからかい混じりの声を向けられる。
近いことはさんざん経験しているが、むしろあの人が苦手なのは粘着ストーカーだからだ。
とはいえそれを表に出すわけにもいかないので、とりあえずの答えはしておく。
「さすがに、スーツ攻めはされたことはないですけど、スーツきた大人はちょっと苦手です」
知り合いに嫌なヤツがいるんですよーというと、大変ねぇとねーさんはなだめてくれた。さすがに目の前の人が原因とは思わなかったらしい。
「さて。そんなわけで代役ありがとね。後夜祭の打ち上げ、実行委員のところにも遊びにおいで」
しばらくは君の周りに人が集まるだろうけれどねー、と手をひらひらさせながら彼女は他の仕事の様子見に行ってしまった。
そして一人でばらけていく人たちを見つめる。
思うところはあるけれど、みんな満足げな顔をしているしやり通して良かったと思う。しばらくは構内で騒がれそうだとは思うもののそれも少しの間のことだろう。
とりあえず一段落と思って講堂をでたところで、声をかけられた。
「やっ。今日はありがとー。俺たちの不手際でちょっと面倒かけちゃって」
「蚕くんだったっけ。全然そんなことないですよ。たしかにうちら素人だからアドリブに弱いけど、むしろ苦し紛れのHAOTOの大カップリング大会しちゃってよかったのかと不安が」
こちらは少し申し訳なさそうに話をしたのだけど、一仕事を終えた彼はにこやかな笑顔を浮かべていた。
撤収作業の会場から少し離れたところで、メンバーの一人の蚕さんとあった。
蠢の次に小さい子だ。たしか年齢は二つくらい下だったか。メンバーの中でまだ高校生なのは彼だけだ。
「カプに関しては別に大丈夫。どーせそういう場所ではやられてるし。ここが初めてでもないし。俺たちはファンのみんながどういう形でも喜んでくれればそれでいいからね」
そういう意味では、と前置きをして彼はにこりと営業スマイルを浮かべていい放った。
「すっごいMCでした。蜂のげりぴーネタを普通に言ってくれる人なんて初めてで、すげー笑わしてもらったよ」
「蜂さんって、けっこーお腹弱い感じなんです? 前のイベントでもげっそりしてませんでしたっけ」
メンバーの中で割とお腹が弱いという話は、割とHAOTOのファンの中では常識のことだ。
前回のイベントの時も、駄目だったのは映像でみた覚えがある。
「おっ、もしかして追っかけてくれてる感じ?」
「情報だけおってる感じですよ。地方のイベントはいける経済力はないし、ああいうのは現地のファンのため、でしょう」
「へぇ。男でそんなに俺たちのこと知っててくれるのは嬉しいな」
最低限の情報を頭に入れているのは、できればこいつらとかちあったりしたくなかったからなわけだが、それは内緒にしておく。
そんなやりとりをしていたらきょろきょろとなにかを探している蠢の姿が視界にはいる。
「よお。蠢おつー!」
蚕も気づいたようで、おーいと手を振って手招きをしていた。ううむ。できればこの幼なじみとは会いたくないのですがね。
「こいつ、さっきMCやってたヤツだよー。蜂のげりぴー話の」
「馨……これはどういうことなのか説明してほしい」
そして蚕はまるで自分が見つけましたと胸をはらんばかりに紹介をしてくれる。
けれどそれを聞かずに、蠢はこちらに詰め寄ってくる。まったく。
「なんのことです。俺はあんたに馴れ馴れしく下の名前で呼ばれる相手じゃないんだけど」
ぶっきらぼうに答えると蠢が表情を曇らせる。
「あれから、調べたんだよ! 馨が男だってこと」
「ここでその話をするな阿呆。そんなだからマネージャーさんからも心配される。HAOTOは男五人のユニットじゃないとだめだろ。お前はその一角だ。古い知り合いにあってそこで全部ご破算にさせるのが望みなのか」
声を落として諭すように言い切ると、蠢がくぅっと呻き声を浮かべる。蚕くんはきょとんとして、なにがどうなったかわからないという感じだ。けれどそこから急に何かを思ったのか険しい顔つきになって周りを見渡す。
周囲に人はいない。イベントの後片付けのほうで人手を取られていて、ぽっかりとした空白地帯になっているのだ。学生のほうも自重していてサインをねだるということもない。
「ちょ、どういうことだ」
「俺も、蠢の幼馴染みってこと。だから、どういうからくりなのかも知ってるけど、あんだけの舞台やる人間を告発してメリットはないし、なんもいう気はないんだけどな」
むしろ協力的だというと、最初険しかった顔の蚕がほっとやわらぐ。これが虹さんあたりだともう一歩踏み込んでくるところだけれど、この子は割と簡単にこちらを信じてくれるらしい。
「ったく。蠢は本当にうっかりさんだからな。よく注意させるようにしてやって」
「だな。あのときさんざん懲りたはずなのに」
まったくと蚕のあきれ顔が浮かぶ。二歳も年下の子にこの心配のされっぷりというのは、年上としてはさすがにちょっとどうかと思う。
「それはっ。いきなりこんなところで会ったからであって。慌ててて」
「そういうときこそだぞ。ぼろが出るのは大抵慌ててるときだしな。俺みたいに醒めてるのも問題だろうが、やべって思ったときこそ慎重に動くべきだ」
「馨……なんかかっこいいなおまえ」
さっき蠢がいった名前を覚えたようで、蚕はきらきらした目でこちらを見上げる。身長は彼の方が少し高いのだけれど、心理的には見上げるというような感じなのだ。
「できればずっとへたれていたいもんなんだがね」
隅っこ暮らし万歳といってやると、えぇーと不満声があがる。
そうこうしていると、ばたばたとあわてて走る音が聞こえてくる。
「よぅ。MCさんっ」
そして彼は、ダイブするように木戸の背中からわしりと抱きついてくる。ああ、もう、どうしてこいつはこういうフランクなことを平然とやるのだろうか。
「だーきつくなー!」
「別にいいだろ。男同士なんだしさ。それよかあんたのMCに俺は感動したんだよ。蠢の総攻めとか言うやつ初めてだし」
「そんなに驚くことでもないだろ。あんたら的には蠢は男気溢れる美少年なんだろうし」
ま、実際、ガキ大将だったのは事実である。そういう意味では男っぽさでは群を抜いているといってもいいだろう。教室でこっそり過ごしたかった当時の木戸としては迷惑以外のなんでもなかったわけだが。
「へぇ。実は蠢の知り合いなのか?」
「古い友人です。それよりもいい加減はなれてくれない?」
ずしりとかかる圧力にげんなりとしてしまう。けれども彼はあまりそれには動じずに、えぇと不満げな声をあげた。この姿勢のままなのはいろんな意味で嫌なのでもう一言付け足しておく。
「また彼氏かっ、とか書かれますよ。翅さんじみーに女装でコスプレ参加とかしてるし、この前のイベントも行ってましたよね」
その台詞に蚕が、おまえーと頭を抱えている。どうやらメンバーに女装の件はあんまり話をしてなかったようだ。
「お忍びでおっきめの会場にいっただけだし、別に、騒ぎにもならなかったぞ。男子更衣室で着替えていても特別なんも反応なかったし」
「マネさんにさんざん怒られてなかったっけ? あんときはルイさんの絡みがあってホクホクしてたけど、さすがに続けてやってたらやばいだろう」
そのほくほくは、別段実績につながっていない今、マネージャーさんとしては翅の女装を好ましいこととは思っていないのだろう。
「そーはいってもよー。女装すげーきもちいいぜ。会場にはいいやつらしかいないし、俺が翅っていうのもあんまりばれてないっていうか。あいつらどっちかっていうとそのキャラのクオリティのほうに食いつくし」
アイドルだろうとなんだろうと、そんな肩書きは正直どうでもいいみたいな感じなんだよ、と彼は熱っぽく語る。
確かにあそこはそうだよね。正直アイドルがどうのって大きなイベントだとあんまりどうでもいい感じだ。
「それに、エレナ師匠に言われたみたいに、小規模の女子ばっかりなイベントは避けるようにしてるんだ。最初の時がひどかったからな」
まーそれではまってしまったわけなんだけれど、と彼はいう。
うん。最初の時は本当に女子の集まりみたいなところで大騒ぎになったものだ。
「それよりあんた。あの会場で俺を見かけたのか? 次にあったときは是非声をかけてくれよ」
「って、またいくつもりなのかよおまえ……」
「蚕もこいよ。俺が女装のいろはを教えてやるぜ」
ふっと言われて、どこからつっこもうかと暗い気持ちになる。蠢に視線を向けるとさきほどの切羽詰まった感じはなく苦笑を浮かべているだけだ。
「それとあんたも、是非女装いっしょにどうだ? きっとすげー似合う」
「あー、やめときなよ。馨の女装はもう一回みたら、虜になってしまうから」
蠢が言うもう一回、のイントネーションが、もう一度という意味にしか聞こえないのだが、翅は一回見ただけでととらえたようだった。確かに息子のお世話をしてあげた身としては、女装姿であったらいろいろ危ないのは想像できるのだが。
「へぇ。あんちゃんも女装すんのか。たしかに蠢なみにほっそりしてるもんな」
似合いそうだと彼はぱしんと肩を叩く。痛いからやめて。
「ま、俺が何を言っても聞かないだろうけど、会場を荒らしたら怒りますから」
「怖い怖い。まっ、でも安心しろ。大きいところにしかいかないし、現場に迷惑はかけないよ」
そんなことをしたら師匠にぶっ殺されてしまうと翅さんが肩をすくめた。
たしかにエレナだったらあの空間をぶちこわされたらとことん怒るだろう。それもルイに向けてぷぅとふくれるようなのとは違う、それこそ冷え冷えとした目で罵詈雑言を並べ立てるに決まっている。それがご褒美な人達以外は身の毛もよだつと言うものである。
「エレナは怒ると笑顔がいっそうましてなー。にこにこしながら、えげつないことを言ってくるんだよな」
「あー、わかるー。駄目だしとかめっちゃされたりとかな」
まあ、それを素直にきくとすんごいかわいくなるから、それはそれでいいんだけど、と彼は笑う。
「って、まてにーちゃんエレナ師匠と知り合いなのか? そりゃイベントいってりゃ出会うこともあるかもだが」
師匠に男の影ってあんまりみたことないんだけどなーと彼は言う。そこで慌てないのが木戸という人間である。
「ええ。個人的なつきあいもあるくらいに仲良しですよ。うちの高校の学園祭にも来てもらったし」
あえて、あちらにいったというのは隠しておく。エレンの学校にいったのはルイなのだし。ちなみにそのときは崎ちゃんもお忍びで来ていたのだけれど、その点も内緒である。
「ちょ。俺まだエレナ師匠のプライベートすら知らないんだけど」
「そりゃ秘密主義が売りのエレナだから」
しかたありませぬ、といってやると、うぅ、うらやましいぜと怨みがましい目で見られてしまった。
あんまりエレナと、こいつの話はしたことがないのだけど、今度きっちり話を聞いておこうと、そのとき思った。
学園祭一日目終了です。男同士で抱きつくとか普通なはずなのに、なかなかどうしてこうなってしまうのかと。
そしてこれで馨くんがHAOTOの方々と面識をもちました。
蠢さんはとりあえずルイさんの件は内緒にしてくれるようです。まあ暴露なんてしたらカウンターが来ちゃいますしね。
さて。次話は学園祭二日目……になると、いいなぁ。




