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205.教習所のこわもておじさん

ここのところ更新おそくてすみません。また寝落ちてしまった……

「お、おちた」

 教習所のロビーで、初日に一緒になった女の子ががっくりと肩を落としていた。

 目の前で崩れ落ちる彼女になにが起きたのかだなんて、考えなくてもすぐにわかった。

 実技の実習で不可をだされたのだ。

 上手く運転できないだとか、確認もれとか、そこらへんをやると減点されていって最終的には不可となるわけである。でもさーやさんは初めてじゃないだろうか。不器用ってこともないし、正直女子でMTは数少ないのに上手く乗りこなしている方だ。

 それが落ちたのだという。

 ちょっと声でもかけてあげたいところだけど、残念ながら木戸とて次の実習がまっている。

 放送に従って、車体番号がふられている車に近寄った。

 うーん、どうやらようやくあたりを引いたらしい。

「よろしくお願いします」

 ちらりとこちらを一瞥して、そのおっさん教官は、また女かよと、つぶやいた。

 あの。そういうのを聞こえる声でいうのはどうかと思います。

 というか、だが男だ! なのですが。

 くぅ。なんで眼鏡かけてんのに女子扱いだよ、というわけなのですが……木戸氏の眼鏡はただいま修理中なのでした。

 黒縁のもさ眼鏡(あいぼう)を失ったこの身はもはや、もさい男子にあらずというわけで。

 シルバーフレームの眼鏡をかけてるものだから、ボーイッシュな女子扱いをされることの方が多くなってしまった。朝、白沢くんにも会ったけど、まじ眼鏡だけで印象変わるなっ、すげー! 可愛いってあいつが言ってた理由がわかるわーとかなんとかかなりハイテンションされてしまった。熱いヤツである。

 修理は数日かかるというから、それまで教習は休もうかと普通に思っている。ルイとして活動するなら眼鏡はいらないわけだし。

 そんなことを思いながら、車のチェックから入る。

 車の前方を見て、油がどうだ、冷却水がどうだーと、チェックをするのだ。

 何回かやっているのでさらっと終了して、車に乗り込む。

 この作業も何回かやっているので覚えた。座席の移動などを行うわけだけど、もともと乗っていたのがさーやさんだけあって、位置はほぼこのままでいいらしい。ほとんど女子と変わらない身長なので、前に乗っていたのが男の人だと席をぐっと前にもっていかないと行けないのが面倒くさい。

 え。女子とほとんどかわんない体格なのは、もう嘆く段階は終わっていますよ? うん。

「ミラーを確認しつつっと」

 フロントミラーの角度調整。おっさんはそこまでの手順を特になにを言うではなく見ていた。

 本日は、交差点の曲がり方練習とかそんなんだった気がする。

 右折するのが苦手だーという人は多いということらしいけど、対向車がろくにこない教習所内だとそれもそこまで大変じゃないというのは、ちょっと先を進んでいる白沢くんたちの言葉だった。

 彼らはもう仮免を取って外に出ているようで、まじ外の道こえーとかなんとか言ってた。じきになれるのだろうけど。

「じゃ、発進しますね」

「っと……なめらかだな。女のわりには」

「って、教官。俺、男なんすけど」

「は?」

 その瞬間、がくんと車体に急ブレーキがかかった。

「っつぅ。やめてくださいよもう」

 教習車には普通の車にはまずついていないものがある。

 それがこの助手席ブレーキである。緊急時に踏むものなのだけど、特別まずいこともなかったはずなのに。

「す、すまん。驚きすぎてうっかり」

 出発していいぞ、といわれたので後方確認をしてからスタート。ちらりと隣に少しだけ視線を向けると、担当の生徒のプロフィールの紙をちらちらと眺めているようだった。

 まじで男かという呟きがこちらに届く。

「それで今日はどこまでお送りすればよろしいので?」

 なかなか指示を出してくれないので、こちらからそんな催促をする。いまだ徐行状態でとろとろ走っているのだけどどこをどう回るのかは担当の教官が指示をするものである。

「ああ、とりあえず出発していい。一周回ったら中に入るから」

 最初のむすっとした感じは少しは緩和されただろうか。驚きの方が上回ってふっとんだ感じのような気もする。

 アクセルを踏み込むと緩やかな加速。うん。急加速もないし見事なすべりだしというやつだ。

 さぁどうよとどや顔をしてみせても、教官はなんにも言わなかった。

 むしろ先程のおどろきから復活したせいか、ぴりぴりしたような雰囲気がましてしまっていた。

「教官、ちょっとご機嫌ななめですか? 今のスタートいい感じだったと思うんですが」

「あ? ああ。まあそうだな。男ならMT車をかっこよく運転できないといかんし、いい滑り出しだった」

 すまんと素直に謝罪がきた。なんだろう。心持ち心ここにあらずというような感じだ。

 ああ、そこ左折してという指示にしたがって、円周から中に入っていく。

「ふむ。膨らまずにかといって内側を擦らず、いい感じの左折だな」

 ようやく誉めていただけた。この感じでいくのであれば女の子達があんなに怯える必要なんてまったくないと思うのだけど。

 たしかにおやっさんは強面(こわもて)のほうだと思う。さわやかイケメンばっかり見てるならうぐっとなるかもしれない。でもそれだけで、恫喝してきたりもないし順調だ。

 そのあとも右折や左折を繰り返して紆余曲折をして特別問題なく運転が進んでいった。

「教官はいつもこんな感じなんですか?」

「こんなっていうと?」

「いや、話に聞いてたのと違って結構まともっていうか。たしかに他の教官よりは無愛想かもしれませんけど、的確に指示はだしてくれてますし、これなら別に噂になるほどではないんじゃないかなと」

「噂か。そういうのには疎いんだが……」

「さーやさん。さっきこれに乗ってた子なんすけど、半泣き状態だったし、どんな感じだったのかなと気になりましてね」

「ああ。ご機嫌ななめかって最初にお前さん言ったよな。まさにそんな感じでちょっといらっと来てたんだ。その上女の高い声できゃーきゃーいわれたらたまらなくてな」

 ううん。この人女子だとダメだということか。でもいまは。特殊な状態の話を先に聞いておこう。

「仕事でもがまんできないほどの……ですか。急ブレーキかけるほど驚かないので、教えてくれるとうれしいですね」

 先ほど自分が思いきり急ブレーキした引け目もあわせての問いかけだ。

 知り合ったからには、さすがに女嫌いを多少は緩和しておきたい。さーやさんたち可哀相だし。

「うっ。さっきのはすまんかったよ。それにまあ、仕事先までもちこむことじゃねぇってわかってるんだがな……あんまりだったんで」

 あ、次、左折と言葉をはさみつつ、彼は渋面をつくる。よっぽどなことがあったらしい。

「もともと俺は男子高出でな、そこの同窓会に久しぶりにでてきたんだ。二十年以上ぶりくらいかな。その時にその……な。いきなり女装してきたやつがいたんだ」

「へぇ」

 二十年ぶりにあった友人が女装していた。うん。実によくある話だ。実際木戸も春に経験している。

「まわりの連中も騒然としてた。いきなり、きゃぴきゃぴ鈴音って呼んでねっていわれても、どうしろと」

 おっちゃんはおそらく四十代くらいだろう。五十はいってないと思う。

 その年齢できゃぴきゃぴしてる時点で少しばかりしょんぼりするところではあるけれど、まあ、個人の自由だからいいとしよう。それよりも鈴音という名前の方につい気がいってしまった。

「あの。声はどうでした? おっさん声?」

「いや。それがなんかかわいい声で。声だけ聞いてると不自然さがないんだよな。見た目はああなのに」

 ああ、と言われてしまうと、嫌な想像しか頭に浮かんでこない。いちおう志鶴先輩のお父様なのだからけっこうかっこいいというか美人さんではあるのだろうけど、きっと方向性を間違えているのだと思う。志鶴先輩もあの年であの格好はないだろうって言い切っていた。

「当時はふっつーに男だったはずなんだ。一人称は俺だったし、連れションしたこともある。隣をのぞき込んで、なんだお前のはちぃせぇなとかなんとかやったことだってあるし、それが、きゃーんとかいっちゃってるんだ。頭痛が痛くなった」

 それで混乱して朝からぴりぴりしていると彼は打ち明けてくれた。

 ふむ。鈴音さんの学生時代はがんばっちゃった人ということなのだろうか。身体の性別に合わせるために必死に男として振る舞おうとするという人が中にはいるらしい。結果的に決壊してしまうようだけれど。

 そしてその結果として、子供もできるというわけだ。

 子供さえできれば後戻りはできないかもしれない、と作ってはみるものの結局感情は殺しきれなくてトランスに走るなんていう例はたくさんあると言われている。それを思えばじゃんじゃん女装し放題な今の時代に感謝なのかもしれない。

「それが今日の不調の原因ですか……でも、その人とはもう交流もしないのでしょうし、いいのでは?」

「まあ、そう言われてしまえばそうなんだがな……あの声がちらついてもう、なんかざわざわすんだよ」

「それって、もしかして恋ですか?」

「んなことあるか。ただ上手く消化できてないだけだ」

 あらら。脈ありなのかと思ったら違ったらしい。そりゃ美鈴が同窓会に来た時のことを思えば、この微妙感っていうのは想像はつくのだけど、割り切ってしまった方が楽になると思うんだけどな。

 たぶん、高校時代とのギャップもあって、混乱してるのだろうけど。

 とはいえ、そっちは時間が解決してくれるところでもあるだろう。ご自分でなんとかしていただきたい。それよりももう一つの問題のほうにも手をつけておこう。

「でも普段から女子相手だと怖いって噂になってるみたいですけど」

「そりゃおめぇ。女子だぞ。どう対応していいかわからねーじゃねえか」

 彼女いない歴がこの年で年齢と一緒だぞと言われてその姿に哀愁を見てしまった。

 ああ。この人怖い人じゃなくて不器用な人だ。

 そうとなれば、こちらだって手のうちようはあるというもので。

「じゃあ練習しましょう。しのさんって呼んで下さいね」

 声を切り替えて、女声にしつつ心なし表情もやわらかく保つ。シルバーフレームをつけている関係で表情まで緩めるとほとんどメイクしてなくても女子といわれる自分である。これならレッスンに向いているのではないだろうか。

 でも、その時、車体がぎゃぎゅっと強引に止まった。

「つぅ。もう、だから、急ブレーキやめて下さいってあれほど」

 再びの助手席ブレーキ。今度のほうがスピードがでていたのでダメージが大きい。

 首のあたりをさすさすしながら、まったくもぅと膨れておく。

「す、すまん。でも! なんだよそれ、その声。やっぱおめぇ女じゃねーか」

「鈴音さんのボイスチェンジャーってサイトがあるんです。男も声変わりしててもこれくらいの声を出せるようになれます」

 どうです? ほとんど女子相手にしてるのとかわらないでしょう? それも若い娘さんですよー、ほれほれーと言ってあげると、教官はぽかーんとしてしまった。

 どうなってんだよこれ、とでもいいたげだ。

「圧倒的に教官に足りないのは、女子慣れです。男も女もはっきりいってそう変わったものでもないんですよ。まあ距離感とかは女子の方が取りにくいから車の運転は男のほうが上手いとは言われてますが、それはそれです」

 小さな点を上げていけば男女差というのはある程度でてくる。そしてそれを削るのが得意であればあるほど見事に女装ができるようになる。けれども基本的に接する上ではそうそう特別なことがあるとは思えない。

「教官としては、女子というものが異生物かなにかに見えてるのではないですか? 私たちだって同じ人間なのですから特別緊張しなくていいですよ。まあ男相手にするようながさつな感じになると、それはそれで困るのですが」

「私たちって言っちゃってるし。おめぇやっぱ女じゃ……」

「だが、男だと言ってるし」

 緊張されても困るし、いちおう男声にもどしてフォローは入れておく。 

「で、まあ、大切なのは表情ですよ。笑顔を浮かべろとまでは言いませんが、もっと表情をやわらかくするようにしないと、今後教える上でも悪いです」

 教官はただでさえいかつい顔をしてるのだから、そのうえ睨むような視線を向けられたら萎縮しちゃいますってと女子の合格者が少ない理由を伝えておく。

「萎縮してしまったら身体も硬くなるし、運転も悪くなります。適度な緊張は必要って座学では教わりましたが、萎縮までとなったらダメでしょ?」

「ま、まあそうだな。そうか……表情か」

 頬のあたりをむにむにしながら、でもどうすればいいのやらと試行錯誤している姿はちょっと写真を撮りたい気分にさせられるくらいかわいい。でも今はハンドルを握っているのでそれも無理だ。

 それから時間いっぱいまで右とか左とか言われつつ、表情の改善のためにあれやこれやとこちらもだめ出しをさせていただいた。もうしのさん状態フル稼働である。

「家でも鏡の前でやってみてください。むすっと口を引き結んでしまうのは絶対やめて下さい」

「あ、ああ。気をつける。あとこれな」

 今日はおつかれさんと教官はぎこちない表情を浮かべて定位置に停まった車の前で木戸を見送ってくれた。

 これでいくらか態度が軟化してくれるとありがたいのだけど、もう少し時間はかかるのかもしれない。

 待合室の建物に戻ると、はらはらした顔でこちらを見ている人が一人。  

「なんかがくんがくん急ブレーキかかってたけど、大丈夫だった?」

 さーやさんが心配して見ていてくれたようだ。自分も落とされてショックだろうに。

「それなりに大丈夫かな。たしかにがくんがくんやられたので、首が怪しいけど」

 首をさすさすしながら彼女につげると怪訝そうな顔をされた。

「あのブレーキって教官がやってたってこと?」

「うん。補助ブレーキ乱用されてしまったんだよね、これが」

「ってことは……木戸くんも不可?」

「いや、通ったよ」

 当たり前にそう切り返したら、えっ、と驚いた顔をされてしまった。

 だって補助ブレーキふまれたのは別に運転がどうのってわけじゃないんだし、これで落とされたらたまらない。

「まあ、きっとこれでいくらかは柔らかくなるんじゃないかな。明日からもしあの人に当たっても怯えないといい」

 リラックスリラックスと言ってあげると、なにがあったのーとさーやさんの表情はさらに困惑に染まったのだった。 



 そして仮免をとったあとに路上講習に入ったとき、またあのおっちゃんと当たったわけなのだけど。

「じゃあ、今日は是非しのさんで」

「嫌ですよ。それに教官もいっていたじゃないですか。男はMTをかっこよく乗り回すものだって」

 今日はそっちでいきますと男声で言い切ると、くぅ。と嘆かれたのはしばらくあとの話なのだった。

ドキッ! 車内の個人レッスン ってタイトルが頭に浮かびましたが、昭和の空気だなと思ってしまいましたorz べ、べつにBLじゃないのですよ。

あらかた女装で解決するのが木戸くんのスタイルなので、本領発揮というところでしょうか。ちなみに黒縁の眼鏡は次話では無事にもどってきています。

次のお話はルイさんのターンで花火なので、出番はないのですけどね。

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