021.演劇部の後輩さん1
「手を貸してくださいっ」
二年になってから少しした頃。
のぺっと机に顔をつけて横になっている木戸に、声をかけてきたのはクラスでも美少女と名高い、斉藤さんなのだった。
しかも片目をぱちりとつぶっていたりして、かわいらしく笑っていたりするのだから、まあ、簡単にいって。
「とても不気味なわけで」
あふっとあくびを噛み殺しながら、回らない頭に疑問符を浮かべながら小首をかしげておく。
「って、いきなりそれはひどい。ひーどーいー」
「だって、クラスメイトとはいえそこまで親しいわけでもない斉藤さんがサービスショットをしてくれるだなんて、絶対演技に決まっているし、不穏とか不気味とかそういう単語がふさわしかろうとね」
それで、どういうわけなのさ、と少し垂れていた涎をふいて尋ねると、彼女は、とりあえず一緒にきてちょーだい、というのであった。
わしりと手首を掴んでくるあたりは、なんというか去年の学外実習から、というか女装姿を思い切り見られてから遠慮がなくなってきているような気がする。
「ええとぅ? う?」
そんなこんなで連れてこられたのは、体育館の脇にある待機室。
演劇部は基本的には割と広い多目的室を使っているのだけれど、もちろん演じる舞台としても使われる体育館のステージ周りは彼女達のテリトリーだ。
昼のこの時間、人気が少ないという意味合いもあってなのか、変なところに連れてこられた感じだった。
その先には、なんというか、小動物がいた。
もじもじとした男子生徒だ。今まで写真で撮ったことがないから、もしかしたら一年かもしれない。どことなくエレンに雰囲気が似ている感じだ。かわいらしい感じ、ではある。
「後輩かなにか?」
一体誰なのさ? と問いかけると、こくこくと斉藤さんがうなずいてくれる。やっぱり一年生だったらしい。
さて、そんな相手と引き合わせて彼女は一体なにをさせようというのだろうか。
「この子に女装のなんたるかを教えてやっていただきたいっ」
「ちょっとまて。どうして俺が女装マスター扱いなのかっ」
「えー。だって去年の一月くらいにさくらちゃんと一緒に校内歩いてたじゃない? 学校でやらかしてしまうだなんてこの強者はっ、と雷にうたれたかのような衝撃に。ああっ、まさにこの出会いは運命」
両手を空に広げながら、まるで舞台役者のようなおおげさっぷりな斉藤さんは、こちらの手をとった。
「そして、今年の演劇部の入部希望者はほとんど男の子ばかりというのも、きっとまた運命」
はぁ。そう言われて、なるほどと少しだけ合点がいった。
演劇にはそれなりのキャラクターというものが必要だ。そういう意味では女性を演じられる人間も必要になってくるという寸法なのだろう。
「ああ、そういうのはないない。まったくないんだよ? 別に男の子が多ければ男の子が多い舞台をすればいいだけの話。みんなが木の演技したければみんな木で成り立つ舞台を作り上げるもの」
「すさまじくシュールだなそれ」
「別に小学校の木1の役だなんて誰もいってないもの。もっとこう、森の密談みたいな感じで、みんな木なんだけどそれぞれの種類で個性があって。照明とかうまくつかってやれば舞台なんてできちゃうもんなんだよ?」
それが演劇のすごいところなのですと、彼女はほどよい胸をはった。
うん。なんというか大きすぎず太っても見えないという絶妙なボリュームは、まったくないちちなルイとしては少しうらやましい対象だ。
「となると、こいつが女の子役やりたい、ということでOK?」
「……はいっ。そうなんです。その。先輩の演技みてて、すごいなって憧れて。それでああいう風に演じられたら別人になれるんじゃないかって」
(だったら、斉藤さんがお化粧とか衣装とか、演技指導とかしてあげればいいんじゃないの?)
こそっと、斉藤さんに耳打ちする。彼が憧れているのが彼女ならむしろそっちが指導したほうがいいんじゃないだろうか。
(性別の壁まで超えた経験はないからっ。演技指導はできても声とか仕草指導とかできないよ……)
(仕草は大丈夫なんじゃないの? 演劇の身振り手振りとかって、割と大げさっていうか型がきまってるんじゃないの?)
「えと……先輩?」
こそこそしていると、後輩の子が取り残されたようにきょとんとしていた。
「まずは、名前を聞いておこうかな、うん」
二人でこそこそやっていたやり取りはとりあえず保留にして、その子に話を振る。そもそもこちらは相手の名前すら知らないのだ。
彼の名前は芦品澪音。一年二組に在籍している生徒だそうで、演劇には昔から興味があったのだそうだ。それが去年のここの演劇部の公演を見て斉藤さんの演技に魅せられたらしい。ちなみに本人はレインという呼ばれ方が好きではないらしく、周りにはミオと呼ばせているのだそうだ。
「で、一つ言っておくけど、俺は演技の天才でもないし演劇部でもないから、演劇的な指導みたいなのは斉藤さんに見てもらうといいと思うけど、ま、手伝うとしたら一つだけ」
こほんと、軽く咳払いをしてのどを調整していく。
完全に女装してこいといわれたらいくら斉藤さんのお願いでも断っているところだけれど、声くらいならばサービスしてやってもいいだろう。ネットでぐぐれば女声の出し方なんていくらでもでてくるけれど、実際それが完成するまでにはそれなりに苦労みたいなものもある。
「こんな感じで喋ると、女の子っぽく聞こえるのかな?」
「うわ、久しぶりに聞いたけど、完璧だねぇ」
ああ、そういえば斉藤さんは学外実習の時にこの声を聴いているんだった。
「まったく、この制服姿でこの声だすの、すっごく嫌なんだからね」
こまったもんだと、少し仕草もルイに似せて無理矢理作り上げる。
肩をすくめて腰に手を当てる仕草だ。ちなみに仕草に関してはここのところエレナの影響もあるので少しばかりアニメっぽい決めポーズが増えたような気がする。衣類まで完全に変えていない、切り替わってない状態、でやるには少し大げさな方がこちらも楽だ。
「す、すごいです……声が変わるだけでなんだかまるで、がらっと印象が変わるっていうか、女の子が学ランきてるみたいな感じ」
すごいすごいと、彼は飛び跳ねて喜んだ。
無理じゃないんだ、っていうところが知れたのは大きな収穫とでも思ってるんだろう。
「これで眼鏡外して、着替えればどこにだしても恥ずかしくない女の子の出来上がり、なんだけれども、最近はずっとさくらちゃんとばっかり遊んでるんでしょー? ずるいよねぇ」
「ずるいずるくないって問題じゃなくてねぇ……」
あれは趣味があった仲間同士だから成り立っている関係だ。それにむしろ彼女と一緒というよりはおひとり様のほうが断然多いし、相沢さんと撮影会という時だってある。
「まあ、いいや。それで声の出し方、教えればいいのかな? それともお化粧やら、女子生活で違和感をどれだけ出さないか、とかそういうのを教えておけばいいの?」
どうなのかな? と小首を傾げて聞いてみると、彼はびくりと体を震わせた。
別段おかしいことはしていないのだけれどな。まあ客観的に見れば微妙なのかもしれない。動作はルイの時とあまり変わらなくても、外見はそのまんまだから。
ならば、おちゃらけて第一個目の講義といこう。
「では、まず一つ目。違和感はできるだけ消していけ、これです」
女装をするうえでまず把握しておくのは、最初からばれているのかそうじゃないのか、だ。
周囲にばれているという前提であれば、完成度はどのレベルであっても、あまり問題にはならない。今回の彼の場合はそれに近い状況だろう。けれども周囲にばれないようにという細心の注意を払うとそれだけでクオリティは必然と上がる。
舞台に女優として立ちたいというのであれば、クオリティは高いに越したことはないのだし、そうであれば、このアドバイスは決して悪くはないはずだ。
「女の子っぽさを強く出す、っていうことより、男くさいところを消す。先にやるのはこっちからだよ。声もしかり、あとは動き方とか」
大股で動かないとか、つばを吐かないとか、大きな声をださないとか。
と、語り始めて、ふと神妙に聞く彼の姿に疑問が浮かんだ。
「あ、あと一つ確認なんだけれど、普段の生活もそっちでとかってことではないんだよね?」
そこらへんどうなの? と斉藤さんのほうにも話をふる。
「私に聞かれたってあんまりわかんないよ。とりあえず女優になりたいって言われただけだもん」
「とりあえずは……舞台に立てればそれで」
とりあえず、ね。そういわれて少しだけ不安にもなった。
たとえばこれを教えることで、相手の人生がガラッと変わったらどうしよう、とか。
木戸は自分で調べてそのうえでここに立っている。はっきりいってだいぶ自業自得というか、自分で選んだ感じ、は確かにある。けれどもしそれがあっさりとなされたら? 半端な覚悟でできてしまったとしたらどうだろう。その後にくる困難に立ち向かえるだろうか。
「舞台に立つこと自体に、部員のみんなは反対とかしないの?」
今では先輩になっている斉藤さんに疑問する。女装という行為はやはりそれなりに異質なことだ。
「部員からはないと思うんだよねぇ。だってみんな演技するために入ってるんだ。場合によっては人じゃないものもやるし、犬や猫や、さっき言ったみたいに木の演技とかだってやっちゃうんだよ? 今更、別の性別を演じたところでとやかくいう輩はいないよ」
むしろ完璧に演じたら称賛されるのがこの世界だと彼女は言った。
でも、とそのあとに言葉がつけたされる。
「それ以外の人からはどうだろうねっていうのは少し心配かな。女形っていう文化があるから、そこまであたりは厳しいとは思わないけど、気持ち悪いって思うかもしれないし」
「だったら、舞台の上で観客にわからないレベルで仕上げれば大丈夫、ってこと?」
「そゆことかな。っていうか木戸くんちはどうなのさ。さくらちんの話だと週末普通に女装してるんしょ?」
「うちは、趣味の一環っていうので認めてくれてるからね。成績が下がればいろいろいってくるだろうけど、楽しい時間のためにならいくらでも頑張れるから」
「ご理解があるおうちなのね」
むしろこちらの努力のほうを褒めて欲しいくらいだ。それにうちの場合は許可ではなくて黙認やら放任やらという単語のほうがよく似合う。
「あ、あの。先輩はなんでそう……複雑そうな顔をなさってるんですか?」
おどおどしながらも、それでも必死に彼は身を乗り出した。
なるほど。よっぽど女優さんをやりたいわけか。
「あたしはさ。正直週末だけ楽しんでればそれでいいって思ってて、実際それを維持するためにがんばってる……と思う。クラスの友達とあんまり遊ばないでほとんど毎日バイトの日々で、でもね。すごく週末が楽しいから他のやらなきゃいけないことも必死になれるの。だってそれをやらないと週末がなくなっちゃうから」
去年は一年間、本当にフルスロットルで動いたと思う。高校デビューというのはできていないけれど、確かに高校生になってから好きなことをどんどんやれるようになった。しっかり動けるようになった。
「そんな仲間は何人かいるわけなんだけれど。あたしは問いたいわけさ。君の本気はどれほどなのか、ってね」
流れにまかせてちょろりと話をしてしまったものの、それでもやっぱり気にはなる。
エレナだって、そうとう頑張ってあの場にいる。技術を教えることにもったいなさというものはないし、ネットで探せば見つかるような情報でもある。けれどあっさりすぎてもいけないのではないか、と思うのだ。ある種の踏絵とでもいおうか。
しっかりとやる気があって、行動力を示してもらわないと困る。
「そういうことなら、こうしよう。二週間後にこの子に一人芝居をやってもらって、それできめよ」
演劇部員なら、演劇を武器としなきゃいかんですよね、と斉藤さんはうんうんとうなずいた。
いや、でもそれはさすがにどうなのでしょう。ハードルがずばっと高い気がするのだけれど。
「演目は未定。ただ五分以上なにかをやってもらう。ストーリーまでつけろっていうのは酷なので、舞台になっていればいいってことで」
演劇の深さをなめてもらっちゃあ困りますぜ、と不安げなこちらの顔を見透かしたかのように彼女は言った。
どういう形になれば納得できるのか。そういうのを見せてくれるということか。
「で、もし木戸くんが認めてくれたら、もう完璧に女の子っていう木戸くんの姿もみせてよね!」
「それは斉藤さんの一人勝ちになるからだめ」
ぷぃと顔を背けて、否定する。さすがにそれは棚ぼたというか、リスクなしにおいしいところをとりすぎだ。
「斉藤さんもせっかくだから、混ざって。斉藤さんは十分以内の演劇で、起承転結つけて感動させて涙をながさせる感じで行こう?」
「おぶふぅ。なんたる無茶ぶり。でもそれができたら、完全体を見せてくれる?」
「澪音が演じきれたら、女声の指導をする。斉藤さんが演じきれたら、あたしの本気を見せてやりましょう? でもできなかったらどうしようかなぁ? 斉藤さんとりあえず被写体になってもらいましょうか」
くふふふと悪い顔をしてみせると、やーんと彼女は反応する。
別段、こちらの代償はどうでもよかった。演劇が見れるというのは楽しそうというだけでいいのだ。
斉藤さんのほうはあくまでもおまけ。
だから、今日はここまでだ。ふっとのどの意識を解いて声を戻す。
「それじゃ、二週間後の昼休み、でいいかな? どういう風に組み上げるかわからないけど、せっかく好きなものなのだから、集中してみ?」
しこたま悩んでいい舞台を見せておくれ、というと、ぎこちなく彼は、はいと答えたのだった。
女装の道にぐっと引っ張り込んじゃうのに躊躇するのはしかたがないことであります。まー自分で決めて楽しむ分には、もー目をキラキラさせながら凝視してしまいますけれどもね! やるにしても楽しく女装していただきたいものです。はい。