195.自動車教習1
七月。大学の前期試験が終われば、もう長い夏休みが始まるのは、大学というところが研究機関の側面が強いからだというのは前にも話したかと思う。ようは与えられるのではなく掴み取るのが大学という場所であって、勉強を与えられたいなら専門学校を選んできっちり知識を植え込んでもらった方が良いという区分けがあるのだと思う。
そんなわけで、夏休みである。
さぁ何を撮ろうかとか、バイトの日数増やそうかとか、実はいろいろ計画していたのだけれど。
母の一言でそれはあっさりと覆った。
「あんたも大学生になったのだし、時間が取れるなら車の免許取りなさい」
そう。これ。
今を逃すと取れなくなるとか、年を取るほど覚えが悪くなるから早いうちがいいとかいろいろ言われたのだ。
いちおうまったく考えてなかったわけではない。
エレナは春にそうそう免許を取っているし、車こそ買ってはいないけれど、親父さんは合格祝いに新車を贈ろうとかなんとか言い出すほどだったそうだ。まあ車=男のものっていう認識は親世代だとあるし、ようやくうちの子がそういうのに興味を持ったーとか喜んだのだろう。
実際は着替え場所として使えるし、荷物も運びやすいしっていうので取った面が大きいのだと思う。
あとはデートか。これか。よーじくんも一緒に取ったそうで、遠出するときに二人で交互に運転した方が疲れもたまらないよねっていうことらしい。車内でいちゃいちゃできるし、もうなにこの最強密室はとほっぺた押さえて身体をゆらゆらしてたのは今でも覚えてる。というか撮った写真が残っている。
リア充さんめ。
では、それを聞いた木戸はどう考えたかというと、撮影に行くときにあると便利かなー、という印象だった。
とはいっても教習所の費用は大きいし、車は高い。バイクでもいいのかとも思うけれど、近場は交通機関がある程度しっかりしてるのでなくても問題はない。そもそも銀杏町に行く場合圧倒的に車とかより電車の方が早い。
交通機関があんまりない地方にいくなら持っていた方が便利というような認識だ。
なので、取れるときに取れば良いくらいの認識だった。
ていうか車の免許取るならルイのカメラを新調したい。小梅田さんにも言われたし。
あんたなら絶対そう言うだろうと思ってと、両親は前から考えていたらしい。免許費用は出してくれるというのだ。
「合宿でもいってぱーっと取ってきちゃえばいいのにとも言いたいところだけど、アルバイトもあるだろうし、なによりあんた地方の合宿なんかに送っちゃったら、車そっちのけで写真撮るでしょ」
「実はちょっと、そういうのに憧れていた頃もありました」
自動車教習所の合宿。これはもちろん都市部で泊まり込みでやるわけではない。
北海道とかで教習をすれば、あちらの景色を取り放題だし、他の場所でもそうだ。交通量が少なめなところに合宿所があるケースが多いのだろうか。
どれもなかなか自力ではいけないところだし、そういう理由があれば泊まり込みができるというのは、とてもいいのではないだろうか。撮影し放題というのもいい。昼は教習を受けるにしてもさすがに早朝や夜は解放されるだろう。
「そんなわけで、ちゃんと進捗状況も報告ね。いちおうあんたもいろいろあるだろうから夏休み中に取り切れとは言わないけど」
「了解であります。なるべく早めに取れるようには頑張るけど……」
ちらりと先ほど置かれた教習所のパンフレットを見つつ続けた。
「ATだけでいいよね? エレナもいってたけどMT車のる気はないし……」
車にはAT車とMT車というものがあるそうで、詳しいことはわからないけど、簡単で勝手にやってくれるのがAT、自分でクラッチ? なんかそんなもんをいじるのがMT車なのだそうだ。その技能をつける必要があるのでその訓練分だけ教習の時間もかかり、おまけに費用もかかる。
エレナは、今時MT車の方が少ないんだし、取らなくても別に、というようなことを言っていた。もちろんあいつは時間がとれたのでと限定じゃない免許を持っているけれど、それはそれである。
「男の子なら、マニュアルじゃなきゃダメよ」
けれど母様はあっさりとひどいことを言い放ってくださった。
そりゃね、そういう思想が一部にあるのはわかりますが。
「って、母さんだってAT限定でしょ? なのにどうして俺ばっかり……」
「そりゃ、男の子だから」
「うわ、そんな理不尽な……」
二度目の台詞にさすがに理不尽だと思って声に出した。
「でも、母さん、将来トラックとかのらんし。今時、ATの車ばっかりでしょ? うちのだってそうだよね」
「はい。これ、最近の傾向だそうです」
ばん、とすでに用意していたらしくタブレットに表示されている画面を母様はこちらに見せてくる。
新入社員に聞いた、免許持ってますか、それは限定付きですかという質問に対する回答だ。
「男女でこんだけ別れてるのわかる? 8:2と2:8。貴方は男子なのだからMTにするべき」
「って、二割も限定なんだからいいじゃん別に」
はっ、これがジェンダーバイアスというものかっ。
一応無事にジェンダー論のテストをクリアーしたので、そんな台詞が頭に浮かんでしまった。
車、男の物、かっけーっていう三段論法。
けれど母様。もう時代が違います。かっけー車に乗ってナンパして成功するとはあまり思えません。
個人的に車が大好き、とかって理由は素敵だと思うし、MT車に乗ること自体を否定はしないけれど、自分で乗るかと言われたら、たぶんないと思う。
「でも免許証見せるときとかに限定って入ってるの男の子だと恥ずかしいよ? 解除しといたほうがいいよ」
「別に、恥ずかしくないし。っていうか」
どうせ出すとき、あんまり男だと思われないからいいよ、とはさすがに言えなかった。
すいません母様。私的に生活してるときの多くがルイです。
そうなっちゃうと免許証だしたときに、写真と見た目が違うじゃないなんてことが起きるような気もするけど、どっちの格好で免許証を作るのかというのは大切だなと思ってしまった。
まだまだ取る段階にはなっていないので、結論は出さないで良いけれど、ちょっと考えておくことにしよう。眼鏡をつけて写真を撮るかどうかは私的生活でどっちが多いかで決めるといいなんていう話もきくけど、すごく悩ましい問題だ。ルイのときは免許もってないってことにしちゃえばそれで済む話だとは思うけど。
「それとせいぜい実技が3コマ増えるくらいだし、取っといた方が良いと思うなぁ。それに貴方なら器用だし割とすぐにクラッチとか出来るようになるわよ」
うぐっ。それはどうでしょうか? 坂道発進とかちょー大変だったよーとエレナも言ってたし、三時間教習が増えるだけってことじゃなくて教習全体がマニュアル車での教習になるのでしょう? それを上手く運転できるのかどうかは不安だし、女性の場合はMTの場合、実技実習の失敗率がちょっと高いと言うではないですか。
まあ、男子だけど。いちおう男子ですけど。
「ああ、あとはあれじゃない? 今時ATばっかりだからMTは空いてるかもよー? かーさんも経験したけど、実習がなかなかとれないんだよねー。一気に二個とかいければ早く終わるんだけど、なかなかね」
「それ、教習所のほうも商売なんだから比率に合わせて台数も調節してるってば。そんなんAT希望の人ばっかりあぶれちゃうとかないって」
教習所にはもちろん車が多数あるわけで。その中にAT車とMT車があるなら、教習に来る比率で台数をそろえるのは基本中の基本だ。設備投資ができない状況なら仕方ないかもしれないけど、年々徐々に改善はしてると思う。
「もぅ、そんなに嫌がること? そりゃーあとで限定解除ってこともできるけど、そのときは費用自分持ちよ? っていうか、そうだ」
おぉ、これでいこう、と母様はなぜかにんまりと笑顔を浮かべながら、どや顔で言い放った。
「MT免許の場合、技能で失敗しても費用はこっちもちにしてあげる。ATの場合は最低限のみ。どう? これならMT免許にしても文句ないでしょ?」
っていうか、ATでも技能教習落ちちゃうかもしれないぞー、高いぞーという脅し文句に、うぅと弱々しい声しかでなかった。
そりゃ不器用なほうではないとは思っているけれど、追加料金を持てというのはなかなかに恐ろしいものがある。
さすがは母様。いちおうお金関連の弱みはしっかり把握していらっしゃるのですね。
「わかりました。そんなに言うなら仕方ないです」
まったく。そこまですすめられてしまってはもうどうしようもない。
「でも技能教習でどれだけ失敗するかしりませんからね?」
あえて女声に切り替えて言ってあげると、母様は、あんたはもぅ、と頭を抱えながらキッチンに戻っていったのだった。
「おぉ。広いねー。こりゃー撮るしか」
自動車教習所。木戸が住んでいるところから一番近いのは隣町にある所だ。
家からの移動は教習所から出ているバスがあるから、指定の場所にいると拾ってくれる。普通のバス停はもちろんない。
先ほどつぶやいた通りに、教習所は割と広いスペースが取られている。中学校の校庭よりも広いくらいの広さといえば伝わるだろうか。たぶん一周走るとへとへとになるだろうなぁという感じのコースと、あとはいろいろな線が引かれている駐車練習をするところとか、坂になっているところやら、うねうね入り組んだ道なんかもある。
駐車場にはずらっと同じタイプの車がならんでいて、壮観だ。
しかも今日はぎらついた太陽の光が思い切り照りつけていて、車体を綺麗に輝かせていたりする。
一台だけだとあまり思わないけれど、同じ車体がこれだけ並んでいるとそれなりに迫力があって面白い。
アスファルトからの照り返しのせいでもわっとしているけれど、それでも持ってきているコンデジで数枚写真を撮らせていただいた。一眼はさすがに母様においていけと言われてしまったので、こっちだけだ。
「あっれー、木戸っちも教習? 今日から?」
そんなふうに周りを見ていたら、聞いたことのある声が耳朶を打った。
まあ知り合いもいないとは言えないよなぁと思ったけど、きて早速というのはどうなのかなと思う。
「同窓会以来かな、早見くんも今日から?」
そこに立っていたのは、同窓会のときに眼鏡を外してきた男子であるところの早見くんだった。
彼はまだ木戸と同じ町に住んでいるし、もよりの教習所といったらここになる。おまけに大学に入って一息ついてからこの夏に免許をと考える人も多いようで、教習所は若い子ばっかりが集まっている。
あとで教習所の人に聞いたところ、この季節は高校生もいるし夏休みだから学生はともかく多いのだそうだ。他の季節の方がもっと空いているらしい。
「ああ、ようやく夏休みに入ったからな。友達つれて免許とろーって話になったんだよ」
お前は一人か? と聞かれて頷きつつ、周りを見回している彼の連れの方に視線をやった。
うん。なんというか。ちゃらそーな男子だ。身長は結構あって、こうやって近くにいると見上げる感じになってしまう。まあだいたい男子と話をするときは見上げる感じになるんですけれどね。
「よっす。初めましてだな」
よろしくと声をかけてきた彼は、白沢と名乗った。
どうやら高校の頃にここらへんに引っ越してきたやつだそうで、早見くんとは家が近くて友達になったそうである。ほどよい田舎で越してくる人なんてそうそう居ないだろうと思っていたのだけど、移住してくる人はそれなりにいるらしい。
「それで、木戸っち。一人なら座学の方は俺達と一緒に受けね? はやみんの知り合いなら俺とも是非友達になろうぜ」
「まあ、いいけど」
なんかテンション高いやつだなぁと思いつつ、にかりと笑顔を浮かべられるとこちらもいくらか警戒心が薄れる。
ううむ。なんというか初対面の男子に対しての反応が最近非常に過敏になっているような気がする。恐怖症まではでていないけれど、特にこういう感じの馴れ馴れしい系の男子の場合は身構えてしまうのである。
「よっし燃えてきた。ばしっと決めて、どしっと遊ぼうぜっ!」
ぺしぺしと肩を叩かれると、うぅ、と弱いうめき声を漏らしてしまった。
なんていうか、いままでどれだけ女友達に守られてきたのか改めて実感してしまった。
「ま、まぁ悪い奴ではないんだ。それにお前も……ほら。普通に男友達扱いされてるだろうから、その点は安心しろって」
こそっと早見くんから助言が入る。確かに男同士のやりとりっていったら、こういうものだろうし同性だからこそできるスキンシップではあるのだけど。
いけない。いままであまりにもこういうことをしていないから感覚がなんだかおかしくなってしまっている。
「では、入所式始めるから集まってー」
その声に従うようにして集まったのは、今日が初めての人達だけだ。
二十人くらいはいるだろうか。必要事項やテキストの受け渡しなどを済ませて、事故のないように頑張りましょうという、ちょっとテンション低めなおやっさんの声を聞きつつ、我々はさっそくのテストを受けに部屋へと通されたのだった。
そう。とりあえず適性検査を受けねばならないのである。
教習所がメインになるかと思いきや、それまでの母様との話し合いの方が長くなりました。ちなみに作者はMTで取ってます。半クラッチとか坂道発進とか苦手なのは言うまでもありません。AT使ったときのあの簡単っぷりに唖然とした覚えがあります。でも車体感覚もイマイチだし運転は慣れません。担当教官との相性とかもあるし、あんまりいい思い出も……
はい。で、本編ではいちおー初対面は男子扱いな木戸くんですが、なるようになる感じです。
明日は白沢くん主催の同期(同日入所式の人達)でのお食事会です。教習光景もそれなりに書く予定ではあるけど、何をやったのかあんまり覚えていないので……orz




