167.特撮研の伝統行事2
10/9 志鶴さんの名前が一部千鶴になってたので修正。
翌々日、なんだか時宗先輩の様子がおかしかった。
一日はさんでいるのはいうまでもなくコンビニバイトがあるからだ。
「な、なんて格好して……」
「あたしが間違ってた。先輩は正しかったわ。こんな世界を開いてくれるなんて。馨もさっさと先輩にお願いして女の子にしてもらうべきよ」
仕事をやりきったという顔をしている彼に不愉快そうに視線を送る。
からくりはいくつか候補として上げられる。新入生に対するサプライズとして先輩が演技をしているという初歩的なものから、軽い洗脳までと可能性はあがる。それこそ志鶴先輩から夜な夜なぶつぶつ耳元で睡眠学習とかをされてるだとか、そんなことだってあるかもしれない。
なるほど。一年生二人の様子がおかしかったのは昨日この先輩を見ていたからか。木戸君も心を強く持って部室に行かないと駄目よと言われたのだった。
そんな二人は今日はショッピングに行くとかで部室には来ていない。
「理屈はわかりませんが、精神汚染ですか。先輩はどうなっちゃったんです?」
演技だとしたらさすがにのってあげないと悪いし、洗脳系ならきちんと解いてあげないといけない。
性自認は変わるものでは無いといづもさんも言っていたしな。そもそもきもい女装は駄目だ。生理的に許せない。
「なに言ってんのよ馨。いまあたしすっごくいい気分なの。人生で最高にきらやかなの。いままで地味で本当につまんない人生だったわ。それがぱっと明るくなったのよ。これはすごいこと。だからみんなも女の子になるべきなのよ」
うわぁ。しゃべり方からして激しくしんどいぞこれ。しかも声。志鶴先輩は完璧に女声を操っているけれど、時宗先輩の声はそのまんまだ。それでこれだけねっとりした女言葉を使われてしまうと、正直かなり痛い。
「これは呪いなのよ……あああ。朝日くんまでもが……」
会長の桐葉先輩は頭を抱えながらうわーんと机にのっぺりへばりついている。
「呪い?」
「そうよっ。うちのサークルには例年男子生徒が女装に目覚めるっていうのろいがかかっているの。一昨年の被害者は志鶴で、それで顧問も心配して、そいつを海外にだしたの。でもこんな結果に。木戸くん、いまからでも遅くないから避難しなさい。あなたの人生がめちゃくちゃになるまえにっ」
会長さんはそのままの姿勢でぷるぷるしはじめた。心底怖れてますというような感じの演技である。
「はぁ。しかたないですね。庇ってくれた恩くらいは返すとしましょうか」
しかたないなぁとパニックを起こしている上級生たちを尻目に、部室わきにある撮影スポットに向かう。背景に白いパネルがはってあってそこで撮影ができるというスペースだ。けして広くはないが、通常よりも光の当たり方などよい場所と言える。
「先輩。そんなに自信が持てたなら、モデルやってもらってもいいっすよね」
前は恥ずかしいとかで断られてしまいましたがというと、彼はいいわよぅとねっとり答えた。
「どこから撮っても大丈夫ですか? もーばしばしねらっちゃいますからねー」
いろいろな角度から。おそらく周りからは無造作に撮ってると思われたに違いない。そんなに撮るの、とサークルのメンバーには驚かれてしまったけれどこれくらいは基本だ。
「あとせっかくだから、今日の記念にムービーも撮っておきましょう。部室にあるの使えるんですよね?」
映像は門外漢なのですがねぇといいつつ、正面からビデオを回してムービーを作る。
「ちょ、木戸くんいきなり何を?」
「先輩が素敵に変身をしたというので、現実をつきつけてやるだけです」
プリンターで印刷をかけた写真は二十枚といったところだろうか。
「さて。先輩っ。生まれ変わった姿をきりとりました。是非見てやってください」
「うぐっ。これが……わたし……うそよっ。こんなのってないわ」
そこに写された写真はどれも彼の男臭いところを徹底的に抽出した写真だった。いうまでもなく自分やエレナやそして他の仲間たちが写されて嫌なところと認識しているところを切り抜いたのだ。はっきりいってきもい写真のオンパレードである。汚装と揶揄される写真にきっちり仕上がった。
「いえ、現実です。男でいるのを自分で否定しちゃうほどのなにかってのはさすがに想像できないですが、数日で本人がその気になるほどの女装ができるかっていうと、大分むりです。素質がなきゃそうはならない」
うそよ、うそようと嘆く彼の肩を軽くぽんぽんと叩いてやる。
「もしかしたら、こっちの写真を見せられましたか?」
「これっ。これがあたしよ……あっちは絶対あたしなんかじゃ」
「両方あなたです。現実を見ましょうよ」
無慈悲に今度はビデオの録画の鑑賞に入る。
そこにはありのままの姿が音声入りで映されていた。人の価値観はそれぞれだとは思うが、たぶんこれを見てかわいいという人間はそう多くはいないだろう。
ふらりとなだれ込むように時宗先輩はパイプ椅子にガシャリと腰を落とした。男らしい仕草である。
「ふふふふっ、あはははっ。やってられっかちくしょー」
ぽすんとウィッグをむしり取って椅子にぽいと放り投げる先輩はあーもぅと頭をがしがしとかいていた。
そろそろ演技の時間は終わりというやつなのだろうか。
「あーあ。まさかこんな風に時宗の女装を解かせちゃうとはねぇ、まいったまいった」
志鶴先輩がわしわしと地毛をかきながら、かわいらしい乙女声で敗北宣言をあげた。なるほど。志鶴先輩のプロデュースだったわけか。でも彼女の腕を持ってしても男くさい部分を一日二日でなんとかすることはできないというわけなのだろう。そもそも、そういうのは日常生活のケアで削っていくものなので、木戸でもなかなか難しいだろう。それなりにする技術は持っているし、時宗先輩だってもっと可愛くさせようと思えばできるけれど。
「悪い。一年の歓迎イベントでな。例年こういう余興をやってんだよ」
時宗先輩が、ばつが悪そうに素に戻った声でぐでっとパイプイスに体重をあずけながら言った。周りに視線をむけると、さきほどまでぺったり机のお友達になっていた桐葉会長も、にこやかな笑顔を浮かべていた。時宗先輩の敗北までも込みで楽しんだようだ。
まったく。まさかまるまる狂言だったとは。
けれどもここで終わらせてしまっては、こちらも収まらない。
「じゃあ……じゃあ先輩は男の人のまま……なんですね?」
すとんと腰を落として、パイプ椅子にかしゃりと座り込む。呆然と、それでもなんとか問いかけた声音は完全に女声だ。
「ちょ、ちょっと木戸くん? どうしちゃったの? 確かにちょっと悪のりが過ぎたかもしれないけど」
どうやら会長さんはこちらをはめたことに対してショックを受けたのだと思ったらしい。けれど実際はまったくちがう。
「先輩が女の人になっちゃったら、あたし……どうしようって怖くて怖くて……」
「へ? おい、木戸おまえなにを言って」
「う。と。それはその、今はまだ言えないです……」
恥ずかしいとほおを染めながら視線を落とす。それだけでどんな事情なのかわかる極上の照れ顔だ。男用の黒縁眼鏡をつけていようが印象はがらりとかわる。
「まさか……木戸くん、女の子になっちゃってるとか、ないよね?」
「あんな呪いの話なんて全部作り話なのよ? そんなこと……」
「ふぇ? 先輩がた何をおっしゃってるんです? 私は昔から女の子なのに」
「うああ……」
「まさか呪いだなんてそんなはずあるわけが……」
二人ともがくがくと震え始める。それくらいいきなり切り替わって驚いたのだろう。話し方も雰囲気も、そして声質すら変えているのだから、驚いて当然かもしれない。
「呪い? みなさんどうしちゃったんですか? そんな驚いた顔して。先輩の呪いは狂言だったってことですよね? それなら……」
いいことじゃないですか、とちらっと時宗先輩をはずかしそうに見る。
「えっと、木戸くん? あなたの名前を教えてもらえる?」
部長がなんとかこの場を改善しようと、さきほど木戸がやったことをなぞる。
現状認識をしっかりさせて戻ってこさせようというやつだ。
「え? 馨ですけどそれがなにか?」
「うああん」
残念。下の名前は中性的というか下手をすると女子率のほうが高いのである。
「じゃ、じゃあ高校生の頃ってどんな制服きてたん? 今もとってあるのかな」
「紺のブレザーですよ。ちょっと高校の頃はやんちゃだったから、スカート丈短めなんですけどねぇ」
にはは、と照れくさそうに当時をふりかえる。実際、その制服はいまだクローゼットの中にあるのだ。
「記憶の改竄まで……どうしたらいいのよー」
絶望的な顔を浮かべている姿にとりあえず満足した。
そろそろネタばらしの頃合いだろうか。そう思っていたらいままで神妙になりゆきを見守っていた、志鶴先輩がつぶやいた。
「鈴音さんのボイスチェンジャー、か」
「ええぇっ。どうしてその名前を」
唐突な名前に驚きが隠せない。その名前は40代から女の子を目指すというあのブログの主の名前。木戸が最初に声の獲得をするときに参考にさせていただいたところだったのである。
「こっちも悪かったけど、馨も冗談が過ぎるよ。それくらいでやめておきなさい」
「もともとそろそろ頃合いかなとは思ってましたけどね」
ふぅと男声にもどして軽く頬をかく。
「ぬなっ。木戸くんっ。呪いは?」
「たんなる狂言ですよ。呪いなんてありはしません」
ちょっとしたお返しですというと、そんなぁと先輩方はへなへな脱力する。
「そうとう女装慣れしてる。そんなところじゃないかな。しかも声だってそこまで完成させてたら鈴音さんがむしろ泣いちゃうね」
いい気味だというその声音になにかうすら寒いものを感じた。まるで知り合いかのような発言だ。
「どういう繋がりで?」
「ああ、うちの親父だよ、あれは」
「へ? お父さんなのに性転換しようとかって言ってるんですか」
例えば木戸の父親が急に今日から女になると言い出したらどうだろうか。さすがにぞっとしない。
あのブログには家族のこととかは一切かいてなくて、ひたすら声についての話と、女の子になるために努力していることが綴られていた。40代で女の子かよ、という突っ込みは可哀相なのでしないであげていただきたい。女性はいくつになっても女の子なのである。
「わたしのこれだってその影響は大分あるんだよ? あんにゃろーが家族省みないから対抗してやってみてるだけだし」
「そういうわりには心底はまってるわよね」
桐葉会長のつっこみに、そりゃそうなんだけどと苦笑が隠せない。
たしかに親に対抗するだけでこのクオリティはさすがにちょっとありえない。年齢のこともあるけれど着飾るのが好きじゃないとなかなかああはならない。というかお尻の薄さとかどうやってカバーしてるのか気になるくらいだ。
「まー親子ってところもあるんじゃない? たしかに男子やってるときより楽しいし友達も増えたしね。それも反面教師が目の前にいるからどつぼにはまることもないし」
「どつぼっていうと、女装っていうか性転換かな。この場合は。それに取り憑かれてるみたいなことですか?」
「そ。さすがに鋭いね。あいつは女の子になろうと必死で、見ていてとても残念なんだよ。いい大人なんだからおばさん目指せばいいのに」
実際そこで我慢できるならそれだけのクオリティはあるのだという。そりゃあれだけ研究してたら声だってしっかりでるんだろうし、他にも技術的にはかなりのものを持っているのだろう。
「失った青春だかなんだかしんないけど、どうして女の子を目指すのだか、わけがわからないよね」
「本人は、取り戻すとかなんとか書いてませんでした?」
先輩も見てるんでしょ? と聞くと、まぁそうなんだけどと苦々しくいう。
「いっそ哀れに思えてくるね。まっ。その分こっちは若い女の子の生活ってやつをエンジョイしてるわけだし」
ざまーみろだ、と言う台詞の温度はやたらと低かった。
けれど、それを言ったときの周りの視線に気づいたのかわたわたと慌てながら、他の単語を必死に紡ぎ上げる。
あんまりその手の話をおおっぴらにはしない人らしい。
「それで、馨はうちの親父と交流があったわけではないのかな?」
実はさっきの会話も全部つつぬけーとかしゃれにならんーと朗らかに笑って言う。
冗談くさく言ってるのはわざとなのだろう。
「参考にしただけで直接は。だって俺は別にあんなにどぎつい思いは持ってないから」
交流は無理だと。正直にこの人と一緒には歩けないと当時は思ったものだ。
今なら、いづもさんとも知己だしそれなりに一線を引きながら接することもできるだろうけど、あえてお友達になりに行く必要もないとも思っている。
「ま、それには感謝かな。そんなクオリティある高校生の仲間ができちゃったら、あいつは絶対増長しただろうし。母さんももっと早く胃に穴が開いてただろうさ」
苦々しい独白を聞いていると、その思いが突き刺さる。もっと早くってことは実際に胃に穴が開いたんだろうか。
けれども、その件はとりあえず今は保留だ。そして確かめたいことはむしろ別のこと。
「それで、どこからが狂言だったんですか」
「ん?」
何を聞かれているのかわからないという風の桐葉会長にもわかるように言葉を重ねる。
「志鶴先輩が実は男の人で女装してるってのは本当だとして、それはこの学校にはいる前からだったんですか? それと留学とか二年とかそこらへんは?」
そう。嘘をつかれていたなら、それはどこからどこまでなのか。それはしっかり把握をしておかなければならない。
「あー。呪い関係が狂言ってだけ。この子は入学の段階ですでに全部女子服だったし、去年留学してたってのも本当。しかも一浪してるから22歳ってのも本当」
「んがっ。年齢のことは言わないでよっ。四月生まれってんでただでさえひとつ上に見られがちなのに」
もーひどいーと、乙女チックに苦情をいう姿がかわいらしい。
三つ年上。牡丹姉さんと同い年か。
「女の先輩と思っておけばいい、ですか?」
「まあそれでいいんじゃないかな。旅行とかいくときはややこしいんだけど、合宿とかあんまりやらないからなぁ」
「合宿はお金かかりますしね。でも年に一回くらいはどこかにいけるといいのに」
撮影旅行。せめてそれくらいはしていただいてもいいんじゃないかと思ってしまう。もちろん個人でいろいろ出かける予定はあるわけだけれど。
「遠くに行ってってのは無理だけど、他の学校と合同で撮影会したりはするから、それを楽しみにしておいてねー」
ちゃんとやることはやりますよーと会長さんはここ一ヶ月のけだるさが嘘のように力強く言い放った。
「さて。それじゃ。本題。馨。あんた明後日は女の子の格好できなさい」
慣れてるんでしょ? と志鶴先輩にいわれて、うわきたか、と思った。
「見せてくれたら、もーちょっと部活まじめにやったげる」
どうせやってもやんなくてもいくらかはマシになるんだろうなぁと思いつつも、こくりと頷く以外に道はなかった。
普通の男を女装をさせるには、それなりの技術が必要であり、隠すという作業をどこまでやれるのか、というのが大切なところであります。時宗先輩はせっかく朝日っていういい名前なのだから、もうちょっと演技もそれらしくしていただきたかった。
でも、学校の女装なんてこんなもんなのですよ! 木戸くん達の女装スキルが高いだけなんです。
千鶴先輩とお父さんとの関係は、最初から決まっておりましたとも。子供がいても性別変える人はわりと多くいますが、上手く行っているご家庭もそこそこあるとフォローを入れておきます。自分をごまかして無理矢理結婚して子供つくれば「普通」になれるのでは? といいつつ結局いづれ破裂するパターンであります。
そして明日は、先輩に言われたとおり「女装して学校」ということでかおたん状態での登校です。ルイがでないように気をつけねばなりますまい。




