161.新入生懇親会2
びくんと身体が揺れて、意識がいくらかはっきりとした。
ううん。何をしていたんだっけ? 周りの状況に視線を向けると、話し声が聞こえてくる。
そして目の前に一つの影。
「おまえ……なにやってんだ」
「なにって、ほら、お前素顔だと貞操がどうとかいってたから」
さっき寝返りうったときに落ちた眼鏡をな、と彼はつけようとしてくれていた眼鏡をほれと見せてきた。
なっ。眼鏡!? そういえば先ほどからやけに視界がぼやけるなと思ったらそれのせいだったか。
「まーたしかにそんだけ綺麗な顔してたら、普通の男にももてるかなーとは思った」
なかなかのものをお持ちで、と彼はあまり興味なさげに眼鏡を返してくれた。
はて。少しいつもの反応と違うので、きょとんとしてしまう。
もっと見てたいとかはずした方がいいとかになるのに、今日はすんなり眼鏡を返してくれたのだ。
「ありがとう?」
「なんだ、不服そうな顔してんのな」
「だって、たいていなら……はっ、磯辺さんは?」
一瞬、あのお嬢様コスの子の顔が頭に浮かぶ。彼女はもちろんルイの顔も知っているわけで、そんな相手に素顔を見られたらさすがにまずいところだったのだ。
「あー女子はあらかた帰った。そしていまは午前一時だな」
まあお前みたいに寝てる女子もいるがと視線を向ける。そこにはたしかに何人かがすーすー寝息をたてていてその脇では男子から守るかのように女子がゆっくりと飲み物を手でもて遊びつつ、男子の話をきいてあげているようだった。姐さんという感じだ。
ちなみに木戸は男子扱いなので適当に寝かされていただけだ。うん。まじで男子扱いである。
「にしても、お前寝るの早いぞ。そんなに健康診断って大変だったか?」
明日受ける予定の身としては恐ろしいなおいと、彼は少しばかり興味を示した。
「明日で今飲んでて平気なのか?」
「へーきだろ。特に呑むなとは言われてないし」
たしかに身長や体重、視力や胸部だけならお酒の影響も少ないのかもしれない。長谷川先生なら、おふぅ。拙者はのめないでござるぅ、こぽぉとかいうかもしれないが、あれは大人だからなのだろう。
「検診自体はあっさり終わったんだよ。むしろこんなにあっさりでいいのかってくらいでさ。でもなぁ、そこで友達になったやつがちょっとこう、特別待遇を受けてていまいち腑に落ちなくてな」
あのX線の車の中での周りの対応や、その後のぐったりしたあの顔は今でもまだまだフレッシュな記憶というやつである。どうしてああなったのか。どうしてあいつが具合悪くなるのかがわからない。
「ええと、木戸さんや。友達ってどんなやつ?」
「俺と同じ学科で、身長はちょい上かな。わりと綺麗な感じの子で清水くんって言うんだけどさ」
「あー、あいつか。それなら、まぁわからんではないな」
そりゃ、なるだろ、てか他の男子と一緒に車に乗せるだなんて把握しとけよまったく、と彼はセンターの不手際にぶつぶつ文句をいうのだった。
「そんなに有名なのか? なんか心病んじゃってるとか?」
あって話した感じじゃちょっとおどおどした感じの男子だったんだが、と伝えると、お前にはそう映るわけか、となぜか不憫そうな顔をされてしまった。解せない。
「ある意味病んでるのかな? でも病理化はしたくないとかだったような」
ううむ、話していいもんかどうかと、彼は渋っているようだ。
「そりゃメンタルな話はおいそれと他人から聞くべきではないとは思うけどさ、俺がおいそれとそれを聞いて周りにいいまわると思うか?」
「いや、おめーはしないだろうな」
入試の時みたいなおもしろイベントがあっても無反応だしな、お前はとなんだかすごく冷めた子扱いされてしまった。
あれはあれで、替え玉とかこっちもおどろいたのだけど。
「なら、白状していただこうか」
ほれ、はよ、と迫ると、ううむと彼は自腹で頼んだお酒をくいとあおった。
三時間までは飲み放題だけれど、その後は場所だけ提供してもらっているだけで、飲み物や食事は追加料金が発生する仕組みだ。だというのになかなか豪快な飲みっぷりである。
「その清水ってやつさ、なんつーかな、心は男っていうか、男になりたいっていうか、そういうヤツなんだとさ」
「は?」
いやいやいや。ちょっとまて。
その言いぐさだと、肉体的には女子ってはなしになるのか?
「いくらなんでもその冗談は笑えないって。FTMの人ってもっとこー男っぽくなるだろ。あんな気弱そうな人が、トランスってないって」
信じられませぬというと、赤城はちょ、おまえ何言ってるのという驚いた顔をしていた。
専門用語を使いすぎてよくわからなかっただろうか。
「おま、トランスとかFTMって、そっち系得意なやつなのか? まさか大学でその単語聞くとは思ってなかった」
そう思いきや、木戸からその単語がでたことのほうに驚いていたらしい。
ここらへんの話は、今までそういう人に出会ったことがあるかどうか、というので変わってくるから、もうほとんど遭遇率がどうかというだけの話だと思う。
「そりゃ、知り合いにFTMもMTFもいるし、それなりに詳しくはあるさ。でも普通俺は男だってタイプだと、もっと男臭くなるだろ。一人称が僕なやつなんて見たこと無いぞ」
彼が実は性別を変える気まんまんな人だ、と思えない理由の大半がこれである。
もちろん木戸がリアルで知っているのは一人だけだけど、ネットでの情報収集をみるとだいたいが、男らしさあふれているタイプになる印象なのだ。
「そりゃな……俺の知り合いも男らしさが過剰すぎるっつーのはあるにはあるんだが、かといってあれで女々しいかっていうと、普通に男子だろ? ならそういうところを目指してるんじゃないかな」
「そういう人もいる、っていうお馴染みな状態か。でもなぁ。ほんとFTMっていうと、やんちゃ坊主みたいな感じの多くね?」
言いつつ、頭に浮かんでいるのは蠢の姿だ。あいつも本当に迷惑なくらいに、アホがきだったのだ。
「お前の知り合いもそんなんか。一昔前っていうとあれだけどな。昔はちょっとくらい男っぽいだけだと、ボーイッシュって言われて終わってただろ。だからより男っぽさが表にでるようにしないと自己を確立できなかったってのもあるんじゃねぇかな。詳しくは知らんけど」
友達がいるだけで、俺も元女ってわけじゃないしな、と彼は冗談交じりに笑った。
確かに目の前のこの人が元女だとしたら、日本の技術は世界一だと思う。実際は後進国だけど。どうせ手術とか他の治療のおまけでやってきた国なのよとはいづもさんはぶつくさ文句を言っていたものだ。
「しかし、お前。清水のことはたいてい誰でも見ればわかると思うんだが、どうしてすんなり男子だって思っちゃったんだ?」
「はい? 誰でもわかるん?」
彼の反応はいささか疑問だ。あれで誰でもわかるとはこれいかに。
「わかるだろうが。男ものの服を着ててもあれだけ顔が整ってる男子ってあんまりいないし」
「……ほら、男子の時間帯だったし、そこに混ざってるならまさか、そうは思わないじゃん」
いけない。普段魔眼が、とか言ってるけどどうやら女装さんとかMTFのほうへのセンサーが強くなりすぎて、ちょっとおかしくなってしまっているらしい。
「それに、かわいい男子なんて普通じゃん。あれくらいのやつなんて身近にごろごろいるし、声だって高めだけどもっと高くて甘い声のやつも知ってるし。頑張れば俺だってもっとハイトーン出せるし。身長だってたぶん俺よりあるし体重も……うん。たぶんあると思うんだが」
「それはな……」
しらーっと赤城の視線が冷たくこちらを見つめていた。
「お前、自分を基準に男を語るな。そんなに細くて華奢な男子なんて滅多にいるもんじゃねぇ」
「うぐっ。自覚はないでもないけど、面と向かって言われたのは初めてだ!」
赤城に、俺の初めてが奪われた! というと、お、おおぅっ、と彼はなぜかきょどりながらスマンとあやまってきた。なんかかわいい。
「と、まあ、ここまでが様式美というわけだが。それで清水くんは学校内ではどんな扱いなんだ?」
健康診断を男子でやってしまうところを見ると、そうとう話がいろいろと進んでいるのではないだろうか。
ちなみに千歳も女子に混ざって健康診断は受けているし、ご存じの通りマラソン大会のように男女がばらけるような場合も女子のほうに入っている。あれはそうとうの根回しをした上でのことだけれど、彼の場合はどうなんだろう。
「たぶん、心の底から男子扱いしたのは、おまえくらいなもんだろうな。他はおっかなびっくりっていうか、配慮しなきゃっていう感じ。心ない男子からはもったいねぇなまったく、なんて声も上がってる」
着飾れば可愛くなりそうとかそんな声も上がってるのだと、不愉快そうに赤城は息を吐いた。
なにげにこのお方もLGBTには理解がかなりあるような気がするのだが、やっぱりそこらへんも今までの人生経験で会ってきたかどうかが大切になるのだろう。
「でも、どーせ薬始めればすぐに男っぽくなるんだろ? 俺の知り合いも一同、FTMは良いわよね、いつから初めても身長はともかく見た目はほとんど男になるんだからって嘆いてたぞ」
「おまえの知り合いはMTFのトランスさんばっかりか……」
「ばっかりってわけでもないぞ。そもそもトランスの人はそんなに知り合いがいないし」
言うまでもなく、木戸の知り合いで多いのは女装の人である。まあトランスにまで進んでしまいそうなのが何人かいるけれど、心の性別がどうのとかで、ガチなのはいづもさんと千歳だけだ。
「まあ、でも言いたいことはわからんではないな。女体に男性ホルモン使うと声まで変わるっていうし、逆じゃーまず無理っていうのが業界の常識っていうし。それでも、胸ばっかりはどうしようもないみたいだが……」
「ああ、それでX線でああいう対応になったわけか」
こちらは思い切り上半身を、バーンと見せたわけだけど、あいつは中に入るまで上着を着ていたし、その後も隔離されるような感じでの撮影だった。なんとも配慮に欠ける対応だと思う。
特別な人です、という演出を出さないために受付時間をフリーにしたのだろうけど、最初か最後にねじ込むのが一番安全な気がする。他の人と違うことをやるのであれば、時間はずらした方が理想的だ。
木戸でさえ、なんかあったのかと思ったくらいである。
「そりゃ、待合室で半裸とかしたら思い切りおっぱいぽろりだしな」
「ぽろりもなにも、ババァーンとかそういう感じだろ……つーか、一個前の男子が俺の上半身みて、生唾のんだんだが、そっちは噂になったりとかしてないのかな、大丈夫かな」
「いや、そういうのは聞いたことないな。つーか、男の裸に見とれる男子っていろいろやばいからな。生活つんじゃうから、誰にもいわねーよ」
きっとそうだと彼はなぜかうんうんと思い切り頷いていた。
「ま、なんにせよ、胸を思い切りださなきゃいかんから、あいつすごいへこんでたわけか……憔悴しきった顔してたしなぁ」
今は落ち着いてるといいんだが、と今はいないクラスメイトの顔を思い浮かべる。
童顔ではあるとは思うけど、髪も短いし男子といってしまえば通る見た目なのではないかと今でも思う。
「そこらへんはそうだろうな。自分の身体を突きつけられるような検査は嫌がるだろう」
「だよなぁ。そうはいっても検査自体はせにゃならんだろうし」
そういや遺伝子検査を受けろとかおばちゃんにも言われたんだっけと、あの校医の顔を思い出す。
「それで、木戸氏は今後清水とはどう付き合っていくおつもりで?」
赤城はふっと表情を真顔にしつつそう尋ねてきた。
「なにって、普通に男友達同士って関係性で行くつもりだが? 別段配慮とか遠慮とかはするつもりはさらさらありません」
確かに彼の秘密はとりあえず知ってしまった。だからといってなにかする必要があるとも思えない。
無知だからこそ地雷を踏んでしまうんじゃないかと怖れてしまうものだけれど、遠慮して一線を引いてしまうことのほうが良くないことだと思う。千歳の姿を見すぎてしまっているからかもしれないけれど、別に配慮が欲しいなら自分達から言ってくるだろう。ことさらガラス細工を相手にするような対応をしなくてもいいと木戸は考えている。
「ただ、最初に嫌なことがあったら言ってくれとは伝えようかな。写真撮るなって言われたらへこむけど」
格好良く撮ってやれる自信はなくはないんだけどな、と思いつつそこは彼の意思を尊重しよう。
「さすがは木戸だな。よっし。おにーさんが何かおごったる。腹へってるようならなんか頼め」
ほれほれと嬉しそうな顔でメニューを押しつけてくる赤城は、さきほどの真剣みを帯びた表情を完全に崩しているようだった。この話題はこれで終わりという意思表明なのだろう。
「夜中に食べると太るからあんまりな……でも、お言葉に甘えて、枝豆をいただきたい。あとキャベツな」
「うぉ、フライドポテトとかいくかと思ったらしぶいなお前は」
そうは言われても若者と一緒にこういう所に来た経験が薄いのだから仕方が無い。たいていあいなさんとの宴会だとこういうもののほうが多いし、油ものよりは断然枝豆である。
ゆであがって、少し塩が振られたそいつを食べつつ、目が覚めてきたので他の連中とも話すことにしたのだった。
懇親会2,朝からダッシュで書きました。誤字脱字訂正くらいは後でもしかしたらやるかも。
今回は書き下ろし+推敲時間がほとんど取れてないのです。やば、そろそろ家をでなければ。




