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158.大学の健康診断1

 入学式翌日、目の前でまだ笑い転げようとしている男子の前で、むぅと不機嫌そうな顔をしてみせる。

 今日は大学のオリエンテーションの日。学校の施設だとか、授業のとりかただとかそんなのの説明会も兼ねてのものだ。

 本格的に授業が始まるのは四月も末のこと。

 それまでに大学に慣れてねってことなのだろうけど、高校と大学とを比べると、本当に大学は自由だと思う。

 もちろんだからこそ、やることをやれってことなんだろうけど。

「で? 赤城氏。あんまり笑ってると、でゅふふっていって、ふぉかぬぽうって言い始めるつもりですがね」

「ああ、わりぃ。ついこうさ。スーツ姿のお前があんまりに似合わなくって」

「悪かったな。っていっても他の奴らだって着慣れてはないだろ」

 お世辞にも木戸の男子スーツ姿は似合わなかった。というのも身体のサイズにあうものとなると、オーダーメイドになっちまうっていう、アレがあったからというのもあったのだと思う。

 母は言った。どうせあんた今後、男もののスーツとか喜んで着ない……のよね? と。頬をひくひくさせながら。

 もちろん、こくこく頷いた。リクルーターになるならあれだが、写真に関わる仕事をと思ってる身としては、スーツでかちっとというビジネスマンの自分が想像できない。

 女子のスーツ姿なら100%似合うのはわかっちゃいるのだが、それを彼に言うつもりはない。

 というか、ルイの存在自体、高校の時と比べても秘密度はアップしてしまっているのだし、そうそう知り合いに流布して回れることでもない。

 エレナとの件も、崎ちゃんとの件もあるので、そこらへんに繋がる話は内緒である。

 とはいっても、男ものが似合わねーってことに関しては、介入する必要も無くその通りなので、言われるままだ。

 それに今日はもう平服状態なので、まじ似合わないというのは昨日だけの話である。

「それで? なんか話したいことあったんだろ?」

 話しかけられてすぐにツボに入ったように笑われたので、話がまるっきり始まっていない。何か言いたいことがあるのならさっさと伝えていただきたい所だ。

「おまえ、今度の土曜、日、暇か?」

 ああ、すまんすまんと彼は言いながら、本題が始まった。

 入学式が終わってすぐの土曜日。その日は特別予定を入れていない。

 お前ならすぐでも銀香に吹っ飛んでいってるんじゃないのかと言われそうだけど、今週の土曜はもともと身体測定があるので予定はいれてない。

「昼は健康診断で埋まっちゃいるけど、それさえ終わればフリーだけど、なんかあるんか?」

 さすがに大学まできて、木戸馨としての活動がないのはさすがにまずいということもあるし、周りとそこそこ仲良くやれないといけない感じは確かにある。

 ルイとしての活動はもちろん最優先だけれど他をないがしろにはできないなとも思うのだ。

「合コンっていうか、親睦会というか。まーそういうやつをやろーかなと」

 へへっと人なつっこそうな顔を浮かべつつ、どうよこれと赤城史郎だった。赤くて白だなんておめでたいだろって言っていたのは名前を覚えてもらうための作戦勝ちだろう。

「参加者はどんな感じだ?」

「いちおー大学の同学年に声をかけてんだけどな。まあそこそこ20人くらいは来る予定」

「けっこー大所帯だなぁ」

 その数を聞かされて反応に困る。だいぶ混沌とした飲み会になるのだろうか。しゃちほこばらなくていいというのもあるだろうし、うるさそうという風にも思う。少人数のお茶会はやってきたし、昼間に女子の集いに呼ばれたことはあっても、こういうのは初めてだ。

「ま、受験終わって開放感に浸りたいってやつが多いってこと。それにおまえだって、女の子とご飯たべるーなんてあんまりないだろう?」

「いや、まぁ……」

 ビジュアルからそう思われるのだろうか。一瞬赤城の遠慮のない台詞に絶句してしまった。

 相変わらず黒縁眼鏡をつけているし、男状態だとそうおしゃれもしないものだから、一見木戸はとっても女子もてをしなさそうな感じなのである。

 実際のところは、女子友達の方が多いのは言うまでもない。

「ともかく、出会いのチャンスだからな。おまえもたまにはいいかっこでもしてこい」

 なっ、と肩に手を置かれると、まぁ親睦会もわるくはないか、なんていうふうに思うものだった。




「おぉっ、これは木戸氏ではありませぬか。たしかうちを受けてはいたようですが……無事にうかったようでなによりです」

 でゅふふと外でばったり出くわした相手は久しぶりの長谷川先生だった。相変わらず大きな身体をしてオタクですという感じの体格をしていらっしゃる。

 入学式から探してはいたものの、人文学部は校舎も違うので学校で会うのは初めてだ。

「先生こそお元気そうで。というかまだ授業も始まってないのに、ちゃんと出勤なんですね……」

「我々にとって授業の方がおまけですからな。基本研究者の色合いが強いのでござるよ」

 高校とはそこらへんが違うところですなと彼は愉快そうに笑っている。土曜日であっても出勤をしているのは自分の研究に集中しているからなのかもしれない。

 もちろん教育機関としての大学の価値もあるわけだけれど、そこらへんだけではないということなのだろう。両方やるのはなかなかに大変そうだ。

「さて、木戸氏。時間があれば拙者らの研究室に寄ってはみませぬか?」

 彼の申し出を聞きつつ、ちらりと時計を見る。

 今日は土曜日。健康診断は時間が決まっているわけではなく、午後の五時くらいまでにこなせばいいので、時間はまだ十分ある。学部別に受ける関係で赤城とは別の日だ。ちなみに午前は女子で午後が男子というスケジュールである。

 女子のほうで受ければいいじゃんと高校時代は散々周りにからかわれたのだが、今ではそんな風にいってくるやつはいない。もさ眼鏡の威力はそれなりにあるようで、実はかわいいという認識さえなければ男子扱いになるのである。

「ではお昼ご飯なども合わせつつ、ですな。木戸氏はお弁当派なのは変わらず?」

「はい。持ってきてますよ」

「たしか健康診断でも食べてきて良かったのでしたかな? 拙者ぐらいの歳になると血糖値をはかったりバリウムのんだりしなきゃならんので、絶食が基本なのでござるが」

 若いというのはいいものでござると、長谷川先生はその大きな身体を小さくしおしおにさせて弱々しい声を漏らした。あ、この人健康診断きらいな人だ。

「ともかく、ついてくるでござるよ。前にもきてもらったあの部屋でござるが」

 でゅふふと嬉しそうな笑顔を浮かべつつ進んで行く長谷川先生について行く。

 そこは試験の時にも来たことがある部屋だ。今週受けているチュートリアルは別の棟なので、こちらに入るのは久しぶりなことだった。基本一年のうちは真ん中にある大きな校舎を使う。そして二年以降はそれぞれの学部で別れるというのがこの学校の基本的なスタイルだ。

 というのも、一年のときの講義の大半が共通のもので、一般教養と呼ばれるものになるからだ。

 そういう意味で、研究室なんかが詰まっているのは真ん中の校舎ではなく、それを取り囲むようにしてある、学部棟というわけなのだった。

「ふむ。まだ誰も来てないようでござるな。でゅふふ。口調を変えなくていいのは楽でござる」

「先生のゼミにいる人達ってその口調駄目なんですか?」

 受験のとき以来のその部屋は、相変わらずのオタグッズにあふれかえっていた。

 人影はまったくなく、思い切り二人っきりだ。

「一人熱心な子がいてね。あまりにオタっぽいと先生それはちょっとと怒ってくるのですよ」

 日本語はきちんと使いましょうとか勘弁してほしいでござるーと、おおよそ人文学部の助教授とは思えない発言をしてくださった。

「そうはいっても、拙者の研究テーマはオタク文化とその独特な話法というものでござるし、常日頃から習うより慣れろというのは大切でござるよ」

「えと……なんだ、職権乱用?」

 会議用の大きめなテーブルの一席をすすめられつつ、研究テーマを聞いて思わず素直な感想がくちから漏れてしまった。

 確かにオタク文化だって人間の営みで出来たものであるし、人文学部のテーマとしては申し分ないのだろうけど、むしろ長谷川先生そのものがその文化のまっただ中ではないだろうか。

「木戸氏はすこし勘違いをしているようでござるな。大学の学問なんてもんは所詮、実益とは遠いロマンにあるもの。理工系はむろん実益でこうなると世界はよくなるみたいなのになるだろうけど、拙者達の研究はいささか毛色が異なるでござるよ」

 もちろん、研究することで根っこの部分では人類に貢献していると思うでござるが、実益はなかなかでないのだと彼は言った。それを言えば理系のものだって基礎研究とかばかりでそれが実用されるのは半世紀後なんて言うのもざらなので、どっちにせよ地道な研究も大切ということなのかもしれない。

「そういう意味では、日本の文化の拡充という目的の他に、ちょっと、とりかへばや的な話を持ってきても……いいえ、別に趣味をごり押ししているわけではないのですぞ。これは大和な国に生まれついたものとしての日常会話といっても仕方がありませぬ」

 ちらりと大きめなパネルに引き延ばしてあるエレナの写真を見上げつつ、彼はにんまりと頬を緩めた。

 前に来たときの写真とは違っていて、コスROMに入っている中の一枚だ。

 確かに再配布しなきゃプリントはOKと言っているけれど、大きくプリントされてるのを見ると、うわっとなってしまう。男の娘をやっているエレナはきりっとしていてかっこかわいい。

「相変わらず、エレナ大好きなんですね」

「もちろんでござるよ。ああ、やっと活動再開で拙者はいろいろたぎってるでござる」

 次のイベントが楽しみでござるーと言い切ってはいるのだが、次のエレナの参加イベントは乙女系のイベントになるので、長谷川先生が来たらそうとう浮くこと間違いなしな気がする。

「あとは、最近はクロキシどのもすばらしいでござるな。一時期からがらっと声の成分が女子よりになって、おぉうと感動したでござる。彼は今年高校三年だし、休止とかするのではないかと拙者ら戦々恐々としているのでござるよ」

 拙者ら、というくくりに誰が入っているのかは謎だけれど、そんなに心配そうにしているならとりあえず払拭しておいてもいいだろう。まったく健のやつ、ファンサービスはしっかりやっておけといいたい。

「クロキシは休止予定ないって話ですよ。なんか勉強もちゃんとやってるし、どこかの誰かさんみたいに魂くちから抜けるみたいな感じになるのは嫌なんでとかなんとか」

 言うまでもなくルイのことを見て彼はそんなことを言っていたわけだけど、そこはぼやかしておくことにする。

「お? 木戸氏、クロキシどのと懇意なのでござるか?」

「懇意もなにも、あいつ従兄弟ですから。時々メールのやりとりとかはしてますし」

「なんとっ! そんな縁があったとは……うらやましす」

 ぬっふぅ、身内が男の娘きたこれーと長谷川先生は一人テンションを上げた。八瀬あたりもきっとこんな反応をするのだろうけど、特別木戸としては従兄弟が男の娘だろうと、姉がおっぱいだろうと特別の感慨はない。

「では、木戸氏も女装したらかなりなものになるのでござるかな」

 でゅふふ、楽しみでござると指でフレームを作ってこちらをのぞき込んでいる長谷川先生に、少しだけ困惑した顔を見せておく。

 別にかなりのものになるのは知っているけれど、特別今それをばらす必要もないだろう。

「それで長谷川先生はお昼ご飯は?」

「拙者、かぷ麺の予定でござるよ。土曜は食堂もへたすると営業止まるし、研究室に箱買いしたのが……」

「受験の時もカップ麺でしたよね」

「自販機にもありますが、どうしても割高になるでござるよ。あれはあれで隣に熱湯の注ぎくちもあるし、残ったつゆを捨てる所もあるし、至れり尽くせりでござるが」

 日本の自販機は世界いちぃーと、なじみのネタをいれつつ、彼はこぽこぽカップ麺にお湯を注ぎ始めた。

 まだ学内を全部回ったわけではないけれど、そういう自販機もあるらしい。

「さぁさ、木戸氏も自分のお弁当を食べるといいのでござる」

 なんなら電子レンジを使ってもらってもいいでござるよ? と言われて首を横に振っておく。

 いちおう木戸のお弁当は冷めてもおいしいをコンセプトにしているのである。

「おぉ。綺麗なお弁当……もしやっ、木戸氏彼女がいるのでござるか?」

 ぱかりと弁当箱を開けると長谷川先生が盛大に後ずさりながら、ばかなっと声を上げた。

 いちいち賑やかな人だ。

「いいえ、自作です。恋人なんて作ったことないですよ」

 作る気もありません、二次元とか二.五次元とかがいいですというと、同志ーと長谷川先生に手を握られてぶんぶか振られてしまった。仮にも人文学部の助教授が三次元の人間との対話を避けてしまっていいものなのだろうか。

「ところで木戸氏は、もうとる授業は決めたのでござるか?」

 登録は来週のはずでござるが……とこちらにちらりと彼は視線を向けてくる。

 一年の最初は一般教養の授業が多い。実を言えばもともとは今日に作ってしまおうと思っていたのだけど、時間もあることだし、来週じっくり講義の内容を見て決めようかと思っている。

 ちなみに必修科目もあるにはあるので、それは入れること確定だ。

「とりあえず、必要そうなのはどれかなって感じですね。語学はとりあえず英語と英会話はやっておこうかなとは思ってますが」

「第二外国語はオタ語ってことでおk?」

「なんですか、それ。外国語じゃないし」

 まったく長谷川先生ったらどういう冗談ですか、と苦笑を漏らしておく。

 いちおう第二外国語までが必修なのでなにかを選ばなければならないのだけど、いまいちどれにしようかという感じなのだった。当然喋れるレベルにはなれないそうで、言語に触れるくらいなことができれば合格ラインにはなるらしい。

「うぅ。拙者の授業も是非ともとって欲しいのでござるよ。オタク文化が与える日本語への影響と今後って」

「周り同志ばかりで埋まりそうっすね……」

 まあ、なんとか入れられる枠が残っていたら考えるとしよう。

「ちなみにテキストはこっちで刷るから、教科書販売は無しでござるっ。なんと良心的っ」

 ぐっと握りしめられた拳には、いろいろな思いが詰まっているのだろう。

 さぁ是非っ、と言われると少しだけ心が揺さぶられる。一部では教科書を生徒に買わせるのが普通という話もきくから、良心的であるのは間違いがない。

「まあ、その内容で教科書という形の出版は厳しいのかもしれませんが……」

「うぅ、木戸氏が冷たいでござるー」

 うわーんと言いながらカップ麺に調味油を入れる姿はどこかかわいいと感じてしまうのはなんかまずいのだろうか。    

 こちらもとりあえずお弁当に手をつけ始める。冷めてもおいしい唐揚げは外せない。うん。おいしい。

 もくもくと食べていたせいなのか、なぜか長谷川先生はこちらをにんまり見つめると自分も椅子に座ってカップ麺をすすり始める。

「木戸氏に一ついっておきたいでござる。大学教授とかいうと権威にまみれた近寄りがたい存在みたいに若い子は思うかもしれないでござるが、いつでも門戸は開いているもんでござる。他学部だからといって遠慮することなく、どんどん遊びに来て欲しいでござるよ」

 も、もちろん偏屈な御仁も、おれつえーじゃないと発狂する御仁もいるのでござるがーといままでの人生経験を元に、オタクな言葉で苦言してくれるのには、こちらも苦笑を漏らしてしまう。

「ちなみに、うちの学校で注意しなきゃいけない、教授っているんです?」

「ああ、それは」

 カップ麺をすすりながら、彼は人文学部でちょっと癖のある人達を上げていった。

 もちろん一番癖があるのは拙者自身とか言い切っているところでは思わず噴いてしまったのだが、どちらかといえばいい癖だと思う。

 授業をとる上での参考にさせてもらいますといいつつ、シュウマイをおいしくいただくと良い時間になってしまっていた。

 そろそろ健康診断に行かねばならない時間である。

 さてようやっと大学入学です。入学式に関してはそうたいしたものでも無いので割愛。そして木戸くんついに男友達に下心なく普通に接してもらえてちょっと嬉しそうです。

 そして長谷川先生はすげーいい先生であります。

 大学の敷地設定などは、作者が通っていたところがベースですが、多学部がひしめき合うところって経験が薄いのであとは想像で補完です。図書館とか立派なのありそう。

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