ep4.木村悟
今回は長いです。
え? 木戸馨についてなにかいい感じなエピソードがないかって?
それを俺に聞いちゃったりするとは、なかなかにチャレンジャーな人だ。
確かに俺はあいつと同じクラスで交流があったけれど、男子に話を聞くという時点でなんかこう、間違っている。
あいつは女子との方が仲が良いし、男子に対してもそれなりに普通に接っしはするけれど、どれくらい仲がいいのかといわれると……ああ、それで俺のところなわけか。確かに男友達の中では一番自分がまともな気がする。
クマの人こと、木村悟。その役割を果たしてみせようではないか。
とはいっても、あいつに関してのエピソードなんてもう他のヤツが洗いざらい話してしまっているだろうから、三年の十二月頃にあったあの話をしようと思う。
「さっみー。こんな季節に体育はさすがにしんどい」
今にも雪が降りそうな曇り空の下で木戸ががたがたその小さな身体を揺らして震えていた。
昨日ちらちらと雪が降っていたし、確かに今日はかなり冷え込んでしまっている。
しばらく前にクラスメイトの友人から、震える女の子は可愛いよな、ちょっと陵辱系? っていうのに目覚めそう俺、とか言われて、ちょっとそれはどうよと思ったものだったのだが、うむ。震えるかおたんは今日も可愛い。
「ちょっと走ったりすれば身体あったまるぞ」
ほれ、がんばれとぽふぽふ肩を叩くと、だな、と素直な返事とともに彼はとてとて準備運動を始めた。
ああ、柔軟なら一緒に手伝ってやりたいのだが、あいにく八瀬がぎんとこちらを睨んでいるのでここいらで退散だ。ったく。あいつも同じ穴の狢だろうにどうして平然とペアなんてやってるんだと言いたい。
昔からペアを組んでる特権とかいうことなのだろうか。けれどもそれを言えば俺だって誰よりも早くかおたんの可愛さに心を奪われている一人だ。
「お前、なんだかんだで過保護だよな」
「そりゃ震えてたら声くらいかけるだろ。この時期に怪我とかしちゃやばいしな」
話しかけてきた隣のクラスの男子に答えて肩をすくめておく。さすがに初恋の相手なので過保護にもなりますとは言えない。
なんだかんだで、体育の授業でしっかり周りに声をかけるようになってからというものの、友達自体は増えた。
こいつだってもともとは体育の授業を萎縮して受けていたやつだったし、たぶん木戸のあの一件がなかったらずっと打ち解けて話すなんてことはできなかっただろう。他にも授業で率先してできないやつらに教えるようになって、教師の評価も良くなったし面倒見がいいだとか言われることも多くなった。
「たしかになー。もうちょっとで受験だしな。特に腕の怪我とかは勘弁してほしい」
「ならちゃんと準備運動しとけよな」
「ああ。だな。できれば俺もかおたんと柔軟やりたいけど……まあ無理か」
じぃと視線が木戸に向けられるものの、大人気だしなぁと彼は照れたように頬をかいた。
うーん。学園祭前まではこんな風ではなかったのに、ここのところのかおたん人気は異常なのではないだろうか。
もちろんそのすっぴんの魅力すらを知っている自分としては、当たり前だろなるべくしてなったんだろとは思う。でも、あのたった一日でこれだけ同性を引きつけるというのは恐ろしい。
そう。普通の感覚では男だとわかってる相手を虜にするやつなんてそういない。なんせ同性愛は高校生の時分にとっては禁忌にも似たものだからだ。普通は「普通じゃない自分はおかしい」という結論にいたってなるべく矯正しようと頑張る。うっかりしていたとか、そんなはずはないとか、いろいろ並べ立てて否定しようとする。
けれどそれをあっさりとやつは塗り替えるのだ。
かおたんだったら、エッチしてもいいとか言い出すやつもいたので、正気に戻れと言っておいた。
そして、こうも言っておいた。土下座してもやらせてもらえねぇよと。
どうも同性を好きになるという現象を前にすると、男は「上から目線」になりがちだから不思議だ。してもいい、だなんてなんて傲慢な言いぐさだろう。
あんなに可愛い子相手だ。むしろぎゅってするだけでも俺は満足だ。身長差的にはちょうどぽすっと胸元に頭があたるだろうか。それで軽くふわふわの髪をなでてやって……うるんだ瞳で見上げてくるあいつの唇を……
ああああ。駄目だ。駄目だ。考え始めるだけで、あり得ないとわかっていても脈が速くなる。なんて破壊力だ。
なんて破壊力だ。大切だから二度言った。いいや何度でも言いたい。
深呼吸だ、深呼吸。すーはーすーはー。
ついでに前屈をしてストレッチもしておこう。べ、別に何かを隠したいわけではないぞ。
しかし、よくよく考えると木戸馨というヤツは、本当にいいやつなのではないかと思ってしまう。
見た目もいい。というか良すぎる。
性格は……これがまた魅力的だ。
女子っぽさはもちろんどうしようもなくある。でもなんというか、女子にはない魅力とでも言おうか。気配りさんなのだ。女子力だってやたら高い。お嫁さんにしたい男子ぶっちぎりの一位ではないだろうか。二位はいないかもしれないが。
だが、男だ。
そのフレーズは確かに頭に何度だって流れた。
けれど、さっきの想像の先がちらりと見える、口づけが終わったあとあいつは泣き止んで、うっとりしながらこちらを見つめてきて、そして腕を伸ばしてこちらの頭を優しくなでてくれるのだ。細くて白い腕が視界に入ってごくりと喉を鳴らしてしまいそうになる。あの日みた両腕の白さを俺はまだまじまじと覚えている。
「あああぁ、もう」
今日はどうかしている。普段はここまでの妄想にはいかない。というか学校で連鎖的に浮かぶことなんて無かった。もちろんあいつの前でなんてやらかしたら、不潔、とかなんとか白い目しながら完璧な女声でののしってきたりもするんだろう。
「大丈夫か? お前もかおたんになにかされる想像してたとか?」
「ば、ばかっ。んなことねーって。そんなの木戸に悪いだろ……」
罪悪感は、ある。
木戸はあれで、自称一般人だ。男が好きとかっていう話は聞いたことはない。青木の一件はねつ造だという話も以前聞いた。
だからそんな相手を使って想像してしまうのは申し訳ないと思う。思うのだけど、とことん似合うんだよこれがよう。だったらあいつを女子と、それこそ斉藤さんあたりと絡ませるとどうなるかといえば……
百合百合しい。うん。とっても。でも残念ながらときめかない。
男は独占欲の生き物だと何かで読んだことがある気がする。
きっと、自分があいつをどうにかしたいという思いの方が強すぎて、あいつさえ幸せならどんな形になってもいいとかは思えないのだろう。というかそもそもさっきの想像だと完全に斉藤さんの方が攻めだ。やだ、そんなの……とかあのときの小五の時の感じでされるがままのかおたん。じゅるり。これはこれでそそられるかもしれない。ともかくかおたんは受けのがいいということなのか。
「って、おま、大丈夫かよ。さっきから表情が緩んだりこわばらせたり百面相すぎるだろ」
「せめて二十一面相くらいでお願いしたい。ていうか集合まだだよな。ちょっと走ってくる」
とりあえず全力で校庭一周でもすればいいだろうか。
今日はなんだか調子が悪い。それを空っぽにするためにはもう前屈くらいでは駄目だ。
思いっきり走って頭を空っぽにして、体育の授業に臨もうと走り始める。
でも、あとにして思えばこのときの俺はある予感をかぎ取っていただけなのかもしれなかった。
「呼び出しって急すぎんだろ……ファンが来てるってむしろ俺はでないほうがいいんじゃね?」
近所のショッピングモールの一角。スタッフオンリーの部屋に行くように姉に言われて、いいのかなこれと首をひねりながらその部屋のドアノブを掴んだ。
いちおう言っておくけれど、俺がこの店のクマのぬいぐるみ制作者であることは極秘だ。
その話も姉にはした。普段ならそれで折れてくれるし、そもそも取り次がないで断ってくれているというのに、今回はいったいどうしてしまったのだろうか。
「ああ、貴方があのクマの制作者さんですか」
「へ?」
かちゃりとドアを開けた先のバックヤードは商品が乱雑に置かれ、さらには休憩用に小さな机と数個の椅子が置かれてある。着替えもここでやるので更衣室も兼ねていてロッカーもある。
その椅子に腕を組んで座っている相手を見て、俺はなにがおきたのか一瞬わからなかった。
「崎……」
「とりあえず、おかけください。今日はあのクマのファンとして商談があります」
すちゃりと眼鏡をかけたスーツ姿の女性が彼女の隣にたちながら説明してくれる。
座っている本人は腕を組んだままこちらをじぃっと見つめていた。
「ええと……その」
空気が重い。とりあえず崎山珠理奈嬢の目の前に座ってみたものの、普段テレビの前で浮かべている笑顔はまったくなく、不機嫌ですという表情を隠そうともしていない。
別段こちらが何かをやったというわけではないのに、いきなり不機嫌というのはどういうことだろうか。
「あのですね、実は崎山から貴方にお願いがありまして」
「そのまえに。これってテレビの企画かなにかなんですか? どっきりとか?」
「ああ、それはその……」
だから、珠理奈ちゃん、不機嫌そうな顔するのやめてってさっきから言ってるのにと、マネージャーさんが困った顔で女優様を諭すような声をあげて肩をつかんだ。
「まさか制作者が男性だとは思っていなかったもので……」
マネージャーさんがそれでも仏頂面の彼女の代わりに答えてくれる。どうやら撮影でというわけではないらしい。
けれども、どうしてこのお嬢さんは自分にこんなに敵意を向けているのかがよくわからない。
クマのぬいぐるみに関しては気に入って貰えていると思っている。それは以前、木戸から聞いていることであって間違いない。だからこそこうして尋ねてきてくれているのだろうし、それがどうしてこの表情に繋がるのかがわからない。というか崎山さんめっちゃ怖いんですけれども。
「貴方、ルイとはどういう関係なの?」
初めて、生珠里の声を聞いた。低い声だけれど可愛い。
そして出てきた名前は当然ルイの名前だった。なるほど。
あんにゃろう、自分はもてないとか散々言っておいてこれはないだろう。
彼女が不機嫌な理由は、たぶん自分とルイの関係を姉から聞いたりでもしたのだと思う。もちろん姉も致命的なことは言ってないだろうけど、ルイと俺が友達だというくらいのことは漏らしているんじゃないだろうか。
「どうって、友達でお得意様、ですよ。クマをうる側とかう側の関係です」
「でも、それはおかしいんじゃない? このクマの職人の素性は謎にされてるし、貴方だってお店には普段はいない。高校生でしょ?」
しれっと事実でもあり、それでも不十分な答えに対して、彼女はいきなり突っ込んだ発言をしてくださる。ずいぶんとこちらの事情にも詳しいようだ。
とはいっても、彼女がルイの何をどこまで知っているのかは詳しく聞いてはいないので、いちおう安全策に出ておくことにする。八割方知ってそうな気はするのだが、危険な橋は渡らない主義だ。
「そこらへんは、いろいろありましてね。おいそれと部外者に話せないんですよ」
俺とあいつの思い出なんて、というと、彼女はぎろんと睨み目をしっかりこちらに向けてきた。
ううむ。こんなに感情をむき出しにしてくるだなんて、ほんともう、愛されすぎだと思う。
そんな珠理奈嬢を前にしてしまうと、こちらも丁寧な対応をする気はなくなる。同い年なのだしタメ語でもういいだろう。
「それより、俺としてはあんたとルイの関係の方が気になるな。わざわざこんなに不機嫌になるほど、ルイが大切かい?」
「別に、ルイのことなんてどうでもいいわよ。男といちゃいちゃしてればいいんだわ」
ぷぃとそっぽを向くように彼女は拗ねた顔を見せる。かわいい。演技でも滅多にこんな顔はしないんじゃないだろうか。こんな姿を見せてくれるだなんてホント木戸には感謝しないといけないかもしれない。
「ええと、マネージャーさんで、いいんですか? 珠理奈さんと二人きりで話をさせてはいただけませんか?」
「ええっ!? でもさすがに男の子と二人きりにするのは……」
「私からもお願い。この人なんか知ってそうだし」
ほれほれ、行った行ったとマネージャーさんを追い出してから扉をあけてきょろきょろ周りを見る。
壁に耳でも押し当ててないかと言うチェックだ。離れていったマネージャーさんと目があって苦笑されてしまった。
「それで? 貴方は木戸くんとどういう関係なわけ?」
そこまで確認してからようやく、彼女はきりだしてきた。
その名前がでるということはもう、ルイと木戸の関わりは十分理解しているという判断でいいのだろう。
それにしてもしっかりと相手の反応を伺うような質問法を取っているのはさすがと言える。
「やっぱりそっちまで知ってる人なのか。あいつ……ちゃんとそこまで教えておけよな……」
誰がどう正体を知っているのか。本人は共有しているつもりなのだろうけど、こちとらあまり知らされた覚えがない。青木にだけはばらすなとしか言われていないのである。
「ってことは、木戸くんの学校の関係者ってこと?」
「まあ、そうなるな。そしてルイとの関係性も知ってる。そしてあんまりばらすなとも言われてる」
「へぇ。あんまり男友達はいないとか言ってたのに、いちおう居るのね」
ふーんとか、へぇーとか言われつつこちらの顔をじぃと観察する女優様は、どうやらかなりこちらに興味を持って下さったようだった。けれどもそれに浮かれてばかりもいられない。
「そりゃあいつ、いちおーかぎりなく無理に近いけど男子高校生やってるしな。男友達は……限りなく少ないけど、いるのはいる」
「ふぅん。てっきり女装好きの友人とか、写真家の残念な弟さんとかしかいないんだと思ってた。さくらのやつ、
こういう情報も流してくれればいいのに」
まったく職務怠慢だよあの子ーという姿に、思わずきょとんとしてしまった。
この女優さまはなにを言っているのか。さくらとは誰なのか。まさかエージェントでも雇って学校に潜入でもさせているのだろうか。
「ああ、あなたの学校にあたしこれで友達何人かいるのね。それで、その子からいろいろ話を聞いたりしてるんだけど、そこに貴方の名前は全然でてこなかったってわけ」
ちょっと影が薄い人? と言われてさらに困惑は強くなる。
どういう過程でどういう経緯でそうなったのかがよくわからない。
どうしてテレビの向こうの人であるこの人がうちの学校の生徒なんかと仲良しなのかがさっぱりわからなかった。
でも、きっとこれも木戸のつながりなのだろうなと思うと、どういう人脈してるんだろうあいつはと苦笑しかでてこなかった。
「さくらって……ああ。あの写真部のやつか。そりゃ別のクラスだしなぁ。俺もそんなに木戸と絡んでるわけでもないから、チェック外れたんじゃないか? そりゃこの前の文化祭は一緒に回ったりとか、疑似デートみたいな体験はさせてもらったけど」
「え」
予想通り思い切り固まって下さった。先ほどのお返しだ。
とっても愉快な気分だ。余裕満々の女優さまの表情を凍り付かせるだなんて、なかなか人生で体験出来るものでは無いだろう。
「文化祭で女装してコスプレ体験会をやった話は聞いてるか? それの空き時間で一緒に回ったのが俺。だからちゃんと男友達ですとも」
そう。あのときは本当にいい思いをさせていただいた。隣に女子制服姿のかおたん。しかも本人は男同士だと思っているから全力で無防備。素の彼の姿を横で見ることができたのは高校生活で一番の出来事だったと思っている。
「な……なんて、なんてうらやましいっ」
まったく馨のアホ、馬鹿。どうしてそんな無防備なことを……ああ、でもルイと会うより木戸くんの女装って形の方がまだ性格がマシなのか、いいやどうなんだろう……なんて一人でぶつぶつ言い始めてしまったので、本当に苦笑しかでない。
どうやら目の前のお嬢さんは木戸馨という人物にぞっこんらしい。
「それで、そんな珠理奈さんが俺になんのようなんだ?」
クマの注文なら、以前一体渾身の作をお届けしたはずですが、と言ってやると、はっと彼女が正気に戻る。
「そう。確かに貴方のクマは大事にバッグにつけさせてもらってる。ルイとおそろいだし、赤いリボンってのも可愛いし……だからっ、その……依頼をしたくて」
ああ、もうどうしようか、と言い出そうとして言い出せないという感じの彼女をこちらはただ待つだけだ。
その間は彼女が持ってきているバッグにくっついている赤いリボンのくまさんの状態を見る。いろいろ連れ回ってくれているのか、少しだけ毛並みが傷んでいる様子だ。
「等身大で、人が入れるこのクマさん、作れない?」
「はい?」
ある程度の依頼は覚悟はしていたけれど、その提案にはさすがに俺も驚かされた。
つまり、着ぐるみ、ガワ、そういった単語で呼ばれるものを作って欲しいという依頼なのだった。
「ええと。必要経費は出すし報酬ももちろん弾むつもり。できれば三月中旬までにお願いしたいの」
「製作期間四ヶ月か……必要経費っていうけど、どれくらいかかるか想像できるか?」
「さぁ。でもゆるキャラの制作費が五十万くらいっていうから、それくらいでしょ?」
「それくらいってさらっと言うなぁ……木戸が泣くぞ……」
クラスメイトが金策で四苦八苦しているのは知っている。そりゃ売れっ子の女優さんとなると収入もあるのだろうけど、さらっとその額を提示してくる部分は同い年とは思えない。
「あら、そこらへんはあの子と会うときはあんまり話題にださないし。それに今回のは必要経費だもの」
「テレビで使うとかそういう話なのか?」
仕事上の経費で落ちるということであるなら、その額であっても無理はない価格帯だと思う。うちのクマにそれだけの価値があるのかと言われるとむずがゆいけれど、そうであれば頑張って製作してやろうとも思う。
「いいえ。これはまったく個人の依頼。ポケットマネーからのお支払い」
「って、なんに使うんだよそんなもん」
ぬいぐるみと着ぐるみではその目指すところははっきりと違う。
そりゃ大きめのぬいぐるみも存在するし、抱きかかえるくらいのぬいぐるみとか木戸あたりは大好きだろう。あいつのことだ、ぎゅっと抱きついたりするかもしれない。
けれども着ぐるみは中にはいって周りに愛想を振りまくという仕事のために使われる。
一対一で使うようなものではないのだ。
「貴方の学校、今年もコスプレ大会やるんでしょ?」
「あん? まあそんな話はちらっと生徒会から出てるっぽいな。正式発表じゃないけど、去年盛り上がったし今年もいってしまえってな感じらしい」
「なら、そこにガワなら参加できるんじゃない?」
「は?」
何言ってんだこいつ、大丈夫か、と思いながら素っ頓狂な声を上げてしまった。
へ? なにこの女優さん。うちの学校に来るためにポケットマネーでガワをオファーしようとしてんの?
「なにそんな顔してんのよ。仕方ないじゃない。他に馨の学校のイベントに参加する方法がないんだし……」
「そりゃ、あんたが来たらうちは大騒ぎでイベントどころじゃなくなるだろうが……」
くすんとうなだれる彼女の目の前で、内心うわーという思いでいっぱいだった。
たしかに。この子がこっそりとでもうちの学校に来たら大騒ぎになるだろう。ルイとセットでゲストとしてくるとしても、ひどいことになる。
むしろよく去年の文化祭には来れていたなという感じだ。
「普通の学校の普通の生活も味わってみたいの。このチャンスを逃したらもう高校生活できなくなっちゃうし」
だめ? と上目使いで言われて、うぐとつばを飲み込みそうになる。
「う、うう。大丈夫だ。俺。上目使いと無邪気なお願いなら、馨のが上だ……違いねぇ」
あの無邪気な顔を思い出せ、と頭をぺちぺち叩いていると、ふっと珠理奈嬢の表情が能面みたいに冷たくなる。
「あの子が無邪気とか……馨こそ作った顔ばっかりじゃないの」
「俺がいってんのは小五の頃のあいつのこと」
確かにルイさんの表情はある程度意図して作っていることが多いように感じられる。もちろんそこに素の表情が混じってはいるのだけど、本人だって言うだろう、頑張ってルイっていう女の子を作ってるんだ、と。
けれども、根っこの部分はあの小五の時の女の子の姿なのだと思っている。
「……まさかの幼なじみ設定……なにこれ」
あの子に幼なじみが他にいただなんて、と割と失礼なことを彼女は言い放った。
確か、木戸のというか俺がいた小学校からうちの高校に来てるやつはそんなにいなかったような気がする。というか俺だって木戸と幼なじみかと言われると表現に困るところだ。なんせ面識は女装したあいつとしかない。それも何回かしか見たことがない。小学校ではクラスが違った兼ね合いもあって接点が無かったのだ。
「他にってことは、誰か他に幼なじみがいるみたいな口ぶりだな」
「へっ? ああ、うん。まあね。芸能界に偶然いたみたいな話なんだけど」
いまだにあのときの事件は詳しく教えてくれないのよね、あいつと不満げな声を上げている。
何かあったのだろうとは思うけれど、あえてそこに突っ込むつもりはない。
「ともかく、三月のそのコスプレ会までになんとか作って貰えない?」
報酬はしっかりお出ししますので、と美少女にここまでお願いをされてしまうと、少しばかり考えてやってもいいかなとは思う。
いちおう四ヶ月まだ時間はある。受験があるといってももともと姉貴にクマ製作を強要されることはわかっていたからある程度頑張って余裕はできるように調整してある。
材料費に加えて制作費もいただけるというのであれば、よい小遣い稼ぎにもなるかもしれない。
「リボンの色は赤でいいのか? それと……材料はゆるキャラよりしっかり行くし毛並みが大切だからちょいとばかり材料費はあがるかもしれん。生地屋のおばちゃんと打ち合わせしつつになるが……」
試算してみて、それから話を詰めようと話をしたら、彼女はぱーっと笑顔を浮かべてこちらの手をぎゅっと掴んできた。
「ありがとう!」
女の子に手を握られたのなんていつ依頼だろう。木戸の手は時々体育で握ったりしているけれど、あれよりも少し小ぶりで、なめらかさは同じくらいだろうか。さすがは女優さんの手だ。肌荒れとはまったく無縁でつるつるしている。
「そ、それと……リボンはオーソドックスな青でお願い」
赤だと中に入ってるの私だってわかっちゃうかもしれないし……と照れながら視線をそらす仕草はとても可愛くて。
まったく愛され系は困ると出るのはため息ばかりだった。
さて。そんなわけで。クマの着ぐるみがどうなってしまったのかはみなさんご存じの通りというわけだ。
製作期間もわりとあったので気合いを入れて作った着ぐるみの完成度は高いと評判で、地方テレビのマスコットキャラクターとして採用していただいた。アレの人気もあってその後のクマのぬいぐるみの売り上げが上がってしばらく作り続ける日々になったのは、余談である。
木村氏のお話。他者視点で一番長くなりました。
一番普通な男子高校生は、しっかりと男子高校生っぽい感覚を持ってるなぁと思うお話でした。
と、人ごとっぽく書いていますが、作者としては舞台だけ引いてコマコマした動きとその反応は即興なので、ああこういう感じになるかーっていうのはあんまり狙ってはいないのですよね。
なので、今回は我ながら大好きなお話に仕上がってよかったなと。
相変わらず木戸くんは可愛いです。
さて、大学編もちゃんと休み中にすすめませんとね。




