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ep3.芦品澪音

「うわ……まさかあの電車から見える洋館がエレナ先輩のおうちとは思ってませんでした……」

 あたりの景色に驚かされながら、少し歩くよと言われて坂を上った先にあったのは、電車からも見える大きな洋館だった。

「ここらへんではちょーっと有名っていうか悪目立ちしちゃうみたいね、このお屋敷」

「立派なおうちですよね」

 凜もぽへーとしながらそのお屋敷を見上げているところをみると少しほっとする。彼はエレナ先輩と同じ学校に通っているし、これくらい当たり前ですよね、とか言い出したらどうしようと内心思っていた。

「いちおうお母様の趣味だったみたい。日本に来ることになってもやっぱりあっちの建物も恋しいみたいな?」

「エレナ先輩ってハーフなんですか?」

 正直、そこらへんの事情をあまり知らないので、木戸先輩仕込みの女声で尋ねる。

「わりと日本の色の方が強くでてるみたいではあるけど、ルイちゃんなんかには、ハーフだからこそファンタジー系のコスがはまるって言われるよ? 目の色は黒いんでそういうときはカラコン使うんだけどさ」

 ちなみにお母様は青い瞳に金髪っていう、ヨーロッパな感じなんだって、となぜか伝聞口調でいってきた。どうやら別の話題に切り替えた方がいいらしい。その口調から今はいないというのがよくわかるし、まだそこまで踏み込める関係でもない。

「あの……エレナ先輩? このかっこでお家に伺っても大丈夫なんですか?」

 その、ご家族のかたとか……と、隣で凛が小さくなっている。母親の話がでたからその発想になったのだろうか。もちろんその心配もわからないではない。

 なんせ自分もだけど、思い切り女子の装いなのだ。休みの日に町に出かけますみたいな格好といえばいいか。

 言っておこう。芦品澪音十七才。女装して町中を歩いた経験は、演劇の練習以外でははじめてだ。中学をこのまえ卒業した弟には、出かける時に兄貴大丈夫か? と不憫そうな顔をされたのだが、役作りの一環で友達と外に出るだけと伝えている。

 もちろん嘘ではない。このお屋敷に来ることは来年の舞台の参考資料としての意味もある。とはいえ、残り半分は新しくできた友達とお茶したいみたいなところもあるので、ああ、自分もたいがい毒されてるなぁとは思う。

 あくまでも自分は女優をするために声の習得をしたし、学校でも不意に女子っぽい言動をすることはあるけれど、それもすべて女優として舞台に立つための練習に過ぎない。

 だから、それを離れたところでこうしているのはなんかむずがゆいというか、ほわほわするというか。不思議な感じがしてしまう。

 あの人は、放課後ずーっとこんな感じだというのだから、周りにいる人の中では近しいと思える人なのに、なぜかすごく遠く感じてしまう。まあそれを言えば目の前のエレナ先輩なんかは住む世界が違うし、メル友になった凛だって価値観の違いはそうとうある。ここら辺とまじでまともに交遊をしている木戸先輩……というかルイ先輩の社交力は半端ないなと思ってしまう。

 あの人なら、被写体に貴賤はないし、良い姿を撮れたらもうそれで仲良くなれるよーとか言いそうだ。

 写真撮りならではだよなぁと、自分には無い社交スキルをすごいと思いつつ、自分としてはそれはなくてもいいかなとも思う。

 舞台の上で魅了できればいいし、その素材集めのためならいろいろなコネクションを使ったり作ったりしようと思えるのだから。

「お父様は今日もお出かけだし、執事の中田さんは事情をよく知ってるから、大丈夫じゃないかな」

 ああ、それと、とさらに言葉が続く。

「二人ともどこからどーみても可愛い女の子にしか見えないから、特別事情を知らなくたって問題ないんじゃない?」

 また女友達を連れてきてって感じになるんじゃないかなというエレナ先輩の笑顔こそが、どこからどーみても可愛い女の子そのものですと言いたくなってしまう。

 いちおう演劇部の中にもオタクと言われる人達はいる。

 演技をしたい、という思いの中には別人になりたいだとか、注目を浴びたいとかそういうものがあるし、割とコスプレと演劇の親和性は高いのだ。もちろん古典をやるという前提だったりでそういうのを嫌う人もいるにはいるけれど、正直キャラになりきるという点では親戚みたいなものだと自分は思っている。

 そんなわけで、エレナ先輩のことも紙面やら写真やらで知っていたわけなのだけど。

ーまさかこれで男の娘とはね……ー

 ルイ先輩のことは当然ながら知っている。その関わりがある人ということでエレナちゃんはどっちなのか論争では、いちおう男の娘派を表明している。写真を見た人達はたいがいが女の子でしょこれと口をそろえていうけれど、そんなことをいったらルイ先輩だって、あれで男だなんて誰も言わないだろう。

 去年のコスプレイベントの時なんかは、クラスメイトの男子が手を振ってもらったとでれんとしていたし、今年のイベントでは撮影されるために全力を尽くしたヤツだっているくらいだ。来るって表明はしてなかったというのに、かわいい子の目に止まりたい一心でそれなのだから、すさまじいなと思いつつ、だが男だ、と心の中では苦笑しか浮かばなかった。

 そんなルイ先輩がこの前ケーキ作りに呼んでくれたときに言っていたのが、エレナには惚れるなよーだったのだから、目の前の相手がどれだけのものなのかは、もう言うまでもないだろう。

 ルイ先輩は綺麗と可愛いの中間というか、普段は写真を撮る人ということできりっとした所もあるけれど、時々でる幼い表情が可愛い。ちなみに男状態であってもそれは時々出るのだから、あんたはほんともうと思ってしまう。

 けれどエレナ先輩はなんというか、ほんわか系というか。お嬢様なのだなぁとしみじみ思ってしまう感じの可愛さなのだった。まさかこんなに可愛い子が男の子だなんて思えない。

「声には自信ついたんですが、そうなると今度は外見の方が気になってしまって……」

 いちおう身長がないでもないですし、という凛はそんなに心配する必要もない、というか男にしては身長が無い部類になる。そりゃエレナ先輩に比べてしまうと高いかもしれないけれど、そんなの相手が女子の平均身長未満っていうところが原因でしかない。

「そうかなぁ。身長もほどほどあってすらっとしてていいと思うけど」

 じぃと上目使いをされると、凛はうぐっと喉をならしていた。こちらも身長は彼女と同じくらいなので思い切りエレナ先輩の視線にたじろがされてしまうわけだけど、これを、かわいいなぁの一言で済ませてしまえるルイ先輩はすごいなぁと改めて思わせられる。

 こちらは先ほどから、なんというかそわそわしてしまっているというのに、当たり前に隣にいてぽけーっとかわいいなぁと言うくらいですむのは男としてどうなのだろうか。

「まーでも、そこらへんは慣れってのもあるしね。ボクだって最初の頃はおどおどしていたもんだし」

「あれ。エレナ先輩今日の一人称はボクなんですか?」

 学校でもないのに、珍しいと凛が声を上げた。普段はもちろん男子高校生をやっていたわけで、一人称はどうしても僕か俺にするしかないのだろうけど、この人が俺という一人称を使うのはまずないと頭の中で却下する。僕であっても、僕っこだとしか思えない。ああ、こんな人が男子校に通っていただなんて周りの男子は正気を保てていられたのだろうか。

「ああ、今日のコスの子がボクっこなの。なんかルイちゃんと会うなら私服でも全然いけるんだけど、こー、あんまり面識無い子の前だと構えちゃって」

 ごめんね、と可愛く謝ってくる先輩にほほぅと感嘆の声を上げてしまった。

 気持ちはわからないではない。自分とて舞台に上がって女優をやっているときは気が大きくなるし、普段言えないことだって言える。女装やメイクは装備みたいなもので、演じている間は緊張とかもしないでいいし、楽なのだ。

 目の前のこの完璧お嬢様にもそういう共通点があるんだなと思うとちょっとだけ嬉しくなる。

「それを言えば、私だって今日はかなり役作りをしてきたんですよ?」

 なので、今日の設定というものを二人にお披露目しておくことにする。

「私、ルイ先輩と違って、自然にはわーとか、かわいーとかできないですしね。今日はお友達のうちに初めて行く女の子設定で、好きな物とか食べ物とか、服のセンスとかも併せてうちのシナリオ担当と話を詰めてそれをトレースしてるんです」

「うわ……そこまでの作り込みって……ある意味尊敬する。一次創作できるってすごい」

 ボクの場合は既存のものをなぞるから、そういうのはすごいと手をきゅっと握られてしまった。

 女子の手とほとんど変わらない小さな手は少しだけひんやりしていて、おまけにすべすべだ。

「うちのシナリオライターのおかげ、っていうのが大半ですけどね。凛は自分の趣味でコーディネートしてるんだっけ?」

「うん。そこらへんはね……こういうの好きだし」

 役っていうか、むしろそっちのほうがよくわからないと、彼女は完璧な女声で不満げにいった。出所は木戸先輩のボイストレーニングだというのだけど、喉と性格の違いで若干自分とは出方が違うように思う。

「まあ、詳しい話は中に入ってからゆっくりと、ね?」

 取材には応じちゃいますよ? とエレナ先輩はおどけて豪華なお屋敷の入り口を開けた。

「うわっ」

 目の前に飛び込んできたのはエントランスホールだった。

 天井が普通に高い。

 普通の家でも玄関が高いお宅はあるけれど、その規模とはまるで違う。

 まるで美術館かなにかの入り口のよう。

「これがセレブ……」

「んー、うちよりもっとすごいところ見て来ちゃってるから、なんともコメントしづらいんだけど」

 お屋敷自体は褒められると嬉しいかなと、先輩は花が咲いたようなにまりとした笑みを浮かべる。

 ルイ先輩ではないけれど、これは確かに写真に撮りたくなるのもわかる。

「そして、ここが第二キッチンでございます」

 廊下を歩かされるという経験を学校以外で初めてしたなぁと思いつつ進んで行くと、横にはそれぞれなんの部屋なのか扉がいくつもあって、それにはまったく視線も向けずに進んだ先にあったのは、ダイニングキッチンとでも言えば良いのだろうか。家庭用のキッチンの二回りくらい大きさのシステムキッチンがでんと置かれてあり、冷蔵庫も家族用の大きめのもの。そしてダイニングとの間の仕切りはいわゆる対面キッチンというのになっていて、料理をしながらも話ができるような仕様だ。

 それこそ新婚さんのおうちとかにありそうな所だった。

「なんか、かわいい……」

「でしょ? 実はあっちにある厨房を参考にわざわざボク専用に作ってもらったんだ。料理趣味っていうのもちょっと父様にはおかしな顔をされたけど……説得しちゃった」

 まー元々、あんまりおねだりとかしたことないし、そこらへんもあってなんだと思うんだけどね、とエレナ先輩は朗らかに笑いながら厨房に入った。

 手を洗ってエプロンを装備すればそれでもう準備は完了。

 どうしようもなく新妻さんという感じがしてしまうのは、あまりにもその動作が手慣れていたからなのだと思う。「はい、二人とも手を洗って中に入って」

 いけないいけない。今日の目的はセレブの生活の見学ともう一つ。

 いちおうの名目はそっちの方なのだからきちんとしなければならない。

 エレナ先輩に促されるままに手を洗って、はいと渡された自分用のエプロンに少しだけ身体を震わせてしまう。

「うぅ、エプロンちょっと可愛すぎません?」

「えー、しょうがないよー、フリル付きのエプロンは成人男性の憧れなのです」

「可愛い……」

 なんだろう。三人いる中でみんないわゆる男の娘と言われるだろうはずなのに、このエプロンに衝撃を受けているのが自分だけというこの現実。

 二対一というこの現実。

 おかしい。いや、おかしいのはこっちなのか?

「澪ちゃんも絶対似合うと思うよ?」

 ほらほら、さっさとつけようか、と言われてしまうとしぶしぶそれに従うしかない。

 外から見てる分にはそうは感じなかったのだけど、エレナ先輩はなにげに押しが強い。いつも一緒にいるルイ先輩はいつもこんな風に押されているのだろうか。

「あはは。澪ちゃんエプロン姿も似合うねっ」

 凛はわざわざ指でフレームを作りながらにんまりと笑顔だ。なんだかんだでこの子は女子よりなのだと思う。こんなかわいい子が男子校にあと一年通うのかと思うと、大丈夫なんかなぁとしみじみ思う。その点はあんまり本人は気にしてないようだけれど、いろいろちょっかいをかけてしまいたくなるのは、自分が庶民だからなのか? なんていう風にも思ってしまう。

 ううん。そこらへんの感覚の差が格差としてあるのか、せっかくだから聞いてみよう。

「凛もエレナ先輩も普段からそんなんで、学校では大丈夫なの?」

 あまりにもな乙女っぷりにくらくらしながら、これで普段もこの人達はこうなんだよね、と思えばこその質問である。

「んー、うちの場合はみんな優しいからなぁ。例年アイドルっぽい子っていうか、女子っぽい子を担ぎ上げてアイドルっぽく女子の代わりにしちゃえって風潮はあったみたいだし……」

「さすがにエレナ先輩ほどな人はそう出ないみたいですけどね」

 毎年こんな可愛い子が男子校にほいほい現れてたまるかと思いつつも、なるほど男子校もすごいところだなぁと納得してしまった。

 日頃女子がいる生活を当たり前にしているからわからないけれど、確かに周りが男だらけとなったなら、代わりを用意したいという欲求はでるのかもしれない。それこそ男子高校生なのだからなおさら。

「いじめらたりとかは?」

「そこはなんともかな。ボクの場合はまったくなかったね。コス始めるようになって積極的にもなったし、よーじと付き合うようになってからはもっとかな。もちろんおかしいって言ってる子もいたとは思うんだけど、こっちに届く前に説得されちゃうみたいな」

「私は、おまえおかしいって言われたことありますよ? でも、それはちゃんと話せば相手もわかってくれるし堂々としてれば特別は……」

 澪ちゃんはどうなの? と聞かれて、まあそりゃなーと少しだけ納得した。

 エレナ先輩ほどになってしまえばもう、有無を言わさずというところなのだろう。そうでなくても話せばわかるというところか。

「うちも話せばわかる、かな。まー私も木戸先輩も普段は男子やってるわけだし、そういうのもあってだとはおもうけど」

 話していて、自分はともかく木戸先輩はどうだろうかと首をかしげそうになる。

 千鶴先輩に話を聞く感じでは、女装が趣味の人というよりは、男装してるんじゃないの? なんていわれてしまうくらいの木戸先輩にくらべれば、自分はまっとうに男子をしているよなぁと思う。

「まあお互いの先輩にはいろいろと常識を塗り替えられちゃうってことで」

 大変だね? と凛に言われてしまうとどうしても返事に困る。

 事実としてそれはそうなのだけど、彼女がいうところのそれと自分のとではだいぶ差があるような気がしてしまう。

「この業界、いろんな人がいるから、人に引っ張られちゃ駄目よ、か」

 幸いなのか、自分は木戸先輩とあっていろいろなものをもらった。

 けれど同時に、いろんな偏見ももらったような気がする。

 女優としての生き様は、自分の支柱で、それを後押ししてくれる先輩の存在はありがたい。

 けれども、あの人の人脈に少しだけ引きずられそうになる。

 あまりにも、女子としての生活が普通な人達が多すぎるのだ。そんな相手との交流は楽しい反面、とても危うい。

 演劇部の女子に貴方はあっちに行ってしまうの? と不安げに聞かれたことがある。

 そのときは、まさかそんなと答えた。

 自分は女性役を演じる女優(アクトレス)であって、そのものになりたいわけではない。

 この方針はずっと変わらない。

 でも、引っ張られる。この吸引力ったらたまらない。

 女同士という関係性は、いや男の娘同士といった方がいいのか。普段の生活とは違って刺激的だ。男同士の関係にはないむずがゆさというか、気持ちの高揚感というか。

 それに身をゆだねてしまいたいという思いと、それはまずいんじゃね? という思いがせめぎ合う。

「さて、それじゃーさっそく、ブッシュドノエル作りの追試と行きましょうか」

「追試はないですよー」

 まったくもーと凛が無邪気な声を上げる。意識して出しているのだろうけれど、それを聞いているとやはりひきづられそうになる。

「かといって、客観視ができるかっていうと、そうもなれず」

「澪ちゃんもほらっ、粉はかるところから行こうよ」

 さぁおしゃべりは焼き上げの時間にやろうよと言われるとそれに従うように粉の計量に入った。

 とりあえず今は無心になることが大切なのかもしれない。

 三話目は澪たんです。

 ちょっと時間かかったのは仕様です。しようがないっ。

 地味にこの番外編は、書いてて悩ましいのですよね。やっぱし木戸くん主観はすんごい書きやすいのだなぁとしみじみ。

 そして、いちおう「普通の男の娘(苦笑)」である澪さん視点で、友達からの影響というのを主軸に書いてみました。いづもさんの助言はもっともだと思います。

 というか、澪さん。玄関からキッチン行くまででこの量の文章かかせちゃう貴女に私は脱帽ですよ。まあ役得ということでね。ルイ×エレナの絡みだとまずでない感覚が表現できてるといいなぁ。


 そして明日はなかがき2と、書き上がればなんかアップ予定です。

 ネタはあるんだけど、筆が進まないっていうのはよくある話なのですよね。。

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