ep2.木戸牡丹
うちの弟は少しおかしい。
だなんていうと、牡丹あんた頭でも打ったの? 大丈夫なの? と弟を知っている人達からは全力で言われそうなのだけど、言っておこう。少しおかしい、と。
どこをどうしたって、「すごく」おかしいじゃんとノノっちには言われた。人の弟を捕まえてその言いぐさはないと思う。この前聖からは、かおたんやべぇっすってメールが来てた。
町中でばったりあったりしたのだろう。あの子なら弟がどんな格好をしてても、はぁはぁ気づくだろう。危険人物め。さてそんな弟はここのところ高校を無事に卒業した。式自体には参加できなかったけれど、春休みに実家に戻ってみたら、大量の写真を眺めている弟から煌めく笑顔で見せられたのでなんとなくその場にいたかのような錯覚さえもってしまっているくらいだ。
しかも弟が写っている写真の多くは周りに女の子がわんさかいるという、リア充っぷり。なんですかハーレムですかと言わんばかりなのだけど、きちんと言っておこう。それだけは絶対にないと。
どうせあの持ち前のスキルで仲良くなっただけの友達なのだろう。
そしてその写真をばっと続けて見ていくと、弟ではない者が写っているものも多々あった。
そう。弟はどうやらルイとしても卒業式に参加していたらしい。午前と午後で性別を入れ替える弟。ああ、たしかにすごくおかしい、か。
私が初めてルイにあったのは、今から二年と八ヶ月前のことだ。
大学一年の夏休み。テストが終わって家に帰ってみたら、夏らしいキャミワンピ姿の女の子が家にいた。
いや、正確には女の子に見える弟、か。
「あんた、そのかっこ……」
あたしの、と言いそうになってそこで言葉をきる。
それは、自分のものではなかったのだ。弟とは身長差がちょっとあるので、それが自分のおさがりでないのはわかっている。少し前までは自分の方が背は高かったのだけど、弟が中三になるころに抜かれた。
というか、中学生男子の背の伸び方は知識として知ってはいてもまさか自分の弟までと思っていたので、ああ、うちの弟もいちおう男子なんだなぁと不思議に思ったものだった。
なんせ、弟は「ねえさまっ」なんてかわいい声を上げていたわけで。それを基本に思っていたらいつの間にやら成長期だ。もちろん他の男子に比べれば育ちも発育も悪いわけだけど、我が家は全体的に低身長なので遺伝という以外にないのだろう。
そんな、いちおう男子として育ったはずの弟はなぜか少女の装いをしていて、ああ、ねえさまなんて満面の笑顔と女声で話しかけてきたので、一瞬くらりときてしまった。
「それ、この前ティーン誌に載ってたヤツじゃない」
そして出てきた言葉は、どうしちゃったのかとか、頭は大丈夫かとか、そういう単語ではないものになってしまっていた。
「うん。可愛かったからつい買っちゃった」
てへりとまるで妹がいたら浮かべるであろう笑顔を向けられて、うわぁと頭を抱えそうになった。
「なんてな。よしっ。ねーちゃんがこの反応ならまあ問題はなし、か」
そしてさらにその顔で男声を出すものだから頭の中でさらに拒絶反応が出てしまった。
どうやら弟は高校に入ってから何かに目覚めたらしい。詳しく話を聞いてみると写真を撮るためという訳のわからない答えだったのだけど、いちいち揃えている服のセンスは抜群で、違和感なく美少女である。
普通無理だろうと思いそうなものなのに、第二次性徴を迎えた弟はまったく動じる様子などない。
これの完成に自分達も手を貸してしまったかと思うと、ああ、やっちまったい、と頭を痛めるしかなかった。
あれはもう七年半くらい前のことだったろうか。
中学二年の一学期。そろそろ夏休みにはいるぞという浮かれた日常の会話の中でノノっちがこんなことを言ったのだった。
「この前テレビで、男の人を可愛くしようってのがやってて! 聖ちゃんとすんごいもりあがったの、すごいって」
あいにくそのテレビは見ていなかった。うちのチャンネル権は父が持っていてそのときは野球を見ていたような気がする。
テレビの内容はよくある女装ものだったと思う。昼にやってる企画のゴールデンタイム版みたいなもので、中には彼氏をきれいに着飾らせている猛者もいたのだという。
「それで、身近にそういうのができそうな相手がいないかなーって思ってたら、おお、牡丹の弟がいるじゃんって話になってさ」
「それなら聖ちゃんの弟でもいいんじゃないの? うちのと同い年じゃない」
「うちのは駄目。男子って感じだし可愛くないもの」
着せ替え人形にしたいとはあんまり思えないと首を振る聖はこれでファッションには少しうるさい。割とかわいい系からシック系までなんでも着こなすし、お店に一緒にいくと一番センスがあるように思う。牡丹は胸があるからおとなっぽいのが似合うよと勧められるたびにいや、身長がねーと断ったりすることも多いのだけど、彼女にはファッションに対して並々ならない情熱が備わっているようだった。
「その点、かおたんはほんともーどこに出しても恥ずかしくないかわいさじゃない? 小学一年のころのかおたんをはじめて見たときはもうおねーさんずきゅんと来てしまったくらい」
しかもそれからあんまり変わらないで育ってるっていうじゃない? と言われてぬぐぐとなんにも言い返せなかった。
うちの弟は可愛い。身内びいきをなしにしても一緒に出掛けるとほぼ100%可愛い妹さんですねと言われる。しかも男子の成長期の兼ね合いもあって、弟の身長たるや130ちょいなのだ。回りの男子を見ていると小学六年くらいから背が一気に延びているようだから、弟もたぶんまだまだ伸びるとは思うのだけど、ただでさえ小柄なのに加えて性差での補正が入ると、なおさら同年齢に比べて小柄な子という印象になる。
そして表情があどけない。うん。
一般的に女の子の方が早熟だと世間では言われてるそうだ。たしかに同年齢男子はお子さまだという声は今までの生活でいやになるくらい聞いてきているのだから間違いはないのだと思う。
正直なところ、弟も十一歳なのだからいい加減もう少しませてもいいのではないかと時々思ってしまうのだけど、小学五年の男子がどうかと言われると、ゲームと漫画の話で盛り上がり、下手すると下ネタ大好きというお子さまたちだ。
それらに比べるとうちのは、汚い言葉は使わないし上品なほうに入る。けれどあきらかにあの無邪気さは同年代の女子では絶対持っていない。まるで小学校の低学年くらいなのではないかとすら思ってしまう。
よくこれでいじめに合わないものだよなと言っていたのは誰だったか。そして教師たちはどう思って接していたのだろうか。
これはのちのち小学校の同窓会があったときに、当時の担任と会ったときに聞いたのだけど、すごくいい子なので別段気にしてはいなかったのだそうだ。成績もずば抜けていいわけではないけど、まあできないではないし、言いたいことはしっかりと言える。クラスメイトもあの笑顔を浮かべられるとうぐっと息を飲んでしまうのだそうで、特別になにかがあるということはなかったようだった。
女子からは可愛い男の子、場合によっては年下の子というように見られ、男子からは守ってあげたい女の子というように見られていたらしい。あれだけ可愛くて同性からの嫉妬がないというのは、これが男の娘を育む環境というものかと、愕然とさせられたものだった。
「本人が嫌っていたらやめさせるからね」
「ほっほう、そうはいっても牡丹だってノリノリじゃん?」
その顔を見るに、想像したんじゃないのー? と言われて思わず視線をそらしてしまう。
確かにいつもの格好であれだ。これで着飾らせたら? というのは何回か想像したことがある。
というか、お下がりとかあげたら似合うだろうなーとかは、少なからず想像してきた。
両親の手前実現はできてないのだけど、自分で着るよりこの子の方が……なんて服も当然ある。
でも、いいのか? と言われたら悩ましい。
「本人が嫌がったらやめさせるからね?」
大切なことなので二回言っておいた。目の前の友人達はときどき羽目を外すと大変なことをやらかすのだ。
とりあえず一回弟を連れて行くと言うことで話はついた。きっとこの過ちは夏の陽気にやられてしまったからに違いないといまでも思っている。
「ね、ねえさま? これ、女の子の服なんじゃ……」
まだ声変わりのしていない弟の声に、三人がはわーんとなりながら鼻息を荒くしていた。
ね、え、さ、ま。この四文字の定着は、正直自分が悪い。すまん。
でも、このときばかりはこの単語の破壊力がまずいと思ったことはない。昔の自分ぐっじょぶ。
もっと小さいころはネーと呼ばれることが多かったのだけど、さすがに小学校に入るときに、おねえちゃんって呼びなさいって両親に矯正されたのだ。そして、その結果がこれ。
どうしてこうなったかっていわれれば、長いからだそうだ。かといってねーちゃんと呼ばせるのも微妙だし、ねーねーも、ちょっと違う。それで最終的にねえさま、で行こうということになったのだ。両親は、あんたが良いなら別にとやかく言わないけどと言われてしまったのだけど、弟に呼ばれるならこれがベストチョイスだと今でも思っている。
「か、かわいい。小3のときの服が思いきりはまるとは……私には似合わなくて、でもこんなにかわいい服はもったいないって取ってあったんだけど」
処分しなかった自分ぐっじょぶと、ノノっちは一人感動しまくっていた。
ああ、うん。その判断はたしかにあっていると思う。
白のキャミワンピは美少女じゃないとなかなか着こなせないアイテムだと思う。肩を思い切り露出させて、膝が軽く覗くくらいのそれは、これぞ少女!という破壊力がある。
もちろんトップスになにか併せれば着こなせるだろうけど、単品でこれっていうのは本当にまずい。
ちなみに、ウィッグも演劇部から借りてきたそうで、今の弟は腰くらいまでのロングな髪型になっている。もう、このまま美少女コンテストとかに出したいくらいだ。いい線いくんじゃないかと思う。さすがに水着は無理だろうけど。
「ええと……ねえさまのお友達さん、これ……」
「うんうんっ。いいのいいの、ほら、こっちにおいで」
さぁ、自分の姿をしっかりみようかと、熱に浮かされたような声音の聖が姿見に弟を連れて行く。
ばっちり全身がうつしだされる鏡の前に立った弟は、身体をぴくんと震わせて、たじりといっぽ後ずさった。聖が押さえているので逃れられないのだが、視線をそらしたりまたちらっとのぞき込んだりして、こんな格好しちゃって恥ずかしいというのと、でも見てみたいという感情がいったりきたりといった様子だ。
「確かに、男の子がこんなかっこうしてるなんてって思っちゃうかもしれない」
うんうん、ご両親からちゃんと男の子の格好してなきゃ駄目っていわれてるんでしょう、わかるわかると聖は鏡越しに馨の姿を見て目を細める。頬もだらしなく緩みきってるのを見ると完璧にスイッチが入っているらしい。
「けれど、かわいいは正義。これだけ魅力的なんだからやらないなんてもったいない」
テストに出るからちゃんと覚えておいてねと、聖はさぁいってご覧と復唱を迫った。弟は素直なものでそのままおずおずとその言葉をつぶやいた。
「かわいいは、正義……」
こくんと喉が鳴っているのが横から見えた。
それを見たノノっちは、ほれほれーこれじゃー嫌だなんていいだしませんよぅ? とこちらの耳元でささやいてくる。
「それじゃ、せっかくだし写真も撮っておきましょ」
じゃんと、ノノっちが取り出したカメラは今時珍しいアナログのカメラだった。父親の私物をあさって持ってきたらしい。馨もそれを興味深そうに見つめていて、なんだろう? という感じだった。
うちの親はカメラが駄目だ。今までのものは写真やさんに撮ってもらうものか、ムービーばかりである。
なので、写真はどこかにいって撮るものという印象の方がこの子にとっては強いのかもしれない。
「あんまり枚数は撮れないんだけど……」
さぁ、笑って笑ってと、振り返りぎわの笑顔を一枚。写真の腕が良いかどうかは別として、この友人は可愛い姿を作るのは割と上手いほうだ。
正直、今からその写真がどういう出来になるのかは楽しみなところだ。
「さて、かおたん。今後も時々……こういうことしてもいい?」
衣装はまだまだいっぱいあるのですよー、ふふふーと聖が弟に次の約束を取り付けようとしている。
確かに、いろんな衣装は着せたいと私だって思っているけれど、さすがにそう何度もできることでもないように思う。それは両親がいちおう言って聞かせているからだ。男の子の服をちゃんときないとお前はただでさえ女の子っぽいんだから、駄目だぞ、と。本人は多分半分も意味がわかってないだろうけど、男の子だから男の子の服をきるものだ、というところだけは把握しているらしい。
だから、聖の一言にも少しだけ申し訳なさそうな声で答えていた。
「でも、ぼく……男の子だし……」
「あら。もー忘れちゃった? 可愛いは正義、なんだよ」
だから、全然そういうの気にしないでいいんだよ、と再び聖がぽふぽふ頭をなでると、弟はくすぐったそうに目を細めていた。ああ、なでなでしたい。私もなでなでしたい。
でも、友達の手前、自分の弟(女装)をなでなでしたいだなんて言えない。
「よっし、それじゃー今後のことも決まったところで、他のも着てみようか?」
さぁ、ぬぎぬぎしようか、はぁはぁとわざとらしく聖が言ったところで、ぱたんと扉が開いた。
「ええと、ご両親でかけてるって言ってなかったっけ?」
「弟がこんな早く帰ってくるとは思ってなかった」
扉を開けたまま、そこにつったっていた小学五年の聖の弟である悟くんのことは、いちおう私も知っている。男の子という印象の強いスポーツ少年だ。
ちゃんとノックくらいしろとぶつくさ聖が言っているけれど、まずいなぁという表情のほうが印象的だった。
いちおう我ら三人。この行為自体に罪悪感のようなものは持っている。というか、人に知られたらまずいのではないかという懸念だ。
だって親や大人は明らかにこの着せ替えを許しはしないだろうから。
「あの、ねーちゃん……その。あの……」
弟さんはなにやら、あうあうと言葉を作れないようでわたわたしながら、それでもじぃと馨のことを見つめている。見知らぬ女の子がいる、というところに加えてその姿に見惚れているといっても良いだろう。
そんな困惑の顔を見取った馨は、振り返ってん? と小首をかしげるとああ、とそこで納得したように満面の笑顔を作った。
それで、その笑顔のまま。
「こんにちわっ、はじめまして」
挨拶は大切だぞ、と父から言われているからなのだろう。わかるよ。大切だよ。
でもそこで、難しいお年頃の男子に向けてその挨拶は、いささかいけないのではないだろうか。
ああ、いけない。こっちまでドキドキしてしまうほどの愛らしさだ。
ちらりと聖に視線を向けると、うんと、彼女はこちらの意図をくみ取ってくれたようで、弟さんを部屋から押し出すようにして、廊下の角まで連れ出して、なにか話をしているようだった。
きっとあの子なら、今日のことが大人にばれないように上手くやってくれることだろう。
「かおたん……恐ろしい子」
ノノっちが大爆笑していたのだが、残念ながらなんでなのか馨はわからないようで、終始きょとんとした顔をしているのが印象的だった。
それから二年以上、定期的に弟は着せ替え人形になってくれたわけなのだけれど、今でもこれが良かったのかどうかは判断がつかない。
弟の卒業式が終わったあとの春休み、あの子には申し訳ないことをしたんじゃないかなぁと思いながら家の玄関の戸をあける。
「ああ、お帰りなさい、ねーさま」
目の前に飛び込んできたのはエプロン姿の弟だった。エプロンの下はミニスカ姿で、ハイソックスを合わせている。
自主的に彼が女装を始めるようになってから、二年半以上が経つ。その間の経験と言おうか、十八を過ぎた弟は未だに可愛らしく、それでいて落ち着きも備えた大人女子への階段を駆け上がっているという感じだった。
何度思ったことだろう。自分たちは取り返しのつかないことをしたのではないか、と。
なまじ、完成度が高いからこそ。家族だからこそ。いいのかなぁと。
「ちょうどクッキー焼き上がるところなんで、お茶にしましょう」
のど、乾いてるでしょ? 完璧な女声で言われてしまうと、はーいと投げやりな声を漏らして手を洗うために洗面所に向かう。
まあ、本人がそれで楽しくて問題にならないなら、とりあえずはいいか、と考えるのはやめた。
なにがどうあっても、自分はこいつのねーさまなのだ。本人がどうしたいのか、どうなりたいのか。それが決まったのならそれなりに手助けをしてやればいいだけのことなのだ。
「可愛くなりすぎってのも、ちょっと姉として複雑だけどね」
ふわりとかおるバターと砂糖の香りに頬を緩めながら、とりあえず進路が決まった弟へのお祝いの品を握りしめた。
書ける話、書きたい話をばんばん書こうよということで、今回の番外編で1,2を争う期待値のこれをお届け。めぐのお話より個人的にこっちのが破壊力はあるように思います。
というか、長くなったった。そしてかおたんはどうやら小学五年から女装してたらしいです。牡丹姉たちが中3の時に始めた設定はちょっと無理があるかなってことで。
そしてクマの人こと木村悟氏は、もーちょう幸せものだと思います。
さて。次のエピソードもできあがりしだいお届けいたします。
それと21日が連載スタート半年になりますので、「なかがき2」を予定。
大学編もちょいちょい進んでおります。一年の夏のイベントとか新規シナリオも増量中でありますとも。




