153.
「馨。おまえもう大学の準備はだいたい終わったか?」
卒業式が終わって翌日。リビングでゆっくり朝ご飯をいただいていたら、父が話しかけてきた。
はて。もう学校はしばらく休みだし、大学が始まるのが四月の頭だから時間があるのはあるのだが。
大学の準備というのが入学関連の手続きのことであればすでに卒業式前に処理済みだ。
そして入学式そのものの準備は……まぁ、なんといいますか、両親が思いきり放置しているという状態だった。というのも、入学式の装いと言えばスーツが基本で、そこらへんは両親持ちで買ってくれる話にはなっているのだけど、男物のスーツが似合うのかといわれたら、お察しの通りなわけで。
それで現実逃避も兼ねて、両親はその話題に触れないようになってしまっているのだった。
「四月の頭に教科書買いに行かなきゃいけないけど、手続きとかはだいたい終わってる。それがなにか?」
「あー、てことは暇ってことでいいよな。なら今週の土曜にある中学の卒業式にいってきてくれないか? 俺の元部下の娘が卒業するってんで、是非おまえに撮って欲しいっていってきてるんだよ」
「それは俺宛? それと会場全部の撮影じゃなくて個人だけ撮ればいいのかな?」
「個人の依頼だ。娘さんとその友人関係を撮ってくれればいい。式の風景とかは保護者席からの撮影になるし、あまり身動きはとれないが、その範囲でいいってさ」
なるほど。今回は状況をしっかりと伝えてくれるところを見ると前の件である程度学習していただけたようだ。
個人での撮影となるとどうしても自由に動けない側面がある。高校の写真部の面々は卒業式だろうと自由に動けていたけれど、あれは撮影班という腕章をつけてるからにすぎない。普通は保護者は席を離れての撮影などできないのだ。
だって、そんなの許してしまったらみんな席を立ってぞろぞろと人影がゾンビみたいに動く卒業式ができあがってしまう。
「ちなみにプロのカメラマンさんもくるんだよな?」
「それは聞いてないな。でもさすがに来るんじゃないか? おまえの中学の時も来てたろ?」
ま、今回は別の学校だが、と父はいいつつ資料をぱさりとテーブルに置く。
「前は先方との打ち合わせとか結構やってたみたいだからな、父さんなりに相手の希望を聞いてまとめておいた。学校への交通費はあっち持ち。報酬は個人撮影だからそんなに出せないっていってたけどおまえとしては報酬はあんまり気にしてないだろ?」
「そりゃね。今の段階でそんなにがっつけるわけないし。実際、前にだしたコスROMくらいなもんだよ、まともにまとまったお金が入ったのって」
「ほー。それってどれくらいの収益でたんだ?」
「詳しいことはモデルさんに全部まかせたから、よーわからんけど、1000円の1200部で純粋に120万の売り上げで、それから必要経費をさっぴいて、40万くらいは利益でてんじゃないか? そのうち交通費とか衣装代とかもろもろあっちもちだから1:3で分けてるからもらったの10万だけど」
「ちょっ、ちょっとまて馨。おまえそんなこといつのまに」
「報告はしたよ? 納税がどうのって話になって。その額だったら特別問題ないなってさ。平日四時間くらいしか働けてなかったし。今年なんてさらに半減だけど」
その分出費も減っているから収支としては問題がないのだが、高校生のコンビニバイトの賃金なんてどこもこんなもんである。
「そういえばそんなことも有ったような。しかし一緒に作ったにしては1:3は謙虚すぎるんじゃないか?」
「それは相手にも言われたけど、もともとあの売り上げを出せたのはモデルさんの人気だからね。普通にプロの写真集作るときだってモデルと撮影者が同じ収益ってことはないよ」
そりゃ技術料はいただくしそれだけのことはしたけれど、折半をするにはさすがに足りないのだ。撮影場所のピックアップはそもそもエレナへの誕生日プレゼントでもあるのだし。
「そんなに写真集だけで稼ぐなら……俺たち向けの仕事なんて……」
うるっと親父が嘆いたのでフォローをいれておく。
「確かに、売り上げって形で評価されるのは嬉しいけど、俺まだ駆け出し以前だし。そもそも男状態での仕事もできるようになっておいてもいいと思うし」
こういうのは大歓迎だというと、父は目をぱちくりさせながら、ああよろしくなとだけ言ったのだった。
そして指定の中学校へ到着。駅を何個か都会に進んだところにあるそこは、一週間の差があるとはいえ、わずかに桜も咲いていてほんわり暖かな雰囲気のところだった。まずはそこの体育館に集まって卒業式をやるとのことで保護者はそちらに誘導されている。
受付では少し怪訝な反応をされたものの、とりあえずこれでも中学生と間違われることはないので、なんとか体育館の方に向かうように案内していただいた。式のプログラムなんかももらいつつだ。
父の言っていた前の部下の人というのは、今は隣の部署にいるらしくて木戸との面識はないのだけど、写真はもらっていたのですぐに発見できた。
うちの親と同い年だという坂上さんは実年齢よりも十分若々しく見える。
というか同い年の部下を持つって、あんな父なのに仕事はできる人なのだろうか。昼間のパパはちょっと違うっていうやつなんだろうか。
「おはようございます。いつも父がお世話になっています。木戸馨といいます」
本日はおめでとうございますと、とりあえず卒業の祝辞をのべておく。いちおう高校もでた身としては大人な対応をしないといけない。
「おお、君が馨くんか。噂はきいてるよ。今日はうちの娘の晴れ舞台を是非とも撮ってやってくれ」
「はい。こちらもカメラを握れる機会をつくっていただいて感謝です。ばんばん撮らせていただきますよ」
撮れる範囲でやりますと言うとよろしくと返してくれながら彼は保護者の列に入っていった。中学くらいなら保護者同士のやり取りも密なのだろう。
一人取り残された木戸は体育館の空いているパイプ椅子に腰を下ろしてすぐさまカメラの設定に入る。位置としてはそこまで前でも真ん中でもないはしっこの方だ。ここに位置取るのは純粋に卒業証書の授与を全員やるからだ。高校にもなれば卒業生の数も多くなって代表者だけになってしまうが、この規模の中学校なら全員呼んでしまっても大丈夫というわけだ。
そして。授与は右から上って左から降りる。昇る時は斜め後ろからの絵を、そして。
「よっし。ばっちり」
小声でぽそっと呟きつつ、証書を右手に悠々と降りてくる彼女の姿を捉えた。もちろん授与の瞬間も撮ったけれど、これは真横から撮った方がいいから、プロのカメラマンであるあの人の写真に期待だ。斜め後ろでも凛としたたたずまいはしっかりと撮れているわけだけれど。
それからは気になった子を撮りながら、会場の雰囲気なども撮影していく。もちろんストロボはなしだ。
隣の人には申し訳ないのだが、シャッター音は勘弁していただこう。
その分、その音を聞きつけた周りの保護者の方からの依頼でお子さんを撮ってあげたりなどしたのでいいのだろう。データはスマホなので休憩時間に転送させていただいた。
そんなことをしていたら卒業証書の授与はあっさりと終わってしまった。
あとはのらりくらりと校長の話を聞いてみたり、在校生の送辞や卒業生の答辞を聞いてみたり、それらの写真と会場の様子を押さえておく。いまになって校長の話を聞くとなんというか当時は理解できなかったことが多少はわかるから三年の月日というものは恐ろしい。ただ眠たいだけの話でもないらしい。
けれどそれは今だから感じること。とうの卒業生と在校生は何人か眠そうに船をこいでいた。
「卒業おめでとう、坂上灯火さん」
そして式自体は終わりをつげ、外での歓談の時間になる。
とりあえず遠くから楽しそうな雰囲気を撮りつつ、目的の少女に声をかける。
もちろん外に出たのでカメラの設定は変更済みだ。
「話は聞いてます。たしか今日写真を撮ってくれるっていう」
「はい。木戸馨といいます。今日はおじさまに頼まれて貴女の晴れ姿を撮る次第ですが。ま、気楽にいこう。普通にしてくれれば適当にこっちで撮るし」
もちろん、撮ってと言われればこたえますといいつつ、友達が来たようなのですっと身を引く。
「いいないいなぁ。彼ってあれでしょ、この前見せてくれた花嫁さん撮った人でしょ? チャペルの写真とかすっごいきれいで憧れー」
「花嫁さんは写真写りがどうって以前に普通にきれいなもんだから、どれだけカメラで底上げができてるかはわからないんだけどね」
あの姿はカメラで撮るより実際のものを見たときの方がすごいのではないか、と不覚にも思ってしまう。あのウェディングは正直ラインもきれいだったし、肌の色ともよくあっていて、あれで金欠結婚式だとはさすがに思えないほどだ。
「もしかしてカメラマンさんもぞっこんなのですか? うらやましーみたいな」
「被写体としてはな。チャペルの雰囲気は半端なく良いし、あんまりお金かけられないといってたのに、ドレスもきれいだったぁ。神聖なものーって感じもあったし、撮る側としてはもうばちばちシャッター切ったね。すっごくいい被写体だった」
うん。間違いは言っていない。ちょっとウェディングドレス羨ましいなとは思ったけど別に結婚することにたいしては羨ましいという感じはまったくないのである。
「えーでも写真って男の人だとはぁはぁ撮ったりしないんです?」
灯火さんの友達から、冗談まじりにそんな茶々が入る。
「そゆのはあんまり。あ。まぁすんごいのを見たら、撮らねばって思ってはぁはぁするけど、別に異性だからどうのってのはないよ。いまの俺はご神木様にはぁはぁいってるし。あの方はほんと凛々しくて素敵です」
そういうと、周りがどんびいたのでフォローをいれる。
「なので別に異性の若い子ではぁはぁしたりは、俺はないよ。美術的にすごいほど美人とかならあれだけど、そんなん普通の中学にいてたまるかってはなしでね」
「ちょっと意外ー。JCの写真撮りたがるとかけっこう変態だと思ってたのに」
撮りたがるというところで、なんだが誤解があるようだった。別に木戸はねだって撮影させてもらっているわけではない。
けれどそんな変態な烙印を何とかしようと思ったのだろう、今日の主役の灯火ちゃんがフォローをいれてくれる。
「パパの知り合いだっていうからもっと年上かと思ったら、若くてびっくりです」
「いちお依頼されてきてるし、お給料も出るのです。きっとなし一箱とかそういうのだろうけど」
「なっしー?」
中学生たちが話題のゆるキャラの真似をしつつおどけて見せる。
報酬の話はしていないけれど、確かにそれくらいかもしれないよなぁとしみじみ思ってしまう。
「あーいうプロだったらもうちょっと金払いもいいんだろうけど、さすがに彼並とはいけないしね」
離れたところで撮影をしている石倉さんに視線を向けながら苦笑を浮かべる。そう。なんと今日の撮影にきていたのはあの男色家で有名な石倉さんなのだった。正直なところスタジオを主催してモデルさんを撮るような人が中学の卒業式にいるのは意外だなぁと最初は思ったものだった。
はたして自分はいつになったらあそこにまでいけるのか。まだ趣味でやっている身としては尊敬する面はたしかにある。性格は関係なく。
「えー、私は馨さんも十分いけると思うんだけどなぁ」
「だって、あの人、じみーにファッション誌とかでもカメラマンやってんだよ? 君たちも見たことあるだろう女性ファッション誌でいっろんなの撮ってる」
「へぇ。けっこうすごい人なんだなぁ。でもそれを知ってる木戸さんもちょっと特殊な人なんでしょう?」
「こういう場にお呼ばれするくらいだから、それなりにはね。でもあくまでもまだアマチュアの域はでないよ。ちょっと君のお父さんの、まあうちの親父の会社回りで写真うまいやつって認識ができて今日に繋がっただけだし」
それでも嬉しいけどね、といいつつこのメンバーで撮っちゃいますか? とまとまってもらう。
「いつもと同じ掛け声、同じ答えでいっちゃうよー」
校舎を背景にしながら、カメラを向ける。灯火ちゃんが真ん中なのは彼女の依頼で写真を撮ってると言うことをみんながわかっているからだろう。できた子達である。
「1+2はー?」
というと、にーとみんなが答える。その瞬間をパシャリと一枚。そして。
「って、間違ってるじゃないですかー」
あははとみんなが笑い始める。その瞬間も抑えておく。
その写真の出来を見て、こちらもニンマリする。
「これはわざと間違えるのがポイントなのです。ほれ。どうかな?」
タブレットにデータを流して彼女たちに表示してみせる。
「あ、確かに集合写真っぽくポーズ決めてるのもいいけど、これはこれで」
「でしょー。王道はもちろん撮るけど、それ以外もうまく崩して撮るってのも好きなんだよねー」
にひひとルイのように笑いつつ、おっといけないと口元を戻す。
ふふ。楽しくて仕方はないのだが、いつものテンションで撮り続けると声音まで変わってしまっていけない。
「楽しそうに撮りますねぇ」
「そりゃね。じゃんじゃん撮らせていただきますよー」
少し気持ちをセーブしながらも、少し後ろにさがったり、他のクラスの友達と集まったりしてるところを撮っていると相当の数の写真ができあがった。
木戸くんとしてのお仕事再び。知人の卒業式であります。
お金持ちならプロのカメラマンを雇ったりするのかもしれないけど、個人となると自分で撮るか知人のつてを頼るかだと思います。そして結婚式のあれが流布されてる今、おぉっ、と思うのも無理からぬところでありましょう。
エレナのコスROMはいちおうコスト計算もしたけど、実際どうなのかはご都合で! でも1000枚越えで作れるっていうのは一枚単価がぐっと安くなってよいものですよね。普通そんな売れませんけどね……ふふふ。
さて。そしてお次もまだまだ、こっちの中学の卒業式のお話は続きます。
その後も春休み企画があるので、じみーに卒業式終わっても高校編です。
そして、卒業式じゃなくてこっちで100万字突破というのがなんだなかーと思いつつ、文字数調節などしないのでありますよ。




