015.銀香町と、女優さん
「まあーでも、歌より撮影だよね」
ぱしゃりとカメラをいじりながら、その質感にうっとりと声を漏らす。
その週末、冬の寒さがまだ残る日曜日に、ルイはいつも通り銀香町で写真を撮りながらあのときのことを思い出す。
確かにすごいなぁとは思うのだ。エレナはもちろん、あの残念な青木すらあんな特技をもっていた。けれどもそれでそちらもとルイがならないのは、やっぱり撮影の方が合っているからなのだ。
エレナはどちらかと言えば舞台に立つ側の人間。だから歌えるというのも十分な資質だと言えるし、コスプレ仲間とカラオケなんかにいったときには、性別ばれを防ぐためにも歌えた方がいいに決まっている。
春にはまだ少し遠い冬の空。
カメラを抱えあげて、高く澄んだ空を撮る。
なんやかやとやっていたお陰ですっかり季節も春間近だ。卒業式を迎えるための準備なんていうものもあるのだけれど、一年な自分としてはそうそうやることもない。もともとイベント委員で主要な仕事もしていないし、ここまで来ると自由な時間は多いのだった。
ならエレナと撮影かといわれると、あっちはあっちで春の準備に忙しいらしい。遠峰さんもイベント系の撮影ばかりだそうで、それぞれ別々で撮影にというような感じになってしまっている。来週はそれでも誘われているのだが。
そろそろ春になるというのに今日はことさら寒くてライトブラウンのコートにマフラーという装いだ。コートもシンプルだけどかわいい女物を用意していたのだけれど、さすがにコートくらいは男女兼用にしてしまってもいいのではないかと親には言われた。確かにかさばるし値段も張るしと大変ではあるのだけど、もちろんルイには必要だから揃えた。
だって、一番外側に見えるものなのだし、ここを押さえなければ。しかも店にはほとんど入らないルイとしては上着を脱ぐ機会の方が少ないくらいだ。
そうはいっても、中だってそれなりに着飾っていたりはするのだけれど、そこらへんはもう趣味というかそのためにきちんと働いているので、それはそれでいいに違いない。
さあ今日もガンガン撮ろうと思った矢先、いつもの商店街の雰囲気が違っているのに気が付いた。
「今日は賑やかですねぇ」
揚げ物やのおばちゃんに声をかけると、おやまぁルイちゃんとおばちゃんが手を止めてくれる。
「そうなのよねぇ。なんだかドラマの撮影とかでね。この商店街使うとかで。結構有名な俳優さんも来てるみたいよ」
なるほどそれで。普段の百倍以上に人が集まってきている商店街の風景の出来上がりというわけか。
地元の人なのかエキストラなのかがわからないものの、かなりの人手が集まってきている。
「そういわれても芸能界にはうといのですよ」
ちらりと周りを見回して、人垣の向こう側を見てみても、誰が誰なのかさっぱりわからない。
女子はドラマの話で盛り上がっているようだけど、木戸がいるところはアニメやゲームの話の方が多いのだ。
「あらあら。でもルイちゃんはそれでいいのかもしれないねぇ」
今日は人も多いし気を付けて撮影に行っておいでよ、とおばちゃんが声をかけてくれる。
おばちゃんが言うように注意だけはしておかないといけないのかもしれない。肖像権がどうのこうのと揉めるのはごめんだ。
もちろん、集まっている野次馬は携帯を片手に写真を撮りまくっているわけだけれど、あれなら許されても。
「このカメラじゃさすがにねぇ」
そこまで高いものでもないのだが、かといってほんまものというくらいの外見はしているものだ。
そしてだからこそ、特別な写真だって撮れる。コンデジがだめとももちろんいえないけれど、手軽じゃない感じはどうしたってこちらに軍配があがるのである。
くるりとまわれ右をすると、商店街から遠ざかるようにして、森の方へを足をすすめるのであった。
「こんなところで撮影?」
うごくなよぅ、うごくなよぅと心のそこで念じながら、道ばたの白い大猫さまをカメラで追いかけ回しながらわりと無理な体勢をする。そんなところでかけられた声にびくぅとなって、うひぃと嫌な声が漏れた。よかった、急なことだったがなんとか男声はでないで済んだらしい。
「いきなり声をかけられると困ります」
まったく、驚くじゃないですかと周りを見回すとそこには、見慣れない女の子の姿があった。
半年以上ここに来ているけれど、見かけたことはない。ここら辺の住民ではないということだろう。
いやに整った顔立ちをしていた。舞台に立ってる斉藤さんよりもかわいいというのだから、それはよっぽどなことなのだろう。
「邪魔しちゃったかな」
ごめんごめんと悪びれずにいう顔もどこか小悪魔的で現実味がない。
「撮影のエキストラのかたで?」
現実離れ=芸能界とピンと来てそう告げるとなぜだか猛烈に、にらまれた。
なにか失敗したことでも言っただろうか。
「あんたね! このあたしを一山いくらのエキストラと一緒にしないで!」
「そうは言われましても、あいにくテレビは見ないもので……」
「はい!? いまどきの若い子がテレビ見ないとかいったいどうやって生活をしているのかと」
まいったという面持で目の前の美少女は手を額にやった。
「こうやって撮影をしているんですよ。ま、あなたのことは撮りませんけど」
ぷぃとカメラを背けると、えーと彼女は頬を膨らませた。
同い年くらいなんだろうか。エキストラでないというのであれば、女優かアイドルかモデルかということになるだろう。
そうなってくれば、勝手に写真なんて撮っていいはずがない。
「それにしても、有名な女優さんなら、休憩時間は車の中で休んでお茶、みたいじゃないんですか?」
からかうように言うと、なにおうと頬をさらに膨らませる。いちいちその仕草がかわいらしく決まっていて、まるで作り物のような愛らしさに見えるのである。
「そういうのはもっと年配で、大御所って呼ばれるところ。あたしくらいじゃ全然、吹いたら飛んじゃうくらいだもの。だったら休憩時間も練習したり、周り見回ってインスピレーションみたいなの感じたり、いろいろしないとね」
さあ、撮りたまえよ、この、崎山珠理奈さまを、とポーズを撮られると、いやいやながらカメラを構えた。
「はいはい。わかりましたよ。撮ればいいんでしょう?」
背景の角度を選びながら、光のあたりを計算してもっとも明るい表情になるように一枚。そしてもう一枚。
逆に背景を際立たせるように写す。
「その写真、あたしにもちょーだい」
ほれ、さあほれ、とスマートフォンを差し出してきて、何かを要求してくる。
「しかたない」
撮った写真をあげるのは別段なんのさわりもない。
いったんカメラの電源を切ると、かしゃりとSDカードを取り出した。
「あれ? 無線でデータ飛ばせるんじゃないの?」
「そんな機能はついてないです。ものによってはそういうのもあるみたいですけど」
だから、何事もアナログでやるしかないのですよ、とメモリーカードをリーダーに刺した上でスマートフォンと接続する。フォルダを表示させるところで彼女にスマートフォンを奪われた。
操作は自分でやるといいたいのだろう。他のプライベートファイルへのアクセスを避けるためかもしれない。
「せっかくだからほかの写真も頂戴。朝から撮ってるんでしょ?」
ふんふふんと、データの移動を行う彼女は、新しいフォルダを作ってそこにデータをコピーし始めた。
まったくもってこちらの返事は聞く気がないらしい。
「って、開けないじゃん。これ」
「非圧縮形式ですもん。専用アプリとらないと見れません」
rawっていう拡張子のやつですけど、というと彼女はかちゃりと操作を開始する。
ほどなくしてダウンロードが開始されてアプリがインストールされたようだった。
「でも圧縮してもしないでもたいしてかわんないんでしょ?」
「圧縮率の低いjpegならそこまで変わらないですけど、やっぱり角がきえたりとか連射性能が落ちたりいろいろあるんです。加工するにしても非圧縮のほうが都合がいいっていうし」
もちろん、画像加工にまで手はだしたことはないのだけれど、そんな売り文句だったのは覚えている。
こちらの反応はお構いなしに彼女は落としたアプリで画像を再生することができたようだった。
「うわ、まじで人を全然撮ってない……」
「普段はもうちょっと人も撮ってますよ。でも今日は遠慮もします」
なるほど。他に写真を撮ってないかどうかチェックもしたかったわけか。
けれども残念ながら、あえて今回は人っ子一人風景にはいれていない。
「これって、ここら辺の景色なのかな?」
「ええ。朝から撮ってますからね。週末はたいていどこかで撮影してますが、月に二回くらいはこの町です」
「うわ、根暗……」
ひどい言いようである。
「あんただって、十分かわいいんだから、もっと人と触れ合ったりとかすればいいのに」
写真を指でいじりながら、なんとなく言われるセリフに少し照れはする。
テレビに出るような人にかわいいと言ってもらえるのは、少なからず嬉しいものだ。
けれどもそれよりもやっぱり写真を撮ることのほうが好きなのである。
「友達と撮影ってこともありますし、人との交流っていうのはあるにはあるんですけれどもね」
「まあいいや。好きなものは人それぞれだしね」
ありがと、と彼女はSDカードを返してくれた。
「時間があったら撮影見ていって。写真はダメだけどいちおうあなたに負けないくらいには、あたしだってのめりこんでいるところ見せつけてやりたいからさ」
彼女はそういうと、なぜか嬉しそうに商店街のほうへと歩いていった。
「ふぅん。マジで国民的美少女ってやつだったか」
その翌日、学校がはじまってからすぐに撮影の噂はちらほらと聞こえてきていた。いわく、すさまじく可愛かっただとか実際にあの場にいたクラスメイトもいたらしい。
決して近くはないのだが、遠い町でもない。そんなところにテレビの向こうの人物がいるというのであれば、見に行きたいと思う人がいても不思議ではないのだろう。話した感じだと少しアレではあったものの、撮影にプライドみたいなものは持っているような気がする。
「木戸くんもやっぱり美少女は好きなの?」
斉藤さんが見ている雑誌をちらりとのぞき見していたのがばれただろうか。少しばつが悪そうに答える。
「芸能界ってのには興味はないんだけれど、普通にかわいいなって思っただけ。ああ、もちろん斉藤さんも輝いてるから」
いいかんじいいかんじ、と投げやりにいってやると、ああどーもと、彼女が苦笑を浮かべる。
「木戸くんたちあんまりドラマとか見なさそうだもんね」
彼女の指摘はおおむね間違いではない。どうしたって木戸が普段いる集団はアニメやゲームに走りがちなのである。
例外としてファッション誌は見るのだが、モデルではなく視線は服の方にいってしまう。
「斉藤さんはけっこう興味ある?」
「役者志望としては興味あるかな。見た目だけじゃなくてちゃんと演技もする子だし」
同じ道にいるものとしては興味はあると、彼女の目が輝いた。
「実はね、あたしもこの撮影現場見に行ったの。舞台と撮影ってやっぱりちょっと違うけど、表情の作り方とかそういうのはすごいなぁって思った」
木戸くんも行ったの? と言われていや、その、とやや口ごもる。
行ったのはルイだ。木戸ではない。
「まあ、いっか。あそこの撮影のやつ。四月くらいにはテレビで流れるって話だから、それはぜひ見てみてね」
「忘れなければね」
そのころにはそのころで忙しい何かが始まっているんじゃないか。そう思ってしまう馨だった。
芸能系こそがご都合主義部分であります。