143.
視界の先には煌々とした光に照らし出されたそれらが展示されていた。
「うぅっ。これだけあるとさすがに圧倒されてしまう」
ぽそっと独り言をつぶやいてしまうくらいに、目の前にある光景は木戸のテンションを上げるには十分すぎる効果があるものだ。
カメラ売り場。
町にある家電量販店の一角にあるそこに足を運ぶのはそれこそ三年ぶりくらいになるのではないだろうか。
ルイが使っている子を選んで入手したのもここだ。三脚を買ったときもここだったけどカメラコーナーにはなるべく寄らないようにしていたのだ。だって欲しくなってしまうもの。
基本、カタログスペックと値段を見て機種を決める人ではあるものの実物がこれだけ並んでいるという光景はさすがにちょっとどきどきしてしまうのだ。こいつならどんなのが撮れるのかとか、特徴はどうなのかとかそういうのを考え始めると止まらなくなってしまう。
ちなみに一人でここに来ている理由も大まかにはそれが原因だ。知り合いと来ようものなら買い物に集中して相手をほったらかしというようなことになりかねない。
「なにかお探しですか?」
売り場の人に声をかけられるものの、今回は少し見させて下さいと言ってじっくりと実物を拝見させていただく。
この手の家電量販店だと、販売員が声をかけてくるかどうかはこちらの格好で変わってくるような気がする。
ルイとしてくると明らかに声をかけてくるし、パンフレットを持っていたりしても声をかけてくる。
おそらく初心者っぽい人とか、購入予定っぽい人に積極的に声をかけるのだろう。
そういう意味では今日の木戸は、男子の装いだとはいえ、購入予定っぽく見えるのかもしれない。
手にしているのは機種の特徴なんかをぐりぐり書いてあるメモなのだから。
さて。どうしてルイできていないのかとお思いのみなさま。
それは純粋に、カメラを分けようと思ったからなのだった。ようは木戸馨用とルイ用にそれぞれカメラを用意しようということなのだ。もちろんいろんな機種を使ってみたいという思いもあるし、大学にはカメラを持ち込み放題という思惑もある。高校ではいろいろ制限があったけれど、大学ではそれらがまったくないわけだから、行き帰りにも撮影をしていけたりするのではないか、と思ったのだ。
男子としての撮影の方も順調にスキルアップはしているけれど、それでもルイとしてのそれよりは一段劣る自覚はある。そこのてこ入れという意味合いも含めて、買ってしまえと思い立ったわけなのだ。
予算は三年になってからもアルバイトをしていたし、撮影にでる時間も減ったりというのもあって、そこそこ貯まっている。前にかった機種よりも五割増しくらいのものは買えるくらいだろうか。
チルトつき、レリーズつき、ファインダーつき、というのがとりあえずの条件で、センサーの大きさなどは値段との兼ね合いでの相談という感じだ。
ファインダー付きを買おうと思ったのはバッテリーの問題と視線の問題。
今は背面パネルで見ながら撮影をしているけれど、動くものを撮影するなんていった場合にはそっちのほうがいいなんていう話もあるというし、慣れてみてもいいんじゃないの? とあいなさんにも言われてせっかくだからついているヤツを選ぼうということになったのだった。もちろんそういうのでも背面パネルはついているから今までのような撮影法をしても問題はない。
「お、少年。久しぶりっ。こんなところで会うとは運命を感じるな」
そんなわけで候補の三機種をそれぞれ触ったりしつつ感触を確かめていたのだけれど、そこにかかる声が一つ。
振り向くとそこには胸元にカメラをつっている石倉さんが立っていた。
彼と会うのはそれこそ四月以来だ。ルイとしてなら七月に会っているしお家にまでお邪魔したくらいだけれど、木戸馨としての接点はそうない。むしろ名前すら伝えていないくらいだ。
そして。まずい。木戸馨として彼の名前を聞いたかどうかの記憶がない。聞いたような気もするし聞いてないような気もする。
「ええと、あの節は助けていただいてありがとうございました」
とりあえず無難な言葉で場をつないでおく。相手任せといった対応だ。下手に名前を知っていたとなると言い訳はずらりと並べられるけれど、それでも危険は犯したくない。
「いやいや、いいっていいって。それよりカメラ買うのか? 良かったらアドバイスするけど」
ほい、これ名刺な、と彼はルイには絶対見せない好青年風な笑顔をこちらに向けつつ小さな紙切れを渡してくる。
フォトスタジオ代表という肩書きがしっかりとのっているのを見つつ、ほぉと驚いたような表情を作っておく。
カメラをやる人なのはもう一眼をつってる時点でわかっていてもプロのカメラマンかどうかは今知ったというスタンスだ。くどくど酔っ払ったあいなさんからどういう人なのかは散々聞かされているから余計な背景知識があるけれど、そこらへんは全部取っ払ってプレーンな対応をしなければならない。
「プロの方にアドバイス貰えるのはありがたいですっ。実は三機種で悩んでまして」
予算はこんなものなんですけどね、と自己紹介を済ませてから伝えると、カメラ歴は? と尋ねられた。
正直、この質問は困る。
ルイとしての実績で言えば三年。一眼を触って三年ということになる。
けれども木戸馨としては一眼を握ったのはせいぜい澪の舞台の時や結婚式の時くらいなもので、せいぜい二千枚とかそれくらいじゃないだろうか。
「いちおう三年です。コンデジばっかり使ってたのでそろそろ一眼も使ってみたいなって所なのですが」
友達のをいじらせてもらったりはあるのですけどね、と伝えると彼は不思議そうに首をかしげていた。
「いや、てっきりあののめり込みっぷりだったんで、家に一眼とかあって土日もガンガン撮ってるんだと思っていたんだが……」
四月の時の歩道橋の話をしているのだろう。確かに道を踏み外したのはカメラに夢中だったからだ。そのとき持っていたのはコンデジだった。そして石倉さんのカメラにも視線を向けていたし、壊れてないかの心配もした。
そのような人間が一眼持ってないとかどうなの、ということを言いたいのだろう。
「ガンガン撮ってはいたんですけど、なかなか高い買い物なので。大学入るにあたって買ってしまおうとなったのですが」
「なっ……木戸くん高三!? まじか……全然見えねぇ」
うぐっ。男子の服装をしているとたいてい童顔と言われるけれど、ここまでストレートな物言いは久しぶりだ。
ずーんと落ち込んでると、ああ、すまんすまんと彼は頭を掻いた。
そして、表情を切り替えると三種の比較と説明をしてくれる。
「まったくの初心者ならレンズキットをおすすめかな。撮影する対象次第でレンズ交換できるのが一眼の強みな訳だし」
だいたい二種ついてくるセットがお得はお得だという。
その意見には激しく同意だ。カメラのレンズはとても高い。単体で買うよりセットの方が遥かに安く済む。もちろん好みのレンズがセットになってるかどうかが重要にはなるけれど、ルイが使っているのもダブルレンズキットだ。
「あとは出来るだけ本体のセンサーが良い奴を優先して、レンズは後で買い足すっていうのも手段としてはアリだな。使用目的にもよるが……」
君はこっち側の人間でいいんだよな? と念押しが来たので頷いておく。
そう。彼が言いたいのは私的な写真を楽しく撮れればいいのか、それとも本気でやっていくのかというようなことだ。それによって選ぶカメラも変わってくる。
「なら断然本体は妥協しない方がいい。場合によってはパネルで印刷なんてこともあるかもしれんし。家の写真立てに飾る程度のサイズならさほど気にならなくても、大きいのだとノイズが目立ったりとかするしな」
それを基準として考えるなら三つのうち二つにまで絞られる。
両方とも条件は満たしていて、センサーのサイズも同じものだ。
「あとはメーカーだよな。レンズのラインナップとかそこらへんも重要だし。将来的に使いたいレンズがあるかどうかもばーっと見ておいたほうがいいかな。ま、それなりにラインナップがあるからあんまり気にしないってやつもいるけどな」
そしてその条件。カメラとレンズの関係はマウントによって決まる。同じメーカーでもマウントが異なればレンズと本体ははまらない。使いたいレンズがあるなら先にそっちを押さえろというのはもっともな話だ。
ちなみにこれも選んだ二種ともに問題はない。いずれは望遠とかも使ってみたいと思っているし、魚眼とか単焦点とかそこらへんのラインナップはしっかりしている二種だ。
「んで、最後はグリップ。手に合うかどうかってわけで、実物触ってみようか」
ほい、おいで、と彼は木戸に手をさしのべつつ案内してくれる。もちろんその手は取らない。危ないからだ。
あらら、と彼は苦笑を浮かべているのだが、残念そうな感じはない。男同士で手をつなぐという状態を嫌う男子が多いという現実をしっかり理解しているらしい。
そして店員さんに声をかけつつ、展示している実物を握らせてもらう。
ずしりとくる感じはコンデジにはない重量感だ。大学に持っていく前提なのであまり大きな機種は選んでいない。それでもコンデジに比べればしっかりとした重みを感じられる。
「そこそこ重い方が俺は安定して好きなんだが……木戸くん華奢だしな。指もこんなにほっそいし長時間持っててもつかれないのにした方がいいかも」
がっちりカメラをホールドした木戸の手を包むように石倉さんはグリップを掴む。
確かに彼の手のひらは木戸のそれよりも二回りは大きくて、大人の男の手といった感じだ。
けれどもそれを見せつけるように手を覆わなくてもいいんじゃないかと思う。
そもそもあいなさんだって手の大きさはこれくらいだし、それでも大きなカメラをじゃんじゃん使っているので、慣れてしまえばなんとでもなるような気がしなくもないのだが、フィット感というのは確かに大切だと思う。
思うけど石倉さん。いい加減さりげなく手を触るのはやめていただきたい。
失礼にならないように、手をふりほどきながらカメラを台座に戻す。そしてもう一つのカメラも握ってみる。
おっ、と少しそこで違いを感じた。なんとなくこっちのほうがしっくりくる感じだったのだ。
「ていうか、初めてのわりに様になりすぎっていうか……普通に安定してんなぁ」
「友達には、お前はさっさと自分のカメラを買えと怒られました」
手をふりほどいて怪訝そうな視線を向けていたせいかは知らないけれど、彼はこちらの撮影スタイルを観察して感想を言ってくれた。
いちおうこちらの答えは嘘ではない。さくらには男子用でカメラ買えばいいじゃんと言われたこともあるし、あいなさんにもいろんなの試すと面白いよーなんて言われている。
「その友達も結構写真やるのか? コンデジから乗り換えるとたいてい重さにびっくりしたり変に力が入ったりするもんなんだが」
三脚無しで問題なさそうな安定感だと彼は言い切った。確かに昼間の撮影ならルイの写真は滅多にぶれない。さすがに夜景でシャッタースピードを長くするとぶれるけれど。
「そこそこです。写真部に入ってるやつなんで。俺は事情で入ってないんですけどね」
「うわ、木戸くん一人称俺な子か。印象的に僕っこだと思っていたんだが」
ちょっとイメージ違くてびっくりと苦笑を浮かべる彼に、ちょっとむっとした顔を向ける。
たしかにルイを知っている人達から、木戸くんはもう一人称とか使わなきゃいいよなんて言われることはあるのだけど、公式な場所や目上の人には僕か私、こういうフランクな場では俺で統一しているのだ。
使い慣れてないってわけでもないし、それで違和感がと言われてしまうとこちらも困ってしまう。
とはいえ、この話題をそこまで膨らませたくないし、機種もこっちの子で確定でいいとして、別の話題を彼にはふっておく。偶然会ってカメラ選びを付き合わせてしまったけれど、社会人が暇をしているとは限らないのだし、あまり拘束してしまうのも申し訳ない。
「ところで、石倉さんはなにか用事の途中なのでは?」
「まあ、な。紙の買い出しに来たんだよ。昼飯のついでにな。ちょっと緊急で欲しいのがあってさ」
普段は別のところで一括納品してもらっているのだが、と彼はいいつつビニール袋に入ったそれをこちらに見せびらかせた。
「そんなわけでこれから昼飯なわけだけど、一緒にどうだい? おにーさんが奢ってあげようじゃないか」
時間はお昼すぎと言ったところだ。ちなみにちゃんとお弁当は持ってきているので、その誘いには乗る必要はない。飴ちゃんをもらってついていく幼子ではないのである。
「いえ。新しいカメラの設定とかやりたいですし、さっさと家に帰ろうかと。こいつで確定なので」
「それは残念。ただ気持ちはわかるからそっち優先だな。使い方わからなかったら教えるから、いつでも連絡してくれよな」
遠慮とか遠慮とか遠慮はいらないと三度念押しをされつつ、石倉さんはお昼ご飯を食べに去って行った。
うーん。確かにあいなさんの前情報をもらった状態で会ってみると、ほんっともう男好きだなぁとしみじみ思う。おそらくそれが無ければちょっとスキンシップの多いいい先輩って感じになるのだろうけど、下心山盛りときかされてしまうと、過度の接触は避けたいところだ。
「それはともかく、さっさと買ってしまおう」
うん。善は急げというし、と自分に言い聞かせつつ店員さんを呼んで商品の購入を済ませる。
なにぶん高級品なので店頭に並んでいるのは見本だけなのだ。
お会計を払うときに一瞬躊躇はしたものの、それでもこれからの相棒になる相手の価値だと思うと気持ちも弾んでくる。
「ありがとうございました。またレンズなど買う機会がありましたら是非うちでお願いいたします」
きゅっと袋に入れてもらったカメラを抱きかかえると、まずは家に帰ってお腹いっぱい電気を食べさせてあげますからねーと、ちょっとだけ緩んだ表情で売り場を後にしたのだった。
ちなみにお弁当の方は自宅でおいしくいただきました。相棒共々満腹でございます。
お買い物ということで、ついに木戸君用のカメラを入手です。カメラ同じだと怪しまれないかーって悩んでいた問題がついに解決っ。
にしてもここのところ一気に男子状態のターンだなぁと思いつつ、次回はきちんとルイのターンです。
はい。そんなわけで次回更新は明後日。明日はお休みにします。
シフォレでのブッシュドノエル製作会・ガールズボーイトーク会であります。いづもさんにきちんと語らせる意味合いでも、ちょっとお時間をいただきます。
デリケートなのでさすがに普段みたいな即興はちょっと。というわけで。




