139.
「利用許可は出してあげるけど……今年もやるのねその企画」
羽田先生がペンを回しながら調理室の使用許可書をこんこんと叩いている。
職員室の一角で話をしても他の教師はあまりこちらに関心がないようで、自分の仕事を黙々とこなしているだけだ。特に三年を担当している先生方は進路関係で一番すり減る時期なのかもしれない。
「今年の方がもうちょっと大規模になりますけどね。クラス全部に合格祈願もかねて作ってやれって」
受験年だしぜひやってくれと一部の男子から声が上がり、さらには江戸川喜一先生も一枚かんできて、せっかくだから男子全部に作ってやってはくれまいか、と材料費の供出までしてくださったのである。もちろんこれには女子から反発が上がって、なんで男子だけ?!なんて話になってクラス全員分ということになってしまったのだが。
後から聞いた話なのだけど、喜一先生は三年を受け持つときになにかしら受験系の支援として士気を上げるようなものを用意するのだそうだ。それならもうちょっと早くに出していただきたかったと正直思う。
「そこに思いっきり食い込んでる木戸くんはどうかと思うけど……まあもらったら嬉しい子は多いのかな?」
「そこらへんはノーコメントです。ただ受験もとりあえず一段落ですし、付き合ってもいいかなーくらいな感じで。思い出作りの一環ですね」
たぶん女子側みんなそーなんじゃないかな、と素で言ってあげると、大丈夫なのかいあんたはと羽田先生につっこまれた。いまいちそんな視線を向けられる意味がわからないのだけど、強制参加で無理やり女子だからバレンタインをやれと言われるわけでもないので、作りたい子が放課後に好きに集まってわいわいやるだけのイベントなのだ。
受験がまだ終わっていない子は女子にもいるし、そういう子に対しても応援がてら甘いものをもらってもらうのは十分に楽しいことだし、おまけに喜一先生から費用もでて放課後に調理室を借りられるというのであれば、もう楽しいイベントとして気楽に参加するという形でいいじゃないかと思う。
そして、せっかくだから、ということで女子のみじゃなく男子も参加OKにしてある。
女子側からかなり不満の声が出たのだけど、どうせみんな遠慮するんじゃないの? という説得でとりあえずは事なきをえた。
そしてさらに木戸のクラスの有志以外も先着で参加OKという扱いにしてある。
ことさら木戸にとっても、他の女子にとっても受験の士気がどうとか、もらう男子のこととかはどーだっていい話だ。ただこのイベント自体を楽しんでしまえということと、別学年の子たちを巻き込む意味合いでもやらかしてしまおうなんていう話になったのだった。
もちろん喜一先生からの提供分はクラスで分けることになるから、他のクラスの参加者は材料もちよりということになるのだが。顔を合わせていない子と料理教室っぽいことができる機会もそうないし、これはこれで面白いのではないだろうか。
「ああそれと、もう一つ羽田先生にはお願いがあるのですが」
「ん? 木戸くんのお願いならある程度聞いてあげるけど……」
そうして提案されたことに、彼女は、は? と目を見開いてそれからちょっと、考えて、本当にいいの? と肩をぶんぶか揺すってくるのだった。
「では去年に引き続き、今年もバレンタインのための試作会と参りましょう。進行は去年と同じくわたくしこと、かおたんがさせていただきます」
ぜひとも某がやりたいという猛者がいましたら、ぜひとも変わっていただきたいでござるーと、長谷川先生の口調を交えながら、試作会になっている調理室を見回した。もちろん最初からフルで女声だ。ござる口調も割と時と場合を考えるとかわいいと思う。
今回参加しているのは木戸のクラスから十数名。つまり女子生徒の半数以上。そして他のクラスから同じくらいの数が押し寄せていた。その中には別の学年の子もいて春に学ランを着ていた三人娘までいるくらいだ。
そして友達に引っ張っられるように千歳もいる。千恵ちゃんがいないところを見るとあっちはあっちで、家でおねーちゃんのためにチョコを……いやでも、それだと男の子相手にしてるようになるから、チョコブラウニーを、いやもうガトーショコラとかいってまえー、とかいう状況になっていそうな気がする。普通に友チョコでいいじゃんって思うところを、いいやしかし、と言ってしまう子なのである。
「おぉー、かおたん今日はそっちの格好とか攻めますねー」
「まー、女子のイベントで一人あっちのかっこってのも浮くし、去年も言ったけど落ち着かなくてですね」
そういいつつ周りを見ると、やはりみなさん女子の制服の上にエプロンという姿なのだった。
羽田先生にお願いした件というのがまさにこれで、まえに文化祭なんかで借りた女子制服を今回もお貸しくださいということだったわけだ。いちおう募集はしてみたものの、思った通り男子の参加はなかったわけで、そんな中一人で男子制服というのも穏やかな気分にはなれないなぁと思っての提案だ。すでに木戸の女装に関してはクラスメイトは慣れているし、他のクラスの生徒に関しては最初にばんとこれを出してしまって、ネタばらしをすればたいていは非難はされないものである。
男子の募集に関しては、女子ばっかりのところに一人はいる勇気はないようで、さすがにないわー、という声ばかりが聞こえていた。八瀬にお前もどーよ? っていったら、女の群れの中とかマジ怖い、全部男の娘なら行ってもいいとか割と頭おかしいセリフを言ってくださったので、大丈夫かお前はと言っておいた。
そんなの現実的に不可……能ではないくらいに身近に男の娘はいるけれど、さすがに夢を見すぎである。
「ベリーショートでそんだけ違和感ないかおたん半端ないわ……」
「ウィッグつけても良かったんだけど、チョコに入るとさすがにね」
毛入りのチョコっていうのは、ちょっと情念が詰まりすぎていけません、と言ってあげると、それ怖いわーと和やかな声がでる。
そんな中で半分の生徒はその空気に入れなくて怪訝そうにしているようだった。
さて、どうしたものか。
「馨先輩……ですよね。まじやばい……あの時のが適当だったとは……」
「あれ? 御三方とも今日は学ランではないの?」
「そりゃそうですよー、てか、まじかおたん先輩、やべぇ。声とかも普通にちょーかわいいし」
マジ受けるんですけど、と三人は大はしゃぎだ。
さすがに女子の会なので彼女たちも制服姿らしい。というかあの後そんなに話を聞かないから、あんがい学ラン姿もそんなにしていないのかもしれない。
「はいっ。そんなわけで、いちおー他のクラスの子には断っときますが、私これで、男子ですので。ちょっちクラスメイトからの要望でこんな風になってますが、まぁ」
にま、と目を伏せて軽く笑ってみせる。
「今日はふつーに見たままでおつきあいください。言っても言わなくてもいいと思ったんだけど、まぁいちおうね」
周りの様子をうかがっているとひそひそと他のクラスの子たちがささやきはじめた。
「うわ……春隆くんが言ってたのホントだったんだ……」
「ね。木戸くん、実はめっちゃ可愛いって。そりゃああなるとなれば、そうだよねぇ」
冗談だと思ってたのにね、なんていう声がひそひそとささやかれる。ハルのやつなんだかんだで木戸がかわいいという話を散々吹聴してまわっていたものな。最近はなりをひそめているようだけれど、噂はまだまだ残っているようだ。噂といえばもう青木のバラ色写真の件は鎮静化したらしい。ありがたいことだ。
「では、料理は自信ありますぜーって子がいたら手を上げてくださいな。ちなみに私はお菓子系はそんなに作らない人です」
胸元で腕を組みつつ、周りが手を上げるのを待つ。
この仕草をすると、おっぱいがある人ならたゆんと腕のところにのっかったりするのだけど、今日の木戸は女装とはいえ胸を作っていないので、すっかすかである。ルイがBなのもあるし、この会場で偽胸をばばーんというのもなんか違うと思ったのである。むろんそんなにでかいカップの下着が手持ちにないからというのもあるけれど。姉のを借りるにしてもアンダーがさすがにきついし、どれだけそのカップに詰め物をすればいいのやら。夢や希望では胸は大きくならないのである。
「じゃー、手を挙げた人はそれぞれ、一人ずつテーブルに混ざってもらっていいかな? うちのクラスの女子はそのなんといいますか……ときどき残念な方もいるので」
目を配っていただけるとありがたいのですというと、手を挙げてくれた子たちは、かまいませんよーと適当に散らばってくれた。ああ、本当にいい子たちでありがたい。ちなみに三人娘の一人のヤンキーさんも実はできる人らしくって、一つのテーブルを見てもらった。
「それでは、去年に引き続き、いろいろして行きましょう。うちのクラスのに関してはクラスメイト全員分のチョコ詰め合わせ希望だそうなので、いろいろ試作して食べつつ、おっと、試食しながらどのセットにするかを決めるということで」
他のみなさんはどうしますー? と話を振る。
わがクラスの分は残念ながら用途がある程度決まってしまっている。
けれど他に集まった子は基本この場を借りて、チョコ自作しちゃおうっていう感じなので、作るものは自由なのだ。
料理教室みたいな感じにはなっているけれど。どこまでいっても自由に作っていいのである。
「好きなの作る子はそれとして、私は木戸先輩が作るのの手伝いしようかと思います」
「こらっ、ちーちゃん。ここではかおたんと呼んでくださいな」
特につくるのないしー、同じ感じの試してみたいーと八割くらいの子から声が上がった。
せいぜい自分でレシピを持ってきているのは数名といったところだろうか。
もしくは、もってきていてもそこまでできる子は家でも自分で作れるから、まわりに合わせているのかもしれない。ある意味お祭り気分というやつだ。
ちなみにかおたん呼びをあえてさせているのは文化祭からの流れがあるからである。男子という印象をあまり持たせたくはないのだ。
方針はとりあえずこれで決まった。
それぞれうちのクラスの子たちは作る予定だったものを試作していく。
時々火の手が上がったりしていたのだが、さすがに見なかったことにしておこう。
そうして出来上がったものを試食と称してつまんでいく。
「ちょっち火加減強かったかもね。苦みが出ちゃってる」
ビターといえばそうなんだけど、と苦笑を浮かべると、そのテーブルに入っている別のクラスの子がきらきらした視線をこちらに向けてきた。
「あの、かおたんさんって、春隆くんの幼馴染って聞いたんですけど」
「彼ってどんなチョコが好きか知ってます?」
おどおどとしながらそれでも勇気を振り絞っての質問に、内面であーあという単語が浮かんだ。
いろんな意味を込めてのあーあだ。
なにぶん中学の頃のあいつの姿のほうが印象が強いので、あのウサギっこがどうしてこうなったという感じなのだ。
「今はちょっとカッコつけてるけど、あいつは砂糖たんまりとか甘いもの大好きだよ。昔家でバタークッキー焼いたときは、なんで砂糖かかってないの? とかうるうるした目で言われたし」
あの時は本当にかわいかったなぁーと、とてとてついてくるハルを思い出して頬を緩めてしまう。
気分としては小さな弟と姉の関係といえばいいだろうか。小さいころにねーさまなんていって近寄ってくるのに、高校生になると見上げるばかりに育ってしまっていて、昔はかわいかったなーなんて思うあれだ。
「んなっ。幼馴染……うらやましい」
「ここに最強のライバルがいたか……」
一部の女子から不穏な空気がこちらに向けられていた。ごごごごごとか背景で書かれてしまうような感じだ。
そんなことをいっても、あいつと幼馴染なのはかわらないのだし、そんな目で見られてもこまる。
「あの、かおたんさん自身は春隆くんのこと、どう思ってるのかな?」
なんか、いっつもかおたんのことを話す春隆くんがちょっと特別って感じ出してたから前から気になってたのと、その子は言った。
その時は本当に仲の良かった友達だったんだと思ったようだけれど、今日これを見せられたらその確信が揺らぐ。
春隆くんはすでにこの姿を知っていて、実は中学の頃に二人は付き合っていたんじゃないかとすら思えてしまうから不思議だ。
「そこらへんはなんともかな。あいつも最近はそんなにちょっかいかけてこないし、それにあくまでも友達同士って関係だったよ。いじめられてたあいつをかばって、それから一緒にいるようにしてたってだけだし。男同士の友達なのです」
そう言い切っても彼女は、えーと不満そうな顔をしていた。
まあこの顔で男同士といっても、どうせさくらあたりに、そのドヤ顔はどうなのとかいろいろいわれるのだろうが。ちなみに彼女は今日は用事があるそうで不参加だ。
「男同士だとしても、腐った関係というのは、みなさんの大好物なわけで」
「うぅ、斉藤さん、その話を引っ張り出すのはやめてー」
ふふんと彼女が古い話を持ち出してきて、あぁそういえばみたいな雰囲気が周りに流れた。
せっかく忘れていたというのにトラウマを表に出すのはやめていただきたい。
「ともかく、あいつとはこっちとしては友人だと思ってるよ。あっちがどう思ってるか知らないけど」
あえて男声に戻して、そういってやると周りから、うおっという驚きの声が漏れた。
こっちの格好だとどうしたって、異性の相手の話をしているという雰囲気がでるので、違和感がでることが承知での行為だ。これなら男友達と見てもらえるかもしれない。
「そんなことより、本番まで日にちもないんだし、ハルのあんちくしょーにおいしいチョコ上げたいならがんばろうか」
まったく、モテモテでこまりますぜ、と冗談をいいつつ彼女の手が動くのを待つ。
あいつがどうするにせよ、アタックする側はそれなりに誠意と品質を用意して臨むべきものである。
「さて、今年はみなさん手際がよくてなによりであります」
とてとてとそっとテーブルから離れて、一枚その全景を押さえておく。
使っているのはイベント委員用のコンデジだ。さすがにルイのカメラはここには持ってこれないのでこっちで我慢しておく。いちおう学校公認のイベントでもあるのでせっかくだから撮っちゃえば? なんていわれたのである。
後で参加者に了解はとるにしてもサーバーに上げてもいいような表情がごろごろしていて楽しい。
なんというか、うちのクラスの子たちですら気分が沸き立っているというのがわかるし、チョコを鼻にくっつけて笑ってる姿とか、幼さが垣間見えてとても良い。
一部では本命チョコを作るための真剣な姿なんてのも見られるし、それぞれのバレンタインを楽しんでいるようである。
「できたぁーー!」
あとは冷やすだけーというような感じでみなさんがある程度作業を終えたので、こちらもそろそろ仕上げに入る。
もちろんさっさか渡すチョコは作り済みである。
クラスメイト分は作ったのでもう、あとは適当に詰め込んでおしまいでいい。正直、男子にやるチョコにそんな本腰を入れる気もないし、食べられるものになっていればいいのだ。それは女子相手の友チョコであっても同じである。そもそも去年と同じく誰がどれを作ったのかは謎なままなのだから、好きに想像をすればいいのである。
そんなことよりもむしろ今はもっとやりたいことがあるのだ。
包装とかテーピングとかどうしようと盛り上がっている調理室の中に、ふわっと濃厚なバターの香りが広がった。
調理室は器具がたんまりあるのがありがたい。こんなもんを使い放題とは羽田先生は本当にうらやましいと思う。
そう。オーブンのタイマーが切れて扉を開けた途端の香りに、みなさんが反応したのだった。
「ちょ、かおたんさん……なにをやらかしてくれてんですか」
斉藤さんが恐る恐るこちらに疑問を投げかけてくる。こいつはまったくというのが顔に書かれている。
「なにって、そろそろみんなお腹空くころでしょ? どうせだったらお腹を満たしておいてはいかがかなと思って」
焼いておきました、とスコーンとクッキーの盛り合わせをアフタヌーンティースタンドにのせつつ、各テーブルにサーブしていく。
「ジャムは羽田センセからの差し入れ。なんか五種類くらいあるっぽいから好きなの使うといいよ」
正直、サンドイッチとかそこらへんも行きたかったんだけどねぇといいつつ、夕飯前だしここらへんの軽いものでーとみなさんにウインクを一つ。
すげー、かわえーといろいろ声が漏れるものの、そこらへんはクッキーの形のせいかもしれない。
普段は適当に四角にしてしまうのだけど、今日は珍しく動物の型で抜いてみたりしたのである。調理室の備品にはそんなものもあったのだ。
残念なのは色合いが茶系に偏っちゃうところだけれど、微妙にチョコチップをまぜたクッキーを入れたりもしているので、まあ及第点だと言っていただきたい。
「うぅ、言ってくれれば手伝ったのに」
せめて紅茶の配膳のほうはさせてよーと、斉藤さんが言うので、千歳が入れてくれた紅茶の配膳をお願いした。
紅茶のほうはすでに千歳が用意してくれている。なんだかんだでちょくちょくシフォレに遊びに行っている成果なのか、彼女の入れる紅茶はかなりおいしいのである。
「さっくりしっとりで幸せすぎる……」
バレンタイン最高と誰かが言って、調理室の中は甘い香りに包まれていた。
その空気感すら残せればいいのにと思いながら、木戸は再びシャッターを切った。
バレンタイン企画1。つくるー、終了です。
次回はたべるー、です。
男子の反応と女子の反応で違いを出せると良いよねと思っています。
さて、今回のアフタヌーンティーセットですが、ほんっと軽めです。スコーンとクッキーだけでいいのかなと思いつつ、これ以上はどこかの有能な執事じゃないと無理だなと思ってこうなりました。出来立てのスコーンはとてもおいしいと思うのです。
それと昨日作者道端で盛大にこけまして、膝がぐちょっとしてまして、最近なんかこんなんばっかりだなーとしみじみ。で、でも来週は平日休みたんまりだし温泉いってくるんすよ! この傷で硫黄泉は大丈夫なんだろうか……




