132.
木戸の家から歩いて十分程度。そこに白で統一された外壁のその店はある。
外見的特徴はまあ、若い人から言えば普通だろうか。昔はザ・昭和という外観だったのだけれど、今の店主が改装したのが三年前くらいだろうか。なにぶん田舎の美容院なので、周りとの兼ね合いとかいろいろ考えた上でなのだろうけれど、町では有数のオシャレ物件である。
その中で唯一残っている昔のパーツ、古びた扉を開いて中に入ると、ふわっと美容院独特の匂いが鼻にきた。いろいろな染料の匂いといえばいいのだろうか。それともシャンプーの匂いなのだろうか。
「よっ、いらっしゃい。久しぶりだね馨くん」
「どもー 受験前だからきちっと髪型やりなさいって言われまして」
約束通りの時間に行くと、すでに美容師の司さんが準備を整えて待っていてくれた。
年の頃は三十過ぎくらいだろうか。まー見るからにちゃらい大人、ではない、外見に気を遣ったおしゃれなにーさんな彼とのつきあいはそれこそ小学生の頃からになるだろうか。
ここらへんの人達は数軒ある美容院のうちの一軒を幼少の頃は使うものだ。あ、男子の場合は理容院も何軒かある。たいてい親の行きつけにそのまま行くみたいなのが多い。
高校くらいになるとちょっと都会の美容院に行くようになっていって地元で切っているのはそんなにいない。下手をすると都心まででかけて、カリスマ美容師に切ってもらうなんていうのもいるのだそうだ。
ではなんでいまだに木戸がここに来ているのかと言われると、まず一つ目は都心のほうの美容院に行く理由がない。ウィッグにはこだわるけど、別に男子のほうはどうだっていいのだから。
でもそっちは消極的な理由。それよりも大きな理由が一つある。
「あーもうそんな年だっけか。なんかもー歳を実感しちゃうよねぇ」
時間が経つのが早いと彼はぼやくものの、大人からすればそういうものなのかもしれない。こちらとしてはここ五年は本当に長かったのだけれど。
「そうはいっても司さんだって、そこまでの歳でもないじゃないですか」
苦笑を浮かべつつ周りを見ても、お客の姿は一つもない。
時計をちらりとみるとまだ七時半である。
そう。この店を使っている一番の理由。それは開店時間前にお店に上げてくれてカットをしてくれるということである。どーせ馨くんはパーマとか染色とかしないし、時間もかかんないからいいよと言ってくれているのだ。ここらへんは地元の馴染みならではである。
何でこんなことになったのかといえば、それは中学二年になる頃のことだ。
ちょうど眼鏡をつけてここに来たら、どうしたの? 目悪かったっけ? なんて話になって、事情を説明したらそんな流れになったのだった。
あらかじめ連絡くれれば時間外でやってあげるよ、という親切な申し出にすがるようにこうなった。
確かに減ってはいるとはいっても地元の人達はここを利用する。そして髪を切るときはどうしたって眼鏡を外さないといけないのだ。カットの時はまだしも髪を洗うときはまず無理。カットだって耳周りをやるときには眼鏡は邪魔だ。
さて。それを外せば思いっきり女顔というわけで、それを知っている司さんからはそこまで驚かれはしないのだけど、周囲の人間が見たときにえ? となるのを防ぎたいのでこの貸切状態はとってもありがたいのだ。特にルイを始めてからは、髪が短い素顔を見られるのは困るのでとてもありがたい。
そんなわけで、美容院の椅子に座るとふわふわのそれに身体が沈む。体重が増えたわけではないのだけど、このクッションの多さはちょっと身体に悪い。ケーキとか食べまくっているし、受験で外回りしてないしちょっとお腹周りが心配である。
大丈夫。木戸家の体重計は嘘をつかない。
「今日はどうしよう? いつもみたいな感じでいい?」
「そうですねぇ。まあ受験ですし少しおとなしめでいきましょう」
普通の男子っぽい感じでと、どうしようもない注文をしてみるのだが、別に男子状態ならそこまで髪型にこだわりがないので司さんに丸投げだ。今までの経験上からかってはくるけれど、最終的にはちゃんとやってくれるのはわかっている。
「相変わらず木戸くんの髪はきれいだよなぁ。いっそ伸ばしてみたりしない? 最近は男の子でも髪の毛長い子多いし」
さわさわと頭を、正確には髪をなでてくる司さんの手は柔らかくて大きい。少しくすぐったくてにへっと頬が緩みそうになるのだが、今は男子状態なので自重である。
「いやぁそれ親がNGですもん」
「おやがーなんて言っているうちはまだまだお子さまなのだぜ」
そうは言われましても、本気で髪を伸ばしたら両親はいろいろな意味で頭を抱えるに違いない。姉あたりはあーあやっぱりそーなるかとかあきれ声で言うだろうけど。
「しかし大学受験の写真で男子が長髪はオッケーなんですか?」
「まー大学に関しては成績重視だし中学とか高校受験と違ってそこまで外見は重視されないっぽいよ。俺は美容系の専門だからあんまわからんけど」
清潔さ重視の学校とかだと厳しいかもなとアドバイスが来る。もしかしたら調理師とかそこらへんは厳しいのかもしれない。
「どのみち伸ばすつもりはないんですけどね」
「そんなー。せっかくそこまでケアしてるんだから、いろいろやらかしてしまおうよー」
ほらーショートボブっぽい感じで女の子っぽさ全開にしたりとか、せっかくだから縛ってみたりとかしない? と冗談まじりに司さんは髪を一束手で握って鏡をみる。
「うっわ。女顔なのは知ってたけどふっつーに可愛い」
「うぅ。もう十分知ってるんだからそういうのはやめてー」
いちおう男声で不満をのべる。小さい頃からの付き合いなので、口調はどうも柔らかくなってしまうが、特別変には思われない。
「でも、ここのところホント、女の子として可愛くなってると思うんだよねぇ。学校じゃ大丈夫なのかい?」
修学旅行のくだりは聞いたけど、風呂入るイベントってないんだっけ? と司さんは興味津々だ。
そこらへんも聞きたくて朝の時間を使ってくれているのかもしれない。
ちなみに、修学旅行の青木との件はさすがに内緒にしている。男に襲われたなんて言われたら、この人はやっぱりねーっ目を輝かせるに決まっている。
「まあ眼鏡だけ外さなきゃなんとかなります……っていうか、女の子として可愛くなってるっていう言い分はちょっとどうかと」
「でもほら、大人の色香が出始めてるっていうか、すっぴんなのにこのまま町中歩いたらナンパされるんじゃないかい?」
さぁツインテールにしようと彼はむぎゅっと髪を両サイドで束ね始める。長さがそんなにないから下にたれる感じにはならない。
「うぅ。司さん冗談はいいからそろそろカット始めちゃってくださいよ」
「えぇー、今の感じで遊ぶの大好きなんだけどなー。せっかく良い感じにかわいいショートなんだから毛先そろえるくらいで是非!」
「だから女子っぽくするのはナシです。どうしてそうノリノリになっちゃいますか」
なんだかこのノリは崎ちゃんのメイクを担当しているあやめおねーさんみたいだ。あっちは女子を作るという前提で動いていたからわかるものの、司さんまでこうなるのは勘弁していただきたい。
「むしろうちのカットモデル引き受けて欲しいくらいに可愛いのになぁ。ねーさんがおいていった和装とか似合う髪型に是非してあげたい」
「和服も……って、そっか美容院で着付けまでやるんでしたっけ?」
「そうそう、まー成人式合わせだったりお正月合わせだったりそろそろシーズンだね。逆に十二月は……ああ、クリスマスで仕掛ける女子が割とくるか」
まあうち田舎の美容院なんでそこまででもないけどねーと、ゆるーい反応がくる。
若い子は都会に出てしまうのをよく知っているらしい。
「そんなわけで、ミニスカサンタコスとかどうかなー? 馨くんなら絶対に似合うと思うんだけど」
「うぐっ」
確かに太ももあたりはきれいと言われるしミニスカも似合うのは似合うだろうけど、ミニスカサンタはさすがにいかがなものだろうか。ルイとしてクリスマスパーティーにでるならありだろうけど、男相手にいう台詞ではない。
「あー、馨くん想像したねー、今。ミニスカサンタかわいいよねぇ。僕も忘年会とかケーキ屋でしか見たことないけど、あれはほんといいもんだよね。高校生バイトな子が店頭でクリスマスケーキを売る初々しさもよかったりして」
「相変わらず広いレンジをお持ちですね……」
緩みきった顔で、シャンプー台に通されると、シャカシャカと髪を洗ってくれる。
力のいれ加減は相変わらず上手い。寝不足ならそのままとろっとろに寝付いてしまうだろう。
「相変わらずなのは馨くんの方じゃないかなぁ、まったくこの髪質維持するの大変だろうに。癖のないキューティクルしっかりな髪とか洗っていてわくわくしてしまう」
「女性の髪型は駄目ですからね。いつもどおりでいいですからね」
「もったいないなぁ」
くすんと嘆かれてしまったものの無理なものは無理だ。そもそもそこそこの長さに切っていただかないと美容院にくる頻度も上がってしまう。毎月くるなんてことは経済的に無理なのだし、大学に入学するまではなんとか持たせたいものなのだ。むしろショートカットを維持している女の子は尊敬すらしてしまう。すぐに伸びるし、それを維持するためには定期的にここに来なければならないのだ。
頭が洗い終わったら軽くブロー。
しゃきり。耳元ではさみが通る音がする。
「まあ切っても、男には見えないっていう恐ろしい状態なわけで」
さっくりと切り終えたところで肩に手を置かれて鏡越しにこちらを直視されると、むぅと不満げな顔がでてしまう。たしかに髪は短くなった。なったのはいいのだけど、やっぱり眼鏡をはずしていると女顔に見えてしまう。
おかしい。
「ベリーショートの女の子って感じだよね。これ」
「司さんわざとそれっぽく切った訳じゃないですよね」
「そりゃそーだよ、お客さんの注文にはばっちりお答えしております」
それでも大人っぽくなった馨くんの前では太刀打ちができない、下手をすると坊主でも駄目なんじゃない? と言われてずーんと肩を落としてしまった。
いや、普通に男子ですが。普通ですが。
どこをどうみても童顔な男子ですが。
め、眼鏡さえかければもっさり男子になれるはず、と思って眼鏡ケースから顔の一部を取り出そうとしたそのとき、入り口の扉が開いてチリンと鈴の音が鳴った。
時計をちらりとみてもまだ開店時間までまだある。
「やっほー、司ー、今日は早いのねぇーって……お客さ……は? ルイちゃん?」
「へ?」
ルイという単語に思わず高めな声が出てしまった。
この髪型でその呼び名。誰だ一体とそちらを向いたらお久しぶりな顔があった。
「これまたばっさりいったわね。はっ、まさか失恋かなにかあった!?」
うわ。去年のお正月に和装の広告のためにということで声をかけてきた若宮小春さんだ。
「ちょ、姉貴。うちのお客さんに難癖つけないでくれよ」
そもそもルイって誰だよと言う司さんの困惑顔に姉の方も不審そうな顔を浮かべる。
ううむ。ややこしい状況になってしまっているようだ。
「難癖もなにもルイちゃんじゃない。去年広告作ったときあんたにも見せたでしょ。かわいいなーとかなんとか言ってたじゃない」
「いや。この子は可愛いけど男の子だぜ。姉貴が作った広告のコなわけがないじゃん」
「は?」
完璧に小春さんの動きが止まった。
去年、モデルのまねごとをしたときは、改めて性別の話はしていない。モデルをするに当たって少し条件をつけたり、本当に自分でいいのか聞いたりはしっかりしたけれど、当然小春さんはなんにも知らないわけだ。
「だからこの子はうちの常連の木戸馨くん。姉貴も小さい頃あったことあるはずだぞ。親父たちが相手してたころもあったし」
小学生の頃は本当にかわいかったよなぁと司さんが目を細めている。そう。ここを利用するようになったのは小学生の頃からだからその当時の姿を彼はよく知っているのだ。あちらもあちらで新米さんで親父さんにいろいろと指導を受けていた様子だって木戸は知っているのでお互い様なのだけど。
「……またまたぁこのお肌の質で男の子だなんてあるわけないじゃん」
そこまで言っても信じない姉に対して司さんは、うーんとうめいた後にそうだな、と何かをひらめいた。
「えっと、馨くん? なんかしゃべってみて」
さてどうしたものか。司さんの狙いはわかる。しゃべれば男子なのはわかるだろうと言いたいのだ。けれどそれでこの場をやり過ごしていいのだろうか。
いや。嘘はあまりつきたくない。言ってないだけが理想なのだ。
「まさか小春さんが司さんのおねーさんだなんて思いもしませんでしたよ」
思いきりルイのスイッチをいれて、にっと女声にきりかえる。
ただもちろんこれで終わりにはできない。今度は司さんのほうがぽかーんとしてしまっている。
「ほうらやっぱりルイちゃんじゃないの。こんな可愛い子が男の子な訳がないじゃない」
「そして男っていうのも、まあ正解です」
あんた何を言っているのという小春さんの声を遮って今度は低音でそう伝える。
二人がびくっとなった。ちょっとおま、という感じだ。
「この時間にいれてもらえるようになった理由は、司さんから伝えてもらうとして」
放課後ライフのことについて二人にさっくりと説明をしておく。
写真を撮ることが好きなこと。そしてそのために女装をはじめて、うろうろしていること。
そして去年その時に小春さんに出会ったことも伝えておいた。写真部の集まりに行くときに捕まったのだし、写真をやるときの活動として女装していた、という言い分は十分に通る。半分以上趣味だけれど、あくまでもこれは写真を撮るための女装なのである。
「じゃあ、君は高校三年間ずっとそんなことをやってきたのか」
「銀香のルイっていったら、そこそこここらへんだと有名よ? それを伝って今年もモデルの依頼をそろそろしようって思っていたんだけど」
うう、少し考える時間をちょうだいと小春さんはとことこ客用の椅子に座って、あーと体の力を抜いた。全部の体重を椅子に預けきると言うようなだらしない姿だ。けれどそうもなるのかもしれない。
今後どうするのか。そこらへんも大変だろうと思う。
それと、これはさっき思った推測だけれど、すでにルイがモデルとして出ている以上、店としてやれるのはどちらかになるのではないかと思う。
徹底的に隠す方向になるか、それともオープンにしてウリにしてしまうか。
さきほど小春さんはあの広告のおかげで売り上げが上がったというようなことを言っていた。
それならば、その二者択一だ。前者はいうまでもないけど、後者であっても物珍しさはついてくるだろう。そうなるとこちらとしては大アウティング大会になるので、いろいろと困ってしまうのだが。
「それならっ、むしろ髪をのばそうよ! もー大学入るなら髪型がどうのって言われないだろうしっ、ほら日常でルイちゃんやっちゃおうよ!」
去年の和装の写真が頭に浮かんでいるのか、司さんは熱に浮かされたような感じで木戸の両肩をつかんでぶんぶんと体を揺らしてくださった。女装に肯定的なのはありがたいけれど、いくらなんでも熱が入りすぎである。
「普段からは無理です。っていうかそういう病気じゃないんで。そりゃそれらしくすればさらっと回りはしんじこみそうですが、なんか実感としては写真を撮るモードがルイってだけで、別に普通に男子です」
えっ。という視線を二人に向けられたのだが、それでも基本の木戸はもっさり一般男子である。
「ま、まあいいわ。ちょっと休んで冷静になったから言うのだけど」
ふいと、小春さんは起き上がるとこちらの顔をじぃーっと見つめてきた。
「これから、モデル受けてくれない? 去年のあれが好調で、売り上げが12%ほど伸びたの。従業員の努力もあるけど、あの広告が決め手だったのよ」
今年もぜひーと言ってくる小春さんの顔は、いいのかどうかと思いつつも利益の方をとったというもう割り切ったものだ。
「短時間ならいいですが……いいんですか? 男なのわかった上でって」
「いろいろ考えたんだけどねー、むしろ胸がない分、男の娘の方が和服は綺麗にきれるのではないかとっ」
あれ。なんか変なほうに話が行きそうな感じなのだが。
「もちろんそうそうルイちゃんみたいな子がいるとは思えないけど、少なくとも去年のあれは大好評だったのだし、むしろ性別なんてどうでもいいんじゃないかしら」
今年も貴女に着せたいのがあるのです、ときゅっと手をあつく握られてしまうと困惑してしまう。
ルイのテンションなら普通に対応できるのだけど、今は眼鏡は外していてもいちおうは木戸馨としてここにいる。スイッチがそこまで入っていないので、手を握られるというのに少しばかり動揺みたいなものはある。
「それと、司? もうウィッグなのがわかったのならなおさらやりようっていっぱいあると思うわけよ。いろんな髪型させてあげて、服着せて撮影、おーけい?」
「おーけい、おーけい。姉貴の言いたいことはよくわかった。全面的に協力させていただきます」
覚悟、完了しておこうか、とぽふんと肩に手をおいて、司さんまでもが悪い顔をし始める。
まったくなにをさせるというのだろうか。
「これは口止め料こみってことで、とりあえず着せ替え人形になりましょう」
いろいろと髪型とメイク変えて楽しみまくるぞーと司さんがつやつやした顔をした。
あんだけいろんな女子髪型させたいといっていたものな。
「お、おてやわらかにお願いシマス」
断ることなんざもちろんできるわけもなくって。
怯えながら女子声でそうおねだりする以外、今木戸に出来ることは無かったのだった。
美容院ネタなんとかアップ完了。実際いろいろな格好させて萌え狂う所は脳内保管でお願いシマス。ちょっちいろいろあって情緒不安定です。べ、別に彼氏と別れたとかそういうんじゃないんですけどね!
明日のアップも夜10時くらい予定にしときます。ネタはあるにはあるんですが書き下ろししなきゃなので。




