013.あいなさんちでお泊まり
これは、二月のとある日のことです。
「もう少し早く帰れると思ってたんだけど、ごめんねぇ。つい楽しかったものだから」
あいなさんが少し申し訳なさそうに駅の時計を見る。久しぶりに二人で撮影をし続けていて、すっかり時間を忘れて気がついたら乗り換えの関係で終電はすぎてしまっていたのである。ルイのというか木戸の家はここから数駅行ったところだから、今からでは帰りようがないのだった。ぎりぎりまで電車で行ってそこから歩けば一時間くらいでは帰れるだろうか。
別に夜をあかすことは問題ないと思っていたのだけれど、女子高生一人を町中におけないとあいなさんは提案してきたのである。青少年保護条例みたいなのもあるらしく、大人としては未成年を町中にポイするわけにはいかないということなのだろう。
「私のうち、くる?」
あいなさんの家、つまり青木のおうちは木戸の家から電車で三駅のところにある。あの銀杏の町の二駅ほど先。とはいっても路線が違うからこの時間でも終電にぎりぎり間に合うのだ。
そこまで行けば、もう車さえあれば移動できないでもない距離になるけれど、残念ながらあいなさんは、免許は持っているけれど残念な腕前なのだそうだ。
バイクは乗れるそうだけれど、二人乗りをするのも危険だし、一晩ならば仕方ない。
いうまでもなくあいなさんの家に行くのは初めてだ。青木の家に遊びに来たというシチュエーションもいままでない。絶望的に人付き合いが悪いのである。青木のおうちで遊ぶなら、ルイとして写真撮影していたいのである。
両親は今日は出張でいないということだったけれど、それでも人様のおうちにお世話になるのはわりと緊張してしまう。電車の中であれやこれやと、大丈夫かなぁと思いつつ、無理は控えようという意識を新たにして、彼女の家の敷居をまたいだ。
青木のおうちは、両親と姉と弟の四人家族だ。木戸のうちと構成は同じ。実家は知らない。
家のサイズは必要十分といったところだろうか。ご両親の仕事だとか収入だとかそんなことを高校の友達つきあいで考えることもないので比較のしようもないのだけれど、豪邸でもないし、小さすぎるというわけでもない、というのが印象だった。
「ホントにお風呂いいのー?」
そんな家の中で。さいさん聞かれた質問に、うむぅと表情を曇らせる。
彼女がそういっても、さすがにこの状態でお風呂というのは無理がありすぎる。
残念ながら、がっつりメイクするだけの装備は持ってきていないのだ。
おまけに、いつばれるのかと冷や冷やで、かちかちになりながら勧められたソファーの上に座るばっかりだ。そりゃあメイクを落としても女子として見られる自信は多少はあるけれど、青木にすっぴんを見られるとなるとそれも危険なのだ。
「とりあえず晩御飯というわけで」
じゃん、と取り出されたのは、お酒のつまみという類いの、缶詰の数々だった。
そして、わくわくといった体で、彼女はビールのふたをカシャリとあける。
そう、ああ見えてあいなさんは割とお酒大好きな人だ。本当に。涙目になるほどに。
「今からごはん作る元気はないんで呑もうじゃないですかっ。ああルイちゃんはアップルジュースでいきましょう」
彼女が取り出したのは微炭酸アップルジュース。瓶に入っているから、どことなくワインやシャンパンのようにも見える。グラスにそそぐとぷしゅぷしゅと琥珀色の液の上に泡が昇っていく。
「きれいですねぇー」
「普段はたんまりお酒なんだけど、飲めない日ってのもあるから」
シャンパンのかわりみたいな感じ、と彼女は苦笑を浮かべた。
「うわ、リンゴが濃い……」
口の中で泡がはじけてぷつぷつ溶ける。
ルイでいるときの常で、グラスを両手で持ってアップルジュースを飲む姿はあいなさんにどう映っているのかと思いつつ、ゆっくり味わいながら飲んでいく。
「おつまみもじゃんじゃん食べよー」
はううぅん。日本酒と唐揚げもよいですなぁとあつあつの唐揚げを口に入れる。さっさかビールをあおった後は日本酒に移行しているあたり、あいなさんはペースも速い。
自分たちで作る時間もあまりなかったので、冷凍食品オンパレードなのだけれど、それでもアツアツに熱せられたポテトをつまむ。
「ふむ……こういうのが、高校生的な遊び……なんでしょうか」
「そうなのかもねぇ。カラオケとか行くと定番のメニューだし。まっ、あたしも普通の高校生活とかあんまり縁が遠かったからわかんないんだけどね」
あははとあいなさんは、遠い目をして昔を振り返る。
あいなさんは今年で二十五歳。青木とはずいぶんと年の離れた姉弟なわけだけれど、高校時代といえば八年くらいは前の話になるのだろうか。
「あたしが高校の頃もさ、写真撮りに休みは出掛けて、学校の友達とあんまり遊ぶ機会、なくってね。放課後ときどき誘われて遊びに行ったりもあったけど、正直あんまりなじまなかったかな」
お恥ずかしながらーと言うあいなさんを見ながら、あーこの人もやっぱり写真バカなのかーと再認識する。
ただ、やっぱりといっていいのか、性別までいじっているルイよりは多少は余裕があるのか、とも思ってしまう。こっちはあんまり高校で友達と遊ぶ時間もないし。
「ルイちゃんこそ、普通の高校生活、してるの?」
ん? とグラスを持ちながら小首を傾げて少しあいなさんが心配そうにしている。
それを言われると少し困ってしまうのだけれど、正直に白状をする。
「それなりに友達はいないではないですけど、どっちかというとさくらとか、写真つながりの友達のほうが仲がいいですよ?」
「ちょっと、ルイちゃんの高校生活っていうのは気になっちゃうんだよねぇ。なんとなくあたしに似てるっていうか、さ。でも学校では写真部入らないの?」
わざわざ、うちの学校こなくても、と少しとろんとし始めてきたあいなさんは疑問した。
まあ、普通はそうなるだろうけれどもね。
「写真は週末だけしか撮れませんからね。部活にお世話になるのもさすがに抵抗があって。そんな中でさくらと知り合って、学外部員なら頻繁に来れなくても問題ないよって話になってですね」
少しだけ考えて、間違いではない答えを探す。性別のことで一つ嘘をついている以上、他のことでごまかしをする気はあんまりなかった。別に清廉潔白というわけではない。ただ嘘をつき続けるとつじつまが合わなくなるところが必ずどこかで出てくるとルイは考えている。本当のことを言えるところは言っておいた方がいいのである。
「そうそう。最初にルイちゃんがあのガッコの部室に来た時は正直びっくりしたよー。みんなも驚いただろうけど」
「むしろ、一緒に撮ってるあいなさんが、講師やってる姿はこちらも新鮮でしたけどね」
「むぅ。普段はどういう相手だと思ってるの?」
「写真の先輩のおねーさんといったところですよ?」
そう。講義という形で撮り方を指導するというような場面は二人で撮影している場合はまったくないのである。
楽しく自由に撮る。基本はそれだけ。質問すれば答えてくれるというくらいな感じだ。
そのとき、オーブントースターがきれる音がチンとなった。
今度はアツアツのソーセージのご登場だ。
ほとんど酒のつまみ系だけれど、それでもルイとしてはさほど気にならない。
男の娘は女の子よりも食べる量が多い、と言われるけれど、ルイはそこまで大食漢ではない。コメがなくてもやっていけるのである。
「確かに、こんなに遅くになるまで撮影しちゃってるしね。あたしもいろんな人と写真撮ってるし、写真撮るだけでもぅ時間忘れちゃうのはあるけど、ルイちゃんとの撮影は特に楽しみなんだ」
いろんな景色が見られて、話し合えるのだと彼女ははっきりと言った。
「写真展とかで自分の世界を見てもらえるのはすっごく嬉しいし、そこに共感してくれたらそれはすごく嬉しいんだけど。ルイちゃんとだとこちらが知らない景色を見せてくれるから」
「それは、こちらも、です」
そう。きっとあいなさんが普段先生にならないのは、そういう景色を縛りたくはないからなのだろう。師匠と弟子という関係になってしまうと、どうしたって新鮮なものではなくなってしまう。
きっとあいなさんに教わることもいっぱいあるだろうけれど、それでも。あくまでも撮るのは自分の世界を。
そんなやりとりが続いて、あの写真はあーだこーだと盛り上がりながらも時間は過ぎていく。
ずっとこんな時間が続けばいいのに、と思いながら話をしているといつのまにか、意識がことんとなくなっていた。
気が付いたら翌朝だった。
うっすら昇る朝日がちらりと顔を焼く。
「はわっ、いつのまに寝ちゃったんだっけ」
終電で帰ってきて家に着いたのは一時くらいだったろうか。
それから夜食を軽めにいただきながら、昼間撮った写真の話をわいわいとしながら、何時になったかわからないけれど、いつの間にか寝ていた。
さわりと頭をいじると、髪の感触にほっとする。
泊まるとなったときに一番心配していたのが、頭をなでられるなんていうケースだ。
ウィッグはそこそこがっちり押さえているのだけれど、それでもわしわしと頭をなでられれば、ぼろりと外れてしまうこともある。
軽く欠伸をしながら起き上ると、借りてた毛布をぱたぱた畳んだ。エアコンのせいなのか少しだけ喉がいたい。
「おはよう! 起こしちゃったかな」
「おはようございます。自然に起きましたよ?」
睡眠時間が短かろうと、それなりに朝には強いのがルイのよい点だ。
自衛のためについた特技ともいえる。
「もうちょっとゆっくり寝ててくれて良かったのに。寝顔も撮りたかったし」
「無防備な姿を撮るのは反則、ですよ?」
くすりと寝起きから完全に女声でしゃべるのも、特技の一つだ。
こういう事態があるとは思ってなかったけれど、練習しておいてよかった。
「そういうのを、自然の風景っていうんだけどなぁ」
ふふっと嬉しそうにあいなさんが朝のコーヒーを入れてくれる。
ふわんと香る匂いは香ばしい。それを鼻に軽くくゆらせてから唇をつける。
薄い口紅の色がカップについた。
「でも、泊めていただいてありがとうございました」
少し恐縮しながら、ぺこりと頭を下げる。
夜に一人というのが怖くはないけれど、暖かいところにいられたのは良かったことだ。
「それじゃあ、そんなに申し訳なさそうなら、一つ私に恩返しを!」
きゅぴんと人差し指をさしながら、それをそのまま二階の部屋へと向ける。
「わが弟を起こしてきてくださいっ」
あっさりいうそのセリフに、全力で躊躇する。もちろん、声にも出た。
「男の人の部屋にばかすか入る勇気は!」
「大丈夫! 弟が被写体だと思えばいいのだ。ぱしゃっ、こうぱしゃっと這い寄りながらひぃーって」
あいなさんは気さくに奇妙なことを言いやがりました。
ついさっき、寝顔を撮るのはダメっていう話をしていたばかりだというのに。
もちろん、青木と接触してもそんなに問題はないとは思う。ばれるばれないという話にしてみれば、そうそうなことでどうこうなるとも思っていない。とはいえ異性の部屋にばかすかと入るというのは女子としてはどうなんだろうか。ルイの判断基準はいつだって、女子としてはどうか、である。
しかたない。
青木向けにこの営業声を使うのかと思うと、忸怩《じくじ》たる思いである。
青木はどちらかと言えばバカな身内みたいなものだ。あえてという気持ちのほうが大きいのだ。
それでも、しかたないと思いながら、二階への階段を上っていく。一階はリビングにキッチンといった感じだけれど、二階はそれぞれのプライベートスペースなわけだ。その一角に彼の部屋もある。
とてとてと階段を上っていくとスカートのすそが太ももを撫でた。なんだろうか、気分的にはルイなので男の人の部屋に行くのに少しだけどきどきする。
「青木さん、朝です。起こしにきたんですが」
「おうわをぶえ」
扉を開けて声をかけるとなんかひどい反応をして、青木はこちらの顔を見て起き上がったと思ったら、しぼんだ。ああ。布団に再びもどったのだ。
「あの、すみません。おねーさんから起こしてこい、それが泊めてやった恩だって感じで、来たんですけど……目を背けていた方がいいものもありますか?」
言うまでもなく、ルイは、どこぞのエロゲの幼なじみ達と同じように男子の布団の前にまたがって主人公を起こしたりはしない。さらには男の子の事情、というものを少しは知っている身としては、女の子に見せたくないものは何となくわかる。もちろん木戸の部屋にあるのは写真関係の本ばかり、ではなくファッション誌もあるが、見られて不味いものはおいていない。別の意味では不味いのだろうが、まず他人をあそこにいれることはないのである。
「えと……いや、気にしないでいいよ」
全力できょどりながら答える彼に、こちらも気まずそうに視線をそらす。
女の子だったらこうなのかな、というのを演じているだけでルイとしては別段どうとも思わないのだけれど、そのはずなのだけれど。演じてみるとこれはこれでけっこう恥ずかしいものがある。
「起きたなら、私は行きますね」
悪乗り……できるような間柄ではもちろんない。そもそもそれ以上会話を発展させられるほど我々の仲は深くもないのである。
「ああ、ありがとう」
さあどうしようと思いつつ、それでも役目は果たしたかと思うと、とても微妙な空気感の青木を取り残して、リビングへと戻るのだった。ミッションクリアーである。
友達の家でのお泊まりってわくわくしますよね! でもウィッグつけてのお泊まりはどきどきするのだろうなと。