126.
「こぅら、馨っ。今年は受験なんだからあんまりそういう格好しないって約束だったよね」
支度ができたので下の階の健とふーを呼びに廊下に出たところで、母に見つかってしまった。居間にいる二人をこそこそ呼び出そうとしたところで注意されたので思わずびくんとなってしまう。
「ひぃっ。これはですね、従姉妹たちのご要望がありまして」
是非みたいというのでやむなくというと、母はうーんと困ったような顔をしつつ、じゃあこれだけは守ってと言うのだった。
「叔父さんにはあまり見せちゃだめよ? あんたってあの人のドストライクだから」
あんた、母さんに似てかわいいからと自分を引き合いに出されても反応に困る。
あれ? もしかして姉や自分が小さい頃に優しくされたのってそういうことなんだろうか。たしかに姉も自分も母親似だ。髪質は父に似ているけれどあとはシャンプーなどの使用でも変わってくるのだろうか。
さっきの話ぶりだともともと叔父さんと付き合っていたということみたいだし、彼のドストライクというのにはまるというのも確かなのかもしれない。
そうなると直接会うのは避けたほうがいいかもしれない。いくらシルバーフレームの眼鏡をかけているとはいっても変なトラブルに巻き込まれるかもしれない。
「だったら、たけとふーを是非とも呼んできていただきたいのですが」
「はいはい。しかたないわね。上で待ってなさいよ」
絶対下に来ちゃダメよと念を押されて部屋に戻る。
そして待つこと数分。
「こねぇ……あいつらこねぇ」
ベッドに体育座りをして待っていてもまったくもって二人は来なかった。全身が見渡せる姿見に映る姿はしょぼーんと一人で待ちぼうけさせられる女子高生の姿だ。ウィッグは本日はいろいろ考えてルイが使ってるものを使用している。クロキシ相手にあの髪型で眼鏡をつけるだけでどういう反応になるのか実験をしたいと思ったからだ。あとはいうまでもなくスカート姿。もう少し季節が早ければワンピなんていう選択肢もあったわけだけれど、もう暑さもおちついてきているので、秋の落ち着いた装いである。
さて、そんな万全な状態に仕上げて、階下に下りてからもうすでに五分以上は経っているだろうか。それでもいっこうに二人が来る気配はない。
どうしたんだろうか。さすがに帰ってしまったというのはないだろう。それなら一声くらいはかかるはずだ。
それなら母さんが急に電話にでて、完成したのを伝えられてないんだろうか。
電話の音は聞こえてこなかったけれど、それはありそうだ。ならもう一度下に降りるしかないか。
すと。
素足を地面につけて、ひんやりとした感触を味わう。
部屋というのもあって、今日はソックス系はなしで思い切り素足だ。もちろんハイソックスやニーソックスもかわいいと思うし、足の形をしっかり出すという意味合いでは理にかなっているけれど、せっかくなので今日は生足攻めである。肌質はとてもよいしスキンケアもしてあるから、普段女装慣れしているクロキシのために見せびらかせてあげようと思ったのである。毛の処理ももともと薄いのはあっても習慣で定期的にやっているので密林なんてことは絶対にない。
「叔父さんに見つからないようにって言われても……うーん」
こそこそと自分の家なのに、周りを見ながら進んで行く。
おじさんはおそらく居間にまだいるのだろう。そうなるとソファに座っているであろう健とふーだけを呼び出すためにはどこの扉からこそこそ手招きをすれば良いだろうか。
そんなことを考えていたからか、背後からの不意な声にびくりと身体を震わせた。
「おや、きみは……牡丹ちゃんかい?」
「えと……その」
見つかった。健二叔父さんの声だ。居間にいるとばかり思っていたのに、トイレに席を立っていたらしい。まったくタイミングが良いんだか悪いんだか。
確かに家に見知らぬ女の子がいるとなったら、最後の選択肢として姉が帰省したという以外にないだろう。どうしようか。完全に女の子を演じることもできなくはないが……自分と姉とで決定的に違うところもあるし、似ているかといわれたら、似てるところもある、というのが我ら姉弟の見た目である。
嘘をついても後で簡単にばれる気がする。
「姉は東京ですよ。なかなか帰ってこないって父様たちも愚痴っていたではないですか」
「って、馨くんかい。なんていう格好を……いや、かわいいけど」
姉、という単語を聞いて連想が行ったのだろう。すぐに馨だとわかったようだ。女声にしているし口調も変えているというのにそれですぐに気づくというのはどうなのだろうか。先ほどのもっさり状態を見ているというのに、つっこみもまったくなしというのもどうかと思う。
「たけとふーに、女装姿是非みせて! とか言われたからやってみたものの……まったく部屋に来てくれないんで様子を見に来たんです」
もしかしたらさっき会って話した数分よりも五年前の印象の方が強いのだろうか。あの頃はまだ声変わりもしていなかったし、どっちかというと今つかっている声に感じは近い。外見的にも……あの頃から順当に育ったら今の格好になるんじゃないか、なんていうのは野々木さんの言だ。どう間違っても男子高校生をしている木戸馨は成長を間違えているのだとか懇切丁寧に説明してくれやがったわけだけれど、それは野々木さんの頭がおかしいんだろう。
「なにやら、携帯に集中してるよ。あんなに二人で話してるの初めてで驚いたんだが」
何を見てるんだろうねぇと彼は居間に木戸をエスコートしてくれる。
扉を開けてくれたりしてくれちゃってるのは、そういうことなんだろう。たしかに母が言うとおりドストライクなのかもしれない。
「あれ、馨にー、どうした?」
「どうもこうもっ。準備終わったって連絡いかなかった?」
「あー。来たんだけど、ふーがな。ルイさんの写真に釘付けになってて動かなくって」
ああ、WIFIがーって言ってたのはそれでか。サムネイルはさほどではないけど、アップしてある写真はjpegなのもあって5~6Mくらいだ。枚数を大量に見るとなると、確かにそこそこパケットを必要とする。
ちなみにルイが借りてるスペースは5Gあってそれの三割くらいがすでに埋まっている。エレナのほうは15Gくらいスペースがあるから、もし足りなくなったら言ってねとはいわれてる。
あっちもあっちで自分の写真をばかすか置いてあったりするので、用量はわりと食っている。きっと足りないと言えばすぐにでも追加はしてくれるのだろう。お金持ちはすごいものである。
「ああ、馨にー? あれ……おわっ。まじやべぇなそれ。シフォレの時もかわいいって思ったけどそれ以上……」
「もぅ。おそいよー。そんなに熱心に誰の写真見てたの?」
あれだけ楽しみにしていた従兄弟の女装姿を放ってまでどの写真を見ていたのかはちょっと気になる。
健は顔をあげてこちらを見てくれたけど、楓香はまだまだ携帯に夢中だ。
「あ、うん。いろいろ。エレナさんのはもちろん、他の人のも……すっごいいっぱいあってつい見入っちゃった」
「ふうん。特にお気に入りとかある?」
ソファに座ってスマホをのぞき込んでいる二人の後ろから、体をかがめて楓香の手にある端末の絵を見る。
そのとき髪がふわりと揺れて、かすかな芳香を周囲に放った。
「うわっ、馨にー、香水つけてる?」
「ん。ああ。ウィッグに残り香がついてるだけじゃないかな。今日は短時間だしつけてないけど」
前に使ったときに軽く吹きかけた香水のにおいが残っていたのだ。
「えと、馨……さん? おすすめはコレなんですが」
スマートフォンの画面を見せつつようやく顔を上げた楓香は、うあっと声をあげつつ目の前の人物をどう呼べば良いか少し悩んで、さん付けに落ち着いたらしい。確かにこの格好で、にーはさすがにちょっとである。
「クロキシもそうとうだけど、ノエルさんもかわいいよね。少年コスオンリーっていう徹底っぷりでショタキャラの多さではピカイチっていう」
「って、ご存じなんですか!?」
なぜか従姉妹どのの言葉遣いが変わったような気がするけれど、気にしない。
「まさかレイヤーってことは……ないよな。あったことないし」
この完成度なら見てわからない訳がないしな、と彼は言い切った。
なんでこんなにコスプレに詳しいんだと言いたいのだろう。しかもやたらとキャラクターに詳しすぎる。レイヤーで参加してもここまで他のレイヤーさんに詳しいという人はそう居ないんじゃないだろうか。
「友達にコスプレ詳しい人がいて、その人の受け売りだよ。あたし女装はするけどコスプレはあんまり得意じゃないし」
キャラ作りがあんまりできないんだよねーと苦笑を浮かべてみせる。
三月にやった卒業生のためのイベントで、ルイとしてコスプレしたときのことを思い出していた。
女子としての自分は確立しているけれど、そこに別キャラをかぶせるというのが難しいのだ。
「女装は……するんだ……」
ふわぁと彼女はとろんとした声をあげた。
ようやく視線を完全にこちらに移してくれたようで、やっと横顔ではあるものの至近距離でこちらを見つめて、うわっとやっとこちらの姿に気づいてくれたらしい。
「従兄弟が女装ですごい美人なおねーさん……まさかこんな展開がありえるとはっ」
「いちおう今年は受験生ですからね。あんまり派手に動けないんだけど……」
それでも女装してないわけではないのは、もうご存じの通りだ。
撮影も二週に一回は行っているし、エレナたちと遊びに行くときだって女装しているのが普通になってしまっている。
「受験生っていうとルイさんも同い年なんですよね。このエレナさんも。活動縮小中って書いてあるし」
「あー、たしかにな。錯乱と狂乱が会場にあまりこないってんで、ちょっと物足りないっていってる人も結構いるし」
そんな風に話題にしていただけるのはカメ子冥利につきるというものである。
「お? でもNEWってなってる写真あるじゃん。ふー、それ俺もまだ見てないからクリックよろ」
「はいはい。妹使いの荒い兄ですね、まったく」
携帯を横向きにして写真を表示させる。
少し大きめな画面には海の風景が写し出される。
そしてエレナの水着姿が表示された。海に行ってきました。ちょー楽しかったと解説が入っている。
「ぬなっ。エレナのやつ、これアップしちゃって……いいのかなぁ。どっからどーみても女の子の顔じゃん……」
「うわぁ、とろけそうな笑顔……てか。コスプレじゃない写真アップしたのって初めてじゃね?」
「水着自体はこれもコスプレなんだ。なんかの男の娘キャラだって。解説入ってる」
そう。あのときもそんな話をした。ちょっと個性的な水着だねといったら、だってコスだもんとしれっと切り返してきたのだ。どんな作品にも水着回はあるもんで、そんな中で男の娘が実際にきたものなのだという。
男が女性用水着なんてきれてたまるか、なんていうのは一昔の常識である。
「だとしてもこの表情やべぇ。男の娘なのか確信がゆらぐ……」
普段よりかわいい、デレ顔すぎると健は頬に手を当ててやばいーこれやばいーと興奮気味だ。
隣によーじがいたしなぁこれ。すごい乙女顔してやがんなーこいつぅとか思いながらシャッター切ったんだ。そういう反応がいただけるのは狙い通りだ。
「だから何度も言いますが、この人はどうみても女の子だってば」
もう二人ともどうしてそんなに意固地なんですか。水着を男が着れるわけないでしょうと、あきれた視線を向けられてしまった。
「難易度は高いけどできなくはないぞ。俺は無理だができる人はいるっていうし、あんがい馨にーならできるんじゃ?」
「あ。うん。水着は問題ない。六月に市営プール行ってきたし」
あああ、もちろん女子更衣室は使ってないからね? ほんとだからね? と念を押しておく。
親戚が犯罪者というのはさすがにちょっとと思ってしまうだろう。
「それって、やっぱりタックつかって中にいれるんですよね? い、痛くないですか?」
こちらの顔を思い切り見たせいなのか、健は少しだけきょどりつつ丁寧な口調で話しかけてくる。見知らぬおねーさんに声をかける……以上にタックネタを聞くのが恥ずかしいのだろう。
「痛くはないけど……ちょっと変な感じはあるよー。水着の時はテーピングとかも必要になる、かなぁ。服の時はガードルとかで押さえれば問題ないっていうけど……正直、スカート派なので日常でタックはあんまりしないんだよね」
エレナあたりは毎日やってそうな感じもするけれど、ぴったりした服を着なければそこまで必須なスキルでもないというのが正直なところだろう。慣れればそうでもないのかもしれないけど。異物感というものもあるし、なにより身体に良い行為とも言えない。
「えと、今度よかったら教えてください。声も含めて」
「あー、あとで声に関してはテキストはあげる。後輩用に前に作ったのあるから」
うん、と去年作った資料の保管場所を思い浮かべる。たぶんすぐに見つかるはずだ。そのテキストを読み込んでもらってから、実地で教えるのが一番早い。
「声?」
どういうこと、と楓香はきょとんとした様子だ。クロキシと木戸のやりとりを知らない彼女は、いまいち話が見えないらしい。
「ふーは気づいてないのか? 今、この人の声ふっつーに女の人にしか聞こえないだろ?」
「あ」
ようやく気づきました、という楓香の顔が驚きでぽやんとしてしまっている。
どうにも女声を出していること自体は把握していたけれど、それがおかしいことという認識がなかったらしい。
「だ、だだ、だって見た目こんなんだし、ふわっとしゃべられてもそのままそういうもんだって思っちゃうよ」
「普通、声変わりした男がこんだけナチュラルな声を出せるわけないだろう。俺だってそうとうコスの時は無理して声だしてるけど、おしいって言われるし」
だから、完全にそれを使いこなすこの人に、教えてもらおうって話があったわけ。
まーそのときは従兄弟なのわからなかったけど、と補足が入る。こっちもはっきりってさっぱり気づかなかった。
「タックに関しては、参考にしたサイトは教えてあげられるけど、それ以上は自分でやってみて? そう難しくないから」
さすがに実地研修は恥ずかしいのですと、うつむき加減に答えてあげたら、わーごめんなさいと、健は顔を真っ赤にした。なにかを想像したのかこいつは。
「水着オッケーだとしてもこの表情は絶対好きな人と一緒で幸せって顔だと思うんだけどなぁ」
恋する乙女みたいな感じっていうかと楓香が断定する。
やっぱり見る人が見るとわかるものなのだろう。
キャラ作りという意味では、この水着回というかこの子自体、男の娘として男の子を好きになるキャラということで、ほのかな思いを向ける相手と一緒に海に来て、わくわくしてどきどきしてって感じだった。だからキャラ説明すればコスプレですんじゃうよーと緩く答えられたのを覚えている。
「あんがいキャラ作りで、撮影者さんと二人っきりかもしれんよ? この人それくらいキャラ作り大切にしてるし」
そうなんだよねぇ。クロキシがいうようにエレナのキャラへの愛は本物だ。構図の作り方だとか再現度というのは本当に徹底してる。けれども残念。このときはプライベートビーチにそれなりの人数がいたのであります。もちろん内緒だけれど。
「そういや、馨にー。二階にエレナちゃん写真集あったよな? 三部」
「う、うん。よく気づいたね。てか購入してたっけ?」
店頭販売はしたけれど、そのとき持っていったのをクロキシさんは買っていなかった気がする。広場の活動が忙しくてあんましブースの方にはこの子は寄らないはずだ。
「なんとか第一回目の追加販売でゲットしたよ。まったく狂乱も冷たいよな。出すなら出すって言ってくれれば絶対買いに行ったのに」
それはすべてルイのせいです、ごめんなさいと思ってももちろんそれを声には出さない。わざわざこちらからルイですなんて話はしないのである。答え合わせくらいはしてあげるけれど。
「えーなにそれ。この人の写真集がでてるの? それは是非みたいんですけれども」
楓香が身を乗り出して兄につっかかる。
ちょー楽しみという感じだ。けれども写真を見たらどうなることか。
正直、コスプレ会場で撮る写真とはひと味違うものに仕上がっている自信はある。
「馨にー。三冊あるってことは観賞用、保管用、布教用だろ? なら見せてやってくれない?」
「別にいいけど……さっきパソコン落としちゃったよ?」
「そんなん待ってりゃいいって。それに親父の熱視線がなんかやばいから、そろそろ上に行こうや」
健の指摘のことは先ほどから気づいている。あちらはこそこそ隠れてじぃとこちらに視線を飛ばしているつもりなのだろうが、見られていると言うことは丸わかりなのである。堂々としていないのは母さんがきっとなにか言ってくれたからなのだろう。あの子に手を出したら、ふふふ、わかってますよね、などと。
「どうもドストライクらしいので、避難もかねて部屋に行きますか」
それではどうぞ、と二人に声をかける。
がたりと椅子が動いた音がした、ああぁっ、そんなつれないっ、なんて声が聞こえたけれど当然聞かなかったことにする。叔父さんが独り身で寂しいのはわかっていても、あんまりサービスしてやるつもりはない。
危険が危ない、はなるべく避けるべきだ。
さて。まだルイとは発覚していませんが。叔父さんには見つかっちゃいました。でも一応親族なので! ひどいことは……せめてメロメロになるくらいなので、生暖かく見守ってあげてください。独り身の中年さんなので。可哀相なので。
あとは楓香が今回は、かなり写真にのめり込みな回でした。せっかくの女装よりこっちを先にみたいってなるのは、撮った側からすれば嬉しいところではあるものの、といった感じですね。
さて。次回ですが。トイレに行っている間にいろいろと兄妹でお話があったり、パソコンでイベントがおきます。最近のパソコンはいろいろ出来て良いですよね。




