117.
時間は十二時二十分。あーだこーだと回ってきたけれど、今日のメインのうちの一つにまだたどり着いていないこの状況は、きっとカメラをもっていろいろ撮影をしているからではないかと思ったりはする。なんだかんだで登校中に撮った写真と同じくらいの枚数はすでに行っている。もちろんさぁさっさといくぞと二の腕を引かれたりもあったので、これでもセーブはしているほうではあるのだけれど、どうしたって祭りの景色だ。これを撮らないとかわけがわからない。
そうこうして、千歳のクラスの出し物の廊下まで到着。
「青木がいるのがネックとはいえ、かといって千歳の前でちぐはぐ女装は見せたくない」
んむむ、とイカ焼きの香ばしい匂いをひくひくかぎながら、どういう対応にしようかと少しだけ考える。
「青木は、あっちともあってるんだっけ?」
さあどうしようといったところで、木村が焼きそばのソースの匂いにお腹を鳴らせていた。早く決めてあげないといけない。
「それなりに面識はあるんだよな。まあ気づいた様子もないけど……」
「あいつバカだから覚えてないんじゃないか?」
もうしばらく会ってないんだろといわれて、まぁそうなんだけれどねとも思う。六月にもあっているけれど、あのときはもう本当に二言三言しか話をしていないし、その前となるといつだろうか。もしかして一年くらいまともに会ってないのか。こちらとしては毎日顔を見ているからまったく会ってない感じはなかったのだけど、事実上フってからまともに会っていないのかもしれない。
「うわぁ、まじか。でもあの青木だよ? 千歳とうまく行って三ヶ月くらい経つけど、あいつ日焼け止め自分でぬるとかなんとか言ってぬるぬるオイルプレイだよ? 彼女の前で」
プールでの出来事を思い返して、一言オーケーを出していたら、ありえた事実を言葉にしてみる。
「激しくどういう状態だよそれ」
さすが安定の残念っぷりだなといいつつ、それでもまーそりゃある程度仕方ねぇのかと、もそりとつけたした。その納得はなんか釈然としない。
「まあ、冗談でいったんだと思いたいんだけどねぇ。冗談に聞こえないのが怖いところでして」
結局、木戸がひどいめにあったのだって、全部ルイへの思いがもとになったものだ。そんな相手にこの声を聞かせてしまっていいのか。それとも去年みたいに演技でもするべきだろうか。
「よし、はらは決まった。君も覚悟をするがいい」
さぁ行こうかと木村くんににやりと笑いかけて扉に手をかける。
開けたとたんに先ほどまで匂っていた香りは鮮烈に鼻にもわりとはいってきた。
ああ。焼けたソースと醤油の香りがたまらない。
その香りにじゅるりとしていると、店内から明るい声が響いてくる。
「いらっしゃいませー。お好み焼きいかがですかー」
適度にほんのりした声音は、前のようにおどおどしてなくて大変よろしいと思われた。
千歳が担当しているのはお好み焼きのほうの屋台だ。中で焼いている人は別だけれど、接客と客引きをかなり彼女が受け止めている。出会った頃とはまったく違う姿に少しだけ胸が高鳴る。
「わー、お好み焼きおいしそー、ねぇ木村くんはなに食べる? え、イカ焼きの方がいいの?」
お客はそう多くはなかった。並んでいたりは多少あるけれど、食べている人の姿は見えない。
そんな風に思っていたのだけど、隣が休憩室兼イートインな場所として解放されていて、みんなはそっちで買った物を食べているのだそうだ。
しかも後で立ち寄ったら驚愕である。
なんと。ボッチスペースがあるのである。窓際にずらっと机を並べて椅子を配置し、見事なカウンター席を形作っている。もちろんそれ以外の席は何人かで座れるテーブル席だけれど、この手の場所でカウンターを作ってしまえという発想を出せる人がいるのに、感動してしまう。外の景色を見ながらぼっちご飯とは最高ではないかっ。
「って、青木いねーじゃん」
とはいえ、今重要なのはこちらのほうの風景だ。
周りをちらちらみると、確かに青木の姿はなかった。どこかに隠れているということもない。
「ああ、青木さんならなんか出し物見に行きましたよ? おねーちゃんが店番してる間はずっといるのかと思ってましたけど、さっきかき入れ時になっちゃって」
それならいったん外に出てくるよ、と行ってふらりとどこかに行ってしまったのだそうだ。
なんだろう。先ほどまでの緊張がどっと疲れにかわってしまった。
「なんか、えっらいがっかり感だ。なんであんなに気合い入れて可愛い声を出したというのにいないとは」
「え。青木先輩がいるから頑張ったんですか?」
そりゃちょっと、聞き慣れない声してるなーとは思いましたがと、千恵ちゃんは目をぱちくりさせている。こちらとしては「可愛い声」っていう類いを普通に越えている声だと思っているのですが。
「いいえ、逆だねぇ。青木に普段使ってる方のこの声は聞かれたくないんだよ」
彼にだけは聞かれたかないのです、と千恵ちゃんにつたえつつ、呼び込みをしている千歳ちゃんに視線を向ける。
相変わらず。というか見た目にこだわるようになって、木戸の目から見ても彼女はきちんと女子に見えるようになったと思う。
一般人からみて及第点だった彼女は、玄人から見ても女子高生として完成されつつあるように思う。
もともとあれだけ適当で女子高生をやれていたのを思えば、基礎力は高いのだろう。え、本人は頑張ってるっていっても、彼女の場合は頑張る方向性が違ったのではないだろうか。自分に視線を向けず、対外的な所に配慮をしてきたから、ああなった。でも経験上、女子としての完成度を上げるためにはフィードバックは必要なのだ。つまり「鏡を見る」という行為が。
そんな彼女が、今日は浴衣姿である。紺を基調とし、百合の花なんかがあしらわれている姿は夏を過ぎても特に違和感はない。しかも伸びてきた髪を結い上げていてうなじが思い切り出されている。いろっぽい。えろっぽい。
ああ。
「ごめん。撮るね」
普通に女声で断りをいれて一枚。
前にきちんと撮影をしたのは夏のビーチのときだ。それから三ヶ月ないくらいで、ぐっと被写体として良い味になったと思う。
「あはっ、まったく先輩はどっちでもかわりませんね」
あとでデータはくださいね? といいつつ彼女はきゅっとこちらの手を握ってくる。柔らかくて華奢な手である。
「それとさっきの声、その、すっごい可愛かったです。あんな声までだせるんですね」
彼女は周りの視線を気にせずにきらきらした視線を向けてくる。まあ無理もないか。今でも十分女子で通じる声ではあるけれど、こびっこびの可愛い声としては有用だろう。とくに男子向けに。持っていて損はない。
「ちょっと不自然になりはするけど、明確に普段の声と違うからいい目眩ましになるかなってくらいだけど……彼氏がいるなら、可愛くなるのはいいことかもね」
そのお相手は今は不在のようですが、と緩い呼気を使った声の方で緩く続ける。
「え。居てくれた方が良かったですか? むしろ入れ違いでほっとしてるのかと思ってました」
イカ焼きの売り場で受付をしている千恵ちゃんが、青木さんとあったら面倒くさそうだしと見事な分析を披露してくれる。今の姿を青木に見せたくないのは確かだ。
「まーあいつらしいっちゃらしいけどねぇ。肩すかしっていうか、きわめてハイテンションでうなだれかかった自分に激しく後悔ですよ」
あいつさえ居なければ、普段の女子声だけで十分だったというのに、声帯を引き絞る方の声をつかってしまっただなんて、本当にがっかりである。喉に負荷もかかるし正直あんまり使いたくないのだが。
この声を選んだのは単純。修学旅行のメイド喫茶の時と同じ理由だ。青木はルイの声を知っている。だから、なるべくなら木戸馨がルイの声は使いたくない。
もちろん青木はアホなので、体育館倉庫を掃除したときに女声を出したときはばれなかった。でもあのときと違って外見まで女子だったらどうなるだろうか。
「それで、かおたんさんや。こちらはいったいどういう知り合いで?」
三人で話し込んでしまっていたら木村が一人少し離れたところからこちらの様子をうかがっていた。
「えーっと、青木の彼女とその妹さんです。なんと双子さんです」
どうだ、これが世界の真理だっ、といわんばかりでばっと二人を紹介したら、彼はは? と固まった。
「あの、触らせてもらってもいいかな? 皮膚がざらついてるとか、透けるとかそういう感じ?」
え、まじ? という素で目を見開いて告げられた言葉は、あんまりなものだった。
「えーっと、そのボケはあたしも前にやったけど、ちーちゃんはちゃんと人間の女の子ですからね?」
式神でもロボットでもありません、というと少し間があいた。
わかるよ。ああ、わかりますとも。
「どうして青木なんだよ……」
わけわからんという彼の気持ちは、おそらくクラスメイト全員が思ってることだろう。
どうしてあの青木に彼女ができるのか、訳がわからないと。理由はもちろんあるわけだけれど、それは絶対に言えないのでなおさらなんで? となるだろう。
「しかもこんなに可愛い子だぞ。それで毎日一緒に弁当食べてるとか、リア充過ぎだろう」
「まー、あたしたちも最初見たときは驚かされたんだけどねぇ。八瀬もないわーって言ってたし」
可愛くてではなく、男の娘だったから驚いたわけだけれどそれは言わないでおく。
「実はひそかにおねーちゃん後輩からも大人気なんですよ? 最近思いっきり明るくなったしそれに……どこかの誰かと違って高値の花って感じしませんし」
千恵ちゃんがにまにましながら、よーやく世間はおねーちゃんの魅力に気がついたんですと言った。
一年からも人気があるというのは、なんだか不思議な感じだけれど、おそらく柔らかくなったからなのだと思う。まあ比較対象が崎ちゃんや斉藤さんになってしまう自分としては、超絶美人という感じではないのだけど、クラスで三番目くらいにはかわいいというような感じで、声はかけやすいのかもしれない。
「別に高嶺の花ってことはないんだけれどねぇ」
そりゃあ今の黒髪ロングだと少し躊躇するかもしれませんけれどと、注釈を入れておく。
むしろ町中だとルイさんはよくナンパされたりする方なのだ。学校ではさすがにそういうのはないのだが、高嶺の花だからではなく、男子なのがわかっているからなのだろう。
それを思えば異常だったのは中学の頃なのかもしれない。みんな常識がないというか、どうして学ラン着てる子にラブレター送っちゃったりしてたんだろう。別にそっちのケの方を否定するつもりはないけれど、一年に十件以上という数字は多すぎじゃないかと思う。
そんな思考に陥っていたら、すっと頼んでいない綿飴が差し出された。
「美人な先輩にせめて取り入ろうと差し入れっす。ぜひどうぞ、もふもふですよ」
「え、もらっちゃっていいの?」
話が聞こえていたのか、それとも千歳と仲良くしているからポイントでも稼ごうとしているのか、綿飴屋台を取り仕切っている彼はこくこくとうなずきながら、なぜかきらきらした目をこちらに向けている。
「あー、彼は綿飴を女の子が食べる所を見るのが大好きっていう変態なので、気にしないでいいですよ」
さあさあ遠慮なくふわふわなその子をご堪能くださいと、じぃとこちらを凝視しながらも千歳は他のお客に声をかけられて、対応をしていた。お好み焼きのオーダーが入ったようだ。
「あ、豚玉こっちも一個お願い。そういや注文してなかったもんね」
木村くんはどうするの? と視線を向けると、イカ焼きと焼きそばと注文を入れる。
作り置きの分は先ほどまでではけてしまったようで焼き上がるまでに少し時間がかかるらしい。
その間に、あむりと綿飴をかじる。ひさしぶりだけれどとてもふわふわで口の中ですぐに溶ける感触がここちいい。
「おおぅ。先輩はかぶりつき派ですかー! いいところのご令嬢って雰囲気だったからぜってぇちぎっては食べだと思ったんですが」
「綿飴はかぶりつく派です。ちぎって食べるのは手がべたべたになるし、そうなったらカメラいじれないからあぐっとしちゃう感じ」
ウェットティッシュは完備しているからそれでもいいのだけど、なんというかやっぱりあぐっといきたいところなのだ。口の周りが少しべたべたになるけど、そこらへんに気をつけて食べたり唇についた溶けた飴を舐めとったりすればいい。いちおう学校ということもあってメイクは最小限に抑えているし、口紅も自然な色のリップクリームっていうくらいのものを使っているので、塗り直しも容易だし剥がれてもそんなに目立たない。
「それに今日はイベントだからこんな雰囲気してるけど、普段はもっとこーねぇ」
「さえない眼鏡男子ですしね、先輩ったら」
「まっ……は?」
綿飴の子がそこで、んなばかなと硬直した。
「え、それ言っちゃって良い感じなの?」
千歳の秘密の方が大切と思って少し無理矢理女子で押し通そうと思っていたのだけど、そこであっさりネタばらしが入るものだから驚いてしまった。
「別に、私もう彼氏いますしね。先輩と仲良くしてたって変な誤解はされません」
男女で仲がいいといろいろ言われますけど、大丈夫ですと通常の三割増しのスマイルで言われてしまって、それ以上言葉がつなげられなかった。なるほど。彼氏ができると自信がつくというけれど、そこまで言えるほどになったと言うことか。
秘密を守るためには、情報を全面的に封鎖する方法と、適度に流せる情報は流布しておく方法がある。今までの千歳なら絶対にその手のネタに関しては少しでもかすっていたら隠していたはずなのだけど、これくらいなら大丈夫という判断なのだろう。ばれない自信というものがついたおかげで彼女の表情はかなり明るくなったと思う。
そんな顔を見ていたら、入り口の扉から近づいてくる人の気配を感じた。それはこちらに目をくれることもなく、一直線にお好み焼きの屋台の前に向かってくる。
「よっ、千歳、帰ってき……ま。え、木戸?」
「そうだけどー? 前にもこういう感じの格好見せたことはあるんだしそんなに固まらなくてもいいんじゃないのかなー?」
語尾は少し伸ばす感じで。それでいて声は細く高く。
あのメイド喫茶でやったのと同じような感じのハイトーンで青木の片言な日本語に答えておく。
「それに、今日は女子制服着るって話は聞いてるんじゃなかったっけ?」
いまさら固まられてもこまるよーと普段よりも少し砕けた口調を心がける。これもギャップを作るためのものだ。普段のルイは青木に対して丁寧語を崩したことはないし、少し砕けた方が新鮮みもあるだろう。
「聞くと見るとじゃ……その、さ」
「ま、彼女ほっぽって別の相手に見ほれてちゃ話にならないわけだが」
さぁ、さっさと本命の所にいきなさいといいつつ、綿飴をかじる。甘い。うまい。
青木は少しだけその仕草の前で硬直してから、千歳の方に近寄っていった。
「ようやく落ち着いてなによりだな」
「はいっ。お隣のスペースはまだまだ人がいっぱいみたいですけど、こちらは一段落です」
これからまた波がくるかもですが、と千歳は少し疲れを顔に出しながらもにこやかだ。
「それと、千歳にはこれ」
ぷらりと千歳の前に差し出されたものは先ほど見たばかりの香水の瓶だった。どうやら化学室で入れ違いになっていたらしい。
「うわっ、おねーちゃん良かったね! 彼氏から香水貰えるとかなんかこう、青春って感じ」
貰った本人よりも千恵ちゃんの方がぱたぱた大喜びをしているようだ。
「あああ、それ私ももらいました。ちっちゃくて可愛い瓶だよね」
ほれほれ、と先ほど貰ったものを取り出して見せる。中には黄色っぽい液体が入っているのが遠目でもよくわかる。
「え……どなたにですか?! え、そちらの方?」
へ? え? と千恵ちゃんがうわっと木村の顔をじぃと見つめた。なにかを見定めるような視線だ。
「って、別にただ友達からもらっただけだよー? 特に深い意味があるとかではなくって」
あまりにもその視線が真剣だったのでフォローを入れておく。
「え、先輩知らないですか? 学園五大伝説のひとつですよ。化学部の香水瓶をカップルの男性が女性にあわせて選んであげると、将来結婚できるって」
「それは学園七不思議的なやつ?」
あいにく、木戸は学校内の噂話については、限りなく疎い。友達が少ないからというのはもちろんあるけれど、その数少ない友達も、アニオタだったり、カラオケオタクだったり、カメラオタクだったりするので、そういう話はさっぱり聞かないのである。
「オカルトではなくって、過去の出来事からできたものみたいですけどね」
「ふぅーん。へぇー、忘れて欲しくないだけ、ねぇ」
じぃと木村に視線を向けるとうぐっと彼は後ずさった。知っていたのは明白だ。
「そ、そんなの統計でしかないわけで、もともとそういうのを気楽に贈れる間柄だっただけで、しかも今回のこれはその……」
「そうだねぇ。男同士だからノーカウントだよね、千歳ちゃんたちと違って、ね」
ぱちりとウインクをしながら、香水の瓶を軽く振ってみせる。ここには青木もいるのだし明確にしておかなければならないのだ。
木戸馨は男子と恋愛関係になるつもりはさらさらないのだと。
「さて、じゃーお好み焼きもあがったことだし、色気より食い気な私は、お隣でもそもそいただこうかと思います」
「はいっ。ああ、そだ。食べ終わったらまたこっちに顔を出してくださいね。お土産あげますので」
「おっ。そいつはありがたい」
綿飴の棒をゴミ箱に捨ててから、あつあつのお好み焼きのパックを受け取る。
これだけあって一個250円というのだから、かなりお得な感じがする。
焼きそば達もできあがったようで、木村はイカ焼きと一緒に受け取っていた。結構なボリュームである。
「私からもお土産プレゼントします。でもその代わり……おねーちゃんの写真を、その、ね」
「はいはい、わかっておりますよ」
姉大好きな千恵ちゃんはもごもごと言いにくそうに願望を語ってくれた。
写真、のことをこそっと小声にしてくれたのは、きっと近くに青木がいたからに違いないのだった。
ようやく千歳ちゃんと合流。デートっぽいという話がありましたが、きちんとフラグはたたき折っておく主義です。
そして浴衣姿の千歳ちゃんはかわえーのです。うつむくよりは、きちんと前を向いて過ごしていただきたいものです。
さて。次回ですが。撮影時間に戻ってくるのは戻りますが、廊下での小話が入ります。ホントは今日いれちゃってもよかったのですが、時間的に無理そうなので。




