011.コスプレ撮影回
「これはさすがに敷居が高いんじゃないですかね」
「そうでもないって。写真は撮られる相手がいてこそなんだから」
ここの所、ほとんど毎週といっていいほど遠峰さんに引っ張り出されている気がする。
先週は銀香町だったし、その前はやや都会のほうだ。
そして二月も頭になったころ。遠峰さんに引っ張られてやってきた先は、三つとなりの市にある広めの公園の中だった。冬まっさかりの時期の公園は少しばかり色彩が薄らいで、寂しい感じがするものだけれど、眼前に広がる光景はそんな寂寥感など吹き飛ばすには十分なものだった。
色とりどり。そう。中には原色に近いような衣類を身にまとった人々がいる。異形。
いいや。異形というのはさすがに言い過ぎだろうか。絶対に現実には存在しないものが浮き出しているというか。
そう。そこにはゲームやアニメでおなじみのキャラクターがそろっているのである。
「確かに人並みにゲームとかアニメは見ないでもないけど、こういうのは未知の領域かも」
みる限りに人がいる。そしてその人々のうちの二割くらいが二次元から飛び出してきたキャラクターばかりなのだ。
圧倒される。熱量というのだろうか。学校の集会なんかと規模は同じくせに、そこの居る一人一人の気力が違うせいで集団として熱い。クラスメイトの八瀬がこういうのを好きだと言っていたけれど、はまってしまったらのめり込んでしまうものなのかもしれない。
「エレナちゃん。人気だなぁ」
そんな一角を見つめて遠峰さんがバッグを軽くつかむ。
その先には、一人の女の子と、それを取り囲むようにして写真を撮っている人達がいる。
男の人が大半だけれど、そこにまざるようにして遠峰さんが輪に入っていく。もちろんカメラを片手に、だ。細い彼女があっさりと年上の男の人たちの中へと紛れ込んでいくのだからたいしたものだと思う。
それについていくように潜り込むと、遠峰さんの横に立つ。
近くで見るエレナちゃんとやらは、もう完璧にそのキャラをこなしているようで、決めポーズをしゃきんと示しては停止していた。
「あれ……?」
晴れるような笑顔を見ながらも、どことない違和感が浮かんだ。カメラを構えたらそれはさらに確信へと変わる。
「きゃっほー。やっぱ、エレナちゃんはかわいいなぁ。しかもあのキャラ、ルイも知ってるでしょ?」
「それは知ってるけど、でもあの子……男の娘?」
「元のキャラはね。でもそれを実現するエレナちゃんはすごいと思うの。胸がないのをここまで強気に使える子がいるとは侮れない」
「いや、そうじゃなくて……」
確かに。エレナとよばれてる子がやっているのはいわゆる男の娘コスだ。どこからどうみても女の子にしかみえないけれど、男の子という設定のキャラクター。けれど、どうやら遠峰さんも、中の人が本当の男の娘だというのは気づいていないらしい。
ほとんど直感だろうか。自分ほど骨張っていたり身長があるわけでもないし、もちろん髭の青みが目立つなんてことはない。胸こそないけれど貧乳といってしまえばそれで済んでしまうほどに天然で女の子に見えるだけの資質はもっているのだと思う。
けれどなんというか、隠している感があるというか。自分でも撮られるときに意識はするのだけれど、そういうポイントを押さえている感じがする。ほとんどのど仏はないようだけれど、下からの撮影の時に少しだけ表情が曇る。
「まあ、いっか。どうせ撮影するんだし」
被写体がどうであれ、目の前に写す対象がいるなら、撮らなければ。
そう思って、こちらがカメラを構えると、彼女はこちらを向いて軽いウインクをする。
もちろんその写真も押さえておいた。そこまでキャラのことを詳しくは知らないけれど、よい表情が撮れたと思う。
その撮影の輪が次第に入れ替わって、みなさんが他の人の撮影に行ったところでぽつんと空いた時間に遠峰さんは彼女に話しかけているようだった。小さな紙袋を手渡しして、それの中身を確認している。話をこぼれ聞く感じでは前の撮影会の時の写真らしい。
それを横目に見ている最中。数人に「それは何のコスですか」と写真をせがまれたけれど、私服ですと答えておいた。まったく。そんなに現実離れした格好ではないというのに。普通にコートと膝丈くらいのスカートに過ぎないのだけれどもね。
「現実の認識は数多ある、か」
場所柄もあるもんなのかなとうめきながら、撮影を続けていく。
みんな驚くほど、ぴしっとポーズを決めるので、撮影する側からすればありがたいばかりだった。
「さぁ、ランチタイムだ!」
公園の椅子を確保すると彼女はがさごそとコンビニのサンドイッチとサラダとおにぎりを取り出した。そのわきにあるのはペットボトルだ。
その後方はるか彼方には、撮影会をしている人たちがいるのだが、ご飯は適度に食べないといけない。そんなわけで少し離れて早めのお昼にすることになった。
荷物から弁当箱をだすと、遠峰さんは、えぇっ、とおどろいた顔を見せる。
「弁当は自炊ですが、なにか……」
「自炊……って自分で?」
「そ。自分で。いや、ほらこういう格好してるの許す代わりに、徹底的に女の子らしくなりなさいって親がいうんだよね」
「うぐっ。女子力でルイに負けるのはなんか悔しいものがある」
唐揚げを口にいれながら、咀嚼すると冷えていてもじゅわりとお肉の味が口に広がった。昨日の夜に作ったものを入れただけのお手軽弁当だけれど、形にだけはなっている。ちなみに土曜の夕食当番はもっぱらルイである。撮影で押している場合を除いて、だが。
「あの、隣よろしいですか?」
「はい。どうぞどうぞって、エレナちゃん!?」
ちょうど、暖かい紅茶を水筒からだしたところで、人気が少ない場所にも関わらず声がかかった。
え、なんなのなんなのと、遠峰さんはちょっと興奮したようすで、四人掛けの席の一部をあける。
「先ほどはお写真ありがとうございました。前のイベントの時のコス、かなりきれいに撮ってくださって」
ほんのちょぴっとだけハスキーな声。けれどなめらかな声音はまったくもって男子のそれには聞こえない。
「エレナちゃんもご飯ですか?」
「はい。撮影の輪からぬけるの大変でしたけど。そろそろお腹もすいてきたので」
いつもちょっとはやめにご飯をとるようにしているのだと彼女はいった。
「でもわざわざこんなへんぴなところまでこなくてもよかったんじゃないです?」
遠峰さんが遠くの撮影現場をみて苦笑をもらす。
もっと近くにだってベンチやテーブルはあるし、わざわざ我々がここまできたのは、ルイが少し静かなところでランチをなんて言いはじめたからだ。もともと人ごみはそんなに得意なほうではないのだ。あんなごみごみしたところでご飯というのは落ち着かない。
「あなたに興味があって」
「私ですか?」
ふっと満面の笑顔を向けられて、思わずきょとんとする。おかしかった点があったかと想像するに何一つまちがったことはしてない。ルイはいつものように撮影をしていつものようにしていただけだ。
けれどエレナは少しだけ戸惑った様子で、こちらの顔によって耳打ちをしてきた。
「どうして、わかったんですか?」
「へ?」
顔のそばで吐息が漏れる。それが魅惑的なことはわからないではないものの、ルイの立場としてはそれはどうなのか。こそばゆいくらいにしか感じられない。
「私は何にもわかんないでここに連れてこられたんだけど、それと関係あるのかな? 正直自分がやってることで特別なことって、いまのところないはずなんだよね」
それと、と言葉をつなげる。
「遠峰さんには聞かれたくない話なら、しっしって追い払ってあげるけど?」
隣からの興味深げな視線を受けていると、喋ってていいものかと思ってしまう。
「さくらちゃんになら、別にいっかな」
ブログの常連さんだし、いっぱい撮ってくれてるし、なんせ個人情報も教えてもらっている。絶対に秘密を守れるなら、と念を押されると訳が分かっていない遠峰さんがおどけていう。
「一人では抱えきれず、二人で十分、三人では守りきれないものだって言うけれど、聞いてしまっていいものなの?」
「とりあえず、周りに誰もいないことを確かめて、と」
エレナは周りをきょろきょろ見渡している。
「さくらちゃんは、私がブログでどういうたち位置でどういう噂が流れてるか、知ってるよね?」
「もちろん。性別不明で男の娘コスオンリーな美少女で、ファンには本当は女の子派と、あんなにかわいいこが女の子のはずがない派に分かれてる」
ちなみに私は女の子だと思っておりますと、意思表明をした。
「でも、それとルイがなんか関係あるの?」
「一発で、見破っちゃったんですよ」
さっきの困惑顔は、キャラとの違和感云々ではない自負がエレナにはある。エレナのなりきりは完璧なのだ。では不思議そうにしていたのは中身の問題に気づいたからに違いない。
「だから、なんでかなぁって」
「ほほう。それはそれは」
こちらに二つの視線が注いだ。遠峰さんもそれ詳しく! と食いついてきた感じだ。
「正直私はコスプレとかアニメとか詳しくなくて、一般レベルで見てるくらいで。そのキャラのこともそこまで詳しくないんだけど」
本当に、男の娘というものを知っていたのだって、クラスでつるんでいる八瀬が、アニメ雑誌を片手にすげえいいよこの子! とさんざん押してきたから知っていただけのことだ。
「だから断言できないんだけど、たぶんキャラとしては完璧なんだろうけど、女子がそのキャラをやってるっていう感じとはちょっと違うかなって」
些細なことなんだけど。もーちょっと女子が女子(今回は男の娘だけど)をやる場合、緊張感はそこまでないんじゃないだろうか。女装は今でもやはりある程度リスキーな行為だろう。そのためどうしても徹底しすぎになる。見た感じそんなに緊張する必要もないはずなのだけれど。
「あとはさ。ほっとんど女の子にしか見えないんだけど、ちょっとしたところ隠したりとかしてるじゃない? 喉のあたりとかほとんどのど仏ないのに少しだけうつむき気味なところとか、腰からお尻のラインとかにちょっと自信なさげなところとか、気にしてるよね? そこらへんが気になったんだよ」
ルイから言わせてもらえば、エレナはそうとう男っぽさがない。自分が技術の結晶でつくりあげているのに比べて天然さんという感じだった。骨格も華奢だし普通に私服をきていても女子に見えるだろう。
でもだからといって、自分が男であるという認識自体は捨てきれていない。そして疑心暗鬼が生まれるのだ。
必然、隠す必要があるんじゃないかと思ってしまい、そういうことが仕草にでる。本当は男の娘キャラをやるならのど仏くらい気にせずに見せて行ってしまっていいはずなのだ。
「えっ? そんなことしてたの? 全然気づかなかった……」
「いろいろあるわけです。女の子である人にはわかんない苦労がね」
ふへへと笑ってみせると、エレナちゃんはぱぁと顔を輝かせて、バックからスマホを取り出した。
「お友達になりましょう! メールアドレスプリーズなのです」
「登録名をどうするか、だね。ルイで登録でいいんだろうか」
「ルイさんというのですか?」
「本名はごうざぶろうで、学校では二メートルをこすごつい巨体を」
「それですぐこの姿になれるなら苦労はしないよ」
まったく、遠峰さんのおどけかたが異常にすぎる。秘密を知った衝撃を少しでも和らげたいのだろうか。
確かに憧れていたレイヤーさんが実は本当に男の娘でしたとなるとショックだろうけれど、さすがに身長をどうこうするのは物理的に不可能だ。身長が高いなら高いなりの女装のしかたはあるにしても、ルイの方向性とは違ってしまう。
「ああ、それと一つ言っておくけど、このかっこは撮影の為のスタイルだからね。別に普段から女の子してるってわけじゃないから」
週末だけなのです、というとえええぇっ、とエレナは驚きの声を上げた。
「これで、週末だけなのはもったいない気もしますけど」
「そうだよねー。時々この姿を見たいから、学校にもおいでとけしかけてるんだけど」
なかなか週末だけしかこちらの格好をしないのですと、遠峰さんはしょぼんと肩を落とす。
「でも、どうしてそうなっちゃったのかをエレナちゃんにも聞いてみたいかも」
遠峰さんは少しはにかんで聞いた。わくわくしている、といった様子だ。もちろん噂の真実を知ったということもあるだろうし、なんだかんだでこの人は女装というものが大好きだ。ルイに絡んできたのだって写真のこと以上にそっちがあるんじゃないだろうか。
「私のはコスプレやる人とあんまりかわんない感じ。別の自分になりたいっていうのかな。いつもの自分はあんまり好きじゃないから」
おとなしすぎて、あんまりはじけられないという。でもこれだけかわいい子の普段だって十分に美少年なのではないだろうか。
「ちょっと似てるのかもしれない。私だってこっちの格好の方がテンションあがるし。開放感がある」
ま、そこまで普段が嫌でもないんだけれど、と言葉を付け足す。木戸にとってルイは希望の具現だ。だけど別段毎日が苦しいなんてことはない。
刺激的に週末を生きる。そのためのツールだ。思う存分にカメラを扱える姿だ。
「ルイ……さんの撮る写真ってどんなのか見せて欲しいです」
「今日撮ったのしか持ってないけど、それでよければ」
ほいよっとカメラの電源をいれつつ、それをエレナに見せる。
「ああ、見るならタブレット貸すよ」
大画面のほうがいいでしょ? と遠峰さんはバックをがさごそして小さめのタブレットを取り出した。カメラの背面ディスプレイはさすがに小さい。それもあって、きっとそのとき撮った写真をすぐに見せるために彼女は持ってきているのだろう。
けれど、いうまでもなくルイの経済状態ではそこまで手が回らないのが事実だ。
朝撮った分のSDカードを彼女のタブレットにリーダー経由で差し込む。
ギャラリーでフォルダを開いて朝撮ったエレナの写真と、ここに来るまでの道中で撮ってきたものを見せる。
残念ながら見せる準備はしていないので、昨日までの分は手持ちがない。
「半分、公園の写真?」
「ん。人物撮るの上手くないし、自然物の方が本当は好きなのさ」
「でも、この撮り方は、好き」
エレナがそう指摘したのは、森の写真だ。
ここに来たとき。まだ朝日が十分に上がりきっていないころ。朝露が落ちていないころのぎりぎりの時間。人がほとんどいない中に撮った一枚。
その写真は十分にルイの好きな「みずっぽい」もので、それで光が斜めから差し込んでいて、まさにそこに幻獣のたぐいがいてもおかしくないといったような感じに仕上がったのだ。
「待ち合わせ時間の三時間前に来て撮ってた写真、ね」
遠峰さんが苦笑を漏らす。そう。彼女にとってこのイベントは人を撮るためのものなのだろうが、ルイにとっては違うのだ。せっかく出かけるのであれば、しかもそれがどこかの森に隣接した公園だというならば朝からいって撮っておくべきであろう。
「幻想的っていうか、なにかがここから始まりそうな感じ」
朝日の力というのは純粋にそういう効果があるのだろうと思う。それと対になるのはたぶん、夕日。沈んでいく日の光は、一日の終わりをやはり感じさせる。
「ここにエレナちゃんがなにかのコスプレして立ってたら面白そうかも」
遠峰さんがふむんと顎に手をあげながらつぶやく。
「女騎士とか?」
「妖精系もありかも」
うっとりするように、彼女が言う。
なるほど。その光景をこれに当てはめれば確かにはまりそうな感じだ。
そして、指は画面をなぞる。
映し出されたのは、エレナの姿だ。今の格好をそのままに、少し驚いたような、それでいて毅然とした姿。
「人物も下手って感じしないんですがねー」
隣からのぞき込んでいた遠峰さんがぼやく。ぴんぼけや手ぶれはここのところまずない。きちんと写ってはいるけど。
「作品に造詣がないからその世界観を出せてる自信もないし表面をなぞってるだけかなって」
「このぅ。考えすぎの石頭めー」
ばーかばーかと遠峰さんがぐちる。
そんなやりとりを、エレナは眉尻を落として楽しそうに見ていた。
「でも、確かにルイさんの写真、苦手っていうような感じじゃないですよね」
なんというか、こなれているのだ。そう思うのは、「エレナが撮られたくないところ」をきっちり外してくれてるから、というのもあるのかもしれない。そこらへんにエレナはホっとしてしまう。少なからず撮られる時に意識する部分をもしかしたらこの人なら気にしないで撮ってくれるかもしれない。
「私はルイさんの、人っていうか、私を撮ってくれる写真、大好きです」
えへへ、と照れ笑いを浮かべられると、ルイとしては複雑だった。
なんせこの笑顔を浮かべているのが男子なのだ。確かに自分も散々に女子をしている。
そういう意味で、男子が女子並に可愛くあるのは、別段、どうということも、ない。
ないのだが。エレナのきらめきはなんだ。見られるために努力をしているとしても、男子がこれほどまでになれるのかと思ってしまう。当然、木戸が周囲にそのきらめきを振りまいてるだなんて、本人としての自覚は、ない。
「そ、そういってくれるなら、コスプレとのコラボもあり、かな? 今まで撮ってきた数少ない経験の中で、合いそうな景色の中で、演じてもらう。どう?」
「あはっ。それは面白そう。でも、準備は入念にってところで」
今がいつであるのかを思い出しつつも、彼女は苦笑を浮かべる。
ルイのスケジュールは正直いつでもあいているのだけれど、彼女にはそれなりのしがらみというものがあるのだろう。
「えとぅ、それはその私も見学とかさせてもらっちゃあいけないのです?」
遠峰さんが遠慮がちに話にわりいってくる。二人でされている話の中この子は我慢できなくなってしまったのだろう。
「さくらちゃんなら大歓迎。っていうか都合が合えば一緒に撮影会、して欲しいかな」
もちろん、ルイちゃんがいいっていったらだけど、と物欲しそうな顔をこちらに向けてきた。
反則気味な大きな瞳。わざとらしい下から目線は、コスプレイヤーとして培ってきた技術の粋なのだろう。
まったく。本当にどうしようもなく威力が高くていけない。
「都合が合えばおっけってことでね?」
はははと、乾いた笑いを浮かべながら、それでも内心、エレナを撮ってみたいという気持ちは高鳴るばかりなのだった。