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108.

 八月のくそ熱い日差しが首筋を焼いていた。

 大学の敷地内の、これでも緑が多めなところにいるつもりなのだが、それでもアスファルトの照り返しが全体的に強いので、夏は本当にばか暑い。校舎の中はもちろん全部冷房付きなので涼しいのだが、今日はオープンキャンバスの道案内としてかり出されているのでそんな恩恵にあずかれないのである。うだる熱気の中で案内看板を持ちつつ、迷子になっている高校生がいたら案内する係である。

「あああぁ、もう、どうしてこんな損な役回りをうけちゃったかなぁ」

 桐葉花実きりは かさねは、せっかくの夏休みを消費されることに不満の声しかでない。

 これで、夏のあのイベントの時期とかぶったのなら本当に心のそこから教授達を呪ったほどである。

 もちろん特撮研のための労働と言えるのだけど、それが元であのイベントに出られないとかなさすぎる。

 夏と冬にあるあのイベントのうち、夏は周りの気温が高いのもあって、薄着の人が多いのだ。まあそのとき流行った作品を主軸にする人達にとっては季節なんぞ関係ないわけだけれど、薄着の子を激写するのはとても嬉しい。

 しかも、今年は受験だからと活動を縮小しているエレナちゃんも参加予定とのことで、いまからとてつもなく楽しみだ。

 そもそも、大学にはそれなりに目印になるものもあるのだし、山道じゃあるまいしこの案内役は必要なのだろうかと思ってしまう。

「これなら、研究室の手伝いのほうがまだマシだったかも」

 いやしかしと、あのときの選択をなんど反芻したところで同じ結果だ。

 一日きつい仕事をするか数日ゆるい仕事で拘束されるかどっちかを選べといわれたら、迷わずこっちをとる。

 夏はイベントが多い季節である。

 あの、大きな会場でやるアレ以外にもコスプレイベントはてんこもりだし、ほとんど毎週末にコスプレイベントはあるし、平日だって用事がないわけではない身としては大学の雑用なんてものはさっさと終わらせてしまいたいのだ。

 それにイベント以外にも、特撮研のほうでも活動はしっかりしておかないといけないので、夏休みだとはいえ、いいや夏休みだからこそ暇などないのである。受験から解放された一年生はひゃっはーと、いろんなことがしたいと活動的なのだし、会としてもきちんとそれを受け止めてあげたい。去年自分たちがそうだったように。

「しっかし、高校生さんも大変よね……オープンキャンパスってそんなに楽しいかねぇ」

 桐葉は大学に入るときに、この手のイベントに来ていない。というのも三次元にあんまり興味がないからだ。良い大学をでて良い就職をという時代でもないのだし、どうしてこう一流になりきれないようなところでわくてかしなければならないのか、という思いが強いのだ。もちろんここのカリキュラムに興味を持つ学生は好ましいと思う。

 というか、興味を持って好きなことにすすめる子たちは大好きだ。応援してあげたい。

 ただ、桐葉自体は絶望的に愛校心みたいなものはないのだった。

 そんな桐葉の背中を押すように校内放送が流れる。

「オープンキャンパス三十分前です、各員準備はよろしいですか? おもてなしをお願いシマスー」

 ちょっと緩い声の彼女は、桐葉の知り合いなわけだが、あっちはぬくぬく放送室というのは、こういうときには少しだけぐったりする。撮る側と撮られる側。そう言ってしまえばそれまでなのだけれど、今日みたいな日は不平不満も述べたくなるという物である。

「せめて、すんごいかっけー男子か、かわいい男子が来てくれないかしら……」

 彼女の望みは、まあ、結論を言えば、ちょびっとだけ叶うわけなのだが。桐葉さんやこれいじょう(、、、、、、)かわいい男子が増えていいのかなぁ。

 なんていう天啓が彼女に通じるわけもなく、あぢぃと二十歳女子ならざる声が漏れたのだが、開始時間も過ぎていないこの場所にひとけはまったくないのだった。




 八月の予定の一つ。

 今回のオープンキャンパスは、親公認なので「外出」にカウントされない。

 本当にいいの? いいんだよね? と何度も確認をとっているので間違いではない。

 このほか二つほど行ってみる予定ではいるけれど、一応本日のところが本命を争うところである。

 いや。大学行けないならそのまま、写真の研究をしつつ、使って貰える所を探せば良いかなっていう緩い気持ちもあるにはある。佐伯さんはそんな感じだったというし、あいなさんだって大学を出てはいるけれど、駄目学生でしたと本人も言っている。

 専門学校でもいいんじゃないかなぁという思いはちらちら浮かびはするものの、そっちもまた、興味をそそられるかと言われると、値段と実利のバランスが悪い。というか、あいなさんがさらっと「機材使う上でのことは教えるよ?」とかにこにこ言ってくるので、それに甘えてしまってもいいのかなぁなんて思ったりもするのだ。

 まあ、もちろんそうなったら月謝は取っちゃうよ? とも言われているのだけど。けどそれは、必要経費だろう。

 それを思うと、大学に通うこと自体そうとうの費用がかかるし、むしろいろんな仕事を今からやってた方がいいんじゃないかとも思ったのだけど、そこらへんも「行けるなら行っておけ」っていうアドバイスに従うことにした。あいなさんも佐伯さんも同じことを言うので、なんでそうなるのか聞いたら、『実務経験はうちとかでも積めるけど、人生経験は他じゃないと』と二人とも同じようなことを普通に言ってくれたのだった。

 そんなわけでやってきたのは、いくつかの学部がそろっているこの大学なのだった。

 いろいろな学生がそろうから、そういうのを見るのも勉強になるし、さらにその中の一つの自然科学の分野は将来的な撮影にもプラスになると思って見学をしようということになったのだ。

 理学部のがちがちな物理学とかまではいらないけれど、写真を撮る関係上、自然現象はきちんと理解をして置いた方がってことで、本日はオープンキャンパスの公演会場に向かったのであった。

 めぼしい公演は午前と午後にそれぞれ二つずつ。

 それぞれ研究室や人気があるところは広いスペースのところで話をするらしい。

「ええっと……どっちだろ」

 みなさまは覚えているだろうか。木戸馨は似たようなコンクリートの建物がいっぱいあると道に迷う子なのである。地図を見ながらうろうろしていてもらちがあかないので、近くにいる人に場所を聞いてみる。

「あー、いらっしゃい。そこなら、あの校舎を回ってさらにもう一個向こう」

 看板を持ってるねーさんは、けだるそうに道案内をしてくれた。その指示に従うと無事に目的の研究室に着けたのだった。



 

「やりたいことと、言いたいことはわかるけど……研究室って、なんか肌に合わぬ」

 午前の部の二つの部屋で今うちでやっていること、を嬉々として語られたわけだけれど、その内容に少しばかり、ううむ、と木戸はうめき声を漏らしていた。そりゃ彼らのつやつやした顔を見れば好きでやってんだろうなってのはすごくわかるし、それに水を差すつもりはさらさらない。むしろ被写体として撮影したいくらいに生き生きとしていた。

 けれど、だ。

 通常のカリキュラムは楽しそうだって思ったからここまで来てみたけれど、オープンキャンパスでやられることは研究室紹介ばっかりなのだ。将来的にそこのどこかに入れってことなんだろうけど、もうちょっと広く薄く知識を集めたい身としては、そこに一年拘束されてじっくりと深淵をたたき込まれるのもどうなのかなぁと思ってしまうものだった。

 さて、木戸がこう勘違いするのは、まあ、当然といえば当然なのだが。

 大学の研究室と学生の関係性というのは、部外者にはいまいち納得しにくいものかもしれない。

 たとえば大学院生が研究室にいるならその意義は十分にわかるだろう。研究技術の継承、その領域内の研究の存続と発展。正直なところかなり深く突き詰める場所といえる。そこの先生にとっても生徒はいい助手かつ仲間だ。

 では大学生はどうかといえば、あくまでもチュートリアルをこなす存在に過ぎない。出来る範囲で支援はしてくれるものの、世紀の発明なんてものはまずできないものだし、卒業する単位をもらうための一つというのが通常の考え方だ。

 そして多くの学生にとってその経験は将来に直結しない。ああ、あんなこともやったよね、程度の話でおわってしまうのだ。

 木戸にとって、突き詰めたいのはもちろん自然科学の奥義ではない。

「困惑気味なそこの少年。良ければ相談に乗るけれどどうだい?」

 あまりにも暗い顔をして、一人で中庭を歩いていたせいなのか、ふいに声をかけられた。

 にこりと笑顔を浮かべているのは中肉中背の男の人だ。

 さすがに女子高生だから呼び止めたなんていうことは、あるわけはない。何せ今日は木戸馨である。レアである。自分で言っていてどうかと思うけど。

 こんなもさい男子相手に声をかけてくれるとはどういうことだろうか。

「今日は研究室によった帰りなんだけど……そんな顔でうちを歩いているだなんて。大学生活に希望がもてなさそうな顔をしているね」

 うちはお気に召さないかな? とその彼は芝居がかった台詞をつむぐ。

 お気に召さないかどうかでいえばイエスなのだが。

 そんな悩ましい顔をしていたからなのか、彼はううむと考えつつちらりと時計を見つつ、よしと声を上げた。

「時間があるなら、大学案内をさせてもらえないかい? もともとうちのオープンキャンパスは、研究室メイン過ぎていまいち評判悪いんだよね。そりゃその道が好きって人はいい巡り合わせなんだろうけど、大学ってもっとこーパラダイスであって欲しいじゃん」

 一昔前は遊園地って悪い意味で揶揄されていたのだし、という彼の苦笑には、だからこそこういうイベントは硬く作られてるんですわというため息が漏れるようだった。 

「施設としてはうちは悪くないし、せめてそれくらいは知って帰ってもらわないと、三年以上通ってる身としては切ないからねぇ」

 五年以上になるのは勘弁だがね、と彼は四回生であることを明かした。

 さて、どうしようか、と少しだけ木戸は考える。悪い人には見えないし、学校の敷地内に部外者がいるということもそうは考えられないだろう。ルイとして誘われたなら断るかもしれないけれど、同性の先輩として彼は誘ってくれている。それならば、午後のイベントまでの時間つぶしで案内をしてもらってもいいのかもしれない。

「それじゃ、行きたいところはあるかい?」

 そう言われて、すぐに、ぐぅとお腹がなった。うぅ。確かにお昼近くとはいえこのタイミングはかなり恥ずかしい。

「べ、別にその……あの」

「育ち盛りなんだからしゃーないって。食堂行こうか」

 あわあわとしていたら、彼はにやにやはしていたがそのまま、すんなりと食堂まで案内をしてくれた。

 お弁当を持っていますというのはちょっと言いづらい。

「ほい。ここが我らが誇る第二食堂でござい。第一はあっちの人文学部と、社会学部の校舎の方にあるんだけどね」

「でかっ」

「その顔を見るのが毎年楽しみなんだよな」

 カフェテラスとでも言えばいいのだろうか。第二食堂と呼ばれる大学の食堂は、もちろん高校のそれと比較すると破格のサイズを持っていた。

 はたして何百人が座れるんだろうか。今日はさすがにまばらにしか人がいないけれど、夏休みが終わればここも人でひしめき合うのだろう。

 撮影はしてみたいけれど混ざりたくはないなと、正直な意見が胸中に浮かぶ。人混みはあんまり好きではないのだ。

 そんなカフェの壁にはテレビが置かれていた。

 ここにあるのは明らかに待ち時間の手持ち無沙汰を解消するためのものだろう。

 そこで流れているCMの音を聞いて、一緒にいたこの学校のおにいさんは、じぃとそちらに視線を向けた。

 もちろんそれにつられるように木戸もその画面を見る。昼間にやっているとは珍しいアニメのCMだ。

 作品自体は六月末まで深夜帯で放送されていて、内容に関してもこれでもかというくらい頭にたたき込まれているものだ。エレナにこれ見ておいてねーとブルーレイを渡されてほぼ徹夜してしまった作品である。

「やべぇ、どうしてうち、男の娘キャラやれるやつ居ないんだろうな……こんなかわいいキャラを現世におろせられないだなんて」

 かわいいなぁと彼は30秒のそのCMのあとも余韻を味わうようにつぶやいた。ふむ。その手の趣味の方もこの学校にはそれなりにいるのだろうか。

 けれども、そんなに見たいなら夏のイベントにいけば済む話だ。エレナさんがその欲望をきっちりかなえて下さる。この前試し縫いしてみたんだけど、と言っていた衣装は思い切り原作をリスペクトしていて、彼が言うように現世に下りていた。かわいかった。撮ったしその写真は今もタブレットの中に入っている。

「っと、すまん。ちょっと見入ってしまって」

「いえ、はらぺこりんですが、別にかまいません」

「おぉっ、君も二次元わかる人かっ」

 はらぺこりんという単語に反応したのか、彼は嬉しそうに頬を緩めた。

 ええ、知っていますとも。これでもいろいろなレイヤーさんの写真を、詳細を聞きながら撮っているので、がうがう、なんてことも決めポーズも知っています。

「何でもは知らないよ。知っていることだけ、ですよ」 

「くはっ、つばささんの名台詞来たこれ」

 特別声音を変えている訳ではないのだけど、彼はその答えに満足してくれたようで、いいもんを聞かせてもらったとご満悦だった。立派に二次元のお人だ。

「と、お昼は……おや。お弁当持参だったのか。まあでも、ここでもお弁当は食べても問題ないから」

 ここに居てね、といいつつ、彼は食堂のほうに向かっていく。食券を買ってからそばうどんのコーナーに向かっていった。

 ここ、第二食堂はこの学校の半分の胃袋を預かるというだけあって、立派なしつらえである。

 それぞれ、そば・うどん系、パスタ、定食、洋食、和食と渡すところが決まっていて、そこに食券を出してものを受け取るシステムだそうで、食券を買った瞬間に中には買った情報が流れて作り始めるのだとか。

 今は夏休みで空いているけれど、実際学校が始まったらすさまじい勢いと人なのだろうなぁと思いつつ、なるべくぼっちスペースを探しておこうと木戸は思った。

 このスペースにあふれる大勢の人なんていうのは、それこそ今度の夏のイベントくらいでお腹いっぱいである。

 ちなみに、今は人がまばらなので、厨房の人達はリラックス気味だ。

 ほどなくして彼はキツネそばをトレイに乗せて戻ってきた。

 量は割とあって、大盛りなのかなと思わせられるほどだ。

「おまたせ。ごめんねお腹空いてるところに」

「いえいえ、あれ以来なってないし大丈夫デス」

 気にしないで下さいと言いつつこちらもお弁当を開ける。本日のお弁当もまあ、代わり映えはあんまりしない。

 冷凍食品で彩られているというわけでもないけど、ミートボールやポテトサラダ、そしてプチトマトといった一般的なお弁当である。今回ちょっと違うと言えば、昨日作った昆布巻きだろうか。受験なのだから勉強しろというわりに、土曜日の夕飯は木戸に丸投げな母はどうかと思う。

 では、いただきますと手を合わせてから、冷めてもおいしいご飯を口に入れる。

 やはりご飯はいいものである。

「しっかし、こういう日までお弁当って、よっぽど母君はしっかりしてらっしゃるんだね」

「え? ああ。うちの母はぐーたらですよ。弁当は高校入ってから自分で作ってるんで」

 もっきゅもっきゅとミートボールをかじりながら、当たり前なことを当たり前に伝えたら、そばをたぐる彼の手が物の見事に止まった。まあ男の子が自分でお弁当ってレアなんだろうけどそこまで驚かないでいただきたい。

「へぇ、弁当男子かぁ。最近はやりではあるみたいだけど、初めてみたな」

 少なくとも、身近には男女あわせてもいないかもしれんと、弁当女子までもが居ないことを伝えてくれる。ううん。しみじみ料理のできる女の子と知り合う機会がなくて、大丈夫なのかと思ってしまうものの、きっとどこかには弁当女子もいるものだと思いたい。

「だいたいみなさんここで食事なんですか?」

「あとは自販機のカップ麺とか、駅前にパン屋とコンビニあったろ? あそこで買ってくるかだよ」

 特に研究でこもってると、自販機は助かるんだよね、と彼はいうものの、現物を見ていないのでどういうものなのかいまいち想像がつかない。お湯なんかもでるんだろうか。

「あの、やっぱり研究室って入らないと駄目なもんですか?」

「あー、さっきちょっと暗い顔してたの、それが原因?」

 この際、行きずりではあるけれど、現役の生徒さんに話を聞いておくのもいいだろう。

「なんか話きいたところは、教授とか准教授とか? みなさんキラキラしてて自分の研究すげーだろーって、語ってくるわけなんですが、いまいちピンと来なくて」

 うーん、これで伝わりますかねぇと、言うと彼は、お揚げを噛みちぎりながら、あーなるほどーと納得顔になった。

「所属はしなきゃいけないけど、別に今日やってるところが全部ってわけでもないからなぁ。むしろ発表しようなんて考えちゃうくらい熱いところだけだし、ゆっるいところは緩いよ」

 実際、うちの研究室だってすんごい緩いし、と彼は実例を挙げてくれる。

「うちの講師(せんせい)がめっぽうオタクなんだよこれが。部屋にフィギュアとか飾りまくってて、でゅふふふぉかぬぽうって言っちゃう感じで」

「それ、教育者として大丈夫なんですか?」

「まー結果だせばいいんでないかな。授業のときはちゃんとしてるしね。だからそういった趣味があう教師や講師と上手くやってくってのも手段ではあるんじゃないか?」

 相手も人間だし、なついてくる子にはそれなりにきっちり答えるし、それに。

「研究だけが趣味って教授も多いけど、それ以外大好きって人もいるしそういう人の所だったら、たとえ研究テーマがあわなくてもなんとかやってけると思う」

 って、これは今もろに俺自身のことでもあるんだが、と彼は苦笑を浮かべる。

 すでに就活も終わって、大学での研究も清書すれば終わりといったくらいなのだそうだが、いまいち研究室選びの時はぴんとくるネタがなかったのだと彼は自嘲した。大学っていってもこんなもんってやつもいるんだと言わんばかりである。

「ああ、噂をすれば、だな。長谷川せんせー、ご飯っすかー」

「お、おぅ。ここで会うのは珍しいな」

 ちょうど料理をお盆にのせた人物に彼は声をかける。そばコーナーのほうに寄っていたその人は、たぬきそばとミニ牛丼のセットをお盆にのせてこちらに近寄ってきた。 

「うわぁ……」

 その少しファットな体格を見たときに、思わず木戸は、ルイ声を上げていた。

 なんか見たことある人きたー。時々エレナたんラブって写真撮っていく大きなオトモダチな方ではないですか。

「おや、こちらは見ない顔ですな。井上氏の縁者の方ですかな?」

「いえ、今日のオープンキャンパスの参加者で高校生です」

 ちなみにオタクです、と付け加えると、くだんの長谷川せんせーは目を輝かせて、こちらに詰め寄ってきた。近い。近いったら。エレナにいいつけますぞ。

「拙者、長谷川と申す。研究者とは仮の姿。二次元の文化をこよなく愛し啓蒙する存在でござる」

 うわぁ。普通に少し引いてしまったのだけど、これは間違った反応ではないはずだ。

 あの会場の中でだったらそれなりに居る人の一人だったけれど、この場所だと半端なく違和感がありまくりである。

「おや、井上氏? 少し怯えられてしまったようですぞ。あまり免疫がなかったりするのですかな」

「あー、いや、オタクっていってもアニメ詳しいってだけかもしんないですし。さすがにせんせのそのしゃべり口調はきもい」

「おぶふぅ。拙者の口調がおかしいだなどと、同志から言われるとは思わなかった」

「夏の祭典とかなら問題ないだろうけど、ここは大学。しかも学食。自重しる」

「し、仕方ない」

 きりっと長谷川せんせーはよそ行きの顔に切り替える。

「それで高校生さん。我が大学はいかがです? 施設も充実していていいところだとは思いますが」

「確かに広くて綺麗ってのは素敵ですね。それにおもしろい先生もいらっしゃる」

「私はそんなにおもしろくはないですよ。おもしろい物は物語の中にこそあります」

 ちらりと大きな手で取りだしたのは一冊の小説だ。対比の問題ですごく小さく見えてしまうが普通の文庫本のサイズである。

「人文学部で教鞭をとっていましてね、この手のものに目がないんですよ。ご存じですか? この前までアニメもやっていたのですが」

 テーブルの上に置かれていたのは、まさにエレナがこの夏にやるコスプレの子だ。

「友人にたっぷり十二話見せられました。翌日はぐっすりでした」

「やはり同志ではないですか。それならばこちらの口調でもかまわぬはず。拙者と意見交換を是非に」

 通常口調は三分もちませんでした。

 それからもそばをすすりながら彼は、あそこがいいだのここがいいだのを永遠と語り尽くして、最後に言ったのだった。

「しかし、これを現実に降臨させるエレナ氏が最近徐々に女っぽくなってしまっているのが残念でならぬところ。年齢には勝てないものでござろうか」 

「あれ。先生は実は女の子派なのですか?」

 むふぅーと鼻息を荒くする彼の言葉にきょとんとした反応を漏らしてしまった。今だ議論が割れてるエレナは本当はどっちなの、という件はどうやらここのところ、本当は女の子派の方が優勢らしい。

「むろん。あのような可愛らしい子が男の子であるわけがない」

「せんせー、それ言うなら、女の子のはずがない、だろう?」

 夢がねぇなまったく、と言われて、しかし最近は言い表せぬ女性としての魅力というものが、どうのこうのと彼は大柄な身体を揺らして熱く語ってくださった。

 そりゃ彼氏できたからだよ、と是非ともいってやりたいところなのだが、我慢である。

「拙者はこのような会場で彼女を見たことがないので何とも言えぬのですが、肝心なのはそのキャラクターそのものを愛でることかと。エレナ氏が男だろうと女だろうと、最高の男の娘を演じて見せてくれるのならそれに越したことはないのでは?」

 その代わり、公式ページでも展開しているエレナからのおねがい♪ の内容を伝えておく。

 実は女の子派、実は男の娘派で派閥みたいなものができているわけだけど、それが争わないようにというコメントが掲載されているのだ。

 ちなみに木戸として会場に行ったことはないので嘘はついていない。外では会ったこともあるしご飯もさんざん食べに行っているが。

「けれど、ファンにとってすればそれは大切なことなのですぞ。先日も男の娘レイヤーを名乗っていた子が、実は女子でした宣言をしたばかりで……」

「もう、せんせーまだアレ引きずってんのかよ。確かに俺もショックだったけどさ、そろそろ立ち直ろうぜ」

 他にもいるんだから、そっちを愛でようと井上氏が先生の肩を気安くぽんぽんと叩く。やたらとフレンドリーだ。

 時折、注目を集めるためなのだろうけど、男の娘ですと偽る女子がいるのはいる。けど、この場合は確かに井上さんの言葉の方が正しいような気がする。他に男の娘レイヤーさんは何人かいるし、その中に確実に男の人はいるのだ。西王子はるかさんとか、クロキシとか。

「うぅ。おとらぶのフィギュアをなでなでしないと復活できないでござる」

 そうは言いつつもしっかり食べるものは食べているのだから、言うほどダメージはないのかもしれない。

「こうなったら木戸君に女装してもらえばいいじゃないっすか。小柄だしきっと似合いますよ」

「ばっ、いきなり男の子捕まえてそんなことは……いえな……」

 こちらに無遠慮な視線が向けられる。うぅ。ちょっと気持ち悪いけど我慢だ我慢。ここで変に嫌がるから姉などに呆れられるのである。下手をするとそばを吹き出しかねない。

「木戸君と言ったね。是非うちの研究室で男の娘になってくれないかい?」

 ぐっとサムズアップされつつ標準語で決められても、こっちの答えなんて最初から決まっている。

「勘弁ですよ。そういうのはクロキシあたりにでも頼んで下さいよ」

 きっと夏のイベントにもでるんだし、来週をお楽しみにすりゃいいじゃないですかというと、クロちんも確かにかわいいでござるぅとふにゃふにゃしはじめた。忙しい人である。

 クロキシはちゃんと男子ですと公開した上で女装キャラを演じる子だ。ルイとして何回か撮影をさせてもらったし、見た感じちゃんと男子なのも知っている。まあ、あっちは粘着撮影が嫌みたいで、ここのところ避けられてしまっているけれど、来週は撮影できるといいなぁなんて思っている。

「とまぁ、うちの学校の研究室預かっていてもこんな人もいるから、あんまり今日の公演でネガティブにならないで、興味あるなら受けてみてよ」

 ま、俺は来年もうここには居ないつもりだけどねぇーと、井上さんの緩い声が響いた。

 ちょうどお弁当も空になって、これから午後の部である。

 たしかに、きりっとした教授たちの裏側にこんな面があるのだとしたら、それはそれでおもしろそうだなぁと、少しばかり午後の部の方は見え方が変わりそうだと思った。

 当初予定していた後半部分「シフォレと年下の女の子(?)」が、時間軸の兼ね合いでぽしゃってしまったので、激しく右往左往しました! シフォレネタは後日っていうか数日後にやります。結婚式ネタの前にあれやったら話がつながんないっす。オープンキャンパスとセットでお得って思ったのに、しくしく。

 オープンキャンパスは、大学編のキャラをちょろちょろ公開。特撮研の面々に私はそんなに思い入れもないのですが(いっちばんメインはいま海外だしな)、せっかくだから出しておこうかーみたいな、ね。だってルイってば部活あんまりしない子ですから。

長谷川先生は思いっきり即興でできたキャラなので、ふぉかぬぽうです。男の娘好きな人に悪い人はいないのでござる。


 オープンキャンパスは、作者学生時代「行っていない」ので雰囲気全然わかりません。学園祭にはクラスの男子と遊びに行ったりしましたが、当時から女装ネタ大好きだったけど同行者がいたので泣く泣く……くっ。だいぶ前なのでたぶん、ゲイバーちっくだったんでしょうけど。

 改めて女装ものって、18禁要素的な話がおおいのな……と最近思うのですが、うちみたいなのって珍しいのですかね。ベルテ○ンさんとか、あそこらへんも似た空気で好きなのですが。

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