103.
「んふふふぅ。さすがにあいなさんの写真はすごかったぁ」
七月一回目の外出日は、あいなさんの写真展に招待されていた。
あのときの、一番最初にあいなさんと会った時に撮られた夕暮れの写真も端っこの方にだけど展示されていて、スタッフさんには、ああ、あの写真の子かなんて言われてしまって恥ずかしい思いはしたのだけど、それでも今まで見せてもらったもの以上に厳選された写真が数多くあってどきどきしてしまった。やっぱりあいなさんは空の写真だよなぁとしみじみ思わせられる。
そしてそんな一時を過ごした帰り、これはこっちもいっぱい撮らねばなりますまいと町の写真を撮影しながら家路についていたのだけど、それでも浮かぶのは先ほど見せられた自然の写真ばかりだった。もともと町の景色はそこまで好きでもない上にあれほどいいものを見せられてしまったらこうなってしまうものである。
ちなみに、あいなさんは最初から写真展の後は商談があるという話になっていて、打ち上げと感想は後日にぜひと言われているので、今は一人だ。
そんな風にして町の撮影をしていると、ふいに声をかけられた。
「お? 君は確かルイちゃんだっけ?」
「ふえ? 私のこと、ご存じなんですか?」
そうして見上げた顔は見覚えがあるものだ。
彼に会ったのはちょうど三か月前くらいだろうか。桜の花びらがまだまだ残っている季節のことだ。
そのときの姿はもちろん馨のほうだったわけで、眼鏡が外れた顔なんかも撮影されていたりするのだけど、彼は間違いなくルイという名前で呼びかけてきたので、同じ人だとは思っていないだろう。男子相手にちゃん付けをする人というのも少ない。
だからこちらも初対面としての反応を返しておく。どこで名前を知ったのかは知らないのだが、いちおう警戒はしておくにこしたことはない。
「カメラやる人なんですか?」
しかし胸に納められているカメラを見て、そういえばと思い直す。カメラでつながっているという可能性は十分に考えられると言うことだ。
佐伯さんはとことん顔が広いし、あそこに一枚写真が展示されているのもあるから、そこつながりなのかもしれない。
「俺、実は佐伯写真館のOBでな。それで知ってたわけだが。今日も撮影か?」
「えと……その。あいなさんの写真展の帰りです。もちろん町中も撮ってますが」
「ああ、今日だったか」
そういやメールきてたっけなと、彼はスマートフォンの画面をちらりと見る。
日にちの感覚があまりないのかもしれない。
「よかったら、今日撮った写真を見せてはくれないか?」
「別にかまいませんが」
プロの人に写真を見られるのはどことなく気恥ずかしいものはあるけれど、評価をしてもらうことは大切なことだ。それに今日はあいなさんとあまり喋れないのもわかっていたので、手持ちはそれこそ今日撮ったものくらいしかない。タブレットにはお気に入りをいれているけれど、こちらは見せずに鞄の中だ。
「ふぅん。なかなか。でも、佐伯の写真展にあった写真よりはちょっとこうなんというか」
「物足りない、ですか?」
カメラの背面パネルを操作する指筋は男の人の割に細くて長い。
「なんつーか、町が見えてない感じ?」
「うっ。その通り……ですきっと」
ふぅと、ため息交じりに彼に言われた通り。ルイは自然の写真の方が得意だ。人工物が多い町中というのはなかなかこれだと思う写真が撮れない。はずれはもちろんないのだが、やってやった! というようなのはそう撮れないのだ。
「佐伯のおっさんも少しもうろくしたかな。でも、素人のまぐれ当たりでも、あの写真のできは良かったと思うよ」
「まぐれあたりって……」
さすがにそれは失礼というものではないだろうか。佐伯写真館においてあるのは確かに、佐伯さんが選んだ写真でルイが選んだものでない。けれど田舎の風景ならばたいていきれいに撮れる自信はある。
それにあの大樹の写真は狙って撮ったものだ。それをまぐれ当たりと呼ばれたらいい気はしない。
「標準以上をコンスタントに撮れるのがプロだからな。田舎でも都会でも、いいもん撮れなきゃ話にならん」
「そこまで言うんなら、貴方はよっぽどすごいものが撮れるんでしょうね?」
不満ですという空気を出しながら言うと、
「なら、うちのギャラリーにきてみるかい?」
あいなとは違う世界を見せてやる、と彼は不適に笑うのだった。
知らない人についていっちゃいけません。
幼い頃に割とよくルイは、というか木戸は言われていた。なんせ幼い頃は眼鏡もかけていなかったし、男の子っぽい格好をしていても女の子に見えたので、不審者に声をかけられるなんてこともあったのである。
では、目の前の人は知らない人か、といわれると少し悩ましい。
佐伯さんのところの元職員で、あいなさんの兄弟子ということとなると、その妹弟子の弟子であるルイとしては知り合いということになるのだろうか。
「ま、そう堅くなるなよ。女子高生っつっても俺は取って食ったりしないぜ。っていうか女に興味はない」
「はぁ。まあ、そうでしょうねぇ」
ギャラリーの写真をちらりと見ただけでなんというか、その趣味はとてもよくわかった。
男の写真がべらぼうに多いのだ。それも偏ってるわけではなく、いろいろだ。
そう、マッチョなスキンヘッドもいれば、線の細いイケメンもいるし、じいさまも、赤ちゃんだっている。
「へぇ。かわいいですね、女の子ですか?」
ベビーベッドから乗り出しているクマをモチーフとしたベビー服を着ている子の前でしれっというと、石倉さんに違うっと言われてしまった。そりゃそうか。たいてい赤ちゃんには女の子ですかと聞くのが正解だというけれど、どうやら今回は狙ったように男ゾーンだったらしい。
「ま、俺が見せたいのはこれではなくてだな。こっちの方だ」
備え付けられたパソコンをちゅーんと起動させる。少し時間がかかるのは家のPCと変わらない。OSが最新式ではないのだ。
「どうしてもこいつはつくまで時間かかるからな。いつも見ていたい写真はああやってパネルにしている」
「いい写真、だとは思いますが、偏ってますよね」
「まあな。どんな写真家だって自分の好きなジャンルはある。君やあいなの田舎や自然ってのと一緒でな」
あいなさんと同じか、といわれると少しばかり違うような気もするけれど、ひとくくりにされること自体に異論はない。厳密に言えば、あいなさんが好きなのは自然なのに対して、ルイが好きなものは非人工。
町は苦手だけれど、田舎の人達やらイベント会場の人達やらはそこそこそつなく撮影ができる。コスプレ写真を撮っている関係で、人間の撮影力も上がってきているのである。
「それはあいなさんにも聞いてます。好きじゃない写真をどれだけうまく撮れるか。そこもポイントだよって」
「へぇ。あのあいなが、後輩に指導って。まさかあいつも同性しか愛せないとか、そういう……」
「貴方と一緒にしないでくださいっ」
あんまりな言いぐさに突っ込みを入れる。あいなさんは残念ながら異性にすらあまり興味のない人間だ。そういや彼氏ができたという話も聞いたことはない。
「それに、あいなさんが指導してるのは写真部限定で、私と一緒の時はただ撮るだけで」
「ふぅん。師弟というよりは友達、か。あいならしいっちゃらしいか。まあいい」
パソコンも立ち上がったようだし、と彼は手招きをする。パソコンの隣の椅子に座れと言いたいのだろう。
「どうよ。俺の仕事写真」
「ええと……」
きしきしとチェアをならしながらパソコンを操作していく。そこに表示されているのはかなりきれいなモデルさんたちだ。パネルにしている写真とは異なって全部女性。しかも高校生から大学生くらいの年齢の子たちだろうか。
確かに上手い。上手いのだが……
楽しくはない。
なんかにじみ出てはこない。まったく圧倒されない。
「あ、れ? こういう写真女の子なら割と諸手をあげて大賛成じゃないの?」
こちらの反応がいまいちなのを見て彼は、えっ、と怪訝そうな声をあげる。いちおうそれらの写真は雑誌なんかにものったことがあるようなものなのだろう。
もちろん、そういうところに載る写真としては十分にありだと思うし、十分にキレイではある。
きゃーこの服かわいーなんて反応にもなる。けれど、だ。
「いや、うん。賛成は賛成ですけど、さっきあなたがいった物足りなさ、ってやつ、ここにもありますけど?」
どう反応していいのか悩みながらも写真をめくっていく。
「ぐぬっ」
ポテンシャルは確かにある。美しかったり、失敗もない。
けれど、さっきの飾られたアレを見てしまったあとだと物足りなく感じてしまう。パネルになっている写真はサイズもさることながら、配置なんかも工夫していて大好きでたまらないというのが感じられた。それを前座に据えてのメインとなると、もうちょっとぐっとくるものを出していただきたいものだ。
さっき彼は、いいやあいなさんだって、平均値よりもうまいものを撮れるのがプロであるといった。
けれども、ルイとしては。
平均がわからないのだ。
そう、プロは平均値以上を撮れる、という話は知ってる。けどルイにとっては自分の中での平均値でしか物事が語れず、それをあいなさんと比べれば確かに低いだろうし、写真部の面々とは比べたことがない。だってさくらですら嫌がるのだから。
彼女たちは良い写真しか見せてくれない。もしくは被写体としてルイを撮ったときの写真くらいしか。
自分で見て駄目な写真の判断はそりゃあつく。その頻度は減ってくれているし、最低限は維持できていると思う。
では、平均値とはどこをとって平均なのか。
この、石倉さんの写真だって、パネルで飾ってるもののほうがいいのは確実で、それと比較して目の前のは、「たりない」。
「外れはない、ですよ? ミスらしいミスだってないし。うん。いい、写真、じゃない、かな?」
思い切り目を泳がせながら、それでも大人の威厳というモノを損ねないためにお世辞を言ってみせる。
彼は、ががんと衝撃をうけたまま、こほんと一つ咳払いをした。
「正直、カメラの性能の強化のせいで、俺たちプロのカメラマンの仕事は減少傾向にある。現像って作業すら家でできるようになっちまったしな。そんなわけで、苦手は克服した方がいいっていう、そういう話さ」
なんでもなかったように、彼はふぅと息を吐く。やりきった感の演出だろうか。
「えっと、うん。すみません。いろいろ自信つきました。ありがとうございます」
「そういうなよぅ。プロの威厳が全然なくなっちまうじゃないかよぅ」
うわーんとあれだけ決めてた相貌が崩れた。なんだ、意外にかわいいところもあるじゃないか。
「先輩ってわりと受け、なんですか?」
楽しそうに。朗らかにいうと、ぬおっと彼の顔が変わる。
「そうっ! 世の中の男はみんな俺のもんさ! その瞬間はすべてなにものにもまして輝かしい。あぁ、鋭い眼光もなにもかもこちらに見せて写させてー」
「むぅ。あれだけ、かっこよさげなことを言っておきながらこれって……」
変態さんめと思っていると、彼ははっとなって、居住まいを整える。
「こほんっ。別に、受けだけというわけではなく、俺は世の中のすべての男を写真に収めたいだけだっ!」
「開き直った!?」
うわっと目をしろくろさせていると、はぁと彼は肩をすくめた。
「この趣味は女子供にはわからんだろう。男の肉体、独特のほとばしりをっ!」
いや、まさに目の前にいるのが男の子なんですけれどね、とはさすがに言えない。そんなことを言ってしまったらいろいろと危険が危ないように思う。
「でも、素直に大好きなものを綺麗に撮れるってのは尊敬します。私は男の人が好きっていう感覚を尊重しますよ? 筋肉の良さはわからないですけど」
「そこわかろうよ。ていうか君、処女だよね……男の良さわからないとかマジで……」
「ばっ。ちょっと、突然なんてこと言い出すんですか……」
人様を捕まえていきなり処女呼ばわりというのはどうなんだろうか。
さすがにルイでもその話題には面を食らってしまう。
「そういうピュアな反応はさすがJKだな」
くくくと笑う彼に、セクハラですよと突っ込みを入れる。
どうしてこう、ルイの周りにはセクハラ男子が多いのか、少しばかり恨めしく思ってしまう。もちろんかっけー王子様が現れてほしいなんてまったく思ってはいないのだけど。
「はんっ。別に女子高生になにを言われてもまったくなにも感じないのさ。これが美少年あたりに、おにーちゃんそういうセクハラは、めっ、なんて言われたら考えるけどな」
「うわ……き……芸術派ですね」
きもいと言いそうになって、思わず言葉をオブラートでくるむ。ああ、本当に今は自分が男子じゃなくて良かったとつくづく思った。
この人、馨相手だったらとんでもない化学反応を起こすかもしれない。
「とまぁ、それはともかくあのパネルの写真のほうはお前だって、感じるもんはあっただろ」
「そうですねぇ。あっちのほうは魂を感じました」
見ていてわくわくしますというと彼はそうだろうそうだろうと、あちらの写真について熱く語ってくれたのだった。
苦手意識を克服するのも大切だけど、大好きなものを突き詰めるのもいいよね、としみじみ思ったのだった。
写真展のほうは以前やった感じデス。知らない人にはついていっちゃダメなのに、ルイさんは割とひょいひょいこういうのは行ってしまう派なのですよね。
町撮りがあまり好きではないルイさんですが、いつかは人里の中でも好きなものを見つけていただきたいものです。
さて。明日はあいなさんちで反省会です。
これで海フラグがよーやっと立ちます。まあもとから海いこーねって約束はエレナさんとしてるんですが。




