101.
「おや、ルイちゃん。久しぶりだねぇ。今日は受験の息抜きかい?」
「おばちゃん! お久しぶりです。おばちゃんこそ今日はどうしたんです?」
姉から逃げるようにして園内を歩いていると、今度も見知った顔に出会った。銀香町の揚げ物やのおばちゃんだ。
四月からがくんと週末の活動を抑えている関係で、銀香町にも最近しばらく行けていない。
そういう意味では、だいぶストレスがたまっていたというのもあったんだと思う。姉が連れ出そうと思うくらいに。ここのところイベントが多くて田舎に行っていなかったけれど、来月こそは……ああ。厳しいかなぁ。
来月は、あいなさんの写真展で一日は休みを使うつもりだ。そしてもう一日は空いているけれど、果たしていけるのかどうか。場合によってはエレナと八月の件で話し合いなんてこともあるかもしれない。
夏休みの八月は一応いつもより一日多く外に出られる約束はしているけれど、海や夏のあのオタクの祭典などで割とやることはたんまりあるのだ。
おまけにエレナも時々撮影して欲しいみたいで、遊びに行こうよ! って誘われることがあるのだ。
むろん、女同士という設定で。そのときはカメラをつっているしエレナの私服姿を独り占めだ。
よーじくんにデータを流したりはしているから独り占めはさすがにいいすぎかもしれないけれど。私服姿はレアだ。
「娘が四月に帰省してね。割引券もあったしみんなで来てみようかってなって」
おばちゃんは少し水着姿が照れくさいらしく、どうしたもんかと所在なさげにしている。
自分で気にするほどでもないと思うのだけれど、それはそれで気になるお年頃らしい。
娘さんがいる、という話は以前聞いたことがある。店の手伝いをしないっていう高校生と、あともう一人。関西の方の大学に通っているという娘さんがいるという話だ。大学生の方が帰ってきているということなのだろう。
おや、戻ってきたようだよと、おばちゃんが視線を向けた先には一泳ぎした後、水着から水滴をしたたらせている二人の女の子の姿があった。
その中の一人は、どうにも見知ったことがあるような。
「ちょ、ちょちょ、ちょっとまって。どうしてこうダイレクトに会ってしまうのか」
「あら。知り合いなの?」
「しゅ、修学旅行の時にちょっと」
あわあわしているのはルイだけではなかった。そう。おばちゃんの大学生の娘というのが修学旅行の時に立ち寄ったメイド喫茶で、木戸に金髪メイドをおすすめしてきたあの人だったのである。
彼女は、おたおたしながらも、ちょ、ちょっと来てちょうだいと、ルイの二の腕を掴むとつかつかおばちゃんや妹さんから離れていく。
人気がいないところまで連れ出されてようやく彼女は手を離してくれた。
「ええぇと。ルイ、さんだっけ? その、うちの親にはあのアルバイトのことは内緒で!」
「あーやっぱり内緒なんですか」
たしかに、遠くで一人暮らししている娘がメイド喫茶勤務というのは、親としては驚くだろう。
「喫茶店で働いてた、くらいなところでいいですか?」
「ええ、それでお願い」
はぁーー、ばれなくてよかったぁーと彼女は思いきり息を吐き出してへたり込んでしまった。
彼女の名前は、市村千紗。おばちゃんともちろん苗字は一緒である。名刺をもらった時は特に名前の意識はしていなかったけれど、まさかこんなに離れたところで繋がるとは思ってもみなかった。
「それにしてもひどいじゃないですかお客さん。あのときはさんざん男だーなんて言っておきながら、水着なんかきてて。そりゃあのかっこも似合うに決まってます」
「ふむん。やっぱり。女子に見えますか」
腰に手をあてて、仁王立ちをしてみせると彼女は、その言葉の意味を咀嚼するのに少しの時間をかけた。
ぽかんとして、再びこちらの身体を上から下までみて、さらに小首をかしげて、じぃともう一度見る。
「は?」
ないないないないない、と彼女はこちらを凝視したまま言い切った。
「えっと、じゃあパレオの下はその……」
彼女がじーっとこちらを見てくるので、パレオを外してみせる。
家で着てみたハーフパンツ型と違ってくっきりと太ももが丸出しになっているけれど、それでも。
「もんまりしていない……」
「ああ、やっぱり千紗さんも、その表現の方ですか……一般的にはこんもりとか、そっちだと思うんですけど」
「あー、私が好きな男の娘マンガでそういう表現しててって、そーじゃなくて! ないじゃん!」
いちようにみなさん同じ反応である。
やっぱり無理は無理っていうのが常識という奴だろうか。
「うまく隠してるだけで、別にないわけではないですよ?」
「じゃ、じゃあ、あなたはのぞきし放題ってこと?」
「今後は至る所で、隣に男がいるかもしれないという疑念を抱きながら生きていくしかありませんね?」
にこりと悪ふざけをしてみると、彼女の顔がぬぬぬっとこわばった。
「いっときますけど、あたしはやましいことは全然してないですよ? 捕まったときのリスクも大きいですし」
それにね、と付け加える。
「よこしまな理由でタックを使うのは、割と自殺行為だって書いてありましたよ。その、ある意味鎖でぐるぐるに締め付けてるみたいな感じなんで」
耳元で、どうやらえっちなことを考えると、地獄を味わうのだとか、とささやく。
すると彼女はぼふんと顔を赤らめる。ううむ。いまいちルイとしてはそこらへんを味わったことがないのでわからないのだけど、彼女は何かを連想したらしい。
「って、なんてこというんです!」
「なので無理って説明なんですけどね。わたしは別にそういうの感じないし、どうでもいいかなぁって」
「男子高校生にあるまじき反応だぁ」
うわーんとメイドさんが嘆いた。とはいえこれは女装なりをする人間すべての名誉のために言っておかないといけないことだ。よこしまな理由で女性の領域を侵すことは絶対の禁忌。そんなことがまかり通ってしまったら、あっさり迫害されてしまう。
千歳みたいな子にまでそれが飛び火したらさすがに申し訳ない。
「ところで、帰省っていってましたけど、こんな時期にって珍しくないですか?」
「あー。うちの大学、一年は関西で二年からは関東のキャンバスになるの。それで四月にはこっちに戻ってきてたんだけど」
「ってことは、今年はこっちで活動なんです? コスプレ系やってらっしゃるんですよね?」
「あー。そうなんだけどねぇ。うちの親、そういうの案外だめで」
帰ってきて二ヶ月まともに活動できておりませぬ、としょんぼりした声を上げる彼女を見ながらルイは小首をかしげた。あのおばちゃんのことは今までのつきあいでそこそこわかっている部分もある。
「そうかなぁ。去年はけっこーお会いしましたけど、だいたい愚痴るのはちゃんとしてないこと、のほうでしたよ?」
そう。彼女の口からこぼれていたのは、店の手伝いして欲しいとか、遊んでないできちんとして欲しいとか。親がたいてい言うような事柄だ。
「っていうか、そもそもあなたがなんでそんなにうちの親と仲がいいのかが疑問」
「なんでって、私が銀香のさまよう写真家、ルイだからですよ?」
たいてい毎週、あそこ周辺の写真を撮ってきた。あの町で多くの人と話をして、ルイとして過ごしてきたのだ。
おばちゃんとのつきあいだって、結構になる。
「まあみなさんには性別のことは内緒にしてますけどね。でもルイだからこそ撮れる写真ってのもあるし。向けてくれる顔もあります」
きっと木戸のままでは撮れなかった写真が多くあるだろう。あの二年を通して、ゆっくり木戸の中の人を撮る時の緊張は解けていった。気負いをせずに木戸の状態でも今は撮影ができる。
「まじですかそれ」
「おばちゃんの写真も結構撮らせてもらってるし、部屋に飾ってもらったりもしてると思います」
「遺影用にとかなんとか、そういえば言ってたっけ」
「いやいやいや。まだ全然若いでしょうに」
いくらなんでもこの歳で遺影の心配をされてしまったのでは、さすがに心臓に悪い。そりゃ、元気な頃の写真をってのはあるんだろうけれど。
「あたしだって縁起でもないって慌てたんだけど。でも確かに不思議には思ってた。うちの母親、写真撮られるのそんなに得意じゃないもん」
っていうか、普通の人はカメラ向けられるの嫌でしょ、と問われて確かにと思う。
つい、レイヤーさん達や崎ちゃんみたいな撮られ慣れている人を撮っていると忘れそうになるけれど、被写体になるということはそれなりに度胸がいるのである。
「いちおー、嫌って言われたら消すようにしてますよ? マナーとして。でも半年以上経った頃からは普通に挨拶して写真撮るみたいな感じでした」
銀香での日々はほとんど日常の景色となってしまったと言ってもいい。写真を撮って、時々コロッケをいただいて。
「だから、やることはやってるってところを見せれば、大丈夫なんじゃないかなって、思うんですけど」
んー。駄目かなぁとぽりぽり無意識に頭をかいてしまう。もちろんウィッグがずれない程度の力でだ。
なんというか、好きなことが好きにできないっていうのは、とてもストレスなのだ。今ルイがカメラを持っていなくて抱えるストレスはじみにひどい。
それを目の前のこの人も感じているんだろう。
「って。あれ。ルイってどっかで聞いたことが……」
「コスプレ写真の撮影なんかもやってますよ? 基本は風景のほうが好きですけどね」
さすがに関西を本拠地にしてたから知らないかなぁとは思っていたのだけど、ルイの名前を彼女は知っていたらしい。自分では自覚はあんまりないけど、エレナ人気はすごいなぁとしみじみ思う。
「一部で噂になってるカメ子さん、だったっけ。でも最近あんまり活動してないって噂だったけど」
「いちおー夏のイベントには行こうかなとは思ってます。友達にも誘われてるし」
そのとき千紗さんが参加するなら、是非撮らせていただきたいところですけど、と微笑みかける。
「で、こんなところで同行者をほっぽって、女の子を口説いているとかどういうことなのかなぁ? ルイさんや」
せっかく、少しいい話をしていたところで、闖入者がはいってきた。今度の声は姉ではない。
もう一人の、同行者の方である。
「あれ、野々木先輩?」
「あらま。誰かと思ったら千紗じゃん。こっち戻ってきてたんだ?」
「一年だけって前に話しませんでしたっけ?」
「いやぁー、あたし記憶力があれでねー」
こまったこまったと、頭をこんこん叩きながら野々木さんは苦笑を漏らす。
「お二人は知り合い?」
あまりに親しげに話すものだから、不思議そうに聞いてみる。
たしかにここら辺に住んでいたのなら、中高が重なることもあるかもしれないけれど、そんな人と遠く離れた関西でばったり先に逢っているというのがなんだか奇跡的である。
「ああ、君のねーさんもかぶってるよ。ミス研で一緒だったの」
なつかしーなぁと野々木さんが目を細める。なるほど。銀香に住んでいると言うことであればうちの学校のOGであっても不思議はないということか。
「牡丹先輩の……弟さんってこと?」
「あら。ばらしちゃったんだ? そのかっこで性別ばれするの一番いやがると思ったんだけど」
「そりゃー。ばらしたくはなかったですけど、ばれちゃったんです。しょーがないんです」
むぅと。野々木さんの言葉に不満げな声を漏らす。
好きでばらしたわけではないのだ。偶然レアケースの木戸の女装というイベントに立ち会った人間だったというだけのことで。
「ばれるっていうのがわかんないけどなぁ」
しらばっくれればいくらでもどうとでもなるんじゃない? と野々木さんがつっこんでくる。
「もちろん、取り繕うことなんていくらでもできるんですけど、いちおうあっちの姿であってる人には事情を話しておこうって決めてるんです。変にごたごたしてスキャンダルとか勘弁して欲しいし」
「まー、そのかっこ見て、実は男の子だーなんて誰も思わないけどね」
水着でそれってどうよと野々木さんに胸元をのぞき込まれて、思わず両腕で胸を隠して後ずさる。
それだよそれっ、とつっこまれてしまう。
「って、あれ。ミス研ってことは、研修所の階層破りの秘伝書って……」
自然とその仕草がでてしまったのが恥ずかしくて、ミス研という単語を持ってくる。せっかく同じ学校ならこっちの話題の方で盛り上がっていただきたい。
「あーあれね。うちの部に伝わっているものだけど、割とあたしも加筆したりまとめたりやったよ。必要だもの」
ねーと、野々木さんたちが手を取り合って声を合わせる。どれだけあの学外実習は異性間交流があったんだろうか。
「アレには助けられましたが、あんな危ない橋はもう渡りたくないですね」
「って、普通にそのかっこで言われても、今の方が十分にまずい状況だってのを、あなたはわかっていない」
そうは言ってもなぁと思ってしまう。いろいろな経験を積んでいくとどんどん慣れてしまうのは人という生き物だ。正直今同じ状況になったら普通にそのまま女子部屋で泊まってしまうんじゃないかとすら思える。
「それをさせた本人に言われたくないです。それと、今日は更衣室使ってないから、まだ安全圏」
大丈夫大丈夫、と腕を胸元で組みながらこくこくうなずく。犯罪行為だけはなるべく避けるようにしているのである。
「それに、その。気持ちまで女の子ってわけでもないし、そこらへんは勘違いしないでくださいよ?」
不可抗力で無防備になるとか勘弁してくださいね、とついでに釘を刺しておく。
こちらがいくら気を配ったところで、目の前でいきなり着替え始められてしまっては、もうどうしようもないのである。つきあいがそこそこある野々木さんはそこらへんわかっているだろうけれど、ほとんど初対面に近い千紗さんは、こうまで見た目が女子にしか見えないと中身もそうだろうなんて誤解もしかねない。
「そこらへんはりょーかい。もしかしたら今後、会場で会うこともあるかもしれないし」
「会場って千紗。どういうこと? 二人に接点あったっけ?」
きょとんとする野々木さんに、こっちは写真撮られる側、あっちは撮る側ということでさらっと説明が入った。
「いちおールイは性別不明っていうことになってるんで、そこはどうかご内密に」
本当に、これ知られちゃうといろんな方面からいろいろと問題になっちゃうんでよろしくというと、二人は別にいいけど、といいつつ顔を見合わせてにまぁと笑ったのだった。
「その代わり、今度ルイさんになにか奢ってもらうということで」
もちろん女の子の格好でよろしく! と言われてしまうともう肩をすくめる以外にない。
いつか時間が取れたときにシフォレに連れて行って口止め料を払おうとルイは決意するのだった。
まったくがめついものだと思いつつ、ケーキでも献上しておこうと思ったのである。
最後にご登場いただきましたのは、揚げ物屋のおばちゃんでした! 年齢的には50くらいなはずです。さすが割引券効果です。
そして娘さんのほうは、「あの」メリフェンリートを操るメイドさんなのでした。しかし、うちの話「千」ってつく子多いような気がする。。
次回。七月学校にてです。本作始まって以来、たぶん初。
木戸君、一話分まるまる「寝てます」。で、でもいいんです。ちゃんと主役です。