100.
「そして、我が姉は再びナンパ中ですか」
トイレから元の場所に戻るぞというところで、再び姉が男二人に囲まれていた。
人がけっこういるというのもあるけれど、どうしてこんなに我が姉は声をかけまくられるのか。プールサイドに戻ると二人の男に囲まれていた。
町中だともっとになるんだろうか? いいや。さすがに水際の魔力だと思いたい。
「姉様。またですか?」
また二人の若い男の子に囲まれている姉をじとめで見ながら、はぁと深いため息をつく。
「あ、ルイ。ちょうどいいところに」
「なんだ姉妹できてたんだ。それなら妹ちゃんの方も一緒に遊ぼうよ」
ふらりとこちらの顔を見た男の一人は、こちらをみてうおっと一瞬声を詰まらせた。
「俺は妹ちゃんの方が好みかも」
ルイちゃんっていうの? 一緒に遊ぼうよと鼻の下をのばしながら近寄ってくる。
ああ、確かに男の胸板といったらこういうもんかと、ルイは場違いな感想を浮かべてしまう。
けれども。
「ちょっと、正座しなさい! なんなの!? なんなのあんたたちはっ!」
「いやぁ、美人姉妹っていいよなぁって」
あまりの迫力がそうさせたのか。
ごめんごめん、妹さんには手をださないよと、彼らは慌ててさっていった。
「あがぁ。違うっ。どうしてあいつらは偽物のほうばっかりちやほやするのよ!」
地団駄というものを本当にする人がいるとは思わなかった。姉はたんたんと悔しがるようにプールの床をけっている。
「男にはおっぱいよりも大切なものが、時としてあるのだよ……」
ふっふんと勝ち誇ったようにいうと、姉がほっぺたをつねってきた。
「いひゃい、いひゃいれす。おっぴゃ、おっひゃいがいちはんれす」
崎ちゃんにも以前やられたことがあるけれど、ほっぺを引っ張られるとどうしてもまともにしゃべれなくなる。むしろこれで女声が維持できているところを褒めて欲しい位だ。
「あっはっは。なんていうコントやってんのよあんたたち」
「こうなってるのも、元はと言えば野々木さんがいけないんです」
悪びれずににやにや笑っている相手に、まったくもぅと膨れておく。
「えー、そんなことないよ。私はきっかけをあげただけで、それを磨き上げて、実のおねーちゃんよりかわいくなっちゃってるのはかおりんのせいだもの」
「うぅう。いいんですっ。それに午後になったら着替えますからね。ウィッグでプールとか無理なんだから」
「あっれー少しアウトドアになった? 昔は家の中にずーっといたのに」
「そりゃそうです。あれから私だって変わったんです」
ぷんと胸の前で腕を組んで視線を斜めにそらす。拗ねてますというような仕草だ。
「そ、そういう仕草がいいの? なんなの?」
「姉様! どうしてそこで対抗意識だしちゃうんですか? 別に今はもてる必要ないわけでしょ?」
あきれたような声を上げると、姉はよくわかっていないと首を振った。
「美里も、こんなんに男の視線釘付けだったら嫌でしょ? 嫌よね。嫌って言いなさい」
「うっわー。目が怖いわ。でも、牡丹の言いたいこともわかるよ。ナンパされるってある意味自分の魅力の再確認だし。それで」
「きゃんっ」
いきなり野々木さんに後ろから抱きつかれて、変な声があがる。
「実の弟に負けちゃあ、やってらんねーですよね」
「しかも! 驚きの時の声までかわいいとか、もーやぁー」
くすんと姉がぐったりするのを見て、ルイも少しすねた声をあげる。
「こっちの格好してるときは、こうなりますっ。それに今日はあっちのかっこでって話だったのに。やっぱり野々木さんに全部の責任があるんです」
「えー、そこであたしにふるかー。こっちは軽いのりで提案しただけなんだけどねー」
まさかほんとに着てくるとは思わないじゃんと、あっけらかんとした顔だ。
「いちおー言い訳しとくと、あたしがかおりんをオモチャにしてた頃は、ほんと着せただけだったんだよ。それで破格のかわいさだったんだけれど。でもね、だからといって水着まで着こなせるだなんて思わないじゃない」
しかも、声まで変わってるってどういうことなのと、不思議そうに聞かれてしまった。
「これは、その……女装のための訓練っていうか、その……自然に成り行きでそうなったっていうか」
「いちいち言い方がかわいい。そんで声までかわいい。くっそ。おぼれてがぼがぼ男声だせばいいのよ」
「うわぁ、我が姉ながらそれはひどい」
確かに木戸の使ってる発声法は声帯依存ではなく、鼻や口腔を使ったもの。おぼれたときには使えないのだけれど。こっちのかっこの時にそういうのはしたくはない。
「そもそも、今日は息抜きにって引っ張り出してくれたんじゃなかったでしたっけ?」
「それはそうだけど。こっちのダメージがあまりにもひどいのっ」
「わかりました。じゃあ少し休憩しててください。私は……泳げないけどちょっと水につかってきますから」
ちょいと別行動といきましょうと言うと、あとは任せますと、野々木さんに姉を任せる。
言い争いをしていても日に焼けるだけでいいことなどまったくないのだ。
そもそも、今とてもまずいことになっているのに気づいた。
「このまま焼けるとえらいことになりそうな……」
そう。日差しは六月にしては照りつけるようでそこそこだ。室内の温泉プールとはいえ外はガラス張り。外にいるよりはましだろうが、日焼けあとくらいは残るだろう。
その水着あとを七月のプールで大公開、なんてことになったら、いろいろと人生が詰んでしまう。
「日焼け止め、とりあえず買わないと……」
ウォータープルーフでと探すとうっかりさんのために一回分パックというものが売っていたのでそれを買ってみる。
「でも、背中はぬれない……かも」
いや。たぶんがんばらないと無理……がんばっても無理かも。
がっくりと肩を落とすと、どうしようかと悩む。
「ルイ……さん?」
むぅと日陰でうなっていると聞き慣れた声が聞こえた。
「ふえ?」
突然の声にびくりんちょと体を震わせてしまう。
「青木、さん」
そう。その先にいたのは、ルイとして会うのはとても久しぶりな青木だった。
「久しぶり。ルイさんも割引券組?」
「そんなところです。青木さんも?」
「えと……ちょっと彼女に誘われて」
ああ。なるほど。照れたようにいう一言でいろんなことがわかった。
あちら側も、三年の最後の夏休みを前にってことで、一条姉妹に誘われたのだろう。
あれからまだ一月ちょっとしか経ってないというのに大胆なことをするものだ。いづもさんにかなり協力してもらったとは思うけれどどの程度のできばえなのかとても気になる。
「ルイさん!」
そして。そのあとに女の子の声が上がる。驚いたような、それでいて弾んだ声が二つ。
声に関しては、そこそこルイも協力をしたけれど、ずいぶんと自然な発声になったと思う。というかいづもさんにも教えろと言われたほどの完成度だ。
「千歳ちゃんと千恵ちゃん、おひさー」
「おひさしぶりですー」
きゃんと、千歳ちゃんと久しぶりなご挨拶。学校でもそこまで会っていないからひさしぶりというのは正しい。お互い手をきゅっとつなぎあってるところあたりは女の子同士の反応としては正しいに違いない。客観的にはほほえましい光景だ。
今日の彼女の姿はというと、ルイとどっこいどっこいといったところだろうか。ショートパンツ+ギャザーがよったベージュのトップスというへその周りを思い切りだしたスタイルだ。それに比べると千恵ちゃんの方がワンピースで、まだ露出は少ない。
「あれ、二人とも知り合い?」
「ええ。町中でお二人とあって写真撮らせてもらって、意気投合みたいな感じ?」
「あのときは、本当にお世話になりました」
ぺこりと千歳が頭を下げる。ぱらりと落ちた髪は風にゆれている。元々肩くらいまであった髪はさらにまた少し伸びているようだ。こういうのをみると、地毛っていいよねぇと思ってしまう。これなら十分に泳ぐこともできるに違いない。
「いえいえ。こちらもいい絵が撮れてよかったし」
「まさか……千歳の待ち受けになってる、パフェ食べてる姿ってルイさんが?」
「ええ。素材はいいから、是非とも今の姿も撮ってみたいものですよね」
指先でフレームを作って彼女を狙う。ちなみに青木はいつものように見切れている状態だ。顔すら入れてやらない。というのも主体を千歳とするなら彼女の身長がやはり女子の平均身長並だからなのだ。
「そういえば今日はカメラは持ってきてないんです?」
千恵ちゃんの方から質問が飛ぶ。
「さすがのあたしでもプールにカメラは無理だよ。防水のも売ってるけど高いしね」
それにプールでの撮影は、やっぱりいろいろ神経つかうだろうし、と肩をすくめる。
もともと人間を撮るのは得意ではないし、撮影をするならプールよりも海を撮りたい。
「そっかぁ。それは残念……だけどちょっとほっとしちゃいますかね」
千歳が少しだけ表情を曇らせる。冒険したものの勇気が足りないといったところなのだろう。
「ほっとするもなにも、今日の水着ちょーかわいいよ? おなか周りもきゅっとしてるし、青木さんに見せるのもったいないくらい」
どうです、だんな、とにやにやした笑みを見せると、青木がまんざらでもないように視線をそらす。
ふむ。ルイをある程度ふっきれたのだろうか。以前ならむしろこちらの姿に目を奪われるような感じだったのに。
「それをいうならルイ先輩だってかわいいです。反則なほどのボディラインで」
「ああ。ボディラインで思い出した。えっとね、二人のどっちかにお願いがあって」
いいところで逢いました、とぽんと手をうつ。
「なんです?」
「思ったより日差しが強かったんで、日焼け止め塗りたいんだけど、背中のほうとかお願いしてもいいかな?」
「じゃあ、俺がっ!」
青木がすごく残念な感じに挙手をした。ちょっといいと思ったら相変わらずの駄目っぷりだ。
そんな姿に千歳ちゃんは、もぅとほっぺたを膨らませている。かわいい。
「ねーさんたちは二人で遊んできてください。ルイ先輩の相手は私がしますから」
ほら、いったいったと千恵ちゃんが二人を追い払う。二人きりにしてあげたいといったところだろうか。
「ずいぶんと、仲よさそうでよかった」
いろいろな場所に設置されているリクライニングチェアのひとつにうつぶせになりながら、千恵ちゃんの手の感触を背中に感じて、はふっと声を漏らす。人に日焼け止めを塗ってもらう経験というのは初めてだけれど、くすぐったいというかなんというか変な感じだ。
前や足など自分で届くところはもちろん自分で塗って、あとは背中だけという状態にしてから最後の仕上げをしてもらう。
「学校で、二人の話、聞いたりしてないんですか?」
「そりゃ、のろけ話は多少は聞くけどね。受験ってのもあってクラスが少しぴりぴりしてるから、そこまで恋愛にうつつをぬかしているのを表に出せないみたいなんだよ」
「確かに三年生って忙しそうな感じですもんね。ルイ先輩はもう進路は決まったんですか?」
「いちおう目星はいくつか。あとは夏休みにオープンキャンバスにいってみて、興味引かれたらって感じかな」
「それってルイ先輩として行くんですか?」
「さすがにその勇気はないよ。下手に顔を覚えられても困るし、それに通うのはルイ、じゃないから」
そこはしっかりしとかないとね、と言っておく。
たいていルイとして会っている人間の方が多いから、というか木戸としてはろくに外に出ていないから、外出の時はルイで、と事情を知っている人はみんな思うようだけれど、さすがに今回のイベントだけは木戸として参加しないと駄目だと思っている。いわば学校行事の一環という扱いなのだ。
「ルイ先輩も、その。おねーちゃんみたいに、いっつもこっちでいればいいのにって私は思うんですけど」
「んー。前にも言ったけど、あくまでも写真を撮るための姿なんよ、こっちは」
「でも、今日はカメラ持ってないじゃないですか」
痛いところを突いてくる。でもいちおう言い訳はあるのだ。
「姉の友達にそそのかされて、こんな感じになってるけど、いちおー最初は、いつものかっこっていうか、あっちだったんです」
周りに人もいるのでどうしても直接的な言葉は避けてしまうものの、それでもきっとあっちとかこっちとかで伝わっているはずと思って話を進める。
「へぇ。今日はおねーさんと一緒なんですか。っていうか姉妹がいたなんて知りませんでした」
「大学通うために一人暮らししてるからね。滅多に絡まないし。話題にもあんまりしたことないかな」
「ルイ先輩のおねーさんだったら、すっごい美人さんって感じですよね」
目をきらきらさせながら、千恵ちゃんが言う。どういう基準でそういう言葉がでてくるのはあまり想像したくないのでやめておく。
「なーにやってんの?」
影ができたな、と思ったら目の前にこちらを見下ろす二つの乳があった。
「なにって、後輩の女の子に日焼け止め塗ってもらってるところですよー?」
けだるげに、これが姉です。牡丹っていいますと紹介をすると、千恵ちゃんはふわっ、と驚いたような声を漏らした。
あきらかに視線は胸に向かっていて、その大きさに驚いたに違いない。
「あ、えと。初めまして。一条千恵っていいます。その、ルイ先輩にはいろいろよくしてもらってて」
「はい。初めまして。あの、この子がなにか粗相をしたりとかそういうのはない? 大丈夫?」
「あはは。大丈夫ですよ。ルイ先輩は恩人で、女の敵だと思ってますから」
ぎらっと、一瞬千恵ちゃんの視線が怖かった気がする。気がするだけだきっと。
「ど、同志よ! 千恵ちゃんっていったっけ。仲良くなれそうな気がするわー」
きゃんと手をつなぎ合いながら、背中の上でほのかな友情が芽生えたらしい。
「女の敵って、ひどいよ千恵ちゃん」
あらかた背中に塗り終わったのを確認すると、トップスのホックを閉めながら起き上がる。
「だって、これよ? この色気。少し冷静になったら逆に頭いたくなってきたもの」
「ですよねー。まー逆にうちの姉は勇気づけられるみたいですけど」
これで本当に女の人だったらと思うと、と彼女は顔を白くしている。きっとこれで胸もばっちりあったらとかいうことなのだろう。
あーあ、と首を軽く振る。そんなに二人してこちらを邪険にしなくてもいいじゃないですかい。
「それよりも、ルイ? なんだってオイルプレイなんてしてるの? おねーちゃんに説明なさい」
「説明もなにも。そもそもオイルプレイじゃなくて、日焼け止めだし」
勘弁してくださいと姉をなだめる。別段こちらだって悪いことをしてるわけじゃないのだ。
「もぅ。千恵ちゃんありがと。私は姉から逃げるために失踪しようかと思います」
また、ケーキ食べにいこうね、と言い残すと、とっとこその場を離れた。
さすがに、休息できているのにぷりぷりと嫉妬されてはたまらないといったものだ。
千歳ちゃんもだいぶがんばりましたよね! プールまでこれるようになるとは。作者はお腹周りに自信がないのでプールには行きませぬ。というか外の光をあびると溶けてしまう。
明日はプール回三回目です。プールに来なさそうな方が出ます。