瞳に映った醜い自分
※「みにくい、みにくい少女と、あべこべ世界」のその後のヒロイン視点
※ヒロイン視点の一人称につき、童話感はないです
『あるところに、一人のみにくい少女がおりました。
ある日、少女は、足元にとつぜんあらわれたふしぎな魔ほう陣で、異世界にとばされてしまいました。
少女を聖女とあがめる人びとが住むその世界は、美醜が逆転した、あべこべ世界でした。今までと一転、美しいとたたえられるみにくい少女は、その世界でみにくいとさげすまれる、美しい少年に出会いました。
みにくいとしいたげられながらも、美しい心をたもちつづける少年に、少女はいらだち、なんとかして少年の心を歪めようと企みました。しかし、少女が何をしても、少年の心は美しいままでした。
顔も、心も美しい少年を、少女はいつしかあいするようになりました。少年もまた、こどくをいやしてくれた少女を、あいしました。
あいしあう二人は、森のおくふかくで、二人きりでくらすことにしました。
自分を世界で一番みにくいと思っている二人は、自分が世界で一番美しいと思っている相手と二人きりで、いつまでもいつまでも、幸せにくらしました』
「愛してます。聖女様」
そう言って私を抱き締めてくれる、美しい彼。
顔も、心も、世界で一番、美しい人。
誰よりも、大好きで、大切な人。
こんなに美しい人が、私を愛してくれるなんて。奇跡みたいだ。
幸せだ。たまらなく、幸せだ。泣いてしまいそうなくらいに。夢を見ているかのように、幸せだ。
愛しい人は、まるで宝物であるかのように、やさしくやさしく、私に口づける。
私ははうっとりと、間近に迫ったその顔を眺めた。
彼は、本当に、全てが美しい。
筋が通った形よい鼻も。
僅かな荒れもない、艶やかな唇も。
甘く、蕩けさせた、エメラルド色の瞳も。
…――瞳?
次の瞬間、氷水でも浴びせられたかのように高揚が一瞬でさめた。
「――いやっ!!」
気がつけば、私は彼を突き飛ばしていた。
「っ…どうされたのです!?聖女様」
「あ、あ、あああ」
呆然とする彼を、気遣う余裕もなく、意味をなさない声を、ただただ口から漏らす。
見てしまった。
思い出してしまった。
心臓が嫌な音をたててなり、冷たい汗が全身から滴り落ちた。
「…だめよ…だめ…私は、あなたに愛される資格なんかないの…」
震える声で言葉を紡ぎながら、ただひたすらに首を横に振った。視界がなみだで滲む。
「だって、私は、こんなにも醜いのだからっ…!!」
彼の美しいエメラルド色の瞳に映っていたのは、世界で一番嫌悪する、おぞましいまでに醜い、自分自身の姿だった。
忘れていた。
この家に、鏡はないから。
毎日のように、彼が私を美しいと、愛してると言ってくれたから。
二人で過ごす日々が、あまりにも幸せだったから。
自分が心も、顔も、救いようがないほど醜い女であることを、都合よく忘れてしまっていた。
私は彼に、美しい彼に、愛されていい女ではないのに。
劣等感から、彼を陥れて、殺そうとした、心まで醜い女だと言うのにっ…!!
「…聖女様」
「触らないでっ!!」
彼が伸ばした美しい手を、払いのける。
次の瞬間、彼はひどく、傷をついた顔をした。そんな彼の姿に、胸が締め付けられる。
違うの。傷つける気は、なかったの。あなたは、何も悪くないの。
でも、だめ。だめなの。あなたは、私に触っては、いけない。
だって
だって
「触ったら、だめよ…あなたが、汚れちゃう…」
醜い私になんか、触ったら、綺麗なあなたが、汚れてしまうから。
美しいあなたが、醜い汚い私になんか、触っては、いけない。
うつむき震える私に、彼はしばらく黙りこんだ。…彼の手を振り払った私を、嫌いになってしまっただろうか。私の醜さに気付き、幻滅してしまっただろうか。
彼の顔に嫌悪が滲んでいたらと思うと、怖くて顔があげられない。
「……聖女様、無礼をお許し下さい」
不意に降ってきた澄んだ声。
全身を、何かとても温かいものが包みこむ。
次の瞬間、私は彼の腕の中にいた。
「…っ駄目よ、駄目!!離して!!」
「離しません!!例え、あなたの命令だろうと、聞きません!!」
彼の腕から逃れようと必死に暴れる私を、彼はぎゅうぎゅうと痛いくらいに抱き締める。
伝わってくる温もりが、愛しくて、愛しいからこそ、辛くて、苦しくて、泣きたくなる。全てを忘れて、この温もりに身を委ねてしまいたくなる。
そんな資格、私のような醜い女にありはしないに。
「…お願いっ…離して…あなたを汚したくないのっ!!」
「汚れませんっ!!醜いものに触れば汚れるというならば、汚れるのはあなただ!!」
険しい剣幕で、声を荒げる彼。
普段は、穏やかな彼の、はじめて見る姿だった。
「お忘れですか…っ!?この世界は、あなたがいた世界とは違うのですよっ…?この世界で美しいのはあなたで、おぞましいまでに醜いのは私だっ…醜いものに触れば汚れるというならば、汚れるのはあなただ…っ!!汚す罪は、僕のものだ…」
彼の悲痛な叫びに、息を飲んだ。
錯乱して、忘れてしまっていた。
ここは美醜が逆転した、あべこべ世界。
醜い私が、美しくて、美しい彼が、醜い世界。
醜いものに触れれば汚れるという私の言葉は、自分を醜いと思っている彼を、罵ったことになるのだ。
「あ…」
全身から、血の気がひいた。
――ああ、どうしよう。
私は、きっと、彼をひどく、傷付けた。傷つけて、しまった。
どうして、私はこうなのだろう。いつも、いつだって、こうなのだろう。
身勝手で、いつも自分のことばかり考えていて。
私はどこまで、醜い心の持ち主なのだろう。
「ごめんなさ…」
「――だけど、例え、それが美しいあなたを汚す行為だとしても、僕はあなたを離してあげられません」
私の謝罪は、続く彼の言葉に遮られた。
「あなたと出会って、あなたに愛されて、僕は自分が孤独だったことを知ってしまった。愛し愛され、愛しい人と過ごせる幸福を知ってしまった…一度知ってしまえば、もう、戻れないのです」
彼の言葉が胸に突き刺さる。
それは、正しく私の言葉でもあった。
醜く、誰も愛せなかった私が、彼と出会って初めて愛を知った。
もう、知らなかった頃には、戻れない。
「どうか、どうか、僕を拒絶しないで。もし僕がいらなくなったというのなら、どうか僕を殺して下さい。あなたがいないこの世界で、僕は昔のようには生きられないっ…」
彼は全身を震わせて、絞りだすような声で懇願した。その振動が、彼の脅えが、密着した身体に伝わってきた。
彼は、泣いていた。美しいエメラルドの瞳から、真珠のように美しいなみだを次から次に溢れさせている姿を見たら、私の目からも次次になみだがこぼれてきた。
私は、泣きながら、彼に負けないくらいの力で、彼を抱き締めかえす。
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
「…………」
「…愛してるの…どうしようもないくらい、愛してるの…」
「…私も、あなたを愛してます……世界中の誰よりも…二度と離せないくらいに、愛してます」
抱き合いながら、そのまま二人で声をあげて泣いた。
こどものようにわんわん泣く様はきっとみっともないと思ったが、気にしないことにした。
二人きりのこの家には、他に咎める人もいないから。
「――ねぇ、聖女様。僕も、本当を言うと、自分の顔が大嫌いなんです」
ひとしきり泣いたあと、彼は、赤くなった目を向けて、ぽつりとそう告げた。
「聖女様は僕の心を美しいというけれど、本当の僕は聖人でもなんでもないのです。世界を、周りを呪う気持ちを、自分を幸せだと思い込むことで、誤魔化していただけなんです。今の不幸を許容することで、それ以上の幸福を諦めてただけなんです」
そう言って、彼は、私の顔を覗きこんだ。
再び瞳に映し出された自分の醜い姿に、ひっと悲鳴をあげて思わず逃げようとする私を、彼はやさしく拘束する。
「逃げないで下さい。自分の姿に、脅えないで……僕は僕をひとりぼっちにした自分の顔は大嫌いですが、あなたの美しい黒い瞳に映った、僕の顔は好きだ」
そのエメラルドの瞳で、まっすぐに私の瞳を覗きこみながら、彼は微笑む。
美しい、私が大好きな笑みを浮かべる。
「あなたが、僕を美しいと言ってくれたから。あなたが、美しいと心から思って、向けてくれる瞳に映っている姿だから。あなたが、僕を愛してくれる要因の一つだから……あなたの目を通すと、あれほど忌み嫌った私の顔が、ふしぎと好きだと思えるのです…」
頬に手があてられ、鮮やかなエメラルドが近づく。
そのエメラルドの中に徐々に鮮明に映し出されていく、私の顔。
醜い、大嫌いな、私の顔。
「聖女様。僕を美しいと言ってくれるなら、愛してくれるなら、どうか、瞳に映ったあなた自身の姿も、愛してあげて下さい。僕が、世界で一番愛する女性の顔を、嫌わないでください」
彼の唇が、私のそれと重なった。
彼に身を任せて目をつぶる直前に、すぐ間近で垣間見た自分の顔。
――いつもと変わらぬ醜いその顔を、生まれて初めていとおしいと思った。