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災い転じて・・・?

ルイン兄と交わしたあの会話から、2週間程経ったある日。


(・・・厄介なことになった)


ちょっと僕は窮地に陥っていた。



「貴方、これは一体どういうことですの?!」


目の前には上級貴族の奥方。

指し示す先には割れた花瓶。

それで僕の手にはモップ。


パッと見には僕が誤ってモップの柄で花瓶を叩き落としてしまったように見える。


(まずい・・・)


実際には全く違うのだが、説明するにもなかなか難しい。


「そもそも貴方、下級文官でしょう?なぜここにいるのです?メイドは?!」


そうだよ僕はしがない下級文官だ。

こんな上級貴族の方々の部屋なんか普通は入るはずない。

掃除だって専属のメイドがするもんだ。



事の発端は、書類仕事をしている時に部屋に猫が入り込んだことから始まった。

ただ猫がいるだけなら何の問題もないのだが、その猫は机の上に乗ってきて、タイプライターで打ち終わったすぐの書類の上を歩いてグシャグシャにし、それだけならまだ許せるものを、更に蓋の空いていた朱肉を踏んだ足で歩き回り、書類に肉球印を押しまくったのだ。

そのおかげで午前中いっぱいかかった書類のほとんどをやり直す羽目になった。


それでも昼食を抜いて必死に打ち直し、出来上がった書類を各部署に運ぶ途中で、またその猫に出会ったのだ。

案の定その猫はまだ肉球印をそこらじゅうに残しながら歩いていた。


その時はまだ掃除が大変そうだなと思うだけで、自分の仕事もあったので通り過ぎたのだが、帰りにそこを通るとまだそこに猫がいて、呑気に毛づくろいしていた。


まだ廊下には肉球印。きっと昼休みでメイドは近くにいないのだろう。

親切心を起こした僕は、近くの掃除道具入れからモップを持ってきて拭き始めた。


ついでに猫の肉球も拭いて綺麗にしてやろうと猫を探すと、ある部屋に入っていくのが見えたので追いかけたところ、部屋の中には花瓶が落ちて割れていた。

落ちる音は聞こえなかったので、落ちてから時間が経っているのだろう。

このままでは危ないなと思い、片付けようと手を伸ばしたその時に、部屋の主人である目の前のご婦人が入ってきたのだった。



(親切心なんて、起こさなきゃよかったのか・・・?)


目の前ではまだギャンギャン奥方が吠えている。


「いい加減なんとか言いなさいな!え?!聞こえているの?!」

「・・・聞こえています。奥方様」

「っじゃあこの状況を説明しなさい!どうして花瓶が割れているの?!これは陛下から賜った高価なものなのよ?!」

「ですから、先程も申し上げましたように、私が来た時には既に花瓶は割れていたんです」

「嘘おっしゃい!!貴方がそのモップで花瓶を落としたのでしょう?!正直に認めなさいな!」


最初から僕が犯人と決め付けてかかる夫人に、僕はきっぱりと言った。


「私は嘘は申し上げておりません」

「・・・まぁ強情だこと!いいわ。謝罪しなさい。それでなかったことにしてあげるわ」

「・・・なかったこと」


なかったことにしてあげるだと?


『なかった』ということは、『あった』ということだ。

でも僕は何もしていない。

謝罪するべきようなことは何も!


「ええ。頭を下げて謝罪して頂戴。それに」

「謝罪いたしません」

「・・・なんですって?」


怒りで赤かった夫人の顔が、さらに血が上ったのか変な色になってきている。

せっかく化粧しているのに意味ないな。


「ですから。私は謝罪するべきことは何一つしておりません」

「っ下級の分際で!よくもそんな口が聞けるものだわ!!っこの!!!」


手が振り上げられる。


・・・打たれるっ。

思わず目を閉じた。


「暴力に訴えるだなんて、物騒ですね?伯爵夫人?」


その時いきなり声がして、いくら待っても衝撃が来なかったので目を開けると、夫人の振り上げられた腕を掴んでいる青年がいた。


「誰っ・・・!あ、貴方・・・」


奥方は息を飲んで固まっている。知り合いなのか?


「失礼。ノックをしたのですが、返事がなかったものですから」


飄々と言って、彼は夫人の手を離した。

そしてこちらを見ると、にこりと笑った。


やけに親しげだけど、僕には覚えがない。とりあえず会釈しておいた。


身分の高い人なのだろうか?

でも服装は割とラフだし、僕の方かきっちりしているくらいなんだけれど。


「で?花瓶をどうされました?ご夫人?」

「あっ・・・この、この文官が割ったのですわ。でも強情で認めようとしませんのよ、で・・」

「君かい?この花瓶を割ったのは?」


夫人の語尾をかき消すようにして僕に向かって問いかける。


僕ははっきりと答えた。

誰に何を言われようと答えが変わるわけもない。


「私は割っておりません」

「まだ認めませんの?!」

「それじゃあ、犯人はこの子かな?」

「あっ」


そう言って後ろ手に掲げたのはあの猫。

僕がこんな状況に追い込まれたきっかけとはいえ、この猫も花瓶を割ったわけじゃない。

そう言おうと口を開いた・・・のだけれど。


「ほら、花瓶のここ。この子の肉球と同じ朱肉みたいだね。・・・ねぇ?伯爵夫人?」

「・・・そのようですわね」


悔しげに言う夫人。


でも、おかしい。


猫が入ったあと、何の音もしなかった。

それに最初僕が見たときはあんなふうに朱肉は付いていなかったのに。


青年を見ると、唇の前に指を当て、シーっというポーズを一瞬とった。


(・・・嘘!!)


「それはおかしいです!私が見た時には」

「猫なら仕方ありませんよねぇ?きっと陛下もご寛恕くださるでしょう。では、ご機嫌麗しゅう、伯爵夫人」


一息にそう言うと、青年は僕の口を手で塞いだまま部屋を出ていった。

そしてそのまま廊下を突き進む。


「もがっ・・・ふがっ・・・ふごふがっ」

「君、変わってるね。というか、バカ?・・・ホント噂通りの堅物くんだよ」


足早に進む彼になにか失礼なことを言われた気がしたが、その時僕は窒息し掛かっていたので気にしている余裕はなかった。







「はーい、到着ー」


やっと手を離してもらえた。僕の仕事場だった。

いつも入る同僚も今日は風邪をひいたとかでいない。

だから僕一人で大変な目にあっていたわけなんだけれど。


というかなんでここって分かったんだろう?文官とは聞いただろうけどほかにも仕事場所はあるし。

もしかして、ペーペーの仕事場がここで、僕はいかにもペーペーの見かけをしているんだろうか。


「あ、あの。先程は、助けていただいて・・・」

「うん。あんまり君が頑固なんで、つい口と手が出ちゃった」


そう言ってひらひら広げた片手の指先が赤い。あの朱肉に違いない。


「で、でも!あれ、嘘ですよね・・・?」

「ん?・・・ああ、あの朱肉のこと?もちろん、嘘だよー。でもせっかく上手いこと言いくるめられそうだったのに、君が余計なこと言いかけてたからビックリしたよー、ほんと」


しゃあしゃあと言うものだから、初対面でどうかとも思ったけれどつい言ってしまった。


「う、嘘はいけません!」


僕としては正論を言ったのに、一瞬キョトンとしたあと、彼はあろうことか吹き出した。


「・・・っぷっ!あっ、あはっはは!大真面目な顔で何を言うのかと思ったら、嘘はいけませんて、どこの家庭教師?・・・やべ、ツボにはまった・・・!」


そう言ってさらに笑った。

終いには引き笑いになって息が苦しそうだ。


そのまま窒息してしまえ。


先程窒息し掛かった分の恨みも込めて睨みつけると、ようやく笑いの発作から立ち直ったらしい青年が涙を拭いながら言った。


「ほんと今時珍しいぐらいの正直者がいたもんだねぇ。そんなんで大丈夫?王宮ここでは生きていけないよ?」


そう言って足の先でトントンと床を叩いた。

ルイン兄と同じようなことを言う。


「・・・大丈夫です。ご心配どうも」

「さっきみたいなこと、実際何回遭った?」

「え?・・・覚えてないですけど、それが何か?そもそも貴方誰なんですか?」


そうだ、肝心なことを聞いていない。僕は自分も名乗っていないことを忘れて聞いた。


彼はちょっと肩をすくめた。


「・・・名乗るようなものでもないよ。と言ってもはぐらかされてくれないだろうから。エルと呼んでくれればいいよ。セイン・トルフィードくん」

「な、んで、僕の名前」

「ん?ここにたくさん書いてあるじゃないか」


指差すのはここの書類。

タイプ打ちした書類の裏側には誰がタイプしたかわかるように署名するのが決まりになっている。

でもそんなところ見る人誰もいないと思っていた。


なんか、得体がしれないなこの人。


「あ、今俺のことなんて思った?」


嫌なタイミングで聞いてくるな。


「・・・得体がしれない人だなと。あと、その質問も嫌なタイミングでしたね」

「くくくっ。うわぁ、ほんと本音ぶつけてくるのね。惜しいなぁ。・・・ね、セインくん。ひとつ俺から提案があるんだけど」


笑いの余韻を残しながら、エルと名乗った彼はいった。


「なんですか」

「俺の手ほどき、受けてみない?嘘の」


「は?」


なんだそれ。嘘の手ほどき?


・・・僕に嘘つきになれとでも言うのか、この人。


「いいね、その素の反応。新鮮で。・・・でもね。王宮ここは君みたいな人間ばかりじゃない。いや君と正反対の化物たちが跋扈する巣窟だよ。生き抜く術と思えばいい。君自身が嘘をつかなくても、嘘を見破れるように」

「嘘を、見破る?」

「うん。さっきの伯爵夫人も嘘、ついてたよ。気づいてなかったでしょ?」

「えっ」


あの夫人も嘘、ついてたのか・・・?

思わず嫌悪で眉間に皺が寄る。


「ここじゃ、誰もが息するよりも簡単に嘘をつく。その嘘に埋もれるようにして真実がある。それを手に入れるための方法。・・・どう?やってみない?」


真実を手に入れるための方法・・・。


魅力的な響きだった。でも・・・。


「そう言われても・・・。僕、嘘嫌いなんです」

「うん知ってる。でも嘘が分からなきゃ嫌いって思わないんでしょ?困るよーそれじゃあ。・・・わかった。ひとつ、取り決めをしよう。俺と君とのあいだの契約」


言って、近くにあった肉球印によって紙くず同然と化した紙の裏にサラサラと何か書き付けた。




一つ、エルはセイン・トルフィードに嘘との付き合い方を教える。

一つ、エルはなるべく嘘はつかない。

一つ、エルはセイン・トルフィードに嘘をつくよう強要しない。

一つ、教えるにあたり、時間と場所はエルが指定するものとする。

以上




そう書いてあり、下にLという署名があった。


「なんですか、これ」

「だから、契約書。ほら、ここに嘘をつくよう強要しないって書いてあるでしょ」

「なるべく嘘はつかないってアンタ、名前が偽名丸分かりじゃないですか。二つ目の条項と合いませんよ」

「よぉっくみて?『なるべく』って書いてあるでしょ?それにエルって名前がまんま偽名だなんて、心外だなぁ。ま、それでも信じるか信じないかは君の自由だけど。で?どうするの?やる?やらない?」


詭弁だ。そう思ったけど、黙っておく。


「その前に一つ。聞きたいことがあります」

「ん?なぁに?」


柔らかく微笑んで促してくれる。


得体が知れないけれど、こんな笑顔を見ていたら、良い人なんじゃないかとも思えてくる。


「なんで、こんな申し出、してくれるんですか。バカ正直だなって笑ってほっといて、いくらでも騙せるのに」

「ん~、それはねぇ。ひとつは君が気に入ったから。で、もう一つは将来の自分のため、かな」

「なんですか、それ」

「それは言えなーい。で?で?」


どうしようか。

心はほとんど決まってるのに、それでも少し躊躇する。


この人が信用できるのか、正直言ってよくわからない。

でも、僕が気に入ったからだけじゃなくて、自分のためもあるって言った。

多分それは嘘じゃない。

なんとなくそう思うだけだけど。


「わかりました。お世話になります」


僕は手書きの契約書に署名した。


「良かった。断られたら泣いちゃうところだったよ」

「それ嘘でしょう」

「惜しい。半分ほんと」

「・・・」


ホントかな・・・。

そう思って見つめてもにっこり笑うだけで全然よく分からない。


「今からの俺は嘘はつかないよ。君の教育に必要な時以外はね」

「そうですか・・・」

「あ、信じてなーい」

「・・・信じますよ。エル先生」


きょとんとするエル先生。


そんなにおかしなことを言っただろうか。


「せんせい?俺が?」

「だって、そうでしょう?僕に教えてくださるんですよね?」

「いやそれはうん。もちろんそうなんだけど。・・・嬉しいよーな恥ずかしいよーな。先生だってー」

「じゃあ、呼び捨てましょうか?」

「い、嫌だ。先生って言って欲しいです。いい響きだよねぇ。これから、よろしくね、セインくん」

「こちらこそ、お願いします」


僕とエル先生は握手を交わした。


なんやかんやで始まります。


よく考えるとエルって相当怪しいんですけど、セインくんは素直ないい子なので結局断りませんでした。

純粋培養の箱入り少年なのですよ。

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