そのなな。
尾行されている。
俺がそう感じたのは、夏休みの終わりが見えてきたお盆の只中。太陽暦で言うところの八月十四日、日暮れのことである。
美紗は一昨日から家族と里帰り中で現在はこの町にいない。美紗が一昨日、出掛ける前にわざわざうちに来て号泣しながら挨拶したのが芝居なら話は別だが、そんな俳優真っ青の演技力は美紗にはないだろうから、まあ本当に里帰りしたのだろう。
俺を尾行している何者かは、俺の背後約五メートルの距離をキープしている。性別は分からないが、歩幅、身長から見ておそらく男だという推測は出来る。気まぐれだが、赤の他人である彼のために言っておくと彼の尾行が下手な訳ではなく、ただ単に俺がそういう面倒事に慣れただけだ。
(適当に撒いて帰るか……いっそホテルにでも泊まる? いや、不自然かな。逆襲に転じて雇い主を吐かせるという手もある)
なんて思考を巡らせていると、やがて尾行者の気配は消えた。
(……?)
何の変哲もない道の途中で尾行を止めるというのは一体どういうことだろうと思ったが、この件に関しては俺に出来ることはないと判断し、俺はそのまま家へ戻った。
「およ」
部屋に戻った俺が最初に気付いたのは、ポストに珍しく手紙が入っているということだった。広げてみると、脅迫状よろしく新聞紙の切り抜きで一言。
『あなたは狙われている』
親切なのかなんなのかよく分からない手紙だが、まあとりあえずテーブルに置いておいた。人の厚意は素直に受け取るべきだから。
ただ、受け取るだけでは話にならないということを、この地点の俺は知らなかったのである。
夜になった。ベッドの下にひそむ人や、ストーカーの証拠を押さえようと自室に定点カメラを設置するなどの都市伝説を思い出しつつ夕食を摂った午後の九時、俺の周りはまだ何も起こっていない。そもそも誰がいつどのように何をしてくるのかが分からない以上、俺にできるのは覚悟することくらいだ。その後は一応風呂に入り、一応歯を磨き、ついでにちょろっとパソコンをいじって寝た。
再び目を開けたのは、午前二時過ぎだったと思う。玄関の鍵が開く音がしたのだ。普段から眠りが浅い方だと言っても、それだけで目が覚めたのは覚悟をしていたお陰かもしれないと自画自賛、したところで我に返る。
(さてどうしたものか)
部屋の窓からは飛び降りられそうにない。ドアの向こうでは今まさに不審者が侵入者にランクアップしつつある。しかも足音は一つではない。
(一か八か……)
俺のとった行動は、ベッドの下に隠れるという酷く普通のものだった。ただし、覗き込まれても分からないようベッドの底枠に四肢を突っ張らせた状態で。
(くっ……きつい)
ちょうどその時、部屋のドアが開いた。どかどかと野蛮な足音がすぐそばまで近づく。足音の主はベッドの上の布団を勢いよく剥がしたと音で分かる。
一秒ほど間があった。
彼らは俺が隠れるベッドの下を覗いた。今度は影で分かる。
覗くのをやめたかと思えば、今度は手を突っ込んできた。
(やばい)
その手は俺の胸ぐらを掴みベッドの外へ引きずり出す。その間にも策を巡らせていたが、ベッドの下という逃げるのには最悪なシチュエーションには叶わず、あっけなく捕まってしまった。 それからは目が回るようだった。まず両手両足を拘束され、目隠し、猿轡。外まで連れて行かれ(持って行かれ)、車に乗せられた。
「なあ」「ん?」
車に詰め込まれてすぐ、俺はどうしても気になっていたことを聞いた。幸いなことに、まだ俺には会話をする余地がある、と見なされたようだ。
「どうして俺がベッドの下にいると分かった? 覗き込んでも分からないようにベッドの裏にへばりついてたんだぜ」
「そんなことしてたのか、お前」
そこにいる全員でハハハと一頻り笑い、まだヒーヒーと嘲笑の余韻が残る一人が答える。
「そりゃあお前、俺達はゴーグル着けてたんだ。光じゃなく熱を感知する、まあ難しい言葉で言うならサーモグラフィーってところだ」
なるほど。謎が解けると同時にまた情報が得られた。
こいつら阿呆だ。
いい気になって話し始めるあたりなどいかにも三流、たいして難しくもない言葉を使うのも。これを馬鹿の一つ覚えと言うのか。そして、こんな奴らがサーモグラフィーなんぞ使おうと思うまい。黒幕がいる。そいつの元に今から向かうということか。「やれやれ、まったく」
「あ?」
「いや。めんどくさいことになりそうだ、と思ってさ」