そのろく。
いつもと同じように美紗と登校すると、いつもと違うような気がした。やけに生徒たちがそわそわしている。
「何かあったのかな?」
それとなく美紗に訊いてみたが、美紗は素っ気なく「さあ」と返すばかり。この違和感の正体が明らかになったのは数分後、朝のホームルームで担任の話を耳にしたときだった。
「もう知っている者もいると思うが、今朝、一年生の仁科が自宅で亡くなった。何か知っていることがあったら教えてほしい」
教室内がざわめく。いじめられていただの家庭に問題があっただの失恋だの、果ては仁科が異常者だとか皆が皆、好き勝手な事を言っている。その中で、俺と美紗だけが閉口を貫いていた。
「美紗」
ホームルームが終わった後、俺は美紗にさりげなく話しかけた。周囲では相変わらず無責任な会話が続いている。
「何?」
美紗はいつものような態度だが、俺は確信を持って問いただす。
「仁科のこと、何か知ってるだろ」
「……帰ってから話すよ」
「ああ、そうだな」
「教室で戦った後、ちょっと気になってあの幽霊の事を調べたの」
「それで?」
ざわざわとうるさい学校を何とかやり過ごしたその日の夕方、俺達はいつものように俺の部屋にいた。テーブルを挟んで向かい合う美紗の顔には表情がなく、ただ淡々と事実だけを喋っているように見える。
「あの幽霊はもともとこの街にいたんだって。昔から何人も目撃してる」
「ほう」
「最初に目撃されたのは今から約六十年前、夜の河原でとある少年が幽霊と出会ったの。そしてそれから少年は人が変わったように幽霊、幽霊と言って各地を放浪した……と。それから幾度となく似たような事態になった。子供、大人、老人、男性、女性、サラリーマン、学生、果ては神職の人間も幽霊の餌食になった。悠一、幽霊の犠牲になった人達の共通点、分かる?」
「共通点も何も、全部が全部ランダムだろう。強いて言えば、共通点が無いように襲ったように見えなくもない。さながらゲームの様にコンプリートしたかったみたいな」
ろくな考えもなく出した答えを、美紗は首を横に振ることで否定し、さらに説明を続ける。
「違うの。ちゃんと共通点はあるの。気付かない?」
「全然分からない」
「悠一って弱いよね」
おっと、いきなり傷つけられたぞ?
「みんなそうだったんだって。最初に出会った少年も次に出会った人も、その次も……みんな悲しくて惨めで、一人じゃ何にも出来ない、誰かに寄生したり這いつくばったりしてるクズみたいな人達だったって」
「ひどい言われようだな」
「これが妥当でしょ。悠一もクズだよ。他の人と話さないでって言ってるのに毎回無視するんだから」
「努力はしてるよ」
「結果がついてきてないじゃない。そういうところが弱くてクズだって言ってるの。あの仁科とかいう子もそうだった」
ようやく本題に入りそうだ。苦労して耐えた甲斐があるといいが……。
「何があったんだよ。美紗は仁科に何をしたんだ」
「あの日、悠一が学校に忍び込んだ後、私も学校へ行ったの。その時丁度よく幽霊が現れたんだけど、仁科に見向きもしないで消えちゃった。それでね、言ってあげたの。『もうあの幽霊は現れないよ、貴方に興味がなくなったから』って。そしたらあの子、みるみる顔色悪くなって」
「どうしてそんな事言ったんだ」
「本当のことだもの。で、なんか死んじゃった。これだけ」
大して悪びれもせず、と言うか悪いと思っていないようにさらりとそう言って美紗の話は終わった。
「……今日、また学校へ行く」
「行ってどうするの? あの幽霊は倒せないし、死んだあの子のために出来る事は何もないよ。あの子は目標を果たせなかった。それで死んだ。それだけでしょう?」
全くもってその通りだ。自分でも頭では分かっている。
「それでも行かなきゃ駄目なんだ」
「それは責任じゃなくて単なる自己満足だよ」
俺は無視して玄関へ向かう。ここで議論するより学校で夜まで過ごす方がずっとマシだ。
美紗は止めなかった。
そして夜が来た。空には中途半端な形の月が浮かんでいる。ここまできて未だどうするか決めていない自分がいた。
「話が通じそうな相手じゃないしな……さて、どうしたものか」
どうすれば仁科への手向けになるだろう。美紗は自己満足だと言ったが、どうすれば俺は満足できる?
なんて考えている間に午前零時となった。教室の中央に光の玉がちらほら。やがて光の玉は渦を巻き、その中には人影が二つ。
「二つ?」
目の錯覚か?光の加減か?
再び見てもやっぱり二つ。しばらく様子を見ていると、次第に人影の輪郭がはっきりしてくる。
片方は、この間美紗が戦った幽霊。もう片方は――「……仁科?」
かつての面影を残しつつ虚ろな目でこっちを見ているそれは、自室で死んだ女生徒、仁科そのものだった。
知り合いの幽霊というのはこれでなかなか怖いものだ。俺はたまらず教室を出る。扉を通過する際、仁科と目が合った。その顔には生気と言えるものが宿っていなかったが、どことなく幸せそうだったというのは、俺の見間違いだろうか?
それ以来、学校での幽霊目撃談はぱたりと止み、生徒も徐々に忘れていった。「仁科はさ、あれが望みだったのかな?」
学校の屋上で美紗に訊いてみた。
「さあ、どうだろうね。でも、人の願いを他人が叶えようとするのは、ちょっとおこがましいような気がする」
「そうだよな……」
今頃仁科はどうしているのだろう。といってもそれはあくまで仁科の領分、卑小な俺は、そのとばっちりが及ばないよう自らの世界を守っていくしかないのだ。と思った今日この頃。