そのご。
自分の部屋に帰る頃、空は茜色になり始めていた。
「実はコーヒー飲めないんだよな、俺」
急須に緑の茶葉を入れ熱湯を注ぎ、しばらく待ってから湯飲みに移しずずっと飲み干す。
「うん、良か良か」
はふーと息を吐いてくつろいでいると、玄関のドアがゆっくり開く。
夕日をバックに立っているのは、無表情の美紗だった。
「やあ美紗、親父さんの用事とやらはもういいのかい?」
「……他の女の匂いがするんだけど」
やはりそうきたか!俺は半分驚き、半分そうだろうなぁという諦観を感じる。「どういうこと? 私怒らないから、話して」
ここで何か言っても『言い訳しないで』とか何とか支離滅裂になるばかりだと俺は知っている。
「美紗、聞いてくれよ」
「言い訳しないで」
ほら来た。
「いや美紗」「聞かない」「おい、いい加減にしろ」「しない」
「すみませんでしたっ」
「許さない。悠一はどうして私の言うことが聞けないのかな……」
美紗の目が部屋の虚空を見つめる。
「まあ、いいや。やっぱり許してあげる」
「へぇ?」
こんなのは初めての展開だ。普段なら包丁が飛んでくるのに。
「許してくれるのは有難いけど、珍しいな」
「悠一にこんな事言ってもあんまり意味はないって気付いたの」
「それは大きな一歩だな。まあ入れよ、立ち話も何だから」
「そうだね。掃除しないと匂いが気になるし、早めに食事の準備したいし」
「うん? 何かあるのか?いやにせっかちだな」
「大切な用事があるの。日が変わる前には出掛けないと」
夜中に何の用事だろう?と不思議に思ったが、追及するような事はしない。これを信用と言うか無関心と言うかは個人の自由だが、俺は美紗がやましい事をするとは思わない。やましい事をしないなら何をしても構わない。要するに、俺にとってはどっちだって同じ事なのだ。美紗も俺と同じ想い、といかないのが世知辛い所なのだが。
「さ、掃除しようか。悠一はお風呂に入って服を着替える!急いで!」
「はいはい」
「じゃあ、もう行くね」
「おう」
予告通り美紗は零時前に出ていった。美紗の姿が見えなくなるのを待ってから俺は秘かに動き出す。
「さて、俺も出掛けるとしますか」
学校に着いたときにはもう零時を回っていた。
「お邪魔しますよ、っと」
この学校の警備員さんはまともに仕事をしていないというのは生徒の間じゃ有名な話で、窓の鍵を開けておけば簡単に侵入できる。
「午前零時三分。良か良か」
時計を見て自分の教室へ向かう間、俺はそれなりに辺りに気をつけていたが、幽霊はおろか人間の気配もなかった。
「どれだけサボりたいんだ警備員」なんて呟いてみたが、やっぱり怖いよなあと同情。
そうこうしている間に教室に着き、そっと中を覗いてみれば人影がひとつ。
「あれは、仁科だな」
仁科と思われる人影は席に座り、じっと教室の中央を見て動かない。その様子から察するに未だ幽霊とは接触出来ていないようだ。 しばらくそのままじっとしていたが、やがて女の子を覗き見ているのはいささか不謹慎だと気付いた俺はその場を後にした。どうせ何をするでもなし、ただ何となく来ただけの事なのだから。
その次の朝。
仁科が死んだと聞く。