そのいち。
愛するというのはどういうことだろう。
相手を想い相手を尊重し相手を敬うその感情は、ホルモンの影響なんていう見も蓋もない理屈で片付けられるものなのだろうか。もしそうだとしたら、生命の神秘なんて割とくだらないものだ。でももし、そうじゃないとしたら――
夜の教室で、俺、神城悠一はそんなことをつらつらと考えていた。
月が綺麗だ。もうしばらく見ていたいが、そういう訳にもいかない。
「さて、そろそろ来る頃かな」
呟く俺の後方、教室の中心に小さい光の玉がいくつも現れた。
俺はそちらに意識を集中させる。
光の玉がゆっくりと渦を巻く。その渦の中に白い人影が見えた。
「……来たか」 やがて光の玉は消え、白い人影がはっきりと見えるようになった。長い髪に白い服、青白い肌。
本物を見てようやく実感が湧いてきた。俺は今、幽霊を相手にしている。
「あなたを連れていってあげる……」
幽霊がこちらに手を伸ばす。かなり怖いが、俺はそれを表に出さないように注意しつつ警告する。
「幽霊さん、これは最後のチャンスだ。早くどこかに逃げた方がいい。もうすぐ俺の連れが来るから」
「連れていってあげる……」
駄目だ、話が通じない。心から哀れに思うが、仕方がない。
「美紗、来て」
教室のドアが蹴破られ、包丁を持った女の子が突っ込んできた。肩まで伸びた髪を後ろで縛っている。
俺の自慢の彼女、上原美紗だ。
美紗は包丁を両手で持ちそのまま幽霊の方に走る。おそらく突き刺すつもりだろう。
「殺す!」
幽霊は横に逸れて包丁をかわす。
「邪魔を、しないで……」
美紗は幽霊の横を通り過ぎた瞬間無理矢理止まって包丁を右手に持ちかえ腰を捻り、横薙ぎに斬る。だが幽霊はそれを宙に浮くことでかわす。
「ちいっ!」
美紗は舌打ちしつつ机に飛び乗り、それを足掛かりとして更に飛び上がる。
呆気にとられて隙だらけになった幽霊。美紗は飛び上がった体制のまま包丁を振り上げ、幽霊の頭めがけて勢いよく降り下ろした。
「だああぁぁっ!」
幽霊は縦に真っ二つになる。
「あ……」
幽霊の輪郭が崩れ、やがて白い霞となって消えた。
「ふう」「終わったか」
俺はねぎらいの言葉をかけようとして美紗に近付く。しかし美紗の表情は厳しいままだ。
「どうした?」
美紗はそれには答えず、包丁の柄の底で俺の頬を殴った。
「ぶっ!」
あまりの痛さと驚きで、俺は床に踞る。
「ぐ……」
「悠一。他の女と会話しないで、って私言ったよね」
美紗は俺の頭を踏みつつ責める。
「どうして私の言う事が聞けないのかな」
美紗の足に力がこもる。「い……いたたっ!痛い痛い!」
更に力が強くなり、美紗は俺の頭を踏みにじる。
「悠一は、自分が誰の恋人か忘れたのかな」
「覚えてる覚えてる!ちゃんと覚えてるって!俺にはお前だけだって!」
我ながら白々し過ぎるセリフだと思うが、美紗にはこのくらいが丁度良い。
「そうだよ。悠一には私だけなんだから」
美紗は俺の頭から足を離し、それから俺を抱き締めた。
「さ、帰ろう」
先ほどとはうってかわって優しい声を出す美紗。
たまに勘弁してくれと思うけれど、それでも離れたいとは思えない。
「ああ、帰ろう」
なぜなら俺も、美紗が大好きなのだから。