★NO.tre カラ・ファミリア
シカゴの州都スプリングフィールドに向かうリムジンの中から、俺は降雨の空を眺めていた。昨日の天気が嘘のように、空は悲鳴を上げて泣いている。まるで今日この日を嘆き拒むかのように。
「あ~あ、行ってもねえのに帰りてえって……」
憂鬱なせいか、ため息も一緒に零れ落ちた。自分でも聞きとれないほどの声音、にも拘わらず向かい側に座る男にまで届いてしまったらしい。
「ヴェル……」
名を呼ばれて視線を向ければ、ジョゼは何か言いたげな表情をしている。目の下にはいつもより濃い隈ができていて、随分、疲れが溜まっている様子だ。
「マミーずっと機嫌悪いみてえだけど、葬式で何かトラブルでも発生したの?」
堅苦しいネクタイを少し緩めながら俺が機嫌の悪い理由を直球に聞くと、その質問を待っていたと言わんばかりにジョゼは刺々しく口を開いた。
「葬式に問題はない。が、肝心のボスが姿を見せないせいで元老幹部はお怒りだ。葬儀から参加すると伝えておいたのに、どっかの我儘なボスが埋葬葬儀からしか参加しないって抜かしやがるから、俺とカポ連中は一日中、元老たちに頭下げていたんだぞ」
目を三角にして叱られ、俺はおずおずと謝罪の言葉を述べる。
「わ、わりーな? マジでお疲れさん」
「いい加減、俺の命を削る行動は避けてくれ」
「ンな大袈裟な――って、わかった! 努力すっから! な!」
ギラリと睨まれて俺は何度も頷く。疑いの眼差しに目を逸らせずにいると、ジョゼがようやく金縛りを解いてくれた。
「ったく! オークリッジではボスとして動いてくれよ」
「センツァルトロ、マミー。約束だ」
ジョゼの怒りが薄れ、俺もホッと胸を撫で下ろす。元老幹部のご機嫌取りが上手いジョゼを失うわけにはいかないのだ。
(ジョゼがいりゃこっちのもんってな。カンカンな元老幹部のジッ様たちから俺を護ってもらわねえと。ジョゼからあんまし離れて行動すんのは危険だよな、今日はなるべく連れて歩くか……)
自分の被害を最小限に考えていると、ジョゼが数時間前の話を持ち出してきた。
「そういやヴェル、フラン泣いてたぞ」
「はあ!? えっ、マジで!?」
俺は驚きで声音を掠める。
「ああ、ソルジャーにはメソメソすんなって喚き散らかしてたくせにな。影でこっそり『ボス……』って涙流してたぜ、ククッ」
「ワーオ、グッジョブツンデレボーイ」
鮮明に想像できて俺はけらけらと笑った。フランの泣き顔は見物だったかもしれない。
「まあ、フランはジョバンニ・カインに拾われてアルジェントに入ったようなもんだ。深謝があるんだろ、いまでもあの夜を後悔してるようだしな」
そうジョゼに言われると笑えるネタも笑えなくなってしまった。フランは感情が豊かで情に篤い。自身を拾ってくれたジョバンニ・カインの恩に報いるためにアルジェントにすべてを捧げてきた男だ。身を切り裂く悲しみの渦に、泣かずにはいられなかったのだろう。
(あの日の夜も忍び泣いてたぐれーだし)
あまりに切なげで、あまりに惨めな背中が脳裏に浮かぶ。俺は足を組み直し、紫色の瞳を見据えながら告げた。
「後悔なんて感情、お前らは背負うんじゃねえよ。お前もだぜ、ジョゼ」
「ヴェル……」
ジョゼは唖然と目を見開く。
「後悔に囚われちまえば先に進むことができねー、なんてジョゼならわかるだろ?」
ニカッと歯を見せて笑うと、ジョゼは参ったとばかりに微笑する。
「後悔をしていないと言えば嘘になるが、心配しなくても俺の足は前に進んでる。ただ今日になってやっと……、ジョバンニ・カインが死んだと実感させられてしまってな」
「ふうん? ……そっか」
悩ましげにジョゼが眉間に皺を寄せたため、俺は深く追求することを控えた。
(現実味が増したって言いてえのかな? まあたしかにさ、あのジジイが死ぬなんて信じ難いっつーのはあるかもだけど)
改めて考えれば、今日この日が嘘のように思えてくる。それは今日がジョバンニ・カイン――俺の祖父の葬式だからだ。
イタリア四大マフィアの一つ、アルジェントの創始者である彼が死んだことはファミリーに大きな打撃を与えた。
元老幹部や現幹部のお陰で内部抗争はなかったものの、ジョバンニ・カインの死を「突然死」と説明したことにはやはり誰しも納得が言っていないようで、内部のざわつきを根こそぎ取り除くには新しいボスが威厳を見せなければならない。
(そう俺が……)
食うか食われるか、マフィアの弱肉強食な世界に身体が疼いてしまう。
「じゃあよ、俺がボスになった実感も今日湧くんじゃねえの? 俺はボスとして埋葬葬儀に顔出すわけじゃん」
「ほう? ヴェルにしては理解しているようだな、今日がヴェルヴィオ・カイン・ベルゴオッティのお披露目でもあることを。しっかり、ボスとしての務めを果たしてくれるんだろう? さっき約束したばかりだしな」
声を弾ませて言う俺に、ジョゼは殺意的な黒い笑みを浮かべてくる。ボスとしての務め、即ち日頃の恨みを兼ねて俺の嫌いな挨拶回りをさせる気らしい。
「ハイハイ。マミーのためだ、たまには身体を張ってやんよ。そのかわり手加減ヨロシクね」
「感心だな。途中で逃げるなよ」
ジョゼが釘を刺してくる。
「ははっ、信用しろって」
自分の信用の無さが窺えて、俺は笑って軽く手を上げた。
「今日はイタリア配下のカポたちも呼んでいる、ヴェルの顔を見たがっているからな」
ジョゼが独り言のように呟く。逃げられては困る理由はそこにあるようだ。
「今日は大人しくしてっからさ、マジで安心していいぜ。段取り疲れたろ?」
葬式の段取りはすべて幹部首座に任していた。俺がそのことに触れると案の定、ジョゼは険しい顔つきで肯定してくる。
「ああ、今回ばかりは疲れたかもな。四日ばかり寝てない」
ジョゼは目頭をきゅっとつまんだ。まさか四日も徹夜だったとは、さすがの俺でも気づかなかった。
(ジョゼの一日は四十八時間だけど、四日はあんまりじゃね? 俺で計算すっと二日徹夜……)
元老幹部の命令とはいえ、自分なら死んでしまう。否、死ぬ前に逃げるの間違いか。
生真面目なジョゼを休ませようと、俺は余ったシートに視線を流し促した。
「ビップな車でスペースもあんだし、寝てもいいぜ? すぐには着かねえだろ」
もちろん、ジョゼが首を縦に振るはずがない。
「冗談はよせ。この瞬間でもヴェルを護衛している立場だぞ、それにボスの前で寝る幹部がどこにいる」
予想通りの返しに俺は瞼を細めて冷やかに告げる。
「ンじゃあハイ、ボスとして命令すんぜ。ジョゼ・パダラメンティ、俺がいいって言うまで横になって寝てろボケ」
「――ヴェッ、……っ」
ジョゼは目を剥く。直後、言いかけた言葉ごと奥歯に噛み締めた。マフィアにとって血の掟は絶対であり、ボスには服従しなければならない。
「……わかった」
反論する術もなく、ジョゼはスーツのジャケットを脱ぎ始めた。皺にならないようシートの背凭れにかけると、紋章入りのネクタイを緩め、無造作に身体を後ろに倒す。
「横になれって言ってんだろーが」
俺はムッと唇を尖らせた。
「こっちが楽なんだよ」
「マジ? ま、ジョゼの好きな寝方がいいか。そっちが楽ならそれでいい」
辛そうな体勢にも思えるが、ジョゼが気兼ねしない方法が一番なので、ここは俺も敢えて口を強く挟まない。
(へー、寝顔は可愛げあるじゃん)
ジョゼが瞼を閉じた隙を狙って、まじまじと観察を開始した。誰に対しても気を緩めない男が無防備に寝ている。
ちょっかいを出したくなるのは俺だけだろうか?
(もう寝たかな……。写メ写メ……、撮ってあとでみんなに公開処刑だなこりゃ)
悪戯心が芽生え、携帯電話を取り出そうと胸ポケットに手を突っ込んだ瞬間、おもむろにジョゼが口を開いた。
「……ヴェル」
「おっわ! び、びっくりさせんな! え、なにまだ寝てなかったの?」
ドキリと心臓が飛び跳ね、俺はすぐさま携帯電話から手を離す。
「ああすまん、寝不足でもすぐに寝れるタイプじゃなくてな」
「あ――、まあすぐには、……だよなうん」
俺は納得の声を上げ、悪戯心がバレていなくて良かったと心底安堵した。
「外、まだ雨降ってるか?」
「ン? おー、まだ微妙に降ってるわ。久々スーツで身形キメてんのにな、誰か雨男でもいんのかね」
視線を窓に移し、俺は繰り言を吐く。せっかく黒のシャツにピンクのチョッキ、シルバーの紋章入りネクタイに同じ色のスーツ、普段は寝ぐせでゴワつく髪も格好良くセットしてキメているというのに。
「イイ男が台無しだぜ、まったく」
そう俺がぼやけば、ジョゼは喉を鳴らした。
「なに言ってんだ。ほんの数時間前までボロ服にスリッパだっただろうが。イイ男ってのは日常の生活からしっかりしているもんだ、お前と違ってな」
「あンれ~、俺しっかりしてねえっけ? まあほら、女ってギャップに弱いっていうじゃん? そっち狙ってんの、俺は」
痛いところを指摘され、俺は適当な言葉を並べる。
「普段は浮浪者じみてて、裏の顔はボスッていうギャップは笑えん。そもそもお前、スリッパを何だと認識しているんだ?」
「マミー、お説教はやめて」
お馴染みの小言に耳を塞ぎたくなる。
「好きで説教しているんじゃない、言われたくなきゃスリッパで外に出る癖を直せ」
気色ばむジョゼにスリッパの美点を語れるはずもなく、俺は呆れながら呟いた。
「ジョゼってほんと世話好き」
「世話が好きなわけじゃない」
間髪を容れず突っ返されて思わず笑ってしまう。
「くはっ、いつも感謝してんぜ」
「感謝はいい。仕事だからな、俺の」
マフィア幹部としてジョゼの言葉は立派だ。感謝を求めるどころか、至極当然だと言い切れるのだから。
「無理しちゃって。まあ、キツイときは俺のトコにきな? たっぷし休ませてやんよ、ボスの権限で」
「たっぷり休んでいるとボスの後始末が進まないんでな」
「……そらあ何と言うかうん、頑張ってくれ」
やんわりお前のせいで休めないと告げられ、俺が自嘲気味に笑うとジョゼもふっと息を漏らして口を綻ばせた。
会話が途絶え、静寂が訪れる。
(なんで止まねえかな~)
一向に雨は止みそうもない。
そんな耳障りな雨の音を掻き消すように、ジョゼが再び話しを切り出してきた。
「ヴェル……」
「ン~?」
「……ジョバンニ・カインはお前にとって、どんな男だった?」
意図的な問いに疑問を持ったが答えられない理由もない。俺はもの静かに本音を吐露する。
「どうもなにも、……大嫌いだったぜ。そこに恨みや嫉みはねえけどな、敬愛してたとか言えねえでワリー」
「いや……、ヴェルらしい」
薄く笑うだけで、ジョゼは怒らなかった。と言うより、それでいいと納得しているみたいだ。
(なーんか微妙な反応……、つまんねえ)
こんなことなら、勿体ぶって秘密にしておけば良かったかもしれない。
面白味がなく黙っていると、須臾してジョゼが小声で囁きかけてきた。
「俺は……彼を尊敬、していたが」
睡魔に襲われているのか、寝言のようにも聞こえる。
(ジジイを尊敬、ねえ?)
ジョバンニ・カインを敬愛していたのは、きっとフランに限らずジョゼも同じなのだろう。隠れた想いまでは重ならないだろうが。
「続きは夢で語ろうぜ」
俺のキザな台詞が届かぬうちに、ジョゼは夢の淵へ落ちていったのだった。