(NO.uno マット・アドーネ
ジョゼ・パダラメンティの愛車――四シーター・コンバーチブルのマセラティ・グランカブリオに揺られて数十分、このままアルジェント本部に向かうと思っていた車は俺の思考とは裏腹に高層ビルが建ち並ぶダウンタウン地区に入ると、ダウンタウンでもトップを争う豪華ホテル――ドレイク・シカゴ前に横づけされた。
「ワーオ、大胆な誘い方に惚れちゃいそう!」
そんな俺の冗談は受け流され、ジョゼは自身の携帯電話を取り出して「下りて来い」とだけ告げるとまだ微かに喋り声がするにも関わらず、終了ボタンを押して通話を切る。自分から電話をかけて一方的に切るなんて、相手が誰であろうとあまりに失礼極まりない行動だ。
「良かったのかよ? 相手方さん、まだ喋ってたぜ?」
「フランと会話するほどヒマじゃない」
「あー、フランねフラン! そりゃあ切って当然だわ」
と、俺は自分の言葉を前言撤回した。
「フランとヴァルドがロビーにいるはずだ。ジョバンニ・カインの葬式が終わるまで現幹部とお前はここで寝泊まり、飯もホテルのレストランで済ませることになっている。まあ、俺とロベルトは明後日の葬式で合流になるが質問は?」
ジョゼの手短な説明で大方このあとの自分の行動を把握し、俺は首を左右に振る。
「ねえけどさ、俺この格好で入れんの? スリッパの裏なんてほら、うっわ見ろよ真っ黒に汚れてっぜ?」
フラついていたせいか寝間着は素晴らしく艶やかに荒んだ状態で、スリッパなんてすり減って無残なものだ。浮浪者だと間違われても何らおかしくないだろう。豪華ホテルに入るには少しばかり厳しいかもしれない。
「こんな身形でもボスはボスだからな。ヴェルを預ける以上、裏には手を回している。まったく、どうやったらここまで汚せるんだよ。フラつく癖をいい加減に自重してくれ」
詰るようなジョゼの口調に、俺は適当に相槌を打って車を降りる。
「ハイハイ、送ってくれてサンキュー。ロベルトに宜しくな~」
アプレスト~! とにっこり笑って両手を振れば、ジョゼは「しっかり食べて寝るんだぞ」なんて母親台詞を吐き捨てて行ってしまった。
(母性本能がついてんのかね、やっぱ)
良く言えば面倒見がいい、悪く言えばお節介なジョゼは組織の下っ端からも信頼が厚い。
ジョゼの仕事は財政面――主に不正資金洗浄を任されおり、最近では己の頭脳を活かして外政や内政にも首を突っ込んでいるようだ。忙しく動き回っている姿をこの目で何度か見たことがある。
(それプラス幹部の世話に俺の世話、顧問になって下っ端の世話……過労死したら丁重に葬ってやらねえとなー)
その日は案外近いかもしれないと考えながら、俺はホテルのエントランスへと向かった。
だが早速、足止めをくらってしまう。
「すみませんが、ご用件を伺って宜しいですか?」
警備員は他にもたくさんいるのに、如何にも用心棒的な黒人のdoormanに捕まってしまった。豪華ホテルにノラ猫は入れたくないと、テカテカで脂っけが多い顔に書いてある。
(なになに、裏に手を回してあっても表には手を回してねえってか? マミーカムバ~~ック!)
「……まあ用件っつーかね、ここにお泊まり決まっててさ。中で人も待ってんだわ、お兄さん」
「失礼致します、何か御身分を証明するものを拝見させて頂けますでしょうか?」
「俺が何か持ってるように見えるう?」
腕を広げて聞き返せば嘲弄の笑みを黒人は浮べた。鼻を鳴らすほど惨めに見えるらしい。
「では申し訳ございませんが――」
「――ゴラアッ! こンのドブ猫! まだこんなところにいやがったのかよ! ちんたらしやがって!」
黒人の声に跨り、一人の男が憤怒の形相でエントランスから出てくる。桜色の瞳と髪が印象的な男は、待たされたことにオカンムリのようだ。
「ちんたらもなにもさ、入らせてくれないんだもんよ~」
黒人を瞥見し、ワザとらしく肩を窄めた。
「腑抜けな声を出すんじゃねえ! オイ、doorman! 新人か知らねえけどコイツは顔パスになってんだ! イチイチ足止めすんじゃねえ! オラッ、早く来い! 中でヴァルドも待ってんぞ! ったく、手間かけさせやがって!」
フランは黒人に怒鳴り散らかすと、足早にホテルへと戻って行く。急激な嵐にdoormanと俺は呆気にとられ、開いた口が塞がらない。
「……ハハッ、今日も元気だねえ。ンじゃ、お仕事頑張ってちょ! チャオ~」
未だ言葉を失っている黒人に挨拶し、俺はフランの背を追ってホテル内へと進んでエントランスホールを抜け、ドス黒いオーラを纏うその肩に並んで歩いた。
(まーだ怒ってんのかよ、面倒臭いヤツ)
見慣れた強面な顔と鋭い目つき、下唇には幹部番号「A-04」の入れ墨が彫ってある。
この男の名はフラン・カロ・バルドーニ、アルジェントファミリーであり唯一俺と同い年の現幹部だ。
フランはスーツを好まないらしく、袖がないワイン色のハイネックに丈が短い黒のジャケット、スリムな黒いパンツに長めの赤いブーツといった格好をしている。前髪はゴムヘアバンドで後ろに流してあり、残りは後ろで跳ね上がらせるのが自分なりの流行らしい。
いつ機嫌が直るのやらと思っているさなか、不意にフランが何かを差し出してきた。
「……オラ、これ」
丸めた手の中には、ストロベリーグレープ味の棒キャンディーが握られている。
「ヘヘッ、グラッツエ! お前しかこれ持ってねえからさー。ン……ずっと我慢してたんだわ」
フランから棒キャンディーを受け取り、流れる作業で自分の口の中へと運ぶ。舌を使って転がせば、きゅんと甘い香りが広がった。
「ンンン~、うめええ!」
久々の味に口内ではパレードが始まる。ストロベリーグレープ味は俺の大好物なのだ。
「キメエ、緩んだ顔どうにかしやがれ」
刺々しい口調で指摘してくるフランにお前がくれたんだろ! と言い返そうかとも思ったが、機嫌が直ったようなので仕方なく口を引き締めることにした。
(フランってばツンデレだよな。いやあ、ツンツンツーンで最後にわからねえくらいのデレがくるって感じか。メンドーな性格、マジで)
とっつき難いフランに話を振ることもなく、そのまま会話を終わらせロビーへ向かう。そこは豪華ホテルの名に相応しく、高い天上には幾つものガラスのシャンデリアが飾ってあった。
(へー、ちょっと変わったか?)
大理石を惜しみなく使用したアトリウムロビーは独特の雰囲気を醸し出し、何度見ても絢爛華麗、訪れるたびに俺は嘆美するばかりだ。
ふと、場に浮く黒い集団が目に止まった。それに併せて一人がこっちの存在に気づき、黒ブーツに巻きついた鎖音をガチャガチャ響かせ駆け寄ってくる。
「――、……ッ!」
(ヤッホ、ヴァルド)
俺は軽く手を上げ、呼ばれたであろう声に口パクで答えた。
ソイツは右目にアルジェントの紋章入りの黒い眼帯をし、左目の目尻には「A-02」の入れ墨を彫っている。夕陽みたいな左目は綺麗だけれど、一直線に揃えたへんてこな逆V字の前髪に後ろをぴょんすか跳ね飛ばした蜜柑色の頭は……感想の述べようがない。
(イケてる顔してんのにねえ)
男の年齢は二十五歳――名はヴァルド・ベンツァー、疑い無くアルジェント現幹部の一人だ。
(無表情で大人しそうなのに、なーんでか露出狂なんだよなー)
ヴァルドの服は現幹部で一番露出度が高い。黒いツナギはシャツ風の素材で腰には青いベルトが巻かれてあるのだが、上半身のボタンはすべて外されてあって絵に描いたように鍛えられた胸元と腹筋は丸見えだったりする。
「よう、ヴァルド。遅くなっちゃってごめん」
俺は開口一番に謝った。歩み寄る足を止めたヴァルドは小刻みに首を振り、心配げな声音でぽつぽつと零す。
「……謝らなくていい。ジョゼからフランに電話あって……、でもボス来ないから……何かトラブル?」
「いンや、大したことじゃねえよ。ちょっと警備員に捕まってさ」
黒人の顔が脳裏に浮かび、俺は苦笑する。
「ボスが……、無事ならいい」
ボソリと呟き、ヴァルドは顔を背けた。頬が赤い。極端な恥ずかしがり屋だと知ってはいるが、いまの会話のどのへんに照れる要素があったのだろうか?
(コイツ、ロベルトと喋ってるときはどんな感じだったっけ)
意識が違う角度に向き始めたとき、突如、現実に引き戻される。
フランが腕を小突いて促してきた。
「上行くぞ、ココじゃ目立つ」
「そう思うなら少し部下を減らせって」
俺はため息交じりに言う。フランとヴァルドの部下が取り囲んでいるせいで、極端に自分たちの存在が浮き彫りになってしまっているのだ。
「ハッ、ドブ猫の格好にみんな興味津々なんだろ」
そう言われてしまえば反論はできない。
「へいへい、じゃあもう部屋行こうぜ」
と、俺はフランの提案に乗っかった。視線をヴァルドに向ければ頷きで返ってくる。
しかし、話がまとまったところで予期せぬ人物が現れた。
「――ヴェルヴィオか?」
「…………?」
聞き覚えがある渋い声に振り向く。
「あ、やっぱロバートの爺ちゃんだ」
視界に入るなり、俺は儀礼的な挨拶として手を上げた。
ロバート・マッセリア――、ニューヨークマフィアのドンだ。生死の境をくぐり抜けてきた強運で名を上げ、いまではニューヨークマフィア五大ファミリーの大ボスでもある。白髭を蓄えたヘボ爺さんに見えても、マフィアとしての実力はダテじゃない。
「ジョバンニが亡くなったそうだな。アルジェントは君が引き継いだのか? ヴェルヴィオ・カイン・ベルゴオッティ」
一定の距離を保ちつつ、ロバートは聞いてくる。互いの部下に緊張が走っていると見込んでだろう。
「ンベ……」
俺は答えるかわりに舌を出し、にんまりと笑みを浮かべた。ロバートは納得の顔色を浮べている。アルジェントの紋章、それにボスを示す「A-00」の入れ墨がそこにはあるからだ。
「そんなことよりさ――」
次は俺から話を切り出す。
「ロバートの爺ちゃんがシカゴにいるなんて、そっちのほうが珍しいじゃん」
「……なに、この近くで会合があって一泊しただけにすぎん。邪魔したな、次の約束があるから失礼する。また改めて、直々に挨拶しに行くとしよう」
淡々と言葉を述べ、ロバートは部下を引き連れ去って行った。
マフィアは蜘蛛の糸を張り巡らせ、あちこちから細かな情報を集める。奪い奪われ、潰し潰され、マフィアは勢力を維持しあうのだ。けれど、アルジェントは違う。奪って潰すことがあっても逆は決してない。
(ジジイが死んで万々歳ってか?)
ジョバンニ・カインの死を聞きつけ、アルジェントの情報を探るにはいまが絶好のチャンスだとどのマフィアも動いているのだろう。きっとロバートもその一人だ。
うんうんと唸り終えて、俺は指示を出した。
「ヨシ! フランはロバートを追ってくれ。ヴァルドはジョゼに報告したあと、ロバートの会合相手の探ってほしい。アルジェントの情報を持ち出すヤツがいたら、始末はお前らに任せるからよ」
「アア!? 冗談じゃねえ! ジョバンニ・カインの葬式が終わるまで派手に動くなって、ジョゼに口煩く言われてんだろ! このタコがっ!」
胸ぐらを掴む勢いでフランが喚き、咄嗟に俺はヴァルドの後ろに逃げ込んだ。
「うっげ唾飛ばすなよー、汚い野郎だなあ。じゃあフラン抜きでやるからいいわ、なーヴァルド?」
「う――うん! 俺がやる、どうせ……フランは役に立たない」
ポッと花を咲かせ、ヴァルドは爆弾を投下した。その爆弾は急降下でフランに激突し、ダイナマイトに火を点火する。こうなるとフラン面倒臭い。
「オイコラ、どうせ役に立たねえだと? 言ってくれるじゃねえか! スナイパーのお前か、ジャックナイフの俺か、ここでハッキリさせてやろうぜ!」
「ジャックナイフ……、ダサ」
フランは二発目の爆弾が落下した。
「ンだとゴラアアアッ!」
(やれやれ……)
ヴァルドはスナイパーだ。仕事は血の掟を破った裏切り者を抹殺することであり、愛用のライフルRebecca-ZXを扱う殺人鬼である。一方フランの仕事は密売と密輸の闇取引専門で医学の知識もあるジャックナイフ使い、ずる賢いガキ大将みたいなものだ。
(結果は見えてんじゃん。ヴァルド様の圧勝で、チャンチャンッ!)
と締めるわけにもいかないため、言い出しっぺの俺は仲裁に割って入った。
「ハーイハイ、戯れ終了! 喧嘩はメッ! 俺がボスになって初めての仕事を任せんだからさ、おとなしく従ってくれって……な? ジジイの葬式が終わってもねえのに、アルジェントの情報が漏れんのは勘弁だっつの。俺がジジイに呪い殺されるわ!」
「……チッ! クソ、仕方ねえな」
渋々、承諾の意を込めてフラウが首肯する。
「大丈夫、……任せて」
ヴァルドはやはり二つ返事だ。服従心が強くて有難い。
俺は二人の背を押し、笑顔で二人を送り出した。
「おっしゃ留守番は任せろ、いつでも連絡ヨロピクー!」
スタスタと振り向きもせずフランは行き、チラチラ振り返りつつヴァルドも仕事へと行ってくれた。二人が戻って来るまで、俺は「顔パス」とやらで豪華ホテルを満喫するとしよう。
「――あ、フランにキー貰うの忘れてた」
取り残された俺の囁きは誰にも届かず、茫然と立ち竦んだのだった。