(NO.nove テンピ・スプレメンターリ
「――ヴェル」
か細い音色が耳に響き、柔らかい指先が耳裏をなぞってくる。擽ったい指に意識が浮き上がり、「起きろ、ヴェル」と何度か名を呼ばれた後、俺は睫毛を持ち上げた。
「……ン」
ぼんやりした天上が、徐々に合わさって形を作っていく。頭がほんのり冴えてきたところで、声の主に視線を向けた。紫の瞳が俺を不安げに見下ろしている。
曲線を描くように耳裏から顎を撫で、頬に手を落ち着かせるとジョゼが訊ねてきた。
「具合はどうだ?」
「ンー、寝起きにマミーの顔が見れて絶好調」
そう冗談めかしてジョゼの手を離し、俺は気だるく起き上がって胡坐を掻く。自棄に身体が重い。
「……腹減ってるか? 飲み物は?」
ジョゼが一瞥する先、サイドテーブルには食べ物や飲み物が用意されていた。
「うんにゃ、不思議と腹一杯だわ」
首を横に振り、俺は部屋を見渡す。
「つかさ、ここ俺の寝床じゃね?」
久々な光景――イチゴとブドウと集めた日本戦国武将の鎧、積み重なったエロスタヘブンの本に枯れたバラ、ゴミ箱にはストロベリーグレイプ味の包み紙、いつもは床に散らばっている汚い服はないけれど、このアンバランスな空間が自分の寝床だと言う証拠だ。
「いま気づいたのか? ここはレイクフォレスト、お前の屋敷だぞヴェル」
平然と言うジョゼに、俺はきょとんとした。
「やっべえ、どーにも記憶がブッ飛んでんな。たしかー、えっと……」
と、目線を宙に記憶を遡る。
ルヴァンの一件で緊急会議を開き、明らかになった水銀の正体に元老幹部の処刑を決め、カストに話があると誘い出されて真実を――そこでハッと息を詰まらせた。
『次は必ず貴方を奪いに参ります』
あの爽やかで不愉快な表情、カストの声や言葉が脳裏に浮かんだ。
(そういや俺……ゲームに……)
唇を縫う俺に代わって、ジョゼが口を開く。
「出血量が多くて倒れたんだ、お前は。一連のこと、イチゴとブドウに聞いてあるから安心しろ」
まるで、話さなくていいと言わんばかりの口ぶりに俺は苦笑いした。不器用な男の気遣いは、どことなくむず痒い。しかし、ここは有難く甘えておくとしよう。
「グラッツエ、そら安心で大助かり。あー、俺ってどんくれー寝てたの? ここ窓ねえし時計もねえからさー」
単純な俺の疑問に、ジョゼは左手の腕時計に視線を落とした。
「ザッと八時間くらいだな、もう二十四時を回っている」
「たった八時間? もっと寝てる気したんだけどな。身体ダリーしよ」
肩を回しながら、俺は不満気な言葉を返す。
すると、ジョゼが刺々しい口調で言い放ってきた。瞼を細めた紫の瞳、幹部首座の眼差しは冷たい。
「『たった八時間』でもいいだろ、ヴェル。こっちはAFビルの半壊に騒ぐサツや記者の手回しと対応、下っ端への報告と指示で八時間……いや、現在進行でフル活動してんだからな」
つまりは、遠回しで俺の後始末だと言っているわけだ。
「へーへー、悪うござんした」
いつもの小言にいつもの投げやりな調子で謝る。俺とジョゼにとっては頻繁で手慣れた日常会話、昔から俺の尻拭いはジョゼがしているのだから。
そしていつもならこのあと「いい加減にしてくれ、自分の後始末は自分でしろ」くらいの一喝が入るのだが、今回は特別に違った。
ジョゼは深刻な顔色を浮べ、ボソリと呟く。
「……違う、すまん」
「――はい? え、何がすまん?」
唐突な謝罪に俺は聞き返し、刹那ギョッと目を落としそうになった。
「なんのジョーク?」
俺は腕を組み、腰を深く折り曲げたジョゼに問う。
「すまん」
頭を上げることなく一言発し、ジョゼは儚げな声音で言葉を続けた。
「お前は何も悪くない。判断ミスをした俺たちカポがすべて悪い。ボスのお前を危険に晒した上に護れなかった。ジョバンニ・カインや元老幹部に託されたヴェルを、俺たちは護るどころか――」
「顔を上げろ、ジョゼ」
ジョゼの言葉を遮断する。
俺の声が届いてないのか、自分を責め立てたいのか、ジョゼは頑なに頭を上げない。
これだから生真面目な男は困るのだ。
吐息交じりに笑い、俺はジョゼの頭を撫でながら言った。
「ンなこと言われちまえば、俺だって謝らねえといけねえだろーが。それにジッ様たちが本気で騙そうとしてたんだから、勝てるはずねえって。元を辿りゃジジイもジッ様も、俺が殺したようなもんだしな。まんまとカストのヤローに踊ろされちまったぜ」
「ヴェルッ!」
頭を上げるや否や、ジョゼは俺の手首を鷲掴んだ。何か言いたげに眉間に皺を寄せ、揺れる紫の瞳と視線が触れ合う。
「らしくねえ顔すんなって、ジョゼ。ジジイから託されたゲームの基盤とコマは失っちまったけど、カストと俺のゲームは始まったばっかりだろ?」
俺は口角を上げ、「な?」と意地悪に念を押した。
正直、アルジェントが失ったコマは大きい。
ジョバンニ・カインは元老幹部や現幹部までの動きを予測してコマを配置、自由気ままに動く俺はコマの仮面をつけたジョーカー、俺の動き次第でゲームの勝敗は決まるという、一か八かの大博打でもあった。そしてゲームは序盤でキングを失い、中盤でコマを奪われ、頼りの綱だったジョーカーは終盤で引き当てられてTHE END、勝負は俺たちの惨敗に終わる。表を裏と疑い、表を裏と見破れなかった俺の負けだ。
しかし、これはジョバンニ・カインが俺に託した基盤のゲームにすぎない。即ち、ここからが俺の本当のゲームが始まる。退屈しのぎには贅沢で丁度いい、ヒマな猫が好むデスゲームが。
ふと、ジョゼが俺の手首を解放した。
「コマには当然、俺たちも入っているんだろう?」
余裕を取り戻したジョゼが、ネクタイを締め直しながら聞いてくる。
「なーに言ってんの、マミー? お前らがコマに収まるタマかよ。一人一人が俺の切り札、ジョーカーだっつの」
肩を竦めて言う俺にジョゼは一瞬面食らった様子で目を見開き、「じゃあ、お前は何だ?」と不敵な笑みと瞳で射抜いてきた。
「俺~? 俺はほら、個性豊かなジョーカーを手札に持つキング様……フハッ」
言い終わる前に堪らず俺が吹き出すと、ジョゼも口元を掌で覆い隠して笑う。
「ハハッ、キングに収まるタマなら俺たちは苦労しないんだがな」
「感謝してるぜ、幹部サマには」
笑い合いが続いて空気が和らぎ、雑談のように現在のアルジェントの動きやこれからの組織体制の確認、元老幹部の葬式はしない方向まで話が進んだ。
俺の言葉に逐一ジョゼは相槌を打ち、ジョゼの説教に俺は耳を塞いでは反論して一つ一つの解決策を出していく。失費がかさむことをジョゼに指摘されたときには、さすがの俺も笑って誤魔化すほか術はなかった。
それから数十分後、ある男の名が出てから空気は一変して緊張を増している。
「二十二年前にウルフに殺されて死んだ男……、カストの裏で糸を引いているのは恐らくジョバンニ・カインの息子だろう」
分析しつつ、ジョゼが告げた。
「簡単に考えりゃーそうだけどさ、死んだんだろ? まさかゾンビとか言わねえよな? ロベルトが震え上がるぜ、そのネタ」
俺は腹を抱えて笑いを堪える。大の男がゾンビに怯える姿、瞼の裏に浮かべるだけで腹が痛い。
ここでジョゼが一喝してきた。
「真面目に考えろ、ヴェル。お前のことであって、アルジェントのことでもあるんだぞ」
「Yes sir mummy」
右手を額の端に当てて俺は無抵抗に敬礼をする。然れども、ジョバンニ・カインの息子は二十二年前に死んでおり、俺は一切の面識がない。俺が生まれたのは二十一年前、正式に言うとカインの血肉から生み出され目覚めたのが二十一年前だ。
(ジジイも触れねえネタだったし、そういや写真もなかったな……。見たことねえ)
唯一、知っていそうな元老幹部はもういない。現幹部たちは知らないのだろうか?
聞いたほうが早いかと、俺の口は素早く動いた。
「な、ジョゼはジジイの息子の顔知ってンの? やっぱジジイにクリソツ? 性格は?」
期待に胸を含ませるが、ジョゼは不機嫌極まりない表情で言葉を返してくる。
「ヴェル……、俺を何歳だと思ってんだ? 二十二年前の俺は七歳だぞ。アルジェントに入ったのは十二歳、知ってるはずも憶えてるはずもねえだろ」
「えーそうだっけ? 一世紀くれえ生きてる顔してんのになー、ザンネーン」
俺は期待外れに口を尖らせた。勝手に期待して文句を言う俺に、「……」とジョゼは無言で青筋を立てている。これ以上言えばあとの仕返しが怖い。
「じゃあ、それは調査の方向で。生存の可能性があるなら、二十二年前のことと、ついでにウルフのことも調べたほうがいいな……」
うんうんと俺は至極真面目に頷いた。切り替えの早さは一流だ。
「Ho capito、その件なら配下に聞いたほうがいいな。下には俺から連絡をつけよう、何かわかればすぐにお前の耳に入れる。俺から逃げれると思うなよ、今回の一連で溜まった仕事と両立でやってもらうぞ」
上手く流れたと思いきや、ジョゼは黒く微笑する。非難警告の鐘がなり、逃亡の単語が俺の頭を横切った。
(計画練らねえと……)
俺がそう思ったとき、部屋の扉を叩かれて思考の糸が断ち切られる。
「いいぞ」
俺が返答するよりも早く、ジョゼが許可を出した。けれど、不審なことに扉は開くが誰も入って来ない。
「…………?」
俺は右腕の支えで背を後ろに倒しながら、扉に隠れた存在を確かめる。扉の前に蜜柑色の髪が見えた。ヴァルドだ。
「チャオ、ヴァルド! 入って来ねえの?」
俺が声をかけると、ヴァルドは猩々緋に顔を火照らせた。
「――ボ、ボッ……ス!」
裏返った声に口元を指先で押さえ、ヴァルドはおずおずと部屋に入って来る。ジョゼの隣で止まり、チラリ、俺を窺ってきた。乙女な仕草に俺は薄く笑う。
「ケガねえか? ウルフとの一戦でよ」
「あ……ない、……ない! ボス、俺……、俺……」
俺の問いかけに、ヴァルドは必死に首を横に振った。そして唇を開いては閉じての繰り返しを続け、口から出ない言葉に悔しさを覚えてか両手の拳を強く握る。この反応でわからないほど、俺も鈍感ではない。
「ダイジョーブ、ヴァルドの気持ちはわかってるからさ。次のゲーム、もちろん付き合ってくれるよな?」
俺は片目を瞑って軽口で言った。
「う……うん!」
ヴァルドの顔がパッと花開く。
「それじゃヴァルド、ここは頼んだぞ」
ジョゼがヴァルドの肩を叩き、頭に疑問符を浮べる俺のために言葉が添えられた。
「交代の時間だ。俺は仕事があるからな」
「交代、ねえ? そーんなに俺のこと心配?」
俺が舐める視線を送れば、ジョゼは眉尻を下げて言う。
「逃げないか、の意味でな」
「そこはさー、『ああ、夜も眠れないほどにな』くらい言えって。ロベルトなら言うぜ、アイツの場合それ以上の返しでマジ引くけど」
ロベルトのキザな台詞を思い出して、俺は背筋が寒くなった。ロベルトの性癖を知るのはジョゼも同じで、「ヤツと俺を同類にするんじゃねえ、じゃあな」と眉間に皺を寄せて背を向ける。垣間見えた横顔は、心底、不愉快げだった。
ふいに扉の前でジョゼが立ち止まる。
「研究員の三人、ヴェルに会いたがっていたぞ。事態の大きさに泣いて縋ってきた、いまは無理だと言っておいたが」
ジョゼの背に俺は承諾の言葉を投げかけた。
「研究員? ああ、アイツらね。オーケー、話も聞きてえし」
「Ho capito、面会の日取りはこっちで考えておく」
そう言ってジョゼは足を進め、一度も振り向くことなく部屋をあとにする。パタンと扉が閉まり、静寂が訪れた。そういえば、ヴァルドと二人っきりになるのは久しぶりかもしれない。
(忙しいみてえだもんな、俺と違って)
新鮮さに横目でヴァルドを観察していると、意図せずに俺はある『誘い』を思い出した。
唐突に俺から訊ねてみる。
「な、ヴァルド。いつかの晩、誘ってくれたの憶えてっか?」
「あ……憶えてる」
戸惑いと不安の色を左目に浮べて、ヴァルドは頷いた。眼帯で隠れた右目は見えずとも、きっと半分は期待の色だ。
俺は手を差し出す。
「ほら、来いよ」
「う、うん……」
ヴァルドが遠慮深く手を重ねてきた。
俺がその手を引いてベットに組み敷けば、「あ……」とヴァルドから声が漏れる。身体を硬直させ、生娘のごとく顔が赤い。
「緊張すんなって、優しくすっから」
俺はヴァルドの淡く白い首筋を人差し指でなぞり、覆いかぶさって脈動を舐め上げる。魅惑的な血の流れに牙が疼き、理性が煽られて心臓が震えた。早く貪って快楽に浸りたいと。
吸血行為はヴァンパイアの性、血を与えては血を奪われる。そうやって飢えた身体を満たし、数世紀生きていくのだ。
「……痛かったら鳴いてくれ」
残った理性で甘美に囁きかけ、俺は欲望の箍を外す。血を求めて深く牙を埋め込むと、ヴァルドの頬に光り輝くものが流れたのだった。




