伝説的名馬の蹄鉄を手に入れたら素敵な恋が始まりました
ミランダは伯爵令嬢だ。
ただし貧乏。
先祖代々、経営手腕に欠けていて、じわじわと貧しくなっていたところへ、ミランダの兄が体を壊し、その治療費で一気に経済状態が悪化した。
兄の病状は一進一退、命にかかわるわけではないが、働くのは無理という状態だった。
両親はそれぞれできる範囲で稼いでいるが、貯金は底を突き、借金まである。
せめて借金だけでもなんとかしたいと、ミランダは『自分も外で働く』と主張した。
「ダメよ。あなたは外で働いてはダメ、絶対に」
「お母さま、どうして? 私だって家族のためにできることをしたいわ!」
「ダメったらダメです。市井で平民に混じって働くなんて、将来に差し支えたらどうするの。あなたは婚約もまだなのよ。良縁を掴むためにも、体面を大事にしなくては」
「結婚なんてしなくていいわよ。一生独身でも平気だし」
「馬鹿なこと言うんじゃありません」
母親が思いのほか手ごわく、ミランダは働きに出ることを禁じられた。
仕方なく家の中で家事をこなしながら、ミランダは不満に思った。
私だって働けるのに。
そりゃ勉強や礼法はあんまり得意じゃないから、家庭教師とかは務まらないけど、その代わり魔力と体力には自信があるから、肉体労働でバリバリと……。
「ごめんな、ミランダ」
部屋の掃除をしていると、ベッドに横たわっている兄デヴィッドが申し訳なさそうに声をかけてきた。
「おまえにも苦労をかけて……」
「お兄様のせいじゃないわよ」
長患いで筋肉がすっかり落ちた兄の手を握る。
病気になる前は腕相撲で兄に勝てた試しがなかったのに。
今なら片手でひねり倒せそうだ。
「お兄様は体を治すことだけ考えて。ついでに私が外で働く許可をお母さまからもぎ取ってくれると嬉しいわ」
「……どんな仕事がしたいんだ?」
「そうね、魔獣の調教師とか?」
「魔獣はちょっとハードルが高くないか? 馬にしとけよ」
「それはお兄様が馬好きだからでしょ」
兄妹はどんな仕事がミランダにふさわしいか、あれこれと突拍子もない思いつきを口に出して笑い合った。
デヴィッドは子どもの頃から馬が好きだった。
壁には馬の絵。
本棚には伝説的名馬の生涯を描いた本。
膝に掛けた毛布の柄まで馬模様。
兄が喜ぶなら、馬関係の仕事をするのもやぶさかでない、とミランダは思った。
母親が許可してくれないと話にならないけれど。
そんなある日のこと。
「知人から展覧会のチケットを貰った。一枚しかないから、ミランダが行くといい」
父親が一枚のチケットをくれた。
そのチケットに書かれた催し物は『世界の馬展』。
なんだか兄デヴィッドが泣いて喜びそうな展覧会だ。
場所が美術館なので、本物の馬が来るわけではないだろう。
馬の絵や馬関連グッズの展覧会だろうか。
「お父様は行かないの?」
「二枚あったら夫婦で行くんだがな……」
納得である。
一応仮にも貴族令嬢であるミランダが一人で出歩くのもどうかと思うが……。
「行け~……」
ためらうミランダに、デヴィッドが悔し涙を流しそうな声で言った。
「行って目を皿のようにして見てこい~。全部記憶して土産話を聞かせろ~。俺のために~」
「はいはい、わかりました。目に焼き付けてきます」
美術館だったら上品な場所だし、酔漢に絡まれるようなこともないだろう。
いつもは着ない外出用のちょっといい服を身につける。
同じくいつもは履かないちょっといい靴を履き、飾りのついた帽子をかぶる。
小さなハンドバッグにチケットとハンカチを入れる。
「では行ってまいります」
そうしてやってきた『世界の馬展』はなかなかの盛況ぶりだった。
おしゃれな紳士淑女の群れに混じり、ミランダは展示物を端から順に見て回った。
馬の絵、馬の彫刻、馬の鞍、馬のムチ……。
「うわあ、綺麗……」
馬の鐙がたくさん並べられたコーナーでミランダは足を止めた。
様々な意匠を施した銀色の鐙は美術工芸品といっていい。
昔の大貴族はこういう物にも精密な彫刻や彩色を施していたのだ。
宝飾品にも似た美しさに、ミランダはため息を漏らした。
「うわあ、可愛い……」
馬のぬいぐるみ展示販売コーナーでは、過去の名馬たちがぬいぐるみで再現されていた。
黒っぽい茶色の『リープコンパクト』。
同じく黒っぽいのは最強牝馬と呼ばれた『リカー』。
明るい茶色の『オルゴール』。
額から鼻にかけて白い筋のある『ビッグマゼンタ』。
全身真っ白な『シルバーボート』。
赤褐色で尻尾にちょろっと白が混じっているのは、兄デヴィッドが大・大・大好きな伝説的最強名馬『ディープマウンテン』だ。
どれか一つでも買って帰れば兄がどんなに喜ぶだろう。
できれば自分用にも一つ欲しい。
「でも高い……!」
貧乏伯爵令嬢の懐はお寒い限りなのだった。
財布に入っているのは帰りの馬車代のみ。
無駄遣いはできない。
買うのを我慢して、ぬいぐるみの姿を目に焼き付けるミランダ。
デザインを覚えて帰れば、端切れを縫い合わせて自作できるかもしれない。
名馬ぬいぐるみの可愛い姿をしっかりと目に焼き付けて、ミランダは記憶が薄れないうちに帰ろうとした。
その足が止まったのは美術館の中庭。
人が集まって何やら賑やかなイベントをやっている。
興行主らしき人物がガランガランとハンドベルを鳴らし、口上を述べている。
「さあさあ、我こそはと思わん方はどうぞチャレンジしてください。料金は一回たったの銀貨一枚。賞品はかの有名な伝説的名馬、ディープマウンテンの蹄鉄だ。チャレンジに成功したなら、これをお持ち帰りいただけますよ。ディープマウンテンの蹄鉄、名前入りの本物だ!」
「えっ、貰えるの?」
思わず声が出たミランダ。
すかさず反応する興行主。
「そこのお嬢さん、そうです、差し上げますとも! ただしチャレンジに最初に成功した人だけにですがね!」
周りの紳士たちが次々と進み出て、銀貨一枚を支払う。
チャレンジとやらが始まった。
ルールは簡単。
石の台座に置かれた蹄鉄を片手で持ちあげることができたら、成功。
その大きさは普通の蹄鉄と同じ、直径12センチ程度で、手のひらサイズ。
普通の蹄鉄なら、片手どころか指先で摘まんで持ち上げることだってできるだろう。
ところがこの蹄鉄はそうはいかなかった。
挑戦する紳士たちは顔を真っ赤にして力を込めるが、蹄鉄はびくともしない。
誰も持ち上げることができない、謎の蹄鉄。
「石に固定されているのではないのか?」
「そのご質問、ごもっともです」
興行主はニコニコ笑顔を振りまき、自ら蹄鉄に手を伸ばした。
ひょいと持ち上げ、手のひらの上でポンポンと数回投げ上げてみせる。
なるほど、固定はされていないと証明された。
「どういう仕掛けだ?」
「魔法ではないのか?」
ざわめく観衆。
興行主は平然と蹄鉄を台座に戻した。
「さあさあ、振るってご参加ください。どなたでも結構です。ただし両手を使ってはいけません。片手だけで持ち上げることができたなら、最初に成功した一名様にディープマウンテンの蹄鉄を差し上げますよ。さあさあ、我こそはと思う方はどんどんおいでください。早い者勝ちですよ!」
男たちが次々と挑戦し、敗れていく。
蹄鉄が台座から離れたのは興行主がデモンストレーションで持ち上げたあの時だけ。
「さあさあ、もう挑戦者はいませんか? 賞品はディープマウンテンの蹄鉄ですよ!」
「やります!」
ミランダはサッと片手を上げて前に出た。
「おや、さきほどのお嬢さん。挑戦なさいますか?」
「私、やってみます。魔法で身体強化してもいいんですよね?」
「おお、なんと勇ましい。もちろんよろしいですとも。さあ、皆様、ご注目。可愛らしいお嬢さんのチャレンジだ!」
ミランダは手袋を外してハンドバッグに仕舞った。
銀貨一枚を支払う。
帰りは馬車に乗れなくなるが、歩いて帰れば済むことだ。
入念に指をほぐす。
このチャレンジに成功すれば、兄へのいいお土産ができる……。
しばしの精神統一。
兄デヴィッドの喜ぶ顔を思い浮かべて……。
「……いきます」
ミランダの右手が蹄鉄に触れた。
グッと指に力を込める。
蹄鉄と台座の間に指を滑り込ませようとするが、蹄鉄が異常に重くてなかなか指が入らない。
だがミランダには秘策があった。
『身体強化!』
繊細な魔法は苦手だが、身体強化には自信がある。
右手の指に魔力を込める。
ガチッと硬そうな音がした。
小さな粒がミランダの頬をかすめる。
台座の石が欠けたのだ。
『よし、いける!』
ミランダの指が蹄鉄の下に入った。
ぐっと握り込むと、観衆がどよめいた。
後はここから持ち上げればいいだけだ。
上に持ち上げようとしたミランダは、右腕にズン、と圧迫感を覚えた。
蹄鉄が手に食い込む。
上から巨大なものにのしかかられているような重さ。
これは魔法だ。
誰かが加重の魔法をかけている。
『負けるもんですか!』
重圧に負けないように、ミランダは更なる身体強化をかける。
どんどん重さを増していく蹄鉄に押しつぶされないよう、右手の骨・皮膚・筋肉を強化。
持ち上げる際に支点となる肩関節と肘関節を強化。
肩・肘・手首を繋ぐ筋肉をそれぞれ強化。
重さを支える腰を強化。
重量がかかる足を強化。
ついでに歯を食いしばるための顎も強化だ!!
「ぐぬぬぬ……」
「うぐぐぐ……」
蹄鉄とミランダを取り巻く魔力が濃度を増す。
野次馬の中で、魔力に敏感な者たちがざわめく。
「なんだか蒸気が見えないか?」
「女の子の周りに陽炎が立ち上っているように思えるが」
「私には台座の上に高密度の魔力があるように見えます」
そんな囁きもミランダの耳には入らない。
上から押しつぶそうとしてくる魔力の塊、それを発生させている魔法使いとミランダとの一騎打ちだ。
これは一種の力比べ、そう、腕相撲と同じだ。
気を抜いた方が負ける!
「ぐぬぬぬ……」
興行主の横で脂汗を垂らしている男がいる。
彼が魔法使いなのだろう。
それはもう必死の形相だ。
「うぐぐぐ……」
ミランダの額からも汗が滴り落ちている。
ハンカチでぬぐう余裕はない。
お兄様に蹄鉄を、ディープマウンテンの蹄鉄を、絶対に持って帰るのー!!
パキ、と音を立てて石の台座に割れ目が入った。
魔力と身体強化のぶつかり合いに耐えきれなくなったらしい。
「おい、これ以上は……」
興行主が魔法使いに声をかけようとした、その時。
「ぬおおおおおおりゃあああ~!!」
裂帛の気合と共に、ミランダが右手を持ち上げた。
どよめく観衆。
ミランダの手の甲と台座との間に生まれた隙間が、1センチ、2センチと広がっていく。
上から押さえつけようとしてくる魔力をへし折るように、ミランダは自分の右腕を水平に、そして頭の上へと高々と差し上げた。
その手には燦然と輝く蹄鉄が。
「上がったー!」
「上げたぞ、女の子が!」
「すごいぞ女の子、よくやった!」
うぉおー、という歓声と拍手が巻き起こる。
「勝負あり! お嬢さん、チャレンジ成功です!」
興行主が『まいった』と降参のポーズで両手を見せた。
同時に魔力の圧がフッと消えた。
「やった……」
ミランダは荒い息をしながら、手の中の蹄鉄を台座の上に戻した。
チャリンと澄んだ音がした。
これで兄にいいお土産を持って帰れる。
台座に寄りかかり、呼吸を整えていると。
「あっぱれだ。実に、実に見事な身体強化だった」
ハンカチを差し出す人がいた。
そういえば汗だくになってたんだ……とミランダはありがたくハンカチを受け取った。
上等そうな白いハンカチを額に当て、汗を吸わせる。
「ありがとうございます」
「お嬢さん、お名前をお伺いしても?」
「ラージウェル伯爵家のミランダと申します」
「ミランダ嬢……あなたの戦いっぷりは素晴らしかった」
「えっと、お褒めいただいて恐縮です?」
「私はニューフィールド伯爵家のブライアンです。どうぞお見知りおきを」
そう名乗った人はよく見るとなかなかの美男子だった。
ちょっといいなと思うミランダ。
しかし一応仮にも伯爵令嬢、安易に心奪われたりはしない。
ちょっといいなと思うだけ。
思うだけならタダだし。
「よろしければお茶でも?」
そう誘われても優雅に断る。
伯爵令嬢たるもの、安易に男の誘いに乗ってはいけないのだ。
「せっかくのお誘いですけれど、すぐに帰らなくてはなりませんの。素敵なお土産ができたので、早く家族に見せたいのですわ」
「ディープマウンテン号の蹄鉄ですね。ご家族も馬がお好きで?」
「ええ、兄が大の馬好きですの。きっと喜びますわ」
そのまま立ち去っても良かったのだけど。
「あの、ハンカチありがとうございます。汚れてしまいましたので、後日新しい物をお返ししますわ。ニューフィールド伯爵家宛に」
なんとなく立ち去り難かったので、そんな風に言葉を続けてみた。
「気になさらないでください。でもあなたからの贈り物なら喜んで受け取りますよ」
そんな返事が返されたら、期待してしまうではないか。
ご縁が続くと思っていいのだろうか。
いや、調子に乗るな、自分、とミランダは気持ちを引き締めた。
男女のご縁とは限らない。
戦いっぷりを絶賛されたのだから、戦士としてのスカウトかもしれないではないか。
賞品の『ディープマウンテンの蹄鉄・額装入り・保証書付き』を丁寧に包んでもらい、ミランダは興行主と魔法使いに会釈して、観客の拍手に笑顔で答えて、美術館を後にした。
帰り道は徒歩だったが、心と足取りは軽かった。
※
そして帰宅後。
ミランダのお土産は家族を驚愕させ、お説教もされたが、喜ばれた。
ディープマウンテンの蹄鉄は兄の寝室の一番いい場所に飾られた。
ミランダと母は相談して、刺繍を施したハンカチに手紙を添えてニューフィールド伯爵家に送ることにした。
『世界の馬展』を見に来るくらいだから、ブライアン様も馬好きなのだろう。
馬の刺繡をしたらいいのでは?
だが、その刺繍が完成するより早く、ニューフィールド伯爵家から婚約の打診が届いた。
三男ブライアンとの縁談だ。
ラージウェル家の経済状態も気にしない、持参金もなくていい、という好条件である。
ニューフィールド伯爵家は今、上り調子の絶好調。
末っ子のブライアンにも十分な収入があるので、婚約者に財力は求めないらしい。
同時にブライアン個人からの贈り物も届いた。
二つのぬいぐるみにカードを添えて。
一つは赤褐色の毛色で尻尾にちょろっと白が混じった名馬、ディープマウンテンのぬいぐるみで、『兄上へどうぞ』とのメッセージ付き。
もう一つは黒っぽい色の最強牝馬、リカーのぬいぐるみ。
添えてあったメッセージは……。
『強くて美しい彼女はあなたに似ています』
これは愛の言葉と受け取っていいかしら?
いいのよね?
だってブライアン様は馬好きで、その馬にたとえられているのだから……。
……好き、ってことよね。
ミランダはぬいぐるみにそっとキスをした。
<完>




