「ねぇねぇ、あのね」の続きを聞くために
「ねぇねぇ、あのね。」
あなたは、この言葉の「続き」を、最後まで聞いたことがあるだろうか。
障がいのある人が話しかけてきたとき、無意識に話を遮っていないだろうか。「どうせ分からない」「うまく話せないだろう」と、心のどこかで決めつけていないだろうか。わたしは、自分の家族との日々の中で、差別とは「悪意」から生まれるものだけではないと学んだ。「知ろうとしないこと」、「聞こうとしないこと」、それ自体が、差別の始まりなのだ。
わたしは五人家族だ。父、母、一番上の姉、二番目の姉、そして末っ子のわたし。一番上の姉は重い知的障がいを持ち、二番目の姉はADHD(注意欠如多動症)という発達障がいがある。障がいのある姉たちとともに育つことが、わたしにとっての「普通」だった。だから、障がいのある人が「特別」だと思ったことは一度もなかった。――そう思っていた。
転機は、ある夜突然やって来た。
お風呂に入る前、リビングでぼんやりしていると、母のスマートフォンが鳴った。画面には「おばあちゃん」の文字。しかし電話の向こうにいたのは、病院のスタッフだった。
「おばあちゃんが倒れました。」
その一言で、空気が凍った。車で約一時間、頭の中はずっと真っ白だった。病院に着いておばあちゃんの顔を見た瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。その目は、まるで「あなたは誰?」と言っているようだった。手術は成功したが、左半身に麻痺が残った。
数か月後、おばあちゃんが退院し、うちで暮らすことになった。母は介護の資格を持っていたから、「きっと大丈夫」と思っていた。しかし、現実はそう甘くなかった。
おばあちゃんと一番上の姉は、毎日のように言い争った。止めても、また始まる。家の中の空気は日に日に張りつめ、やがておばあちゃんは転倒して骨折し、施設へ入ることになった。誰も悪くないのに、みんなが傷ついていた。あのころのことを振り返ると、今でも胸が痛む。
しかし、ある日の夕方、すべての「意味」が見えた瞬間が訪れた。
一番上の姉が、ぽつりと言ったのだ。
「あのね……わたしは心配だったから部屋に行っただけなのに、『来ないでいい』って言われたのが嫌だった。わたしは……『ありがとう』って言ってほしかった。」
わたしは息をのんだ。
あの「喧嘩」は、喧嘩ではなかった。姉はおばあちゃんを心配し、精一杯の優しさで近づいていた。しかし体が不自由になり、心に余裕を失っていたおばあちゃんには、その優しさを受け止める力が残っていなかった。悪意など、どこにもなかった。ただ、お互いが「分かってほしい」と叫んでいただけだった。
そのとき、わたしははっと気づいた。これは、社会全体で起きていることと、同じではないか。
障がいのある人が声を上げるとき、世の中はどう反応しているだろうか。「どうせ分からない」「関わるのが面倒だ」と、その言葉を途中で遮ってはいないだろうか。おばあちゃんが姉の優しさを受け取れなかったように、社会もまた、障がいのある人の「思い」を受け取れていないことがある。それは悪意ではないかもしれない。しかし、受け取ろうとしないことは、差別と同じ結果を生む。
一番上の姉も、二番目の姉も、おばあちゃんも、わたしも、みんな同じように悩み、傷つき、「ありがとう」を求め、誰かに分かってもらいたいと願っている。障がいがあるかないかは、その気持ちの前では関係ない。どんな人も、同じ一人の人間なのだ。
だから、わたしは強く願う。障がいのある人とない人が、どちらか一方だけ我慢するのではなく、お互いを対等な存在として認め合い、ともに生きていける社会を。見た目や行動だけで人を判断するのではなく、その奥にある「思い」に耳を傾けられる社会を。そしてそれは、遠い未来の話ではなく、わたし一人ひとりの「聞く姿勢」から始まるのだと、今のわたしは知っている。
「ねぇねぇ、あのね。」
その続きを、遮らず、決めつけず、最後まで受け止める。
それが、差別のない平等な世界への、最初の一歩だと、わたしは信じている。
このお話は、僕の実話です。
少しでも障害への意識が変わればと思います。




