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序章 第7話  止まった町の温度と、銀髪の少女が撫でる“何か”

季節がひとつ変わるころ。

アムレストの町に、静かな冷えが差し始めた。


今日は父の指示で、

カイが僕を抱えて町を散策してくれることになっていた。

「リンド様。外の空気に少し触れてみましょう」


カイが話しかけてくれたので、

その声のあとに淡い文字が揺れる。

【……町の様子、少しでも感じてほしい】


(優しいやつだな、カイは)


視界の端に文字は浮かんで、すぐ消える。


アムレストの町は今日も静かだ。


野菜を並べる老人。

軒先で舟を漕ぎながら客を待つ商人。

昼間なのに暇を持て余す若者たち。

すべてが“昨日と同じ”に見える。

いや、見えるのではなく――

本当に変わっていないのだ。


若者の一人が言う。

「この前の交易の話、また流れたらしいぜ」

「まぁな。どうせ変わらんよ」

僕に向けられた会話ではないので、

本音は文字にならない。

けれど、投げやりな空気はそのまま伝わってくる。


カイは困ったように笑った。

「……昔から、こういう町なのです」


カイが僕に語りかけたので本音が出る。

【誰も“変わる痛み”を引き受けようとしなかった】


痛み。


それは、誰かが先頭に立たねば変われないということだ。


(なるほど……そういう空気なんだな、この町)


少し歩くと、カイが左足をそっとかばうように歩いた。

僕は見上げる。

カイは柔らかく笑ってみせた。

「大丈夫ですよ。今日は調子がいいうちです」

それ以上語らない。

本音は現れない。


(本音なのか……)


心のままという事実が、

逆に影を深く見せた。


住宅区に差し掛かったとき、

カイの歩みがふいに止まった。


「……あれを」

その視線の先、

家々の影が落ちる細い路地の角。

白い髪の少女が、

静かに立っていた。

ルミナだ。


薄い光を吸い込むような銀髪。

落ち着いた瞳。

そして――

空中の一点を、じっと見つめている。

風もないのに、

指先がかすかに震えている。


カイが優しく声をかける。

「こんにちは、ルミナちゃん」

ルミナはゆっくり顔を上げ、

僕たちを見た。


僕に歩み寄ると――

そっと空中へ手を伸ばす。

指先で、

触れられない“何か”の表面を探るように、

撫でるように、

わずかに震えながらなぞる。


(……何だ? 何を触ってるんだ?)


僕には見えない。

何も感じない。

けれど、彼女は確かに“何か”を感じている。

カイが心配そうに尋ねる。

「具合でも悪いのですか?」

ルミナは答えない。

答えられない。

ただ、僕を見つめた。


そして――

胸の前で親指をぎゅっと握り込んだ。


(これ……やっぱり何か意味があるんだ)


文字も、言葉もないのに、

“強い何か”を伝えようとしている気配はある。

ルミナはそっと僕の頬に触れた。

冷たさはない。

だけど、迷いの震えだけはあった。

そのまま踵を返し、

静かに歩き去っていった。


去り際、

もう一度だけ空中をなぞる。

まるでそこに、

僕には見えない“膜のようなもの”が漂っているかのように。


その日の夜。

僕は母の腕に抱かれて父の執務室にいた。

父ルドルフが、珍しく笑みを浮かべている。

「リンドも、少しは町の空気を感じ取れたかな」

母エリナが優しい声で言う。

「この町は静かだけれど……悪いところばかりではないわ」

カイは控えめに補足する。

「ただ……昔より、元気はなくなりましたね」


父がランプ越しに語り出した。


「この町を動かそうとしたことがある。

 交易を広げようとし、

 学舎を作ろうとし、

 投票制度まで導入しようとした」


母が笑う。

「あなた、本当に頑張ったものね」

父は淡く息を吐く。

「だが……皆、反対はしなかった。

 ただ“誰も賛成しなかった”んだ」


カイが静かに続ける。

「誰も前に立ちたくなかったんです。

 変わるには痛みが伴う……

 それを誰も引き受けたくなかった」


母は少し寂しげに言った。

「そうして、町は“今のままでいい”に落ち着いてしまったの」


僕は理解する。

(変わらないことを望んだんじゃない。

 “変える役目”を誰もやらなかっただけなんだ)


父は遠くを見るような眼差しで呟く。

「だから今は……平和であればそれでいい。

 誰も傷つかないように。

 それが私にできる最善だ。もちろん私に領主としての才が

もっとあればこの町は違う形になっていたかもしれないが。」


そんな父の言葉を聞き、

僕は不思議と胸が温かくなった。

(父は……諦めたんじゃない。

 守るために止まることを選んだんだ)


そのとき、

カイが窓の外を見る。

「……あれは」

皆が視線を向ける。

街灯の薄い光の中を、

銀髪の少女がゆっくり歩いていた。


ルミナだ。


敷地内には入っていない。

ただ家路の途中なのだろう。

彼女はふと立ち止まり、

空中をそっと撫でた。

僕には見えない“何か”に触れるように。


母が呟く。

「……本当に不思議な子ね。

 あの癖は小さい頃からよ」


父も小さく言う。

「昔から静かで……優しい子だ」


僕は思う。

(この町は止まってる。

 でも、ルミナは――

 何か感じてる。何かに触れようとしてる)


すべてはまだ分からない。

けれど、その白い影だけは、

強く印象に残った。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。


この物語は、派手な奇跡ではなく、小さな選択と積み重ねを大切にして書いています。

リンドの一歩一歩が、少しでも皆さまに届いていれば嬉しいです。


もし続きが気になる、応援してもいいと思っていただけましたら、

ブックマークや評価をいただけると励みになります。


いただいた反応は、今後の執筆の力になります。


これからも静かに、誠実に物語を積み上げていきます。

引き続きお付き合いいただけましたら幸いです。

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