序章 第6話 領主と母の“隠れた影”
ある日の夕方。
僕は母の腕に抱かれ、父の執務室へ向かっていた。
扉が開くと、書類を抱えたカイの姿が見えた。
「ルドルフ様、この調査報告ですが――」
父が深く頷きながら答える。
「ありがとう、カイ。助かる」
二人は仕事の話をしていた。
だが、僕に気づくとカイがふっと表情を緩める。
「おや……リンド様もご一緒でしたか」
【元気そうでよかった……】
その本音は温かく、
いつもより少し“重さ”がある気がした。
(ん……?)
カイの左足がわずかに疲れたように揺れた。
それを庇うような動きが、普段より強く見える。
母が優しく声をかける。
「カイ、左足……今日は痛むの?」
カイは笑って首を振った。
「平気ですよ。慣れてますから」
カイは用件を終わらせ静かに部屋を出た。
母は気づかないふりをしつつ、
そっと視線を落とした。
エリナは父の机のそばに座り、僕を膝に乗せた。
ルドルフはため息をひとつ落とし、呟く。
「……やはり、変わらんな。数字も、流れも」
(“停滞”。俺もこの領地に生まれてから感じてる)
エリナが静かに言う。
「良いことでもあるでしょう?
争いもなく、誰も傷つかない」
ルドルフは頷いた。
「……ああ、それはそうだ。だが――」
父は続けようとしたが、
沈黙を選んだ。
その沈黙が、逆に重い。
(……何かある。
父はそれを見ないようにしてる?)
カイが再び入室し、書類を机に置く。
「このまま、いつも通りでいくのですか?」
ルドルフは小さく笑った。
「いつも通りだよ。
変える必要など、どこにもない」
(……父も、諦めてるのか?)
エリナも静かに微笑む。
「あなたが無理をして倒れたら……誰が皆を守るの?」
僕は思った――
アムレストは、表面は静かで平和だけど
その奥には“どうしようもないもの”が眠ってる。
父も、母も、その影を知っている。
でも口にしない。
言えない。
見ないふりをしている。
自分に向けられた言葉ではないので本音が見えない。
だから言葉の断片も拾えない
かすれて読めなくなる。
(……スキルが育てば読めるかもしれない。まだ弱いのか……)
どっちにしても“何かがある”のは確かだ。
会話の途中。
執務室の窓から、屋敷の広い庭が見える。
その奥――
邸宅の正門前に、小さな白い影が立っていた。
銀髪。
白いワンピース。
ルミナだ。
(……ここに来たのか?)
カイが窓に近づき、目を細めた。
「……あれは、ルミナちゃんですか?」
ルドルフ(父)も顔を上げる。
「門の外……? こんな時間に珍しいな」
母・エリナの視線が柔らかく揺れる。
「きっと……誰かに会いたいんじゃないかしら」
(そうなのか……?)
カイは軽く頭を下げると、
躊躇なく部屋を出た。
「失礼します。迎えに行ってきます」
邸宅の前庭を抜け、
カイが正門を開けると、
ルミナが静かに立っていた。
風にも揺れない、凪のような少女。
「ルミナちゃん……どうしたんです?」
彼女は声を出さない。
ただ、手を胸の前でそっと握っている。
そのとき、
カイの視界にだけ届いたように、
弱い本音が滲んだ。
【……いかないと……】
(ん?)
カイは眉をひそめた。
しかし続きは読めない。
「……リンド様に会いに来たの?」
ルミナは、ほんの少しだけ頷いた。
カイが優しく微笑む。
「なら大丈夫。ちゃんと中へ案内します」
邸内へ一歩踏み入った瞬間、
ルミナはわずかに息を吸い、
周囲の“何か”を確かめるように視線を動かした。
(何かを探している……?)
カイには見えなくとも、
静かな異質さだけは伝わる。
彼はルミナを連れて執務室へ戻った。
扉がノックされ、
カイとルミナが入ってくる。
エリナが微笑む。
「来てくれてありがとう、ルミナ」
ルミナは黙って会釈し、
すぐに僕――リンドへ視線を向けた。
その瞬間、
視界に淡い文字が浮かぶ。
【……また……動いてる……】
(また“動いてる”って……?)
ルミナはゆっくりと歩み寄り、
僕を見下ろす位置に立つ。
彼女の視線が、
僕と父とカイの“間”を何度もなぞる。
まるで
目に見えない線の“流れ” を追っているかのように。
胸元から肩口へ――
空中をそっと撫でる仕草が続く。
【……つながってる……】
(つながってる? 何が? 誰と?)
その“不可解な言葉”は、
今回だけはっきりと形を持っていた。
ルドルフが小さく困り顔になる。
「ルミナ……何か、気になることでも?」
もちろんルミナには答えられない。
ただ、細い呼吸だけが揺れている。
やがてルミナは、
そっと僕の手に自分の手を重ねた。
震えている。
でも、触れようとする“意志”があった。
そして――
本音が今までで最も強く現れる。
【……助けなきゃ……】
(助ける……? 誰を?)
言葉はそこまで。
ルミナは急に手を離し、
くるりと背中を向けた。
エリナが心配そうに声をかける。
「ルミナ、大丈夫?」
ルミナは小さく頷き、
また親指を握り込みながら部屋を去っていく。
まるで、
“未来の傷を見た子ども”のように。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
この物語は、派手な奇跡ではなく、小さな選択と積み重ねを大切にして書いています。
リンドの一歩一歩が、少しでも皆さまに届いていれば嬉しいです。
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これからも静かに、誠実に物語を積み上げていきます。
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