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和尚と慈念の疑惑

 私たちの敵は、時には幽霊だけではないということは、私が廃墟で凶悪殺人犯と出会った時にも感じた事だ。そしてそれは、またしても起ころうとしていた。


「わんわんわんわん!!!!!」


 けたたましく鳴り響く犬の鳴き声。その声は、決して普通の霊感のない人間には、聞こえることはない。何故ならその犬もまた、幽霊だからだ。私がここ最近、毎日オヤツをあげているパピヨンである。パピヨンは、普段の愛らしい顔を怒りに歪め、ある一点に向かって必死に吠えている。勿論その傍には、体を引き摺る飼い主さんの霊。


「………和尚様。交通事故で亡くなった、犬とその飼い主の地縛霊です」


 シャン、と微かになった鈴のような音が、その霊の前で止まった。光り輝く頭が2つ。黒い法衣に、黄土色の袈裟が掛けられた、まさしく僧侶のお手本のような格好をした男2人組だった。飼い主を庇うようにその前に立ち、勇敢に吠えているパピヨンを冷たく見下ろす僧侶たち。その手に掛けられている数珠が、怪しく光っている。


「…………悪霊は滅す。慈念じねん、手伝いなさい」

「はっ」


 2人が胸の前に手を掲げ、目を閉じてお経を唱え始める。するとパピヨンと飼い主が、次第に苦しみ呻きだした。其々の体………器の中にある魂が、悲鳴を上げるようにグネグネと激しくのたうち回り、形を変えている。その光景は、とても成仏とは程遠い、救いも何もない強引な方法に見えた。


 しかし、そのお経を中断させる出来事が起こった。僧侶の前に突然お札が飛んできて、パピヨンと飼い主を守るように結界を張ったのだ。結界の中はお経が届かないようで、何とか難を逃れたパピヨンと飼い主がその場にへたり込んでいる。和尚様、と呼ばれた年配の方はお経を止め、お札が飛んで来た方へ視線を移す。


「…………何処のお寺の方ですか?この辺りは、我々出雲神社の管轄の筈ですが」


 そこに立っていたのは、静かに僧侶たちを睨む吉光であった。今日はたまたま、図書室で居残りのテスト勉強をした後、夕暮れ時のこの時間に帰宅していて、その最中での遭遇であった。


「この霊力…………見習いの者か」

「見習い風情が、和尚様に何という口の利き方!」

「やめろ慈念。………あの出雲神社の1人息子か」


 和尚に嗜められて、すごすごと後ろに下がる、慈念と呼ばれた弟子らしき人物。よっぽどこの和尚とやらに心酔しているようだ。吉光もまた、この和尚が持つ圧倒的な霊力を見破っていた。弟子とはかなりの差がある。もしかしたら、自分の母親にも匹敵するかもしれない。弟子を持っているだけのことはある、凄い人物だ。


 だが吉光は何となく、この和尚という人物を尊敬できずにいた。それは仏教と神道という違いとか、そういうものではなくて、何となく…………この者のオーラ、雰囲気、勘からくるものであった。


「悪霊を庇うとは、出雲神社はそういう教えなのかな?坊主」

「………俺は、人間に害を為す霊でなければ、みな等しく救われるべきだと考えています。貴方のやり方は、まるで霊を苦しめ、痛め付けているようだ」

「貴様っ、和尚様になんてことを………っ!」

「慈念、下がりなさい」


 あからさまに子供扱いするような口調の和尚に、あくまでも吉光は冷静だ。そして和尚もまた、何を言われても動じない威圧感で、そこに立っている。唯一、度々感情を露わにして嗜められているのは、弟子の慈念1人だった。


「それに…………、その子、俺の幼馴染が可愛がってるみたいなんです」

「可愛がってる………?」

「その時は…………、最期の別れくらいさせてあげたいので」


 吉光に怒られるからと、秘密裏に行われていたパピヨン餌付け行為は、すっかり吉光にバレていたのだった。分かってはいたのだが、吉光も楽しそうに犬と戯れる恋白に怒れず、黙認していたのだ。明日の朝ここに来た恋白が、パピヨンの姿が無いことに気付いたら、きっと悲しむだろう。霊はいずれ成仏すべき存在だが、その時はちゃんと最期の挨拶くらいはさせてあげたい。という、吉光なりの優しさだ。


「とにかく、この辺りの霊は我々出雲神社の人間がしっかりと見張り、対処しております。あなた方のお力は不要です。どうかお帰りください」

「…………………」

「貴様、和尚様に帰れなどと………っ!」

「慈念」

「…………はい」


 あくまでも平和的に、何とか追い返したい吉光なりの、最大限の敬意を払いながら、帰ることを促した。聖職者同士、本来はいがみ合うような関係ではない。弟子の方は完全に敵意を剥き出しにしているが、和尚の方はしばらく無言で吉光を見下ろすと、納得したように引き下がった。


「………余計な手出しをしたようだな。行くぞ慈念」

「和尚様、いいのですか」

「我々には他にも滅すべき霊が沢山いる。ここは彼に任せよう」


 あっさりと引き下がり、納得いってなさそうな慈念を引き連れて、闇夜に消えていく2つの僧侶の背中を、吉光はじっと見送っていた。何だろう、この違和感。言葉にしようとすると難しいのだが、あの和尚という人物から、何か…………言いようのない雰囲気を感じる。吉光は妙な胸騒ぎを実感していた。結界を解き、中にいた飼い主とパピヨンの前に屈む。パピヨンは吉光に対してブンブンと嬉しそうに尻尾を振っていた。


「よくやったわぁ、吉光。格上の僧侶に対して堂々としてたわよぉ」


 突然響いた声に大袈裟なくらいに悲鳴をあげて、尻餅をついた。振り返ればそこにはニコニコと笑顔を携えた母親の姿。帰りが遅い息子を心配して、迎えに来たのだった。そうしたら息子がどこぞの僧侶と対峙しているものだから、隠れて成り行きを見守っていたのだ。今思えば、和尚は藤香の存在に気付いて、分が悪いと帰ったのかもしれない。


「あの方たちは一体何なのですか」

「多分、隣町の迦睡斎ってお寺の僧侶ねぇ。有名な方なのよ」


 迦睡斎というお寺なら、吉光も知っている。季節ごとに、百合や紫陽花、風鈴などを寺内で公開するちょっとしたイベントも行っているので、昔恋白と共に見に行ったことがあったのだ。そこの和尚さんであり、弟子にしてくださいとやってくる見習い僧侶もたまに現れる程、かなり有名な人なのだと、藤香は言う。


「俺は………あの人のやり方はあまり好きにはなれません」

「ふふ、吉光は優しいものね」


 ズルズルと這い蹲る飼い主の霊を、藤香が優しく撫でる。藤香も藤香で、最近の迦睡斎の人間たちの行動には色々と思うところがあるようで、その笑みはどこか真剣な表情へと変わった。


「私も、迦睡斎のハゲたちには少しイラついてたの。最近妙にこの辺をウロウロしてる。私が気付いてないとでも思っているのかしら」

「何でそんなことを…………?」

「さあ。けど、私の庭で悪さするようなら許さないわ。吉光も警戒するようにね」


 特に、目隠しさんを憑けた恋白ちゃんに何も無いといいけど、と付け足した母の忠告に、吉光は静かに頷いた。あの和尚と弟子…………大人しく引き下がったままだとは、何となく思えなかった。

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