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心の変化

「あらあら、健気なことねえ」


 この状況で楽しそうに笑うのは、蜘蛛女ただ1人。天井に張った蜘蛛の巣から、高みの見物を決め込んでいる。私の肩に深く突き刺さった牙からは毒が注入されていて、傷自体は致命傷とはいかずとも、その毒が体中を回って死に至るのは、最早時間の問題であった。


 私はといえば、キョンシーくんや目隠しさんと違ってただの一般人、ただの女子高生だ。肩を襲う信じられない痛みと、毒が回ってグラグラと揺れる視界に、ただ必死に生きようと荒い呼吸を繰り返すことしかできなかった。残っている力でちらりとキョンシーくんを見上げると、焦ったように私を見下ろしていて、意識を確認するように私の名前を呼んでいる声が、遠くの方から聞こえてくる。


 なんでそんなに焦ってるの、って言いたくても、言葉が出てこない。キョンシーくんは別に私のことを守る義務はないし、今のこの状況も完全に巻き込まれ事故みたいなものだ。それでも、私の為にこんな顔をしてくれている。私に言われるがままに、蜘蛛女と目隠しさんと戦っている。さっき蜘蛛女に言っていた、『僕には大切な人とか存在しないからね』というキョンシーくんの言葉………きっと彼は今までずっと、1人を好み、誰とも深く関わったり、執着するようなこともなかったのだろう。それなのに、何故。ただ戦いを求めているから?私が死んだら、生命力源がなくなって困るから?


「毒か………!」


 キョンシーくんは、どんどん意識がなくなっていく私を見下ろしながら、肩の傷口から混入した毒を見抜いていた。私を抱えたままその場に膝を付き、なんの躊躇いもなく私の服に手をかけ、胸元を開く。現れた白い肩は痛々しく変色していて、まさに毒がその周りを紫色に侵していた。


「………後で怒らないでよ」


 そして、キョンシーくんが私の肩に噛み付く。傷口に触れられて一瞬私が顔を歪めて呻き声をあげるが、そんなのお構いなしに吸い付いていた。すると、変色していた私の肩はみるみる元通りに戻っていき、私の体内に仕込まれた毒はキョンシーくんの口を通り、そのまま体内へと吸収されていった。毒を吸い出してくれたのだった。


 これでただの傷となった私の肩は、痛々しさは残るものの、命を落とすことはなくなっただろう。安心したキョンシーくんが、気を失った私の体をそっと床に寝かせる。安らかになった寝顔を見下ろして、口元に付いた私の血を乱暴に服の袖で拭っている。


「………死人を庇うなんて、本当に馬鹿だね、君は」


 蜘蛛女の毒は当然キョンシーくんにも有効で、私から肩代わりしたその毒はじわじわと、着実にキョンシーくんの体を蝕み始める。一瞬歪む視界に、痺れる手先。どうやらあまり時間は残されていないらしい。この毒が回り切る前に蜘蛛女を倒せなければ、ゲームオーバーだ。


「随分必死になってその子を庇うのね。生命力が欲しいから?それとも………他の理由かしら」


 上から見物していた蜘蛛女がゆっくりと下りてきて、楽しそうにキョンシーにそう問いかけた。しかしキョンシーは黙ったまま蜘蛛女を睨みつけている。その姿は、先程までの戦闘を楽しんでいるような様子ではなくて、怒りに満ちている。歪む視界の中で捉える蜘蛛女は、キョンシーにも一瞬だけ恋白の姿となって映り、すぐに蜘蛛女本来の姿に戻った。


「心が揺れ動かされているようね。庇ってもらって嬉しかったの?」


 そんなキョンシーの心境の変化を、蜘蛛女が目ざとく感じ取って揶揄う。やっとキョンシーにも心の隙が生まれたかもしれない。そこに付け込んで魅了すれば、私にも勝ち目がある。そう計算する蜘蛛女に、キョンシーは負けじと悪態をついた。挑発には挑発を返すように、蜘蛛女の神経を逆撫でしていく。


「………恋白の姿を使うな、ブスが」

「ブ………っ!?クソガキが!舐めた口を効くな!!」


 針と化した蜘蛛の糸が無数に降り注ぐ中、稲妻は、蜘蛛の巣を移動する蜘蛛女目掛けて突っ走る。どれだけ高い位置にいようが、小賢しく逃げ回ろうが、光の速さで動く雷には関係ない。呆気に取られて固まる蜘蛛女の前にはキョンシーくんがいて、容赦なく彼女の体を貫いた。閃光は蜘蛛女の体に大きな穴を空けて貫通し、丸焦げになって黒い煙を上げる。ボロボロに崩れていく蜘蛛の巣と共に、白目を剥いて完全に息絶えた蜘蛛女の体が床に落ちた。これで終わったか、と毒が回ってぼーっとする視界の中で蜘蛛女の魂が現れるのを待つ。しかしそれはいつまでも現れず。


「おのれえええええ!!!!」


 最期の力を振り絞るように蜘蛛女が雄たけびをあげると、生首の状態で、床に横たわる恋白に向かってきたのだった。なんという執念だろうか。恋白を食らい、生命力を吸収すれば復活できる。さらには階級も上がって一気に逆転できるかもしれないという算段だ。まずい、とキョンシーくんも慌ててその後を追おうとするが、体を蝕む毒がさらに視界を歪めて、うまく体が動かない。ダメだ、間に合わない、そう焦るキョンシーをあざ笑うように、蜘蛛女は大きく口を開ける。


「この女を食らえば私の勝ちだ!!!」


 邪魔する者はもういない。恋白本人も気を失ったまま。今度こそ食われるか、と目を見開くキョンシーの前で、その頭をぐしゃりと踏み潰す足があった。


「………やっと目が覚めたんだ………」


 蜘蛛女の術から目を覚ました目隠しの男が、蜘蛛女の頭を踏み潰していたのだ。恋白に辿りつかないまま潰れた頭は流石にもう復活することはなく、黒く蠢く魂の球体へと変化した。キョンシーは、恋白が無事に守られたことを確認した後、気が抜けたのかそのまま床にどさりと倒れ込んだ。いよいよ体全体に毒が回って、キョンシーの意識はそこで途絶えたのである。










 ぼんやりと開いた目を見て、私はホッと胸を撫で下ろした。当の本人はまだしっかりと頭が覚醒していないのか、相変わらず寝ぼけ眼で私を見つめている。毒に侵され気絶したキョンシーくんが目を覚ました瞬間だった。


「良かった………キョンシーくん、もう目を覚さないかと思った…………」


 ぐっと涙を堪えて笑う私を、キョンシーくんはじっと見つめている。やがて、そんな私の頬に手を伸ばして優しく撫でた。驚く私に、彼はゆっくり口を開く。


「………死にかけてたのは君の方でしょ」

「それは……………」

「なんで………あんなことしたの」


 唐突な質問に、私はキョトンとしていた。あんなこと、というのは恐らく、私がキョンシーくんを庇って蜘蛛女の攻撃を受けたことだろう。確かに無茶なことをしたな、と思っている。でも、後悔はない。相変わらず肩は痛むし、すごく怖かったけど、お陰で私もキョンシーくんも何とか助かったのだ。


「だって………、死んでほしくなかったんだもん」

「…………僕に………?」


 こくん、と同意するように頷く。すると、じっと私を見つめたままのキョンシーくんの手が、私の首裏に回って、ぐい、と力強く引き寄せられた。その強さに抵抗する間も無く、私は体を横にしたままのキョンシーくんの上に覆い被さる。キョンシーくんの端正な顔が目の前にあって、思わず息を呑んだ固まった。


「………き、キョンシーくん………?」


 何も言わないキョンシーくん。ただ私のことを、じっと意味深な瞳で見つめているだけ。首の裏に置かれた彼の手は、ゆっくりと私を押し続け、どんどん2人の顔が近付いていく。あれ、なんか、変な雰囲気になっていないか?と気付いた時には、目前にキョンシーくんの唇が迫っていて…………、


「すっかり元気になったようだな」


 その言葉と共に、私の体はキョンシーくんから引き剥がされていた。目隠しさんが私の腕を引っ張り上げたのだ。邪魔が入ったキョンシーくんは体を起こし、睨む目隠しさんを見上げるて、ポツリと一言。


「………助けない方が良かったかな」

「………何か言ったか」

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