浮気者
「いるんでしょ!早く出てきて!」
1人で脱衣所に入るなり、私以外誰もいない筈の空間に突然そう声を上げた。苛立ちを隠す気もない私の声に、何処からともなく姿を現したのは勿論、生命力を渡すと約束していたキョンシーくんだ。彼は私の粗暴な態度に少し驚いているようである。
「………どうしたの。随分ご機嫌斜めだね」
「………別に」
話すとさっきの光景が頭に蘇って余計にイライラしそうなので、私は口を噤んだ。しかし、キョンシーくんはどこかニヤニヤしていて、何となく事態を察しているようだった。
「まあ、見てたんだけどね。今日はお客さんが1人いるみたいだね」
「………………」
「仲良さそうだね、あの2人」
「いいから早くやるよ!」
ああ、もう余計なことしか言わない。私はキョンシーくんの揶揄いにまんまとイライラしながら、手を翳した。ゆっくりと光が手の先から溢れ出してくる。それを、まるで餌を待つ犬のように屈んだキョンシーくんが、全身で受け止めた。じんわりとその体に吸収されていく私の生命力を、全身で堪能しているようだ。
「っはー…………やっぱり最高だね、君の生命力。病み付きになっちゃいそう」
「………そ、そうなの?」
「うん、すっごく」
うっとりと、頬を上気させながら味わっているキョンシーくんの顔があまりにも官能的で、思わず息を呑む。私の生命力をそこまで味わうなんて、何だか恥ずかしいような、よく分からない感情が芽生えてくる。と同時に、どんな味なんだろう?という興味が湧く。
「生命力って、どんな味なの?」
「うーん………、人によって結構違うよ。甘かったり、辛かったり…………」
「へぇえ………、私のはどんな味?」
「………知りたいの?」
興味津々な私の顔を、意味深な笑みで覗き込むキョンシーくん。う、うん、と戸惑いながらも頷くと、次の瞬間には流れるような手付きで壁に押さえ付けられ、ぎゅうう、と体を密着させてきた。キョンシーくんの体が、私の胸をぎゅう、と押し潰す程に、2人の距離はゼロに等しかった。
「じゃ、ちょっとだけ返してあげようか、君の生命力」
「な、なにすんのよ………っ!」
「ほら、口開けて。味気になるんでしょ?」
顔を逸らす私の顎を、キョンシーくんがグイと強引に掴む。強制的にそちらに振り向くと、薄ら開かれた口からキョンシーくんの赤い舌が覗いている。その舌には、私が先程渡した生命力が少量乗っかっていて、まさかの口移ししようとしてる!?とギョッとした。良からぬ事を考えているキョンシーくんと、この状況。何とかしなくちゃと思っていても、とても力で敵う筈がない。脚と脚の間にキョンシーくんの脚が割り込んできて、いよいよ抵抗できない状態になる。
それでも必死に、最後の力を振り絞って、やめろ変態!!と叫びながら顔を背けると、何故か「バチ!!」と大きな力が体中を駆け巡り、キョンシーくんの体が弾かれるように、簡単に離れたのだった。キョンシーくんも勿論、その力を使ったと思われる私自身もポカンとして、自分の手を見下ろす。………私、今何したの………?
「………呪いの力か………。一瞬だったけど、凄い力だね………」
「呪いの………力………?」
「異形の呪いが、僕を拒絶したってこと。本気出されてたら、木っ端微塵だったかも」
パンパン、と自分の服を払いながら微笑むキョンシーくんは、「少し揶揄い過ぎたかな」と楽しそうだった。こっちはまだ若干心臓がバクバクしていて、その呪いの力とやらが発動していなかったら、今頃どうなっていたかと恐ろしくなった。やっぱりこの人、危険かもしれない。色んな意味で。
「じゃあ、生命力も貰ったし、この辺で」
「…………次変な事したら手加減しないから」
「へぇ。呪いの力、まだコントロールできてない癖に?」
うぐ、と声を詰まらす私を他所に、キョンシーくんは姿を消した。私が狙って呪いの力を使った訳ではないことは、お見通しのようだ。
(びっくりした…………。キスされるのかと思った………)
1人になって漸くゆっくりと湯船に浸かりながら、先程の出来事を思い出す。あんな風に迫られたことなんてな………い………、と考えたところで、思い出したのは、少し前の記憶。吸血鬼の館で、目隠しさんに…………。
ザブン!と思考を振り払うように湯船に深く潜る。考えないようにしていたことを思い出してしまった。あの時、目隠しさんは私に………キス、しようとしてたのかな………?少女漫画でありがちな、髪に何か付いてたよパターンだったら、とんだ私の勘違いで恥ずかしいのだけど。
とにかく、明日もまたキョンシーくんには生命力を渡さなければならない。やはり油断ならない男だ、警戒するに越したことはないだろう。
そして私はホカホカとお風呂を済ませ、パジャマになって階段を上がる。明かりがついたままの自分の部屋のドアノブに手を掛け、
「ただいまー……………あ………?」
戻ってきた私の目に飛び込んできた光景。それは、ベッドに押し倒されている目隠しさんと、その上にのし掛かる美人さん。更には、その状態で美人さんが目隠しさんの頬にキスをしていた。
「………………」
「………………」
「………良いところだったのに………もう戻ってきたの?随分と早風呂ね」
不満を垂らす美人さんの声だけが響き渡る。私はというと、目の前で起こっている光景が信じられない、否、信じたくない、という気持ち。そして、怒り、嫉妬、悲しみ、恨み、とにかく色んな感情が織り混ざって、最早何を言えば良いのか分からず黙り込んでいる状態だった。黙ったままの私に対し、流石に目隠しさんもマズイと漁ったのか、「違う、誤解だ」と弁明を口にしているが、それも私にとってはどうでもよかった。
例えどんな事情があろうが、理由があろうが、美人さんが目隠しさんのほっぺにキスをした、という事実がショックなのだ。その過程がどうであろうと、結果は変わらない。
俯いたまま静かに肩を震わせる私の目に、ジワリと涙が浮かぶ。私はキョンシーくんに生命力をあげるだけでも罪悪感を感じているというのに、目隠しさんは…………。
「恋白、聞け、これは…………」
「出てって」
体を起こした目隠しさんと美人さん2人に、静かに告げる。とにかく今は、2人の顔を見たくない。それが私の出した答えだ。
「出てけー!!!」
1階に家族がいるのも忘れて、私は泣きながら叫んだ。その瞬間、意識せず私の呪いの力が発動し、2人を窓から外へと弾き飛ばした。まあ幽霊なら、2階から放り投げられたところで傷1つ付かないだろう。人間、あまりに頭に来ると、有り得ない力が出るもんだな、と自分で驚いていた。追い出されて呆然とする2人を前に、容赦無く窓の鍵を閉め、カーテンも閉める。
「もー頭にきた!!目隠しさんなんて知らない!!」
そして私は、一向に解消されないイライラと共にベッドインし、眠りに落ちたのである。そういえば、こんな風に目隠しさんに怒りをぶつけるの、初めてかも、なんてそんな事もぼんやり考えながら。




