ただ、聴いて欲しかった
「九重さんってすごいね!」
和水はいつも、色んな人から羨望の眼差しや、称賛の言葉を受ける。本人はただ目の前のことを一生懸命やっているだけだが、周りからすると、それはとても凄い事らしい。すごい、とか、流石、とか、色んな言葉を掛けてくれる。
「九重さん、これってどー思う?」
「そうですわねぇ………」
「九重さん、ここ教えて!」
「ここはですね」
「九重さん、これやっといて!」
「はい、お任せ下さい」
でも、それは果たして、友達………なのだろうか。和水には今まで、心を開いた、対等に話ができると感じた相手が出来たことはなかった。和水が悩んだ時、相談する相手はいない。和水が何か頼りたい時、甘えられる相手がいない。裕福な家庭に生まれ育ったから、何不自由ない生活、むしろ恵まれた生活を送っているとは思うけれど、その分悩みも抱えてきたし、人間の腹黒い部分を見て落ち込んだりもした。
でもそんな和水に、最近友達ができた。まずは、恋白と吉光だ。彼らは、私を変におだてたり、胡麻を擦るような真似はしない。だからか、自然体でいられる。その次に、目隠しさん。友達というよりかは、片想いの相手という存在だが、彼の存在のお陰で毎日がキラキラして見えた。自分を磨くのが楽しくなった。そして…………。
「人形ちゃんは私の大事な友達、ですわ………」
和水と人形は、既に少しずつ、信頼関係を築き上げていた。人形は、ピアノのレッスンでミスをする私を笑ってくれる。昨日こんな寝言言ってたぞ、と揶揄ってくれる。恋の相談に乗ってくれる。(大したアドバイスはしてくれないけど)
今も、和水を守るために、戦ってくれている。
「私の友達を傷付ける奴は………許さない………!」
「…………!」
十字架に磔にされている和水の体が、ゆっくりと光り始める。その光は粒子となって、ふよふよと辺りに漂い出した。
人形にとっても、和水は自分の辛い傷を癒してくれる、パートナーだと感じていた。やっと、願っていたものが手に入った。そうして少しずつ、悲しい記憶を和水との温かい日々で塗り替えていたのに。ピアノの少女は、わざと人形のトラウマを刺激し、精神的に追い詰めている。
やがて、和水の体から放たれた光は、蹲る人形の体に吸収され始めた。温かい、和水の生命力。先程も人形が体を大きくするために幾らか生命力を使っているので、もうそんなに残っていない筈なのに、和水はその僅かな生命力を、人形………友達を救う為に使ったのだ。恋白と違い、ごく一般的な生命力しか持たない和水は、一頻り人形に生命力を注ぐと、そのまま意識を失ってしまったのだった。
パートナーの生命力を浴びて、悲痛な過去を頭の中で繰り返していた人形に、一気にブワリと最近の記憶が蘇っていく。目隠しさんとの戦いの後、和水の手を取って取り憑いたことや、いつもみんなで騒ぎながらお弁当を一緒に食べる時間、夜寝る前に、ベッドの中でくだらないことを語り合い、そのまま寝落ちすること。今の人形はもう、辛い記憶ばかりではない。理解してくれる仲間がいて、受け入れてくれる友達がいて、何よりも、守ってくれる大切なパートナーがいる。
「………温かい…………」
「無駄よ!私がもう一度演奏すれば、貴女はまた………!」
正気を取り戻した人形が、愛おしそうに小さな光の粒子を抱き締める。そしてゆっくりと、十字架で気を失う和水を見上げた。一方でピアノの少女は、焦ったように鍵盤に手を掛ける。一心不乱に音を奏でて、もう一度人形の精神を支配しようとするも、人形はただ真っ直ぐに少女の姿を見つめて立っていた。その姿に、少女は更に追い詰められていく。
「なんで…………、どうして平気なの………!?私のピアノを聴いてるのに………なんで…………」
少女の周りにも、和水の生命力の粒子が辿り着く。その温かな光が少女をも包み込むと、今の少女の姿に、生前の少女の姿が重なって見えた。
裕福な家庭に生まれた、平凡な少女だった。父は財閥のトップ。母は元モデル。その間に産まれたのが、2人の子供。先に産まれたのは男の子。少女の兄で、財閥の跡取り息子だ。両親の期待と愛は、全て兄に注がれた。妹の少女には無関心で、少女は常に愛に飢え、心が空っぽだった。
構って欲しい、私のことも見て欲しい。そんな気持ちで始めたピアノに、少女はどんどんのめり込んでいく。学校が終わった後も、家に帰ってきてはピアノのレッスン。同じ年齢の子達は友達と遊ぶ中、少女は防音室に篭りきりだ。私を見て。私のこと、褒めて。私のこと愛して。少女の指が、鍵盤を滑る。
コンクールで、賞を取った。会場で拍手喝采を受けながら、少女は、観客席の両親を見る。演奏が始まる前まではそこにいた筈の父と母の姿が無い。大きな花束を抱えながら走って探すと、ロビーで電話をしている両親が見えて、
「そうか、模試で1位を取ったのか!良かったな、お前は才能があるからな!」
聞こえてきた会話は、この場にいない、兄のテストの結果が1位だった、というものだった。妹のコンクール受賞はどうでもよくて、兄のテストの結果の方が、両親にとってはよっぽど大事なのだ。その現実を突き付けられた時、少女は幼いながらに、地獄のどん底に突き落とされたような感覚すらしたのである。
ピアノしか残されていない少女は、それでも弾き続けるしかなかった。弾いて、弾いて、弾き続けて。そうして季節は巡り。
「診断結果は、ーーーーです」
「…………………」
体の不調を感じて検査を受けた病院で、少女はよく分からない病名を告げられた。そうですか、と淡々と医師からの説明を受ける両親。でも、少女はちっとも悲しくないし、病気のことなんてどうでもいい。それよりも、
(病気なら………、私のこと、見てくれる?)
ピアノが弾けなくなった少女を憐れんで差し入れされた、電子ピアノ。力の入らない手で鍵盤を押しても、観客はいない。父と母はたまに様子を見に来るだけで、この期に及んでも少女のピアノを聴いてくれることは無かった。
人形は、何かに想いを馳せながら、涙を流してピアノを弾く少女を、もう止めなかった。誰かを攻撃する為じゃなく、自分の中の何かの為に、ただ夢中で演奏する少女を、止められる筈がなかった。
誰かに、聞いて欲しかった。愛して欲しかった。私はここにいるんだってことを、実感したかった。そんな少女の儚く悲しい想いは、ピアノの旋律に乗って響き渡る。私は確かに生きていた、そう噛み締めるように少女の体は揺れ、演奏はクライマックスに差し掛かる。
そして、最後までしっかりと弾き終えると、パチパチと拍手が響く。人形が、少女に向けて拍手をしていた。その演奏の素晴らしさと、少女が生きた証に向けて。少女は最初、驚いたように目を見開いていたが、やがてゆっくりと立ち上がると、深くお辞儀をした。
少女の体が、人形の拍手を浴びながら徐々に薄く消えていく。成仏しようとしているのだ。しばらくその様子を見つめていた人形だったが、やがて少女の姿は完全に無くなり、魂だけがその場に残された。
「………未練が晴れたか」
幽霊は、強い未練や怨念が材料となってその存在が出来上がる。そしてその未練が晴れた時、やっと成仏していくのだ。人形は残った少女の魂の光を優しく抱き寄せ、己の体の中へと吸収した。せめてあの少女が生きていたこと、想い、願いを、人形だけは忘れまいと、その魂を食らったのだった。
「知らない間にそんな事があったんですか………」
「2人とも無事で良かった………」
翌日、いつものお昼休みに、昨日和水が音楽室で出会った少女の話を聞いて、私と吉光は驚いていた。まさか、少し前まで霊感なんて一切なかった和水が、単独で亡霊と戦っていただなんて。和水はどこか嬉しそうな、得意げなような表情で、昨日の出来事を振り返る。
「私と人形ちゃんのコンビネーションで、無事ピアノの霊を成仏させたのですわ!」
「コンビネーションって………、お主、後半は気を失ってて何も知らんじゃろう」
「まあ!ピンチだった貴女を救ったのは私ですわよ!」
フン、と減らず口を叩く人形ちゃんは、もぐもぐとお気に入りのタコさんウインナーを頬張っている。その様子に、素直じゃないんだから、と苦笑いをしていると、和水の意識は私の隣にいた目隠しさんに注がれた。
「目隠し様がピンチの時も、私が絶対に助けますから、安心してください!」
「ち、ちょっと!和水ちゃんのパートナーは人形ちゃんでしょ!」
「あら。パートナーじゃなきゃ、助けてはいけないなんて決まりはありませんわよ」
「私の生命力だけで十分足りてるので結構です!」
「俺も恋白がピンチの時は、必ず守ります!」
「………俺だけで十分足りている」
「なっ…………」
ぎゃあぎゃあと騒がしい目の前の光景に、人形は密かに微笑んでいた。
「………ほんと、馬鹿な奴らじゃ」




