人形の未練
「私、今日貴女に人形を渡して帰った後、お父様から聞いたのですわ。あの人形のこと」
バケツを片手に部屋と洗面所を往復する中、九重さんは私に、ここに来た流れを説明してくれた。
「あの人形を売っていた商人が、人形のことを哀れだと、そう言ったらしいのです。それで、何故哀れなのかと聞いたら………」
1人目の主人だった女の子を亡くし、絶望と寂しさに打ちひしがれて彷徨っていたところを、何度か人間に拾われたことがあった。可愛らしい人形であったことから、小さな女の子たちが彼女を見つけては、気に入って家に持ち帰ったらしい。しかし、大人たちは、どこかその人形を気味悪がって、捨てたり、燃やそうとする。コイツはただ、新しい友達が欲しくて………、辛く悲しい過去の記憶を癒してくれる、そんな友達が欲しくて彷徨い続けているだけなのに、と。
「商人がそう話したらしくて………、それもあってお父様は、何だか人形が可哀想に思えて買ってきたらしいのですわ」
「やっぱり………、私が見た記憶とも合致する………」
「私、あれだけ人形の事が怖かったのに、その話を聞いたら何だか気になってしまって。東雲さんの所へ人形の様子を見に行こうと思って来てみたら、何故か2階の一室が燃えているのが見えましたのよ」
ようやく殆どの火が消えてきたかというところで、その話を聞いていた目隠しさんが訝しげに口を開く。
「………だが………、ここは現実世界に見えて現実世界ではない、鏡写しになっている霊界だ………」
「え、そうなの!?ここ私の部屋じゃないの!?」
「………本来であれば、霊感もなく聖職者でもない人間が、自らの意思でこの世界に入ってくることはない………」
そういえば九重さんは、学校では見えていなかった筈の目隠しさんの存在を認識している。これはどういう変化なのだろうか。
「………人形の話を聞いて、同情したせいなのか………。巻き込まれてしまったようだな………」
「というか、何なのですこの男は!幽霊ですわよね!?」
「落ち着いて九重さん!目隠しさんはいい幽霊だから!」
「幽霊に良いも悪いもありますの!?」
そうして騒いでいる内に、火が消えて意識を取り戻した人形が、ゆらりと立ち上がった。私たちの間に緊張が走る。こちらは人形に歩み寄りたいと思っているが、人形側の敵意が消えたわけではない。それどころか、火を付けた私に対してかなりご立腹な様子だった。また突然攻撃してくる可能性がある。
それでも私は、人形に訴えかけた。貴女の気持ちに寄り添いたい。私たちは敵ではないということを、何とか伝えたかった。
「人形さん!私たちは、もう貴女と戦いたくない!だからもうやめて!」
「……………………」
「私………、貴女と痛みを分かち合いたいの。そうしたら、辛さも憎しみも全部半分こでしょ………?」
しかし、たった今記憶の断片を見ただけの、哀れむ私たちの手なんか、人形が取る筈がなかった。ボサボサになった髪の隙間から私たちを睨み付けると、無差別にその髪を槍のように尖らせ、突き刺そうとしてくる。咄嗟に目隠しさんが鎌を取り出して、その猛攻を全て弾き返した。私は、ひいいい、とか細い悲鳴をあげて小さくなる九重さんを抱き寄せ、目隠しさんの背中に隠れる。私の部屋の壁、家具、床、窓、あらゆるものに大きな穴が開き、どんどん壊れていくのをただ祈るように眺めるしかない。
「お前らのような下衆な人間共にわらわの気持ちが分かるものか!!」
殺してやる!殺してやる!と何度も繰り返し叫ぶその姿は、先程とは違い我を失っているようにも見える。人形の猛攻は更に激しさを増し、目隠しさんも私と九重さんを守るので手一杯だ。背後でコソコソと近付いてくる髪の毛に気付かぬまま、私と九重さんは固唾を飲んで見守る。
「わらわにばかり気を取られていたら、大事なモノを無くすぞ小僧!」
「…………!?」
そう人形に言われた時には既に遅く、目隠しさんが振り返った時には、私と九重さんの体それぞれに髪の毛が巻き付き、軽々しく持ち上げられる。
「きゃあぁあぁあっ!!!」
「九重さん!!!」
隣で悲鳴を上げる九重さんが、そのまま割れた窓から放り投げられる。悲鳴をあげながら助けを求めるように空に手を伸ばす九重さんに、咄嗟に私も名前を呼びながら手を伸ばしたが、その手は空を掴むだけだった。
「目隠しさんお願い!九重さんを助けて!!」
私に言われるよりも早く、目隠しさんが九重さんを追って窓から飛び出していく。九重さんの体が地面にぶつかるよりも前に、目隠しさんは何とかその体をキャッチして軽々と着地した。
「あ………、ありがとう、ですわ………」
「………………」
抱き抱えられて頬をうっすらと染める九重さんが、先程まで怖がっていた目隠しさんにお礼を告げる。しかしそのお礼に返事をしている暇など、目隠しさんには無かった。部屋に残されたのは、私と人形だけ。目隠しさんが九重さんと共に戻ってきた時には既に、私の体はまたしても操り人形となって、目隠しさんの前に立ちはだかった。
「………逃げて………、目隠しさん………」
「…………恋白………」
震える手に握りしめられているのは、割れた大きな窓ガラス。涙目で必死に自分を押さえようとすると手に力が入って、私の手からもポタポタと血が滴り落ちていた。
「な、何をしていますの東雲さん!私たちは………!」
そう言う九重さんの体を手で押し除けて、目隠しさんは逃げるどころか、私に向かってゆっくりと歩いてきた。
「同情するというのなら、わらわの怨み、悲しみ、苦しみをお前らにも味合わせてやる!!」
あくまでも人形は、私の手で目隠しさんを傷付けることに拘りたいようだ。その方が傷も、精神的なダメージも深く残るからだろうか。一歩、また一歩と近付いてくる目隠しさんが怖くて、私は声を絞り出して叫ぶ。
「来ないで!!」
「………恋白」
「お願い、来ないで………!」
傷付けたくない。そんな気持ちとは裏腹に、彼を傷付けようとする自分が怖くて、私はとにかく必死に逃げるように訴えかけた。でも、そう告げれば告げるほど、目隠しさんは意地になるように、怒ったように、私に近付いてくる。
「………手の力を緩めろ、恋白。傷が深くなる………」
「嫌!お願いだから逃げてってば!」
それでもやはり言う事を聞いてくれない目隠しさんに、私は更にガラスの破片を握りしめる手に力を込めた。これは私の意思ではない、何とか目隠しさんを守りたい、という私の人形への細やかな抵抗だ。やがて、事の成り行きを見ていた人形が手を振ると、私の体は目隠しさん目掛けて走り出す。ガラスの破片を構えながら、彼を傷付けようと、動き出してしまった。
「やだ………!止まって!!」
私の悲痛な叫びも虚しく。その凶器は目隠しさんに向かって振りかぶられた。駄目だ、もう、と諦めて目を閉じる私の手を、目隠しさんが咄嗟に掴む。彼を刺すことなく掴まれた腕は、そのまま力強く引き寄せられて抱き止められた。そして手にした鎌で、私に繋がった髪を切る。急に解放されて脱力した体は、ぽとんと破片を床に落とした。
「………お前を残して逃げられるものか………」
「目隠しさん…………」
「………俺を傷付けまいと、必死に抗ったのだろう………」
私の手のひらに刻まれた切り傷を見つめて、目隠しさんがそう静かに呟いた。私を抱き抱えたまま俯く彼の顔は、綺麗な銀髪に隠れて見えない。しかし徐々に、目隠しさんが怒気を含んでいることに気付く。
「………許さん。あの人形は俺が食う。………いいな」
「ま、待って、目隠しさん………!」
びき、と怒りで首筋の血管が浮いているのが見える。私を離すまいと固く抱き寄せるその腕は、真っ黒に変化し、まるで獣のような大きな手になっていて。
(なに………これ………、目隠しさんの体が…………!)
見た事のない変化を目の当たりにして言葉を失う私を他所に、人形だけはその姿を見てうすら笑みを浮かべていた。




