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憎しみ、悲しみ、怒り

 私の手から放たれた火は、人形の髪に小さく燃え移り、ものすごいスピードで広がっていった。それは次々と、絡まった髪同士を巻き込んでいく。最初は小さかったライターの火が、あっという間に部屋中全体に燃え移って、大きな炎へと変貌したのだった。


「小娘!!!よくもわらわの髪を!!」


 激昂する人形のヘイトがこっちに向けられる。しかし私はそれどころではなくて、髪の毛が燃えて発生した煙に包まれて、ゴホゴホと咽せながら床に倒れ込んでいた。自分に繋がっていた髪が燃えたせいで、パジャマも所々燃えて消え、あちこち軽い火傷も負っている。


「恋白………!」


 目隠しさんがそんな私を見て、助けに来ようとしてくれたのが見えたが、人形もそれをみすみす許す訳がなく、燃えている髪を何本も束ねて太い木の幹のように唸らせ、私の体を包み込んだ。


「人間が付けた火如きで、わらわの髪が燃えると思うたのか!このままお前もろとも焼き尽くしてやる!!」


 繭のような形状のその中は、地獄のように熱く、呼吸も危険を伴う熱さだ。このままだとやがて私もろとも丸焦げだろう。


 目隠しさんは繭に向かって鎌を振り下ろすが、何層にもなっているのか、一向に中にいる私が解放されることはなかった。加減してれば繭は斬れないし、かといって本気で斬れば中にいる私も一緒に………。そんな状況に痺れを切らしたのか、目隠しさんは鎌を投げ捨て、あろうことか繭に手を突っ込み、手探りで私のことを探そうとした。鎌で斬ったお陰で薄くなった部分からその様子が窺えて、私は慌てて駆け寄る。


「駄目!!目隠しさんまで燃えちゃう!!」

「俺の心配はいい!手を掴め!」


 なんでそこまで………、自分を犠牲にして守ってくれるの………。目隠しさんの剣幕に押されて、私も中から繭を掻き分け、目隠しさんがいる方へと必死に手を伸ばした。手のひらが火傷しても、そんなの関係ない。でも、私のせいでこれ以上目隠しさんが傷付いて欲しくない。火は目隠しさんの髪、皮膚へも燃え移り、文字通り炎に包まれている。それでも彼は、何の躊躇いもなく強引に繭に体を入れる。


「熱い…………、熱い…………!許せない………人間…………、人間如きがぁあぁ………!」


 先程は強がっていた人形も、やはり無傷とはいかないようで、私たちの傍で苦しみもがいていた。その叫びが、髪の毛を伝って、繭の中の私にまで響いてくる。すると何故か、私の頭の中に見知らぬ覚えの無い記憶が蘇った。


 遠い昔の、遠い国で、人形を嬉しそうに抱き抱える女の子。女の子と人形は常にどんな時でも一緒で、友達、親友、家族………、それと同じくらいの絆で結ばれていた。女の子は人形のことが大好きで、人形も女の子のことが大好きだった。


 しかし、女の子と人形の楽しい平凡な日常は徐々に壊れていく。


 酒癖の悪い父親と母親が毎晩喧嘩をしている。女の子は部屋で耳を塞いで、その地獄の時間が終わるのをただひたすら待っていて………。父親は泣き叫ぶ母親に暴力を振り、やがてその牙は娘である女の子に向くこともあった。やめて、やめて、と泣く女の子を前に、人形は何もできない。その青い瞳で、ただ大切な人が傷付けられるのを見ているだけ。


(お願いやめて………!殴るなら私を殴って!!)


 そうどれだけ願っても、人形の声が届くことはない。至る所にアザを作って、それでもこちらに笑いかけてくる女の子を、見ている、だけ………。


 やがて両親は離婚し、母親に引き取られても、地獄から抜け出すことはなかった。母はどこかの男に入れ込んで、滅多に家に帰ってこなくなった。常にお腹を空かせて、空っぽの冷蔵庫を漁る女の子に、何も恵んでやれない。寂しさで泣く女の子の隣で佇むことしかできない。これ程までに、自分の無力を呪ったことがあっただろうか。


 そして1日。また1日と流れていく時間の中で、女の子は確実に弱っていき、そして、人形の隣で動かなくなった。そのやつれた頬に止まる小蝿を払ってやることすら………叶わない。


(守れなかった…………。なにもしてあげられなかった…………)


 事実が明るみになって、母親は警察に捕まったが、女の子が帰ってくることはない。人形の中で、怨み、後悔、憎しみ、苛立ち、悲しみ………色んな感情が真っ黒になって、募っていく。棺の中に収められた小さな体はそのまま火葬され、骨だけになった女の子を、墓の前に供えられた人形はぼんやりと見下ろしていた。


(………憎い………。私から大事なものを奪った奴らが…………。許せない………何もできなかった自分が…………)


 憎い。許せない。憎い。許せない。憎しみをぶつけ、自分を責め立て、それをずっと、何日も、何ヶ月も、何年も繰り返し続けた人形。やがてその人形は…………。


 そこで目隠しさんが、私の腕を掴んだ。意識を引き戻され、目隠しさんがこじ開けた繭の穴から脱出する。彼の腕の中に傾れ込んで、私はやっと大きく息を吸った。良かった、生きてる。軽い火傷で済んだのは奇跡かもしれない。私の様子に目隠しさんも安心した様子だ。何なら目隠しさんの方が傷だらけである。


「目隠しさん………、ありがとう………助かった………」


 そして私は、先程頭の中に流れて来た映像………恐らく、あのフランス人形の記憶を回顧していた。目隠しさんに支えられながら、火傷でヒリヒリ痛む体を起こす。今もまだ炎は人形の髪を焼き、その髪の中で人形が苦しげに呻いている。


「火を消さなきゃ………!人形を助けないと!」

「………助けるだと………?」

「あの中で見たの!多分あの人形の昔の記憶なんだと思う………。すごく悲しくて、辛い記憶………」


 過去の記憶、感情に囚われて、人形は今のような形になってしまったのだ。憎しみに突き動かされて、色んな人たちに危害を加えている。その魂を救ってあげなければ、と私は何故かそう考えていた。同情………、と言われてしまうだろうか。ただ私は、少しでも楽になってほしい。大切な人を守れなかった人形に。


「救ってあげたいの………」

「………………」


 目隠しさんは、私が見た記憶のことなんて知らない筈なのに、それでもそれ以上は深く聞かずに同意してくれた。ただ倒すだけじゃ、この人形の念は救われないまま消えてしまう。そんなの、悲しすぎる。


「水!水を持ってくる!」


 とにかくまずは火を消すことからだ。私は痛みも忘れて立ち上がり、扉に向かう。すると、その扉は私が辿り着く前に勢いよく開かれ、向こうからばしゃんと部屋の中へ容赦なく水が撒かれた。全部とは言えないが、一部の髪はそれで火が消え、真っ黒にチリチリに焦げた部分が覗く。


 求めていた水が丁度いいタイミングで、向こうからやって来たことに固まっていると、その扉から姿を現したのは


「こ、九重さん!?」

「何ですのこの状況………!一体どういうことか、説明してくださいまし!」


 何故か現れたのは、九重和水………。私にフランス人形を押し付けたその人だった。どうしてここに、それに何で水、と色々聞きたいことは山のようにあったが、それよりもまずは水だ。とにかく何度も家の洗面台と部屋を往復して、髪に付いた火を消すしかない。


「とりあえず説明は後でするから!水運んで!!」

「ひいいぃっ!な、何ですのこの男!見るからに幽霊!!」


 目隠しさんの存在が見えている事にも驚きだが、兎にも角にも今言ったように、全ての説明は後だ。目隠しさんにビビり散らかす九重さんの腕を掴んで、私は部屋を飛び出した。

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