その呪いは、拒絶の呪い
「………そういえば、母に会う前に、2人に伝えておきたいことがあります」
鳥居の前までやってきた私たちに、そう神妙な面持ちで振り返った吉光がいた。私と目隠しさんが足を止めて、その言葉の続きを待つ。
「大丈夫だとは思うのですが、俺の母は時に突拍子のないことをしたり、少々強引だったりするところがありまして………」
「ああ、そういえば…………」
吉光のお母さんは、いつも優しい笑顔を浮かべているような、朗らかな人だと認識している。遊びに行った時はいつも「吉光と仲良くしてくれてありがとう!」と喜んでくれて、美味しいお菓子をわんさか出してくれる、そんな人だ。でも、おっとりしていてちょっと天然だったり、変わっているな、と感じる部分があるのも知っていた。
そして吉光の視線が、私の背後に立つ目隠しさんに向けられる。
「なのでもしかしたら母が、目隠しさんのことも祓おうとしたり、何か迷惑をかける可能性があるのですが………そこは俺が何とかします。どうか、母に手を出さないで下さい」
目隠しさんに向かって頭を垂れる吉光。彼が母親のことで唯一心配な点がそこであった。まあ………あり得なくはない………と、そんな状況になることを想像するのは難しくはなかった。
「………手を出そうにも、この先に進めば俺の力は弱体化する…………」
目隠しさんの視線の先には、立派な赤い鳥居が聳え立っている。亡霊たちにとってこの先は、本来ならば一歩も足を踏み入れたくない土地だろう。
「………俺にとってはこの先は体に毒だ………。恋白の中で成り行きを見させてもらう………」
それだけ言い残し、目隠しさんは私の体内へズブズブと潜り込んで消えていった。実質、何があっても目隠しさんの力は頼れないという事だ。吉光に忠告された為、何だか妙な緊張感を抱く。別に初めて会う相手でもないんだし、案外普通に事が終わる可能性もゼロではない。
「分かった。肝に銘じておく」
「………はい。では、行きましょう」
私は吉光に促され、彼の自宅がある場所まで、その鳥居を潜り抜け、長い長い石畳の階段を踏み締めるのだった。
そして。
「あらあ、うちに来るのは久しぶりね恋白ちゃん!」
「こんにちは、おばさん。お邪魔します」
「ただいま、母さん」
私と吉光を満面の笑顔で出迎えた吉光のお母さんは、やはりあの頃から変わらない優しげな雰囲気を漂わせていた。名は確か………、出雲藤香さん、だったっけ。
突然やってきた私のことを歓迎してくれて、さあ中に入りなさい、と居間に通してもらった。「お茶を持ってくるから」とキッチンの方へ消えていったその背中を見送り、私はちらりと吉光を盗み見る。吉光は、いつ母親が勝手なことをしないかを見張る為、常に気を張っているように見えた。
「さあ、飲んで飲んで!お菓子もいっぱいあるわよぉ」
「あ、ありがとうございます………。急にお邪魔したのに………」
「何を水くさいこと言ってるのよぉ。息子の幼馴染じゃない!」
昔はよく遊びに行ったり来たりしてたのにねぇ、思春期かしらぁ、と、1人盛り上がる吉光のお母さんに、私は何だか拍子抜けな気分だった。吉光があんな忠告をするものだから、出会い頭に急にお祓いとかされるんじゃないかと緊張していたのだが、今のところそんな手荒な真似をするような素振りは見えない。段々と私も気が抜けてきて、吉光のお母さんとは思い出話に花を咲かせた。幼稚園の頃の話とか、小学校の頃の話とか、とにかく吉光とは幼い頃からずっと一緒に育ってきたし、親ぐるみの付き合いなので話が絶えない。そうして一頻り盛り上がっている最中も、吉光だけは話題に混ざることはなかった。ずっと睨むように、実の母親を見張っているだけ。そんなに警戒しなくても、と隣の吉光に声を掛けようとしたところで、吉光のお母さんが口を開く。
「ところで恋白ちゃん」
「はい?」
「何か良くないモノを連れているみたいねぇ」
そう言われた瞬間、何だか背筋が冷えるような嫌な感覚が体中を駆け巡った。何も返せず黙り込み、固まる私を眺めるおばさんの顔は、相変わらず優しい笑顔を浮かべたままだ。それが逆に怖くて不気味だった。
「それに、呪いのことも吉光から聞いたわ。大変なことに巻き込まれたみたいねぇ。すぐに祓ってあげるから、安心して」
「あ、あの………、私に取り憑いている霊のことは………」
「さあ、目を閉じて」
こちらが何かを言う前に、おばさんは私の額にトン、と人差し指を置いた。その瞬間、まるで体が鉛のように重くなり、指一本すら動かせなくなる。目を見開いたまま固まる私の体には、電気のような衝撃が駆け巡り、次の瞬間には火を吹くのではないかという程に全身が熱くなった。
(なに、これ…………)
自分の体じゃないみたいに言う事を聞かない。バクバクと心臓が高鳴って、汗が止まらなくなる。倦怠感、脱力感。廃墟で初めて呪いを受けた時と、全く同じ症状だ。
「母さん!いきなり何をするんですか!」
「呪いの症状を誘発したのよぉ。まずはどんな呪いなのか知る必要があるでしょう?」
そうして二人は、動かなくなった私をじっと覗き込んだ。浅く繰り返される呼吸。うっすらと浮かぶ汗。頭が痛くて、胸が苦しくて、視界がグルグル回る。やがて気を失ったように、私は座ったままグッタリと項垂れた。その瞬間だった。
ドカン、と気圧のような、突風のような、とにかく物凄い力が周囲に爆発して、見ていた吉光と吉光のお母さんの体を勢いよく吹き飛ばした。部屋の中はぐちゃぐちゃに荒れ果て、色んな物や家具が散乱する。突然のことに受け身を取れなかった吉光が、壁に強く背中を打ち付けてゴホゴホと咽せながら床に転がった。
「い………一体何が………っ!」
「これは………拒絶の呪い………!凄い力だわぁ!」
吉光のお母さんが、その呪いの現象に半ば興奮したように言った。もろに食らって吹き飛ばされたというのに、ケロッとした様子で私の傍に戻ってくる。そして、破壊された棚から飛び出していた一冊の分厚い本、『楽しく学ぼう!よく分かる呪い図鑑』を手に取った。勢いよくパラパラとページを捲って、何かを探しているようだ。
「発熱、倦怠感、頭痛、眩暈………様々な不調が出て、意識を失う事もある。意識を失ったまま、周囲の人や物に対して拒絶反応を示し、危害を加える可能性がある危険な呪い…………ねぇ………」
「今吹き飛ばされたのも、恋白の呪いの力ということですか………!何と危険な………!」
「この呪い、分からない事も多いみたいねぇ………。凄いパワーだわ………。私でも抑え込めるかどうか…………」
そんな呪いを軽い気持ちで解放してしまってどうするんですか!と母を責める吉光。相変わらず私は気を失ったままそこに静かに座っているが、安易に近付けばまた吹き飛ばされてしまうかもしれない。かと言って、相手は私だから2人とも手荒な真似をする事もできない。
「大丈夫ですか恋白!しっかりしてください!」
意識の遠くの方で、私の様子を心配した吉光の声が微かに聞こえる。しかし、返事をする事も、体を動かすこともできない。まるで自分の体じゃないように………何も言うことを聞いてくれないのだ。その後も、吉光親子が何か声をかけてくれているような気がしたが、その言葉は最早耳に入らなかった。何故だか、怒り、憎しみ、苦しみ、破壊衝動、拒絶………様々な負の感情が頭に流れ込んできて支配されていく。とても抗えない強さと量だ。
「とりあえず体を拘束するわ」
吉光母が、人差し指と中指にお札を挟んで、自分の顔の前に掲げる。何かを念じるように目を閉じた後、そのお札を私目掛けて投げ付けた。しかし、お札は私に届く前に、粉々に破けて床に落ちる。吉光が驚いて固まった。
「母さんのお札すら弾くなんて………!」
「あらあら。困ったわねぇ」
焦る吉光と、とても困ってそうには見えない吉光のお母さん。吉光のお母さんは、遂に棚に置かれていた神楽鈴を手に取る。その様子に慌てたのは吉光だ。
「仕方ないわ。恋白ちゃんの中にいる悪霊にも影響が出そうだけど………。これで呪いの邪気を祓って抑え込みましょう」
「ま、待ってください母さん!それだと下手すれば目隠しさんが…………!」
シャンシャンと響き出す、神楽鈴の綺麗な音。それを握る母の手を、吉光が慌てて制していた。目隠しさんに影響が出るどころか、彼も纏めて祓ってしまう可能性がある。そうでなかったとしても、目隠しさんも無傷では済まないだろう。吉光の母にとっては、目隠しさんの事など悪霊の1つにしか過ぎず、どんな影響が出ようが関係ないのだ。
「………恋白………」
そこで響き渡ったのは、もう1人の男の声。今まで私の中に潜んでいた目隠しさんが、ズルリと姿を現したのだ。




