自販機でバイトしたい
現代において大切なものーーそれはユーモアと共感。
この2つを持っていたら勝ちだ。だから俺はこの2つを人生のテーマとして生きていくと決めている。
この退屈で窮屈な日々を偏屈な俺が楽しく生きていくためには、必要最低限沿うべきテーマがあったほうがいい。このくだらないこだわりが、平凡な日々に少しでも味をつけてくれればいい、そう思っている。
「はあーー。どうしてお前らはあたりまえに悲劇的な過去があって、努力が報われて、そしてイケメンなんだ。」
読み終わったマンガを閉じて、俺は本棚のマンガたちに向かってぼやいた。
マンガを読んだ後の満足感と謎の劣等感に浸ったのも束の間、スマホの無機質な通知音で俺は現実世界に引き戻された。
もうずいぶんと慣れた手つきでメールを開き、内容を読むこともせず、"恐縮ですが" や "誠に残念"の文字を探す。
ーー不合格とさせていただきますーー
「……はじめて見たんだけど。」
ずいぶんとストレートな不採用通知に、苛立ちもせず、あっけに取られた。
気を取り直して、毎度お馴染みの不採用メールに対する返信文を考える。
ーーRe:株式会社ケシカス
このたびは厳正なる選考をしていただきありがとうございました。
勘違いの余地も与えない真っ直ぐな不採用通知に心を打たれました。私は寛大な心を持っている為怒りませんが、他の皆様は不愉快な思いをされるかと思いますので、御改善願います。そして私のような寛大な心の持ち主を落としたこと、心より反省くださいませ。
毛忌愚
俺は満足げにスマホを閉じた。もちろん送信はしていない。
この上なく無駄な作業かもしれないが、少しだけ今日がおもしろおかしくなったように感じる。そう、これが俺のユーモアなのだ。
俺はマンガの主人公のような運命も境遇も顔も持っていない。
しかし、つまらない人生は御免だ。だからといって偉人のようになろうとまでは言わない。ただ、神様が人間界を観察しているときに、
「なにこいつ、変なやつだな。」
と、目に留まってくれるような、そんな人間でありたいのだ。
自分へのささやかな慰めとして、ジュースを買いに家のそばの自販機へと向かった。
外は夕焼けが終わった後の藍色だった。
この時間帯の少し冷えた気温、ぬるい風、省エネモードになりゆく色彩、どこかの家の夕飯の匂い…いろいろな要因が人をセンチメンタルにさせる。
(これで何社目だっけなぁ。)
(次はどこ受けるかなぁ。絶対受かりそうなとこ…。)
ぼけーっと歩いていたらすぐに自販機に着いた。こんなへんぴな自販機にしては珍しく、先客がいた。
リクルートスーツの女性。よく見たらアパートの隣人のなんとか橋さんだった。
「あ、どうも。」
挨拶をしてくれたなんとか橋さんの微笑みから疲れが伝わってくる。就活中なのだろう。
こういうとき俺は、相手を傷つけない言葉なら飲み込まずに言ってみる。
「あの、すごいお疲れみたいですけど、大丈夫ですか?」
なんとか橋さんは少し驚いた目をしたが、すぐにさっきの微笑みに戻って、
「いやあ、就活が大変で…。なんか、大してやりたくもない仕事の面接行くのも、馬鹿らしくなってきちゃって。」
「え、わかりますよ。俺もバイト落ちまくってて。そのくせ楽な仕事ばっか探して。そんなのないってわかってるんですけど。」
「……あ、俺、自販機でバイトしたい。」
「……自販機、ですか。」
「あ、すいません。変なこと言いました。」
「いや、完璧にはわからないけど、なんかわかります。…いい感性してますね。」
そこから短い帰路を2人で帰った。
飲み物は彼女が奢ってくれるというので、はじめて見る変な味の炭酸水にした。そしたらまた彼女は、
「いい感性してるね。」
と、言って笑った。
「では、また。なんだか元気出ました。ありがとうございました。」
「俺こそ、ごちそうさまです。」
なんとか橋さんがドアを閉めてから、表札を見た。
水端さんだった。
買ってもらった炭酸水は案外美味しかった。自分の金だったら買わなかっただろう。
(…なんだかんだいい日だったな。炭酸貰えたし、ウケたし。)
俺は自販機補充のバイトに申し込んでから、マンガの続きを読んだ。今度は、読み終わった後の謎の劣等感は感じなかった。