77 レオナルドの帰省 “坊ちゃま”の友
シュヴァリエ侯爵家の侍女マーサは、「レオナルドが馬で戻られた」と聞いた瞬間、思わず息を呑んだ。
侯爵家の令息が、供もつけずに馬で帰ってくるなど、前代未聞のことだったからだ。
レオナルドの一年ぶりの帰省に、家族だけでなく、使用人たちも出迎えの準備に追われていた。
とはいえ、侯爵家に仕える者らしく、慌ただしさを表に出すことはなかった。
そんな折に届いた知らせ。
表情にこそ出してはいないが、屋敷中に静かな動揺が走ったことを、マーサははっきりと感じ取った。
マーサは、レオナルドが生まれる前からこの家に仕えている。
赤子のレオナルドを初めて見たとき、その愛らしさに「天から遣わされた子のようだ」と胸を打たれたのを、今でも覚えている。
だが反して、彼の性質は「可愛らしい」とは言い難かった。
物心がつくのが早く、そして物心がついてからは努力していない姿を見せたことがない。
侯爵家次男として、優秀で、努力を当然とし、誰にも甘えることのないレオナルド。
“独り”が当然であり、“寂しさ”を知らない彼に、マーサは寂しさを感じていた。
十四歳になると、レオナルドは軍人学校と貴族学院、二つの学舎に進んだ。
軍人学校の宿舎に入りつつ、合間を縫って貴族学院に顔を出すという、常人には真似できぬ生活だった。
入学後、家族には定期的に手紙が届いた。
だがその内容は、儀礼的な挨拶と報告、情報の共有ばかりだった。
兄のアレクシスは、弟を気にかけていた。
「学校はどうだ」「友人はできたか」「元気に過ごしているか」――そんな問いを手紙に添えた。
レオナルドはそれに答えたが、感情を乗せることはなかった。
「学校はどうだ」と問われれば、貴族学院内の派閥や得た情報、軍人学校との制度の差異など、侯爵家に益となる報告が返ってくる。
「友人はできたか」と問われれば、貴族学院での社交や軍人学校で築いた人脈。
クラウスと友人になったことも書かれていたが、「友人ができた!」という熱はなく、あくまで交友関係の一端として記されていた。
「元気に過ごしているか」には、当然のように「健康に問題はない」「どちらの学校も無理なく単位を取っている」と、事務的な返答が続いた。
アレクシスは、マーサがレオナルドを気にかけていることを知っていた。
だから手紙が届くたび、「レオナルドは元気でやっているようだ」と穏やかに伝えてくれた。
だがマーサは、それが「体調を崩さず、日々努力している」という意味だと理解していた。
そして、レオナルド坊ちゃまは相変わらずお忙しくされているのだな、と感じていた。
優秀なレオナルドであれば、貴族学院のみを選べば、努力などせずとも卒業できたはずだ。
努力すべき時間が減れば、余裕が生まれる。交友関係も広がり、「青春」とまではいかずとも、あたたかな時間を過ごせるのではないか。
マーサはそう考えていた。
だからこそ、レオナルドが「軍人学校にも行く」と選んだとき、哀しさを覚えた。
どこまでも正しく「侯爵家」を考え、自らに努力を課す彼に、寂しさを抱いていた。
故に今回、「軍人学校の友人を連れて帰る」と聞いたとき、大層驚いた。
彼がこれまで友を招いたことがなかったわけではない。
けれどそれは、侯爵家次男としての社交の一環であり、迎える側も表向きの笑顔を備える、儀礼的なものだった。
しかし今回の相手は違った。
クラウス・アイゼンハルト。アイゼンハルト伯爵家の三男。
粗暴で感情的、貴族失格の落ちこぼれ――そんな噂ばかりの少年。
侯爵家にとって何の得もない人物を、レオナルドが連れてくるなど考えられなかった。
実際に現れたクラウスの振る舞いは、「粗暴」という噂とは結びつかなかった。使用人への気配りも感じるような、心優しい少年だった。
けれど同時に、レオナルドとは対照的な――よく言えば野生的な雰囲気を持つ彼は、“貴族らしさ”という点で、レオナルドの友人としても結びつかなかった。
その在り様は、侯爵家の客人として迎えるには場違いに思えた。
彼は、これまでの友人とは明らかに毛色が違った。
――だが何よりの違いは、その隣に並ぶレオナルドの姿だった。
ときに眉間に皺を寄せ、ときに貴族らしくない言葉を使う。
大声を出すことこそなかったが、それを飲み込んだレオナルドが、そこに居た。
「侯爵家次男」ではなく、「レオナルド」という人間が、そこに居た。
だからマーサはすぐに、クラウスがレオナルドの友人だと分かった。
「侯爵家次男・レオナルド」の友人ではなく、「レオナルド坊ちゃま」の友人だと分かった。
レオナルドが友の前で、「侯爵家次男」以外の表情を見せるようになったこと。
マーサはそれが、とても嬉しかった。
次回のタイトルは、「友が語る輪郭」です。




